地上門
ニク先輩と私が着いたのは地上門。
ちょうど南にいたから、市場を通れば直ぐにその姿が見えた。
天界門とは違い、茶色のずっしりとした扉が待ち構えていた。
間近で見るのはすごく久しぶりだった。
初めてこの世界に来た時に、ちらっとこの門を見た程度だが。
門に近づくと、複数人の天使がそれぞれ背丈ほどある大きな槍を持って門を見張っていた。
その扉へは、転生する魂がゆっくりと潜っていた。
ニク先輩は小走りで見張りの人に近寄り、手短に会話をすると、その人達は頷いて槍を地面に置くと、お喋りをしながら街へ入って行った。
『ほら、ここで見張りをするんっすよ。見張りったって地上門はあんまりやることが無いっすけど』
「あの、人達が置いていったこの槍は……?」
『地上門はここから転生する魂を人間界に送り届ける役目を果たしているんすよ。だけど、ごく稀に地上門から魂が入ってきたり、転生の準備が出来ていない魂がここを通る事があるからそれを阻止するんすよ』
「なるほど」
そういうとニク先輩は槍を拾い上げ、1本を私に差し出した。
それを受け取りニク先輩が手から槍を離した途端、私は地面に派手に倒れた。
何これ……重すぎる!!
槍の重量が、私が予想していた範囲内を大きく超えていた。
しかも受け取った手が槍の下敷きになってしまって身動きが取れない。
じたばたしていると、ニク先輩は私の腕を下敷きにしている槍を軽々と取り上げて、『大丈夫っすか?』と一言。
槍がのしかかった腕の一部が赤くなっているが、大したことではなかった。
訓練をしてから、何もかもが上手くいかない。
ニク先輩は片手で軽々と槍を持っているというのに。まるで私に手が渡った時にだけ重くなっている様な。
『困ったっすねぇ。この槍で侵入者を処理するんすよいつもは。まあ持てないってのは困るから1つを木製にでも交換してもらうっす』
処理?
まるでゴミを片付けるような言い草に疑問を感じながらも質問した。
「あの、処理って具体的にどんな事を?」
『え、殺すんすよ。普通に』
いつもと変わらない表情でそう言いきったニク先輩の言葉で、体が無意識に硬直したのを感じた。
殺す……?
侵入者と言っても、天界門と間違えてこっちの門から入ってきた魂を? 何の罪もない魂を、違う門を潜って来てしまっただけで殺すの?
有り得ない……そんなのいくら何でも可哀想だ。
私は感情に任せて、ニク先輩が槍を持つ手を引っつかみ、怒鳴っていた。
「な、なんでそんな事を! 罪のない魂まで殺しているんですか!? 門を間違えただけで!」
私の豹変ぶりにニク先輩は少しの間固まったが、『まあね』とだけ短く返事をした。
私の目に映るのはいつもの感情を読み取れないようなニク先輩の顔。いつ見てもこの人は綺麗な顔立ちをしている。
どこにしまっていたのだろう、本を取り出し座り込んで読みだした。
だが、今はそのニク先輩の顔を見られなかった。
やっぱり私は殺すという事が理解出来ずにいた。貴方の潜る門はアッチだよって。そう教えてあげればいいのに。
慈悲の欠片もないように見えるニク先輩を、私は信じられなかった。
いや、ニク先輩が悪いとは思うのは間違いだとは思っている。悪いのは門潜りを間違えただけの魂を殺せ、という命令を下した上の天使達だ。
魂を殺してしまったらどうなるか、私は知っている。
跡形も無く、この世界から消え去るのだ。
そして永遠に生まれ変わりは起きない。真っ暗な闇の中を、ひたすらさまよう運命にある。
人間は、自殺をしたらその地に縛られてこちら側に来れないと聞いているが、ここで死んだ場合ほど悲惨な運命を辿る魂はいないだろう。
ただ、天使の場合は分からない。
何故なら、天使は永遠にこの世界にいることを約束された身だから。
