5才児にコテンパンにされた僕
とうとうこの日がやって来た。
職場体験の日である。
僕は朝から憂鬱だ。
中学校へ向かう足取りはいつもに増して重い。
僕の配属先はまさかの“保育園”である。
小さい子供たちが苦手な僕には苦痛以外の何物でもない。
何故こんなことになったのか…
事態は1ヶ月前に遡る。
僕は医療現場に興味があった。その時放送されていたテレビドラマの影響を大いに受けている。
担任の先生から職場体験についての説明があり、教室に体験先の一覧表が張り出された。
授業終了のチャイムがなった瞬間、多くの生徒が掲示板の周りに集まった。
「行ってみたい所が無い。」だの「ここは俺が希望するから他のやつは違うのを希望しろ。」だの、皆思い思いに喋っていた。
そんな中で僕ももみくちゃにされながら一覧表を見ていた。
おや?
僕の視線の先には、市内で2番目に大きい病院の名前があった。
募集人数は20名、と書いてある。
一学年140人に対して20人は中々多い方ではないか。
これは行けるのでは?
そう考えた僕は、結局「第一希望を病院、第二希望を製造会社、第三希望をスーパー」にして紙を出した。
中間発表の日である。
今のところ、病院を希望してる人は21人だった。落ちるのは1人か。21分の1なら、きっと落ちないだろう、そう考えていた。
最終結果発表の日。
いざ、蓋を開けてみれば「保・育・園」の3文字が並べられていた。
何かの間違いじゃないか?
そう思って氏名欄を確認してみる。
土中 モナカ。
明らかに自分の名前である。
これは度々思うことなのだが、日本人なのに、男なのに、片仮名でモナカという可愛らしい名前をつけた僕の両親はやはり変わり者である。
それにしても、21分の1の確率だったのに落ちた挙句、第3希望にも入れないなんて…
確かこの日は星占いで1位だったはずなのに。
その時から僕は星占いというものを全く信用しなくなった。
僕の不運はそれだけではなかった。
同じ配属先になったやつは全員喋ったことない男子だった。
さらに、初めて会った時には既に僕を除く3人でコロニーが形成されていた。
そこに馴染めなかった僕は今、酷い孤独感に襲われている。
そして今日、とうとう職場体験の日を迎えたのである。
一度中学校に集合してから、保育園に向かった。
僕をよそに、相変わらずトリオは楽しそうに昨日の歌番組について話していた。
そうこうしてるうちに、例の保育園についてしまった。
中に入ると、園長先生が笑顔で迎え入れてれた。
先生から注意事項の確認があり、それぞれの配属クラスが発表された。
「モナカくんにはバラ組を担当して頂きますね。この組は5才の子が対象になってます。とてもワンパクなので、特に安全面に注意してください。」
バラ組⁉︎
僕の頭の中には、情熱的な5才児の姿が浮かんでいた。
廊下をシトシトと歩く。
あちこちの教室から子供たちの元気な声が聞こえてくる。
もう帰りたいよぉ…。
そう思っていても、いつの間にかバラ組の前に来てしまった。
「ここがバラ組です。どうぞ。」
先生がそう言いながら扉を開けた。
子供たちが一斉にこちらを振り返る。
ひぃ…。思わず顔が引きつる。
もしかしたら、ひぃって言ってしまったかもしれない。
「直ぐに戻ってくるから。」
先生はそう言うと、扉を閉めた。
えっ⁉︎ 置き去り⁉︎
てっきり最初は僕の紹介があるのだと思っていた。
どうしよう、どうしたらいいんだ。
とりあえず周りを見渡す。
子供たちは僕に興味津々である。
とりあえず、二ッと口角を上げて笑顔を作ってみた。
壁に取り付けられていた鏡に僕の顔が映る。
これはまずい、自分でも引くほど気持ち悪い顔になってるぞ…!
