初の経験
納屋の掃除を終わったその日の夜、サリッサは自室でどっしりと佇む分厚い本の前で考え事をしていた。
この本は先程、納屋で杖と一緒に見つけてしまった魔法の書である。
その本は「ゼロから教える魔術の実況中継」というタイトルで分かりやすい文章や絵を用いて魔法を1から解説していた。
例えば、第1章には魔術の基礎理論として魔法の等価交換と魔力の説明が載っていた。
曰く、「物品とお金の代価関係と同じように、魔術は魔力や魔石といったそれ相応の対価が必要である。また、魔力は魔法を使用するための燃料であり、それを固形型にして万能化させたのが魔石である。
※魔力の消費量は使用する魔法によって異なり、自身の魔力量をオーバーすると意識が一時的に混濁してしまう。」
と記されていた。
また、第2章には魔力を用いた技術や応用知識等が記載されていたがサリッサの目を最も引いたのが魔法術式と呪文に関する章だった。
複雑で奇妙な形をした術式とまたその呪文は魔法の種類によってそれぞれ異なり、サリッサには全く理解できないようなものまでも載っていた。
その全てがサリッサを陶酔させるものであり、現に今のサリッサはどこか上の空という感じだった。
今すぐにでも魔法を学んで、実際に使ってみたいという欲求がサリッサの脳内をかき乱していた。
ふと、数時間前に約束した母との約束を思い出す。
魔法を学ぶ際は15の歳を迎えたらという条件で交わされた母との大事な約束。
しかし、今の自分は魔法の事で頭がいっぱいになり、今にもその欲求を爆発させようとしている所だった。
「ダメだ。お母さんとの約束を破るわけにはいかない。」
サリッサは冷静になり、自分の軽率な考えに反省する。
「やっぱり、15歳になるまでは我慢しないと」
そう心に決めて今日は眠りにつく…
翌日、サリッサは母の溌剌とした呼声で起床し、着替えを済ませる。
自室から居間に向かうと中央に設置されたテーブルに朝食が並べられていた。
卓上にはいつもと同じ硬いライ麦パンとジャガイモと人参のスープが置いてあった。
サリッサは丸椅子に座るとそれらを黙って食べる。
その光景を目の前で眺めていたクレアは溜息をつく。
「お母さん?」
その母の態度にサリッサは反射的に心配してしまう。
クレアはサリッサのその反応に何でもないわよと頭を振ろうとするが、ふと思い直してからサリッサに打ち明ける。
「お母さん、本当ならサリッサにお肉とかもっと、栄養のあるものを食べさせてあげたいの。でも、今の状況じゃ、こんな味のしないスープと硬いパンしか食べさせてあげられないの。無理させてごめんねサリッサ。」
母の沈痛な思いにサリッサは明るく答えた。
「無理なんかしてないよお母さん。
わたしお母さんが作ってくれるご飯が大好きだから。」
サリッサのそんな優しさにクレアは戦争が終わったら、お腹が一杯になるまでこの子にはご飯を食べさせてあげようと心に決めた。
そして食事を済ませると、サリッサは椅子から飛び退いて、麻でできた肩掛けバックを手に「行ってきます」と威勢のいい声で外へと出掛けていった。
クレアはいってらっしゃいとサリッサを見送り、内心不安を感じていた。
「あの子、教会で他の子と仲良くできるかしら…」
もちろん、そんな不安も半ば当たってしまうことになるのだが…
サリッサは軽快な歩調で川の河川敷をこの村の教会の方角に向かって歩いていた。
すると、前方にいる1人の女の子を囲うようにして3人の男の子がその子に言い寄っていた。
「お前、そんな服きて男みたいだな」
「ポール、こいつ服だけじゃないぞ。髪型まで男そっくりだ!」
「ハハハッホントだ。こいつはおもしれぇ。せっかくだ、トム、コイツになんか面白いあだ名を付けてやれ」
「じゃあ、男みたいな女だから男オンナってのはどう?」
