9.屈曲
食堂も閉まりかけの時間、人もまばらで、ただでさえ暑苦しい季節にはこれくらいが落ち着くくらい。だけど、今日はなぜか、隣にいる淀巳さんが妙に絡んでくる。……あたしが寝落ちしたのが珍しいからってだけにしては、妙に距離が近いような気もする。ぎこちなく出された世間話のようなものに、たどたどしく返す。
「最近暑くてたまらんなぁ」
「……そうね、暑苦しくてたまったもんじゃないわ」
もっと暑苦しい人が、わざわざ近寄ってくるし。その言葉は、何とか口に出る前に飲み込めた。暑いのは、苦手だ。癖っ毛だから、べたつきやすくて髪の手入れも面倒だし、線が細いせいか、シャツや靴の中で蒸れて痒くてたまらない。
「うちはどっちかってっと暑いの平気やけど、今年はこたえるわぁ」
「そうなの。……私は暑いの苦手。春の次が秋だったらいいのに」
「それはさすがに言い過ぎやない?まあ、涼しくなってほしいのはわかるけどなぁ」
実家が京都だってことは聞いてるけど、ふんわりというか、はんなりしたような言葉遣いは、何か掴めない感じ。きつめの表情とはあんまり合ってなくて、まだ慣れない。近すぎる距離感も、内心落ち着かない。話し疲れて、今日はもう宿題もできないかも。
「淀巳さんは、暑いの平気なの?」
「まあなぁ、実家は周りが山だからこっちよりずっと暑いんよ」
「そうなの、大変ね」
「まぁそれは慣れっこやし。でも、最近はもっと暑苦しいもんに付きまとわれて大変なんよ」
あたしがうっかり口を滑らせたんじゃないかってくらい、既視感だけがある言葉。思わず、飛び上がりそうになる。取り落としかけた箸は、なんとかギリギリで握り直せた。
「あれ?……そっちも、心当たりあるん?」
「え、……ええ、そうね、……」
ここまで動揺してるのを見られたら、もう白状するしかなくなる。どこまで話していいだろうか、心と相談して、答えは、簡単にはまとまってくれない。小さいくせに、妙に胸の中で大きい存在のこと。
「榛東はんのことやろ?……きっと悪い子やないんやけど、部活サボってまで絡まれててなぁ」
「ええ、そう。……そっちも災難ね、休み時間になると毎回寄ってきてくるのよ」
「そっちもえらいこっちゃなぁ、でも不思議と憎めんのよなぁ……」
「そうなのよねぇ……」
淀巳さんも、箸を置いて頭を抱えてるし、……あたしも、いつもより箸が進まない。早く食べなきゃ、そろそろ食堂も閉まっちゃうだろうに。重い体を動かして、箸を進める。
「もうちょい、話せぇへん?」
「……いいわよ、別に」
とりあえず、もう少し榛東さんの話をしても、損はなさそう。もう少し話を聞ければ、どう向き合えばいいかもわかるだろうし。……ああいうの、どうすればいいのかわからない。だから、こうするのは仕方ないわよね。
「ほな、早ようご飯食べなあかんなぁ……、もうすぐ食堂閉まってまうで」
「あ、……あと5分ちょっとしかないのね」
元々食が細いから、急ぐのも得意じゃないけど。……多分、胸の奥が疼くのは、食べきれるかが心配だからじゃない。