「1」東京
少女の呼ぶ声で彼女は我に返った。
そこは駅のホームだった。
「お姉ちゃん早く早く!乗り遅れちゃうよ!」
そう言って少女が片開きの扉の列車に乗り込むと、発車を告げるベルが鳴った。
慌てて彼女が列車に駆け乗ると、扉が閉まり列車は静かに走り出した。
もう戻れない。彼女は振り返り窓の外を眺めた。
殺風景なホームが少しずつ加速度を上げて流れ、すぐに彼女の顔を映した。
中扉を抜けボックス席の間を進行方向と逆に進むと、右側で少女と目が合った。
「よかったねお姉ちゃん、間に合って」
自分の向いに座るよう促した少女の笑顔に眩暈がした。
「あの。ごめん、私そっちの席でもいい?」
「いいけど。どうしたのお姉ちゃん」
「後ろ向き。気持ち悪いから」
「そっか。いいよ」
少女は軽やかに反対側の席に座り、少女が座っていた席に彼女はついた。
「あのさ」
「なに、お姉ちゃん」
「あんた、私と初対面だよね」
彼女は言った。
少女はえへ、と舌を出しながら人差し指を口元に立てた。
「目的はなに?」
「目的?」
「どうして見ず知らずの人をいきなりお姉ちゃんって呼ぶの?」
「だって、ひとりで乗ってたら怪しまれるでしょ?だからお姉ちゃんと一緒に行くの」
確かに。もし少女が1人でいたら、彼女も何かあったのかと不思議に思っただろう。
それにしても、だ。
「お姉ちゃんって呼ばないで」
「なんで?」
「なんでも」
「じゃぁ名前を教えて」
全部教えるか迷い、半分だけ教えることにした。
「ナナセ」
「ナナセさん。私は」
「知ってる。セーラ」
「なんで知ってるの?」
セーラは訝し気に目を丸くした。
「……だってほら、それ」
ナナセはセーラが手に持っている携帯を指さした。
「あ、これか」
ナナセが携帯を持ち上げると、ストラップが揺れた。
ローマ字の書かれたビーズをつなげてつくるストラップに「SERA」とあった。
「それで。どこまでいくの?」
「岩手」
「何しに?」
「友達に会いに。地震ではなればなれになっちゃってからずっとあってないから」
「親は?このこと知ってるの?」
「言ってない。だってお母さん絶対に許してくれないもん」
「でしょうね」
許してくれないだろうな、とナナセは思った。
「私も岩手に住んでたのよ」
ナナセが言うと、セーラは嬉しそうに
「じゃぁナナセさんも岩手まで?帰省?」
「……どこまでいこうかしらねぇ。」
「決まってないの?」
曖昧なナナセの返事に、セーラは首を傾げた。
「北の方」
ナナセは言った。セーラはオウムのように「きたのほう」と返した。
「そうね……いけるところまで、行ってみようかしら」
「なにしに?」
「そうだ、こんな問題知ってる?」
ナナセは話を逸らすようにこんななぞなぞを出した。
「ある地点Aから、南に2キロ歩いて、そこから東に2キロ歩いて、最後に北に2キロ歩きます。すると元の地点Aに戻ってきました」
「えっちょっと待って」
セーラが問題を遮った。
「なぁに」
「だって、南に2キロ歩いて、東に2キロ、北に2キロで」
言いながらセーラは、左上から下、右、上と空中で指をなぞり右上の位置に持ってきた。
ナナセは思った通りの反応をしてくれたことに心の中で笑いながら先を続けた。
「同じ地点には戻らないって?」
「うん」
「普通はね」
「普通は?」
「不可能を可能にする場所があるのよ、この世界には」
ナナセの意味不明な言葉に、セーラは何度も指を動かしながら必死に考えた。
空中に未完成の四角を次々に出来上がった。
なんて純粋でまっすぐなんだろう、とナナセは思った。
そして同時に「もう戻れない」とも、ナナセは思った。
「さて問題は、そこに生息している熊は何色か」
セーラはますます頭を抱えた。