2-1 誕生日まで、二週間と二日
後宮に賊が侵入して以来、クロトはある種の悩み事を抱えてしまった。
「この、チキン!」
原因は、もちろん次代女王だった。この後宮にあの少女以上の元凶は存在しない。
「チキン、チキン、チキンッ!」
そして、クロトの悩みは王国の騎士ならば抱いて当然の品物である。
何せ、クロトの君主は人間ではないのだ。美しい金髪の女王に仕えていると思っていたのに、実は偽装詐欺されていたと知って、憤怒しない者はいないだろう。
「腰抜けの腑抜け。その程度の忠誠心で私に仕えられると本気で思っていたの?」
しかし、クロトは次代女王に対する愛想が尽きた訳でもなさそうだ。
むしろ、昨夜の暗殺未遂事件では次代女王の器が垣間見えた。暗殺者を目前に一歩も引かない神経の図太さは、統治者にとって必須。少女の内にあった鉄の心を知り、クロトは酷く感銘していた。
……ただし、問題は次代女王の器量だけでなく、素顔まで知ってしまった事にあるのだが。
公爵が次代女王を幽閉し、少女自身もカーテンの裏側に隠れていた理由が解るというものだ。王国の保守的な気質に、次代女王は真っ向から反してしまっている。伝統に固執した貴族や、金髪の麗しき象徴を望んでいる国民が、美麗な深紅の髪を持つ次代女王を素直に受け入れるはずはない。
例に漏れず、クロトもその辺りの事情で悩んでいる。
いや……、彼の場合は少し異なるのか。
クロトの心中で淀んでいる感情は不満ではない。羞恥心に近いものであり、とてもじゃないが知人や部下に聞かせられる類ではない。よって、クロトの悩みは発散される事なく延々と――。
「それともチキンだから、三歩歩けば悩みを忘れるのかしら? 養鶏場にそんな敷地があったなんて驚きねぇ??」
――クロトは思考を断念し、伏せていた顔を上げる。
問題や悩みは山積みであるが、とりあえず、目先の難事を解決しなければ思考に集中できない。こうクロトは悟った。
「……次代」
「夜店特産の青い体毛の珍しい珍種だと思って買ってみれば、ただ着色されただけの哀れな動物虐待の象徴。それでいて運悪く生き残って成長すれば早朝から五月蝿く喚く」
「……ガーネット様」
昨夜から次代女王は、護衛騎士の面々に自分をガーネットと呼ぶよう強いていた。クロト小隊の部下はともかく、彼女と会話を行う機会の多かった隊長は修正に苦労している。
「何かしら、クロト。ヒトの食事を邪魔して」
ガーネットが変えたのは呼び方だけではない。
玉座の半分を仕切っていたカーテンは、今日より省かれている。素顔を晒し続けている理由は、もう徹底して隠す必要がないからだ。
カーテンで隠されていた向こう側には、女王が座るには質素な玉座が一つ。
加えて、何故かベッドに食卓、本棚に遊具台、と数々の家具が設置されている。ガーネットは、本当に倉庫に住んでいたのか。王家の血が流れているだけあって、引き篭もりにおいてもエリートだ。
「何故、既に焼死しているローストチキンに対し、無慈悲にも辛辣な罵倒を行っているのですか……。それ程までに鶏が苦手なら、以後食卓に出さぬよう料理長に命じておきます」
「私は苦手な食事に対して不満を喚き散らすほど子供でもなければ、コックの気持ちを踏みにじるほど傲慢でもないわよ。ただ、半月後に女王になる者として人を罵る練習をしていただけよ」
「ローストチキンを練習相手にする意義は?」
「練習だとしても罪のない者を罵るのは心が痛むの。でも、チキンにチキンといっても悪口にならないでしょ」
ガーネットの配慮には涙を禁じえない。食事中は慎ましくしてもらいたいクロトであった。
「……それで、食事中に現れた理由は何よ?」
食用という意味でのチキンを頬張りつつ、ガーネットはクロトの訪問目的を問う。
「答えていただきたい事案がいくつか。罵倒の練習に集中したいのであれば、終わるまで待機していますが?」
