序
照りつける太陽と見渡す限りの荒野の中を、全地形型巡航艦“石動”は時速30㎞のスピードで西へと進む。この全長120m、全幅26m、全高18mの艦は二基の小型常温核融合炉を動力源としており、地上をホバーで、水上をウォータジェットで航行する。そんな石動の上部甲板先端に広げたデッキチェアーで水泳に適した格好で日光浴をしている男がいた。男の名は妙光寺遥輝、この“石動”の所有者であり、26歳という若さにして妙光寺家の当主でもある。
デッキチェアーの脇にあるテーブルにはスティールパンの曲を奏でているミュージックプレイヤーとトロピカルドリンク、そして無線機が置いてあった。遥輝は気怠そうにテーブルからトロピカルドリンクをとると、そのストローから少し飲み、またテーブルに置く。そんな遥輝のそばにはビクトリア調のメイド服に身を包み、切りそろえられたショートヘアスタイルのメイドが、遥輝の衣服を折り畳んで載せてあるトレイを手に掲げたまま微動だにせず立っていた。
「ドリス、目的地まであとどのくらいだ?」遥輝はデッキチェアーに寝そべったまま、サングラスを少しずらしメイドに尋ねる。その口ぶりからは明らかに遥輝が退屈をもてあましているのが分かった。
「あと3時間です」ドリスと呼ばれたメイドは抑揚のない声で無感情に答える。
良い頃合いか、そう判断した遥輝は立ち上がるとテーブルの無線機を手にとり呼びかけた。「逸治、日光浴はもう飽きた。先行するよ」
「かしこまりました若様」無線機から老齢な男の声が答える。
遥輝は無線機と外したサングラスをテーブルに置くと、ドリスが掲げているトレイからシャツ、靴下、パンツ、ベルト、ジャケットを順にとって着用し、ストレートチップの靴を履き、チーフを胸ポケットに仕込む。最後に遥輝がネクタイを結ぶ間に、ドリスは前掛けのポケットから鏡を取り出すと、遥輝の首元が映るように差し出す。「どう? 決まってる?」遥輝はドリスにそれとなく尋ねるが、ドリスは何も答えなかった。遥輝は、この程度の会話にも応じないドリスを不満に思いながらも、それを口には出さなかった。
準備が整うと遥輝は、再度テーブルから無線機を手にとり、颯爽と上部甲板の中央右にあるエレベーターに向かって歩き出す。ドリスは、そのあとに付きそう。遥輝とドリスがエレベーターの中央付近に差し掛かると、その巨大な甲板エレベーターはゆっくりと下降し始める。降下するエレベーターから見渡せるメインデッキ(船内格納庫)には、複数のコンテナやトラック等の作業車両が並んでおり、その間を行き来し作業するメイド達は皆忙しそうだった。やがてエレベーターは格納庫底に着底すると、格納庫内で作業をしていた数人のメイド達は、その作業を中断して遥輝のもとに走りより整列して出迎えた。彼女等のその姿は、皆が寸分違わずドリスと呼ばれていたメイドと同じだった。
そう、ドリスとは人名ではく"Drones of Legion Infantry System" の略称なのである。これは先の大戦でドローン歩兵団を運用するシステムとして実用化されたもので、データリンクを用いて自律型ドローンを小隊単位で的確に運用する事が可能となっていた。石動では合計40体のマンクラフト社製の汎用アンドロイド“FMT703”がこのシステムを用いて運用されていた。“FMT703”は全高160cm、乾燥重量80kgで、強化内骨格を人工筋肉と人工皮膚で覆っており、その外見は人間の女性を模しているが、一対の人工内耳と一対の視覚センサーによる補助でほぼ人間と同等の平衡感覚を持ち、人工筋肉の瞬発力により平均的な成人男性の約6倍の運動能力を誇る。感覚器である視覚センサー、聴覚センサー、嗅覚センサーも優れた物を装備し、人間の何倍もの感覚処理を行うことができる。動力源には燃料電池を採用し、1回の満充電状態から非休眠で約72時間の連続運用が可能となっていた――自律休眠モードも併用すると稼働時間はさらに長くなる。その他に内蔵通信機を介してのデータリンクが可能となっている。石動で運用されているFMT703は妙光寺家の特別注文により外装を強化防弾防刃処理されており、9mm弾の銃撃程度なら短時間は耐えることができる。
遥輝は、整列したアンドロイド達を一瞥すると再度、無線機で逸治を呼び出す。「逸治、随伴に適したドリスは?」
「学習蓄積を比較した所、1番が対人接触、6番が護衛戦闘、17番が車両運転で適当かと存じます」
「ふむ……」逸治のこの回答を遥輝は訝しんだ。と言うのも、先ほどまで身の回りの雑事を行っていたドリス1は、お世辞にも対人接触が優れているとは思えなかったからだ。もちろんFMT703の学習能力が低いと言う訳ではなく、学習環境の方に問題があることは明らかだった。この石動には乗組員としての人間は遥輝と逸治の二人しかおらず、おのずと学習内容にも偏りが表れるものなのだろう。“彼女”等に必要なのは単調な作業以外の新しい経験なのだろう。そんなことを考えると、遥輝はこれからのドリスの運用をどうするか真剣に検討する必要があると思った。
