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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

七番目のてるてる坊主

作者: 紫月



 七瀬川葛葉は大の雨嫌いであった。

それは別段、雨の日に苦い思い出があるだとか、因縁めいたものではないが、気圧の下がった雨の日はどうにも気分が沈んでしまう。


「あ~あ……」


 その日も学校からの帰り道、歩道を通行していたところ、近くを通りかかった大型トラックが撥ね飛ばした路側帯の雨水を見事に被ってしまった。

お気に入りの、白いワンピースが泥混じりの雨水で台無しである。

雨が降っているだけで憂鬱だというのに、これでは踏んだり蹴ったりだ。

運転手にクリーニング代を請求しようにも、トラックの姿は遙か遠く、カーブの先へと消えている。


 べっとりと汚れたワンピースを見て大きくため息を吐いた葛葉は、ポツポツと赤い傘を打つ雨音をBGMに、このシミは洗濯で落ちるだろうか、などとぼんやり考えながら家路を急いだ。



 ――翌日。


「もう、最悪~」

「アッハッハッ。何それ~!」

「葛葉ったらドジだよね~」


 梅雨空に似合わぬ、女の子たちのカラッとした笑い声が教室に響き渡る。

期待した反応と真逆のものを目の当たりにした葛葉は、露骨に不満げに眉をしかめた。


 昨日の災難の愚痴を友人に溢したところ、爆笑されてしまったのだ。


「もうっ、梅雨なんてなくなればいいのに!」

「出た出た、葛葉の雨嫌い」


 なおも茶化す友人たちの声に長引く梅雨の気だるさからもはや怒る気力さえ失くした葛葉は机の上に突っ伏した。


 今年の梅雨は入りは早かったくせに、いつまで経ってもいっこうに明ける気配が無い。

もう八月さというのに、梅雨前線は日本列島に張り付いたままだ。

記録的と言っていい梅雨明けの遅れに、川の増水による反乱や土砂災害を心配する声も少なくなかった。

特にこの辺りは昔、洪水に悩まされた地域だと伝えられている。


「しかし葛葉じゃないけど、いつまでこの雨は続くのかね~」

「服が乾かないのは困るよね」

「髪も纏まらないし」


 それで無くとも、年頃の娘の悩みは尽きない。


「そういえばうちの学校に変な逸話があるの知ってる?」

「何それ~?」


 いつの間にか葛葉の愚痴から、梅雨時期の女子の悩みへと話題が遷移していたところに、輪の中の一人がさらに別の話を持ち出した。


「この町って昔から結構雨が多いって話は知ってるでしょう? だけど、毎年八月七日は絶対に雨が降らないんだって」

「えー!?」

「そんなのただの偶然でしょー?」

「それがマジなんだって。開校以来一度も降った事が無いって」

「それ本当!?」


 ガバリと起き上がった葛葉は周囲が引くような勢いで友人に詰め寄った。


「う、うん。私も自分で確かめたわけじゃないけど……」

「そっか、そっか~。もうすぐ雨は止むのね。てるてる坊主作んなきゃ」


 歯切れの悪い返事も何のその。

劇的に元気になって鼻歌混じりにてるてる坊主を作り始める葛葉を、その場にいた全員が苦笑しながら見守っていた。



 ――八月六日。


相も変わらず降り続く雨の中、それでも葛葉はいつもの雨の日よりは遙かに上機嫌に傘を揺らしながら家路を歩んでいた。

彼女が身に纏っているのは例のお気に入りの、白のワンピースである。


 先日、トラックに泥はねを引っかけられたシミは跡形もなく消えていた。


「……と、危ない」


 猛スピードで前方からやって来た乗用車の撥ねた泥水を、葛葉は間一髪避けた。

今日の私ってばついてる、なんて思いながら葛葉が顔を上げると、前方の歩道の真ん中に黄色い傘が転がっているのが目に入った。


「雨がずっと降っているのに、置き忘れはないよね?」


 怪訝に思いながら近付いた葛葉はすぐに気付いた。

傘だけが転がっているのでは無い。

傘の下に誰かがいるのだ。


「あの~、大丈夫ですか?」


 声を掛けながらのぞき込むと、十歳に届かないくらいの女の子が膝を曲げてうずくまっている姿が葛葉の目に飛び込んできた。


「どうしたの!? どこか痛いの?」


 怪我か何かだろうかと慌てて駆け寄るも、女の子は黙ってふるふるとおかっぱ頭を振った。

改めて女の子を見回すも、外傷は見当たらない。