「別に構わないから質問なさい」
「ではまず、ガーネット様を暗殺したい人物について心当たりはございますか?」
暗殺されかかった本人に犯人を訊ねるのは、事情聴取のようで少し躊躇いがある。が、ガーネットはその辺りに理解のあるヒトなので、クロトは直接的に聞いてみた。
「さーねぇ。暗殺されなければならない程の実権を私は握っていないし、私の血筋が暗殺されるに足るのであれば、心当たりが多過ぎるし」
ガーネットはサラダを食べ終わるまで話を中断する。
その間、クロトはガーネットの癖の強いポニーテールと、上下に咀嚼動作を繰り返すこめかみと、その近傍から生える硬そうな角をじっくり眺めていた。
「クロトが一人殺しちゃったけど、他に確保できた二人の暗殺者に対する尋問はおじ様の所で行われたみたい。でも、結果は芳しくなかったわ。明朝未明には、自殺体と他殺体になっていたそうよ」
他殺体については内部犯の可能性が高い、とガーネットは付け足す。
今朝方の最新情報をさらりと明かす辺り、やはりこの次代女王、母親が女王なだけの華奢な少女ではない。
「つまり、どこに私を殺したい人間が潜んでいるのか分からない。いえ、どこにでも潜んでいるから、誰が過激派かを見抜けない。ラベルが貼られていない酒を一本ずつ飲酒して、薬酒か毒酒かを確かめるなんて作業、正直面倒臭くてやってられないわ」
「面倒、ですか……」
無理だ、と言わないあたりがガーネットである。
「暗殺に関連した質問になりますが。ガーネット様は身の危険を感じたから親衛隊を頼り、護衛騎士を身近に置こうと考えたのですか?」
「クロトがそう思ってしまうのは仕方がないけれど、違う。私は親衛隊も信用してない」
「親衛隊が王族を裏切るとは流石に思えません。存在意義に関わりますし」
「そういった狂信的な王族主義者の武力集団だからこそ、私は危険視しているわ。私にお母様の血が流れているのは事実だけど、同時に、人間ではないモノの血も流れている。純血に拘る彼等が、雑種の私を許容できるはずがないわよねぇ」
ガーネットはとうとう、自分の言葉で認めた。
王国の次代の女王は、本当に半分人間ではない、と。
黒よりも藍色に近い色合いの角が、艶やかなワインレッドの髪を掻き分けて生えている。牛や羊の角とは異なり、形状は水晶や宝石などの鉱物に近い。
「王族の血筋から外れた容姿と、何よりこの角がそれを証明しているわ。……気付いているとは思うけど、お父様と私はデモンと人間の混種よ」
『デモン』と聞いて、クロトが最初に連想するのは、幼時期、寝付く前に母から教えてもらった一節だ。
“デモンは、人間を食らう。特に子供を好み、四肢をもぎ取ってから順番に食べていく”
この次に「早く寝なさい」と続いた気もする。恐怖に震えていたので、クロトは覚えていない。
「実際は人間なんて食わないわよ。魔力を自己生成できるから食事を必要とする個体も少ないし。個体数を除けば、人間を大抵超越している」
言葉通り、確かにガーネットは小食だ。今もチキンとベジタブルな食材を一口ずつぐらいしか食べていない。後宮内で人間の失踪事件も起きていないので、クロトは母が方便を語っていたと理解し、トラウマを払拭すべき時がきた事を喜ぶ。
「しかし、デモンは実在したのですね」
「王国の火種と恐れられているのに、クロトはデモンについて何も知らないのね。ここ数年、下火になっているせいかしら」
「王国領土内の山中に、デモンの巣が存在するというのも怪談ですか?」
「デモンそのものは海の向こう側に国を築いている。けど王国内に、渡来したデモンと人間の混種が隠れ里を作っているのは事実よ」
ガーネットいわく、先代女王が即位した頃は自治問題でいざこざが起きていたようだ。
半分人間とはいえ人外の化け物であるデモンの子孫を、その土地の領主が疎ましく思っていたとしても不思議ではない。