「ドリス1、ドリス6、ドリス17、出かけるよ。準備して」遥輝は、試しにわざと抽象的な表現でドリス達に命令してみた。するとどうだろう。指定された三体以外のドリス達はすぐさまもとの自身の作業へと戻って行った。そして、指定された三体のドリスは独自判断で全く別な行動を開始した。察するところ、全ドリスの聴覚センサーと通信システムによる情報共有は問題なく機能しているようだ。
ドリス6と17は、すぐさまメインデッキ内に簡易的に作られた武器庫に向かった。そこでドリス6は装備を見繕うと、むき出しのハンガーラックからタクティカルベストを取りメイド服の上に着用する。次にガンロッカーからH&KのHK416アサルトライフルを取り出し動作を確認する。そして装填済みの予備弾倉をいくつか見繕い、タクティカルベストのマガジンポーチに差し込んでゆく。最後に再度ハンガーラックからマントを取って身に着けた。
ドリス17は武器庫の壁のキーラックからキーを取り、同様にハンガーラックからマントを取って身に着けると、メインデッキ内にとめてあるウニモグU5000(ダイムラーがメルセデス・ベンツブランドで製造、販売する多目的作業用自動車)へと駆け寄る。そして、タイヤストッパーを外して荷台に載せてから、運転席に滑り込み、シートベルトを着けてキーをさしイグニッションを回してエンジンに点火した。
遥輝はメインデッキの一角にしつらえてある執務机の置いてある空間へ、ドリス1と共に足を運ぶ。無味乾燥としたメインデッキ内でこの一角だけは、高級そうな絨毯が敷かれ、アンティーク基調の書棚や執務机やソファーが置かれていた。ドリス1はそこにあるコート掛けにかかっているマントを取って身に着けると、さらに別のマントとボーラーハットを手に取り遥輝の行動を見守る。遥輝は木製のどっしりとした木製の執務机に無線機を置き引き出しを開けると、S&WのNEW BODYGUARD 38が挿しこまれているショルダーホルスターを眺め少し考える。ドリスの戦闘能力を信用していないわけではないが念のためもっていこう、そう判断すると上着を脱いでショルダーホルスターをつける。その状態で何度かクイックドロウを行い問題が無いことを確認すると、再度上着に袖を通し、引き出しに入っている装填済みのスピードローダーを数個上着のポケットにねじ込む。それから踵を返すと、近くに立っていたドリス1からマントとボーラーハット受け取って身に着けた。
この見るからに芝居がかった装いも悪くはないではないか。マントを一度だけ無意味にはためかせながら、遥輝はそう思った。「準備完了だ」遥輝のこの言葉を聞いて、ドリス6は、ウニモグ後部の幌が被せてある荷台部分に上がると既に積み込まれている荷物の隙間に乗り込む。荷台には既に、浄水器、マイクロウェーブ発電機、医薬品、保存食等が積まれていた。これらは、これから訪問する町にて生鮮食料品と交換するべく準備しておいたものだった。
遥輝は先ほど置いた無線機を手に取ると、そこからウニモグの助手席側へと歩き出した。今までは遥輝の後を歩いていたドリス1は、今度は遥輝を追い抜きウニモグの助手席側へ寄るとドアを開けて待機する。やがて遥輝は愁然とウニモグの助手席に乗り込む。ドリス1は遥輝が助手席に乗り込んだのを確認するとドアを閉め、すぐさまウニモグの荷台へと乗り込んだ。
「よし、出発だ。合図して」遥輝が促すとドリス17はウニモグのホーンを鳴らした。その音を聞き、メインデッキ内のドリス達は一旦作業を中断してウニモグのほうを見やる。少ししてメインデッキ内に駆動音が響き渡り、船体左舷のカーゴハッチが徐々に動き出すとそのわずかな隙間から明かりが射しこむ。更にそのカーゴハッチに折りたたんで収納されていた、船外へ降りるためのランプウェイも展開を始める。
やがて船体左舷のカーゴハッチが外側へと開き切り、ランプウェイがメインデッキから地表近くまで傾斜をつけると、ドリス17はクラッチをつなぎアクセルを踏み込んだ。ウニモグはメインデッキからランプウェイまで踊り出ると、その傾斜をスピードを上げ軽快に滑り降りる。そして、ランプウェイからその巨体を宙に浮かせると数十メートル先にウニモグは着地し、その衝撃が車体全体に伝わる。遥輝は思わず助手席で踏ん張った。後部の荷台ではドリス1と6が懸命に積荷が暴れない様に支えていた。ドリス17は暴れる車体を、巧みなアクセル、シフト、ブレーキワークで操り落ち着かせる。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」遥輝は後方へ去る石動のスピーカー越しに逸治からの言葉を聞いた。その後、ウニモグは巡航速度で石動からみるみる距離を取り目的地へと向かって走り出した。遥輝は、確かにドリス17の運転技術は高いとは思ったが、もう少し乗客や積荷の事を考えて運転して欲しいとも思った。
「今日は何か心ときめく出会いはあるかな?」誰かに問いかけるともなくつぶやく遥輝。だが、ドリス17はそんな遥輝の問いかけに答えず、淡々とウニモグを運転するだけだった。