それはそうと
「とりあえずコウタも回復したことでやすし、一旦ここは離れやしょう。いつフルチン幹部が攻めてきてもおかしくありやせんしね」
フルチンカンブ!? 何それ!
小柄な女の子の提案を聞き、俺は黙って驚いていた。状況が分からないので彼女らの判断に任せるしかないのだが、いくらなんでも分からなすぎる。
「コウタはもう歩けるのかニャ? 無理そうだったら、フルチンから逃げた時みたいに私が運ぶけど……」
「あ、やっぱりフルチンの何かが追ってくるのは確実なんですね?」
何かの聞き間違いだと思いたかったが、そういうわけでもないようだ。
ここがどこかとか今がいつかとか、気にしてられる状況ではなさそうだ。
「歩けはするよ、うん、大丈夫」
俺は立ち上がってから、猫耳の少女に頷きかけた。
「じゃあ行くニャ。きつくなったら、いつでも声をかけてニャ」
猫耳少女は俺に優しく語りかけると、スタスタと先行する。
それはそうと。これまでは意識する余裕がなかったが、ビキニ姿の女の子を後ろから見つめるというのは、かなり背徳感があった。
しかも尻尾がある部分の水着が下にずれていて、お尻が見えるか見えないかの瀬戸際だから尚更だ。目を逸らしたくても、彼女の着ている蛍光色の黄色いビキニは鮮やかで、俺の目を離さない……。
「ちょっと、リナのお嬢を見つめすぎなんじゃないでやすか?」
そんな俺に、横から小柄な少女の声がかかってきた。
バレた、怒られる……! 俺は焦りに顔を引き攣らせたが、小柄な少女は俺のの顔を無理やり自分の手で掴むと、自分の方へと引き寄せた。
小柄な少女の顔が視界いっぱいに映り込み、同時に彼女の着ている黒いビキニも目に入る。
「あっしの方も、ちょっとは見てくだせぇよ」
小柄な少女は不満そうに顔を膨らませて、そんなことを言ってきた。
え、どういう状況なの!? 本当、俺に何があったんだよ!?
「コウタが記憶を失ってから、やけに積極的だな? お前」
「えっ。いやいや、そんなことはないでやすが……」
俺達の様子を見て、後ろから長身の女の子が声を掛けてきた。同時に、小柄な少女が慌てて手を離す。
長身の女の子の声は憔悴したように力がなかったが、身に纏うは青いビキニ。いやいや待て待て。意識をビキニに持っていかれ過ぎてる!
もし俺が記憶を失ってなかったら、悩んでる様子のこの人から話をよく聞くべきなんだろうけど……。
彼女が誰なのかも分かってないのに、そんなところまで踏み込んでも仕方がないだろう。
後ろにいる、目隠ししながらこっちを追ってくる青年もとても気になるが、彼について聞く勇気はなかった。
「しまった、蟹人間ニャ! こんな時に嫌なやつに会うニャア……」
そんな風にやきもきしていると、先頭を歩いていた猫耳少女がいきなり叫んだ。
蟹人間? 何事だと思って前方に意識を戻すと、そこには確かに蟹人間としか言えない生物が立っていた。
胴体が完全に人間で、頭だけが蟹になってる異常生物。
頭の横で蟹の脚がカサカサと動いているが、何の役割も果たしていない。
「なんなんだよあれ……!」
女の子達のコスプレ仲間かとも思ったが、なんか体の動きがぎこちないし、体の毛深さが半端ないし、そもそも人間とは思えなかった。
「あの体毛……。よりによって毛蟹タイプかよ。毒持ってるから、近寄らないようにしろよ!」
毛蟹ってそういうことだっけ!? 俺の知ってる毛蟹は、毛が人間部分に生えてない……というかそもそも人間部分なんてないんだけど……。
「蟹人間は天然記念物でやすから、皆さん攻撃しないでくだせぇよ? 自然保護団体に見つかったら、即処刑でやす!」
「あれ天然記念物なんですか!?」
毒を持ってる奴を天然記念物だからって駆除しないの、ちょっと悠長すぎやしませんか。
「仕方ない。傷つけないように、遠ざけるだけ遠ざけるニャ!」
先頭の猫耳少女が叫ぶと、両手の平を前に突きだした。
瞬間、彼女の前方にあった砂浜から大量の砂が舞い上がり、同時に蟹人間も派手に吹き飛んで遠ざかった。
「ええっ!?」
傍目から見ると、手から風を生み出したように見えたけど……。
知らない生き物に、知らない現象。俺が無知なわけではなくて、まさかここは、俺の知らない別の世界なのではないのか……?