必然的に領主は金と兵力に物を言わせて、デモンの隠れ里に攻め込んだのだが――。
「結果は、目も当てられない惨敗。領主に泣きつかれて王国の正規軍が討伐に出向いたみたいだけど、その負けっぷりまでは資料に残されていないわね」
「俄かには信じがたい話です。王国軍に勝るほど多く存在したとは……」
「多いのではなく、圧倒的に強いのよ。化け物って恐れられるだけあって、デモンは個体ごとに特異な能力を保持している。その子孫もしかり」
ガーネットの話を真に受ければ、人間とデモンの力の単純比率は一対千。
兵士は大規模な魔獣狩りと同じ感覚で出兵したのだろう。魔獣と魔人を混同して、悪夢が具現化した戦場に踏み込んでしまった訳だ。
「という事は、デモンの血を受け継ぐガーネット様も、実は一姫当千の力を隠しているので?」
「あら、クロトには私が化物に見えるの?? こんなにか弱いのに」
紫の瞳を潤ませても無駄だろう。獅子が脆弱だと言ったところで、誰も信じはしない。
「でも、弱いのは本当よ。父の代でデモンの血はかなり薄まっていたから、身体機能はほとんど人間。……まぁ、寿命や老化って概念がなかったり、人間よりも感覚器官が多かったりするけど」
私って敏感なのよねぇー、と吐露する主君を無視し、クロトは頭の中で話をまとめる。
デモンと呼ばれる魔人は実在する。
王国内にはデモンと人間の混種の隠れ里が存在し、過去には王国軍と争った歴史がある。
そして、デザートらしきベッコウ飴を頬張るガーネットは王族であるが、同時にデモンと人間の混種でもある。
「これで理解できたかしら? 私が親衛隊を信用していない理由と、先日まで顔を隠していた理由。前任者の件もあったから、顔出しはもう少し後にしようと思っていたのだけどね」
「前任者……? とは、いったい誰の話です?」
「クロトの前の護衛騎士。五日で止めちゃったけど」
公式では、第二親衛隊のクロトがガーネットに仕えた最初の護衛騎士になっている。次代女王なんてVIPに仕えているだけあって、最近、クロトは王国の抹消された真実を知る機会が多い。まったく嬉しいとは思わないが。
下級騎士たるクロトとしては、上層部の不穏には嘆息するしかない。政権争いなど御免蒙る。
漠然とした不安を抱えてしまったクロトは、心を軽く必要がある。
だから、ガーネットに対する最後の質問は、クロトの精神安定のためだけに投げ掛けられた。
「ガーネット様自身は、己を人間だと思っているのですか。それとも……デモンだと?」
「さぁ? 人間の醜い側面ばかりを体験してきたから、人間に共感が持てないのは事実。でも残念な事に私ってまだデモンと会った事がないのよねぇ」
ガーネットの人生経験はそう多くないらしい。
クロトにとっては都合が良い。性格と血筋に目を瞑れば女王として有望なガーネット。彼女がデモンに魅せられて王国を捨てるのを、クロトは望んでいない。
「もうクロトの質問は終わりかしら。なら、最後は私が質問してあげる」
質問される事ばかりに飽きたのか、珍しくガーネットはクロトに問う。
「どうしてクロトは、暗殺者が来ると信じられたのかしら?」
食事を終えたガーネットは首を可愛らしくかしげ、クロトを直視する。
「顔も見せない小娘の、ふとした言葉を信用したのは何故?」
深遠な紫色が二つ、クロトという人間を品定めしていた。
一般的に、他者の心を覗く行為など褒められたものではない。機嫌を伺う事は許されても、ガーネットのように人間という動物を検査し、採点しようと試みるべきではない。
しかし女王に見初められるというのであれば、それを屈辱と感じる事こそがおこがましい。
クロトは、ガーネットに本心を知ってもらいたいのだ。
「その小娘が、王国始まって以来の、最も偉大で尊大な女王になるかもしれない。そして自分はその女王に最も信頼された騎士となる。……こう、企んだからです」