1-5 次代女王公認
仮面の男は、クロト達の登場に動揺していた。巣穴に戻ったはずの鼠が、実は猫の口の中に入り込んでいた事に気付いた。そんな硬直具合でクロトを睨んでいる。
「……何故、侵入ヲ感知デキタ?」
仮面で隠した顔と、仮面に遮蔽され抑揚を失った声。
そして夜に溶け込む茶色混じりの暗いアサシンスーツ。
仮面の男の格好は、仮装パーティでも見られない正統な暗殺者の姿をしていた。イメージ通り過ぎて興ざめする程だ。
「来ると信じていた不審者を罠にはめるのは、簡単だった」
護衛騎士の目を盗み、うまく後宮に潜入できた。こう、仮面の裏側でほくそ笑んでいたのだろう。
しかし、意図的に下手な監視を行う護衛騎士の隙を突いた所で、どこに笑っていられる要素があっただろうか。
「あからさまな歩哨に気を取られ過ぎで、地面を這う監視者を見逃していた。タネ明かしはまだ続くが……それよりも、武器を捨てずに首を落とされたいのか?」
前に三人、後ろに二人の計五人の騎士で通路を塞ぐ。近くのドアはすべて施錠してあるため逃げ込める場所もない。戦闘の障害となる装飾品も撤去してある。
数も場所も、どの条件においてもクロト達が優位に立つ。とはいえ、仮面は王族を狙う暗殺者だ。どこからナイフが飛び出すか分かったものではない。
クロトは、既に抜いてある剣の先を黒装束の首に合わせる。
「――――抵抗ハ、シナイ」
意外にも、仮面は大人しくクロトの指示に従った。
どこに隠されていたのか、十本以上のアサシンナイフが床に投げ捨てられていく。すべての暗器を投げ捨て終わった合図として、黒装束ゆっくりと両手を後頭部に伸ばす。
そのまま仰向けに倒れようと膝をついたが、ふと、仮面は体の動きを停止させる。
「スマナイ。マダ、一本残ッテイタ」
仮面越しに謝罪を呟くと、右手を懐に入り込ませていく。
あからさまに怪しい動きだった。騎士の警戒心を煽るだけの行動を不気味に思いながらも、クロトは剣の柄を握り直す。次に何が起きても、暗殺者が懐から何かを取り出した瞬間、その右腕を斬り捨てられるように脚に力を蓄える。
しかし、だからこそか。
武器を持っていない、仮面の左手への注意を怠ってしまった。
「――発動、発光、瞳孔麻痺ッ!」
暗殺者が小さく素早く三節の呪文を紡ぐ。
同時に、真正面へと伸ばされる左の掌。
黒い手の筋に沿って魔力が満ちて、瞬間、文字通り光速で若い騎士達の視界は白く焦げ付いた。目蓋を閉じた後も、光芒が皮膚を貫通し目玉を串刺しにしていく。
黒装束の手から発せられたのは、太陽を直視してしまったかのような光だ。化学反応で生み出された発光ではない。魔術によって生み出された光か。
そんな悠長な考察を捨てて、クロトは本能的に両腕を交差させる。
「くぅッ!」
胸と頭だけを守る防御行動であったが、気が付くと、クロトの腕にナイフが刺さっていた。
即死し掛かった恐怖と事実をクロトは完全に無視して、黒い剣で前面の空間を裂く。
結果は……無念にも脇腹をカスッた程度だった。
「――ッ! シブトイ奴」
「くそ、外したッ」
すれ違った瞬間、クロトと仮面は全く同時に舌打ちを行っていた。魔術で敵の目を眩まし最短距離での逃亡を図った暗殺者と、それを阻止できなかった若騎士。どちらも相手を殺せずに悔しがる。
クロトが背後に振り返った時にはもう遅い。
仮面の細い背はわき道へと消え去っていた。その先は玉座の間に繋がっている。
「分隊、速やかに損害報告!」
直にでも追撃を開始したかったが、クロトは部隊の安全確保を優先した。
そもそも、クロトの瞳孔はまだ麻痺したままで、物の輪郭が曖昧である。先の一閃で黒装束を仕留められなかったのも視界不良が原因だ。失態の言い訳にはならないが。