そのまま硬直していると、近くにいた女の子が話しかけてきた。
「お兄ちゃん、名前なんて言うの?」
「ぼ、僕?僕は土中モグラです。あぁぁ!違う違う、今のは間違えちゃっただけ、モナカです。モナカって呼んでね。」
なんで僕は自分の名前のとこで噛んだんだ!!
土中モグラって、ただのモグラじゃないか!
僕は自分の間違いを女の子の頭から消すべく、先程よりも一生懸命に笑顔を作った。
おそらく、地獄からの使者を思わせる笑顔だっただろう。
その後も、たくさんの子供たちが話しかけてくれた。
自分で「モナカお兄ちゃんって呼んでね!」って言うのが恥ずかしくて、「モナカって呼んでね!」と自己紹介をしていた。
するといつの間にか、やんちゃな男の子から「おい、モナカ」と呼ばれるようになっていた。
5才の子から呼び捨てにされるのは若干複雑な心境だった。
先生が来て、朝の会が終わり、再びフリータイムに入る。
女の子が「ねぇモナカー、見てみて〜!」と言って一枚の絵を持って来た。白色の長い丸には、黄色の小さい三角形が2つくっついていて、さらに緑色の何かが生えている。
「これな〜んだ!」
何⁉︎クイズだと⁉︎
これは、大変だ。当てないと彼女を、泣かせることになるかもしれない。
落ち着いて考えろ。白い丸を緑の何かが取り囲んでる。そして、黄色の三角形…。
閃いた!
「分かった!大根だね!」
そう言うと、女の子は唇を前に突き出してふて腐れた顔をした。
その顔から察するに、間違ってたんだ。
よく考えてみれば、5才の子がA4の画用紙いっぱいいっぱいに大根の絵を描くだなんて、そんな渋いことはしないのかもしれない。
「違う〜。」
「正解を教えてくれるかな?何の絵なの?」
「ペンギンさんだよ…。」
「えっ、ペンギン⁉︎」
しまった、ついつい言ってしまった。
「本当だ、すごく上手だね。お兄さんよりも上手だよ。うん。確かに、よく見ればペンギンさんだね。この黄色いのはくちばしかな?」
「それは足だよ…。」
「…あ、あ〜、なるほど。確かに足だ〜。
この緑のはお顔かな?すごく上手。」
「それはお手手だよ…。」
あぁぁぁ、しまったぁ。
喋れば喋れるほど気まずい感じになっていくではないか。何とかフォローしなくては。
すると別の女の子が「私のも見てー!」と、絵を持って来た。
こんな感じのことが30分ぐらい続いた。
そうこうしてるうちに昼食の時間になった。
子供たちは机を動かして4人グループを5個作っていた。5個のグループが円形に並んでいる。
みんな、ちゃんと準備してて偉いなー。
そんなことを考えていると、わんぱく坊主くんが僕の袖を引っ張って来た。
「一緒に食べようよ。」
これはありがたい。どこで食べようか困っていたところだ。
「いいよ。」と言おうとすると、他の子からも袖を引っ張られた。
「こっちで食べてよ。」
「え?」
「違う、モナカは私たちと一緒に食べるの!」
僕は人生で初めてこんなにも引っ張りだこになった。芸能人にでもなったみたいで、何だか嬉しい。
でも、どこで食べようか。
僕が行かなかったグループの子たちがかわいそうだ。ここは平等にしたい。
あ、閃いた!
「ねぇねぇ、こうしようよ。」
僕が提案すると、誰かが「変なの。」と言ったのが聞こえた。
そして僕はどうなったのか。
5個のグループで作られた円の中で、お弁当を膝に置き、1人黙々とご飯を食べていた。
平等にするためには、どこのグループにも入らないのが一番いいと考えたからだ。
こうして、お昼も無事に乗り越え、お歌の時間になった。
先生のピアノに合わせて子どもたちが歌い出す。
全く知らない曲だったのでどうしようかと思ったが、ニコニコしながら手拍子をして何とか乗り切った。
そして3度目のフリータイムになった。
みんな、外で遊んでいる。
教室でぼーっとしてるわけにはいかないので、僕も外に出る。
鬼ごっこをしようとしてる集団を見つけた。
鬼ごっこなら、この三度目のフリータイムを無事に乗り切ることができるかもしれない。
ファーストラウンド開始。
「ねぇねぇ、僕もまーぜ…」
バタバタバタ。「たくちゃんが鬼!」「もう、ゆたくんにタッチしたよ!」バタバタ。
僕は完全にスルーされた。
今度は砂場で何かいじくってる女の子を発見した。
ファーストラウンドはKO負けしたけど、次こそは!