「怪我はないのね。じゃあいったいどうしたの?」

「これ……」


 再び訊ねる葛葉に対して女の子が示してきたのは、服の汚れだった。

彼女もまた、葛葉と同じように白いワンピースを着ている。

その裾に泥撥ねが付いていた。


「あのね、さっきの車が通った時にね、掛かっちゃったの」


 女の子は今にも泣き出しそうな顔をして葛葉に訴えてくる。

そんな女の子を葛葉は放っておけなかった。



「これでよし、と……」


 女の子を連れて最寄りの公園へとやってきた葛葉は、女の子をベンチに座らせ、自分は水道へと走った。

女の子の元へ戻った彼女は、濡らしたハンカチでワンピースのシミを叩いたのだ。

さいわい、それ程大きくなかったシミは二、三回叩くと目立たなくなった。


「わ~、ありがとう、おねえちゃん!」

「どういたしまして」


 ふうっとひと仕事終えた満足のため息をつくと葛葉は自分も女の子の隣へと腰を下ろす。

頭上には大きな屋根がついているから、ここなら傘を差さずとも濡れずにすむのだ。


「お名前はなんて言うの?」

「つぼみ、っていうの」

「そっか。つぼみちゃんは雨は好き?」


 葛葉が隣へ座る女の子にそう訊ねたのはただの気まぐれだった。

このままここで待っていても雨はまだまだ止みそうにないというのに、何となくその場を離れ難かったのだ。


「ううん。つぼみ、雨は大っ嫌い」

「そうなんだ? じゃあ、おねえちゃんと一緒だね」

「おねえちゃんも雨嫌いなの?」

「うん」


 雨がパタパタと足元を、屋根を、遊具を叩く。

夏の熱気が肌にまとわりついている。


 雨は嫌いだけれど、屋根の下から抜け出して濡れてしまえば涼しいだろうか?

そんな考えを頭の中に過ぎらせながら葛葉が何を見るともなしにぼんやりとしていると、つぼみは葛葉の腕をぐいと引っ張った。


「ねえ、おねえちゃん? つぼみと一緒にてるてる坊主を作ろうよ?」


 ぺたりと葛葉の右腕に触れるつぼみの小さな手はひんやりとしていて、火照った肌に心地好い。


「一緒に作ろうか」

「うん!」



 ――翌朝のホームルーム後。


「もう! ちっとも晴れてないじゃん!」

「あはは! ごめんごめん! あれ、嘘だったのか」

「も~! 信じてたのに!」


 むす~っと頬を膨らませて朝から不機嫌に怒鳴った葛葉をいつものメンバーがなだめる。


「そんなことより、今日は一限目から体育だから早く着替えなきゃ」

「今日は何だっけ?」

「雨だから、体育館でバレー」


 暑い中、元気にサーブの格好を真似ながらショートカットの女子三人が教室を出て行く。


「ほら、葛葉も! いつまでも拗ねてないで更衣室行くよ」

「あっ、私は後で行くよ。ちょっと用事が……」

「用事?」

「これ、吊さなきゃ」


 疑わしげにまなじりを吊り上げる友人の前で、葛葉はゴソゴソと鞄の中を探り、目的の物を取り出した。

彼女のてのひらには、てるてる坊主がくたりと横たわっている。

昨日、公園でつぼみと一緒に作ったものだった。


「アンタも相当物好きね~。私先行ってるから、さっさと済ませて来なよ?」

「うん」


 葛葉は足早に教室を出て行く友人の背中にひらひらと手を振ってから、重い身体を起こし、窓辺に椅子を運んだ。

窓辺にはすでに六体の先客がいる。

これで、てるてる坊主は七体目だ。


 椅子の座面に乗り、カーテンレールに紐を引っかけて輪を作る。

そこへてるてる坊主の首を通そうとした時だった。


 突如発生した背後からの突風にバランスを崩し、前に倒れる。


「うっ……」


 ガタンッと派手な音を立てて椅子が倒れ、てるてる坊主用の紐に首を突っ込んだ葛葉は宙づりになった。


 苦しさに喉元を押さえ、足をバタつかせる葛葉の目は、校庭のある一点に釘付けになりながらカッと見開かれる。


「つ……ぼ……み……、ちゃっ……ん?」

「これでやっと七体。ふふっ、おいで。おねえちゃん。もっといっぱい、つぼみと一緒にてるてる坊主を作ろうよ?」


 白いワンピースのおかっぱの女の子が、傘も差さずに校庭の真ん中に立っている。

宙づりになった葛葉を見て、つぼみは花が開いたように笑った。


 雲が途切れ、天から光の柱が校庭に降りる。

午後から、その日はかんかん照りの真夏日となった。

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