「まんまじゃねえーか!でも、気に入った。今日からお前の名前は男オンナだ!」
男子たちが下卑た笑みを浮かべて一様に彼女を嘲笑する。それに対してその女の子は「違うもん。女の子だもん」と消え入りそうな声で否定するが、それに構わず男子達は彼女をからかっていた。
それを後ろから見ていたサリッサは憤慨し、屈んで小さくなっていた女の子を庇うようにして横から入り、目の前の男子たちを叱咤する。
「あんた達男の子でしょ!女の子を虐めてどうするの!?こんな子を虐めるなんて、あんた達は馬に轢かれて死んだ方がいいわよ!」
そんな怒気を含めたサリッサの発言を無視出来なかったのか男子たちは挑発に乗る。
「なんだと!俺はこの女が男みたいだと言ってやっただけだ!そうだよなぁ、ジーク?」
「あぁ、ポールは本当のことしか言ってない!」
そんな2人の態度に痺れを切らしたのか、サリッサはポールという男の子に手をあげようとしたその刹那、トムと呼ばれていた男の子が口を挟む。
「皆、そんな事より僕達このままだと教会に遅れちゃうよ?」
その発言に我に帰ったのか、3人の男の子達は脱兎の如く教会の方へと走り去ってしまった。
「何のよアイツら、ムカつくー!」と不平を零していたサリッサだったが、目の前の女の子に声をかけられて正気に戻る。
「あの、助けてくれてありがとう。わたしはアリシア」
と、か細い声で自己紹介をした女の子はサリッサよりも少し小柄で、こう言うのは何だが、男子達が言っていた通りそこらの男子と見間違えるほど短く切った金髪をしていた。
そんな彼女にサリッサは挨拶を返した。
「わたしはサリッサよ。よろしくねアリシア。
それとあなた、あんな事言われて言い返さなきゃダメよ?ああいうのはいつまでもつけ上がるんだから!」
そう言ってサリッサはアリシアを咎める。
自己紹介時、彼女の名前に少し疑問を抱くような顔をしたアリシアだったが、先程のサリッサの咎め立てに訳もわからず、ごめんなさいと謝る。
そんな彼女に不満を感じたサリッサは言葉を変える。
「あいつら教会へ行くって言ってたみたいだけど、あいつらも、あそこで学びに行くの?」
その問いに少し逡巡した後、アリシアは答える。
「たぶんそうだと思う。それにわたしも教会に行く途中だったから」
アリシアの言葉に興味を示したサリッサだったが、自分達が置かれている状況に気がつき、声を上げる。
「まずい。わたしたちも早くしないと遅れちゃう!」
そう言い、サリッサはアリシアの手を強引に引っ張っり、教会へと向かった。
この国の識字率は当時の江戸時代の日本と言うほどとはいかないまでも、読み書きの出来る人は多かった。
それはこの国が国教として認めていた宗教に関係がある。
それが「エイラ魔術教」と呼ばれる教団だった。
エイラ魔術教は元々、魔術の研鑽を究めるために出来た小さな集団から始まったものであり、その宗教名も開祖した魔術師の名前から取ったものなのだが、彼らは徐々に信者を増やしていき、今や現国王ですら敬虔なる信者と化していた。
そんなエイラ魔術教は国の支援を受けて、無償で各地の教会で7際以上の子供たちに読み書きや四則演算といった算数の勉強も教えていた。
これにより当時と比べて、識字率や計算の出来る子供が飛躍的に増えていった。
しかし、近頃の教会は国から支援を受けながらも高利貸し業者も担っているため、巷では少しきな臭い噂も囁かれ始めているのだが
話しを戻す。
例の通り、サリッサも今や7歳を迎え、今日から教会で学ぶことになっていたのである。
そんな折の出来事がまさかイジメだったとは誰も想像していなかったのが…
ちなみに、主人公は2人います。
今、登場しているサリッサとこれから活躍するであろう勇気くんです。