母と子
今回は母と子の絆のエピソードです。
暖かく見守ってください。
鉄紺色の空に一筋の金色の光が淡くたなびいている。
村の朝は早い。現代人はまだ寝静まっている彼は誰時から仕事は始まる。
そして、この家の住民も活動を始める。
「サリッサ、朝よ起きなさい」
睡眠を妨害する声が聞こえる。
その朝の定番文句にわたしは辟易とするが、仕方なく起きることにする。
薄い継ぎ接ぎだらけのボロ布から抜け出し、寝心地の悪い硬いベッドから降りる。
「水を汲みに行ってちょうだい」と布団を取りこむお母さん(クレア)は毎朝の水汲みをわたしに任せている。
そのいつもの仕事にわたしは寝惚け眼を擦りながら受け入れる。
「朝ごはんがもうすぐで出来るから、早く終わらせてね。」
と笑顔で私に伝えるお母さん。
しかし、この人は本当のわたしのお母さんではないらしい。
7歳になり、家の仕事をある程度、任せられるようになったわたしにお母さんは大事な話があると言って、わたしを呼び出した。
そして、お母さんが告げた事はわたしにはもう一人のお母さんがいて、今優しくわたしに語りかけてくれているお母さんは本当のお母さんではないということだった。
その事について私は驚くどころか、全くその話に関心が無かった。
いつも優しい声色で私を呼び、そっと頭を撫でて褒めてくれるお母さん。怒ると怖いけど、私はそんなお母さんが本当に大好きで、代わりなんていないと思っている。
だからこそ、別のお母さんの事なんてどうでもいい、優しい眼差しを向けてくれているこの人さえいれば、そんな事もちっぽけなものに思えてくる。
そう考えると今のこの気持ちをすぐに、目の前のお母さんに伝えたくなってしまった…
「お母さん…」
しかし、口から発せられたものはそんな消え入りそうな言葉だった。
だって、お母さんの腕がブルブルと震えていたから…
おそらく、お母さんは不安で仕方がなかったのだと思う。わたしに真実を伝えたら、わたしがお母さんをもうお母さんとして見なくなってしまうと恐れていたから。
だから、思い留まってしまった…
時々、お母さんは悲しい顔をする。
どこか儚げで遠くを見据えて黄昏ているお母さん。
そんなお母さんを見るのは苦しくて、辛かった。
お母さんにはずっと笑顔でいてほしい、
優しくわたしの名前をいつまでも呼んでほしい。
そう思ううちにわたしはお母さんをずっと目で追いかけて、お母さんが悲しまないように自分なりに振舞っていた。
その行為は「もしかして、お母さんがあんな顔をしてしまうのはわたしのせいなのではないのか?」という余念が過ぎったからである。
しかし、そんな行いも無意味であるかのようにクレアは「大丈夫よ」の一言でサリッサの懸念を払い除けてきた。
「わたしのいる前だから」とお母さんが冷静さを装っていた事もなんとなく気づいていたが、その時のぎこちない笑顔がわたしが躊躇している原因だった。
こんなに近くにいるのに、どこか距離を感じる。「これ以上は関わらないで」とも思えるようなそんな顔。
あの時の顔を思い出すと、何も出来ない自分に嫌気がさす。
でも、今、この時こそ本音を伝えるべきではないだろうか?
心の奥底でつっかえていたものが、逆流しそうになる。
嗚咽しそうなほど苦しくて、喉まで出かかっているその言葉を伝えたい。
そして、鉛のように重くなっていた口をどうにかこじ開けて心を焦がすほどの熱を込めて訴える。
「お母さんはわたしと一緒にいたくないの?」
突然の問いかけにお母さんは驚くが、構わず自分の気持ちを伝える。
「わたしはイヤ!お母さんと離れ離れになるなんて絶対にイヤ!他のお母さんの事なんてどうでもいい、お母さんのいない暮らしなんて考えられないもん!」
狼狽している母に畳み掛けるように最後の言葉を伝える。
「わたしのお母さんはお母さんだけなの‼︎」
すると、お母さんの亜麻色の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。
その涙は世界樹の神聖な葉から時間をかけて滴る雫のようだった。
そして、それを皮切りにポロポロと涙が零れていく。
お母さんにまた悲しい顔をさせてしまった。
本末転倒な自分に心底、嫌気が差したその刹那……
「お母さんダメね。今、一番不安なのはサリッサよね。
それなのに、私はサリッサに心配をかけてばかりで」
「お母さん、違…」
お母さんにこれ以上、負担を掛けたくはなかったわたしはどうにか虚勢を張ろうとする。
しかし、そんな強がりも何かもを悟ったお母さんは何か決心したような表情で私の言葉を遮る。
「ううん、もう大丈夫だから」
そして、お母さんは私の頰を撫でながらさっきとは打って変わって落ち着いた口調で話す。
「サリッサを安心させる事も忘れて、サリッサにこんな顔をさせちゃうダメなお母さんだけど、これからはもっと強いお母さんになるよう頑張るから」
わたしはその言葉に「うん」と頷くだけだった。
そして、お母さんは最後の言葉を続けた。
「これからもお母さんと一緒にいてくれる?」
先程、発せられた強い意思表示と相反するその自信のない言葉。
しかし、わたしは母の切実なその思いに一寸の迷いなく答える。
「うん!約束だよお母さん!」
そして、わたしはお母さんの皺が刻まれたか細い小指を白く透き通る小さな右手小指でしっかりと握るのであった。
次回はこの世界のお話について書きたいと思います。