セカンドラウンド開始。
「何してるの?」
「カブトムシの幼虫を掘ってるの。」
「え?カブトムシ?
カブトムシの幼虫はこんなところにはいないよ?」
「いるよ、ほら。」
浅く掘った穴の中に白くて太いものが体を丸めていた。
「あ!本当だ!どっから来たんだろうね。
虫が好きなの?」
そう聞くと女の子は首を横に振った。
「嫌いだよ。」
「じゃあ、なんで掘ってるの?」
これは無視された。
「カブトムシさん、寝てるから起こさないようにしなきゃ。」
女の子はそう言うと幼虫の上にふわっと土をかぶせた。
なんて、やさしい子なんだ。
幼虫が埋まっているところは少し土が盛り上がっていた。
すると女の子は立ち上がって、盛り上がっている部分を、上から思い切り踏み潰した。
「これでよし!」
そう言うと女の子は走ってどこかに行ってしまった。
今ので絶対カブトムシ死んだだろ。
僕は戦慄を覚えた。
「みんなー、ドッジボールやるよ!おいでー!」
先生の声が聞こえた。
子どもたちはすぐにコートに集まった。
「モナカ先生も、ぜひ。」
促されるまま、僕もコートに入った。
サードラウンド開始。
先行は相手チームの男の子だ。
僕めがけてボールを投げてくる。
ボールがゆっくりと飛んでくる。
手加減してあげないと。
そう思いながら飛んで来たボールをキャッチした。
数分後…
ボールは相手チームの手に渡った。
外野とコート内でキャッチボールをしている。
きっと、タイミングを見計らって誰かを当てるつもりだ。
と、その時、僕の方にボールが飛んで来た。
脛辺りに飛んで来たため、ジャンプして避ける。
転がったボールは敵チームのコート内へ。
そして、再び僕の膝辺りにボールが飛んで来た。
取りたいのに、中途半端なところばかり飛んでくるので取れない。でも、まぁ、そんな威力はないし、取れるかもしれない。避けてばかりじゃ、この子たちも面白くないだろう。
次来たら取るぞ。
案の定、再び僕のところに飛んで来た。
よし、いける。
「あ…。」
「やったー!モナカが当たったぞー!!」
僕は手を滑らせて、ボールを取り損ねた。
手加減してあげようなんて、思わなければよかった。
もう、怒ったぞ。手加減なんかしてやるものか。
結局、僕が当たってからボールは一度も外野に転がってくることはなかった。
ついに、別れの時が来た。
僕は、今日1日ヘマしてばかりだった。
笑い者にされるに違いない。
帰りの会では、先生の横に立って、お別れの挨拶をした。
僕が部屋を出ようとすると、今朝、緑色のペンギンを描いていた女の子が走って来た。
「これあげる。」
そこには誰かの顔と、ありがとうの文字、そして顔の下には“もなか”と書かれていた。
「もしかして、これ、僕?」
そう聞くと、女の子はうん、と頷いた。
「ありがとう。凄く嬉しい。大事にするね。」
すると、他の子どもたちも集まって来た。
「また、来てくれる?」
「また、会えるよね?」
こんな僕にそんなこと言ってくれるなんて…。僕は感極まった。
「もう、来ない」だなんて、そんなこと言えないよ。
「きっと、いつかまた会えるよ。」
結局僕はそう言って、部屋を後にした。
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