永遠と言っても、天使を辞めれば普通の一般の魂に戻るが。
天使になる者で、自分から辞めるものはそうそういない。
なのに何故毎年新米天使の試験があるのかというと、蹴落とされるのだ。成績が悪い順に。
だから、皆は必死に上に上がってこようとしている。
それに、私も勿論含まれている。
私は黙って門に預けていた体を起こすと、街の方向へ歩き出した。
ニク先輩は本を読んでいながらも、私が遠ざかるのをすぐに察した。
『どこに行くんすか?』
「すみません。少しぶらっとしてきますね」
『んならあたしも行くっすよ』
「大丈夫です。すぐに戻りますから」
まだ見知らぬ街で散歩は正直心細い。
だけど、散歩と言ったのは少しでもニク先輩からはなれたいと体が言ったからだ。
市場を通り、少し歩いていたら人気のない所に出た。
そこにはブランコやすべり台がぽつんと置いてあった。
私はブランコに近寄ると、まじまじと見た。
名前は知っているのだが、使い方が分からなかった。人間界で子供がよく遊ぶ遊具、としか。
正直な話、人間界の遊具がここにある事も今知った。
「これ、どう遊ぶの?」
ブランコには、4本の鎖で繋がれた平らな板が2つ並んでいた。
その鎖を2本の柱が上から持ち上げているものだ。
「この板と鎖で、上に登る遊具かな」
とりあえず、板に足を置いて1本の鎖を持つと柱の上までよじ登った。
上に登るくらいなら翼を使った方が早いのだが、まだ飛べない状態だし、登る遊具なら仮に飛べたとしても意味が無いよね。
柱まで登り切った。コレが楽しかったかと聞かれると唸ってしまう。でも、これが人間の子供は楽しいのだろう。
しばらく柱で辺りを眺め、ニク先輩の元へ帰ろうとブランコから降りた時、遠くの方で複数の人影を見つけた。
私はそれが誰だが分かると、固まった。私の足の骨を折ったアイツらだった。
あいからわずのマッシュルームヘアの双子を引き連れて、歩いている。双子はそれぞれ、青と緑のパーカーを着ていてよく目立っていた。
早くニク先輩の所へ行こう。
小走りで帰ろうとしたが、運が悪いことに緑のパーカーの子と目が合った。すぐさまボスであろうパイナップルヘアの男に耳打ちをして、そいつが私を見た。
「おい、お前待てよ」
低くライオンのような迫力のある男の声が、小走りをしていた私の体を縛った。
足音で彼等が近づいてくるのが分かった。
嫌だ。逃げたい。次は何をされるか分からない。
その思いとは裏腹に、私の体は彼のあやつり人形の様に動かない。
「この前お前さー、俺のチャリ壊したよな? んで金も出さずに。さっさと金持ってこいよ!」
私の背中を3人の誰かが突き飛ばし、転んだ。傷口がひりひりと痛む。あの道は歩行者専用道路だから、悪いのは明らかに相手だが口を結んだ。
「こいつ、金持ってないですね。フレディさん」
青いパーカーの子はがうずくまっていた私のお腹を蹴りあげ、髪を引っ張った。
私はただ、されるがままになっていた。
一瞬息が出来なくなった。
身体中が痛い。
でも、逆らったら殺される。
今度は骨を折られるだけじゃ済まされない。本能でそう理解した。
フレディと呼ばれたパイナップルヘアの男は、「持ってねえのかよ」と呟くと、髪を引っ張っている青いパーカーの子の手を離させて、私の頭を踏んずけた。
「今日の夜、10万持ってエルマールって書いてある店に来い。来なかったらどうなるか分かってんだろうなぁ?」
私は頷くことしか出来なかった。承諾が分かると、私の頭から足を上げ、「行くぞ」と双子に促し消えていった。
悔しかった。
いつもいつも殴られて蹴られて。
私は女だった。女が男に歯向かったって、勝てるわけがないのだ。
私は溢れ出てくる涙を拭いながら、ニク先輩のいる地上門へ向かった。