蟹人間の存在を認めたくなかった俺は、そんな途方もないことさえ考えてしまう。
だが、俺の疑念を裏付けるように、またもや異様な事が起こった。
蟹人間の頭が外れ、蟹の部分がひとりでに歩きだしたのである。その蟹は尻尾のように毛を引きずっており、代わりに残された人間部分からは体毛と首から上がなくなっていた。
「まさかこいつ、この毛で人間に寄生するんですか!?」
この毛蟹、怖すぎる!
蟹の毛が触手のように自分へと飛んでくる光景を眺めながらも、俺は恐怖で脚がすくんで動けなかった。
「危ないニャア!」
そんな俺と蟹の間に立ち塞がるように、猫耳少女が飛び出してきた。
猫耳少女は俺を庇い、蟹の攻撃を自分の手に受ける。
「ニャアアアアア!」
痛みに顔を歪め、猫耳少女は叫んだ。しかし段々と侵食してくる毛をなんとか振り払い、彼女はその毛を掴んで蟹を海へと放り込んだ。文章にすると意味が分からない。
「大丈夫でやすか!?」
「なんとかニャ。陸上用アーマーがなければ蟹人間は当分追ってこれないから、今の内に逃げるニャ!」
異様な程に汗を流しながら、猫耳少女が言った。
どうやら今の攻撃は、受けると体調を崩してしまうらしい。
「おいコウタ、少しは避けるくらいのことしろよ。毛蟹の攻撃は、下手すれば受けた箇所を切り取らなきゃいけないほど危険なんだぞ? 庇う身にもなってみろってんだ」
「コウタは記憶がないんだから、仕方ないニャ」
長身の女の子が不機嫌そうな声で俺をしかりつけ、猫耳少女がそれに反論した。
体でも言葉でも庇われてしまい、自分の情けなさを痛感してしまう。
「まぁ、最初に会った時でも、避けようとするくらいはしてたけどニャ……」
「やっぱり、かなり記憶が飛んでるようでやすね……」
だがその猫耳少女さえ、呆れたように呟いた。
状況が掴めないままに連続で非難され、俺は気分が悪くなってくる。
「脳幹にダメージがあるわけでもなかったようだし、恐らく脳を攻撃されたショックで一時的に記憶を失っているだけ……だと思いたいが……。すまねぇ、私の力不足だ……」
そして、長身の女の子まで顔を俯けてそう呟いた。
記憶を失う前の俺を、惜しむような口調。別に皆、悪気はないのだ。それは分かっている。
だがそれは今の俺にとって、自分を否定する言葉に他ならなかった。
余計に気分が悪くなり、自然と、脳内を嫌な記憶が次々に駆け巡る。
「う、うおぇぇぇぇ!」
薄暗い教室、俺を人とも認めないような視線、理不尽な暴力。
気づけば俺は、目の前の砂浜に胃の中身をぶちまけていた。
「……っ! 大丈夫ニャ!?」
えずく俺に女の子達が駆け寄ったが、彼女らの声は遠くに聞こえるのみであった。
俺の胸中を占めるのは、一つの疑問だけ。
記憶を失う前の俺は、一体どうやって変われたのだろうか……。