部下からの返事は、幸いにも四つ。
ただし、クロトの左右で剣を構えていた部下も視覚が麻痺している。仮面の背中を狙っていた二人も、程度は軽いが目が霞んでいる。五人で一人を囲んでおいて実に不甲斐ない。
「いや、それだけの相手という事だ。私は雪辱のために仮面を追う。お前達は二手に別れて他部隊の援護に向かえ」
クロトの中で、仮面を直接打ち倒す理由ができてしまった。手柄やプライドはどうでも良いが、次代女王に「クロトって案外使えないのねぇ」と軽笑されたくはない。
「隊長はお一人で大丈夫ですか? 腕にナイフが」
「ガードに刺さっただけで、腕まで到達していない。心配は無用だ」
視覚が麻痺している状態では同士討ちが発生しかねない。魔術を使う暗殺者が相手では、中途半端な数の論理も通用しない。
クロトは部下が納得し易い理由を述べてから、駆け始めた。
「……それに私は一人ではなく、一騎だ」
視覚はまだ回復していない。が、クロトに不安はない。実際、曲がり角の多い後宮の廊下をスムーズに進めている。
クロトの足元で、月光に照らされた彼の影が広がっていく。
いや、クロトを先導するかのように、馬の脚部を形作って走り始めている。
「ディ、良いサポートだ」
目が見えないぐらい、まったく問題にはならない。第二親衛大隊の騎士の足元には、常に頼りがいのある相方が並走していた。
事前情報よりも護衛騎士が有能で内心かなり腹立たしい。そうでありながら、暗殺者の侵入を阻止できないのか。こう、仮面の暗殺者は皮肉気を笑う。
第二親衛大隊は若造の集まりであると再認識された。仮面のような、高価な暗殺者を捕縛するには詰めが甘過ぎる。警告する前に、両手両脚の腱を断っておけば、仮面に逃走される事はなかっただろう。
暗殺計画を察知されたのは大きな誤算であるが、まだ挽回は可能だろう。暗殺計画は結果のみを尊重しており、経過や事後を重要視していない。小娘一人殺すだけで、仮面は勝利者となれる。
身軽な体で、仮面は早くも後宮の最奥、元々は倉庫であった紛い物の玉座に到着する。
入口にも二人の護衛騎士がいたが、仮面は目潰しの魔法を放った後、悠々と内部に侵入してしまう。
後は、仮面の運気がどこまで向いているかであるが――。
「――――居ル、ナ」
ランプに照らされた部屋の奥、倉庫を半分に分断する帳の向こう側に、小さな影が鎮座している。
影絵のごとく、人の形をした影がカーテンに写っているが……そこに人間が座っているとは限らない。一部の貴族を除き、誰一人、次代女王を直に見た事はないのだ。
「ククク……クク、上手ニ人間ヲ真似タモノダ」
笑いを堪えようと努力しながら、仮面は室内を歩く。
時刻は既に丑三つ時だというのに、次代女王はまだ眠っていない。まさか、暗殺者に殺されるために夜更かしをしていたと思うと、仮面は嬉しくなって惨殺したくなる。賊が目前に現れた窮地だというのに、ビクビクと部屋の片隅で怯えもせず玉座で構えているのなら尚更だ。
ならば、と仮面は速やかに次代女王へと接近する。後頭部に隠してあったナイフで邪魔なカーテンを縦に切り裂いた。
「王国ノ腐乱ノ象徴タル魔女ヨ、ソノ首ヲ貰――ッ?!」
そして王国に巣食う魔女と対峙した瞬間、仮面は言葉を失った。体内から吹き上がった激情に唇が震えて正常動作しなくなる。
「……バ……バッ」
仮面の感情を表す言葉は、魔女を狩れる感動でも、魔女が使う蠱惑的な眼差しに対する畏怖でもない。
カーテンに魔術的なトラップが仕掛けられており、無様にも引っかかってしまった。そんな後悔でさえなかった。
“馬鹿が見る 次代女王公認”
たった今、要人用暗殺者としての仮面の尊厳は、布団を丸めて上着を着せただけの――頭代わりの枕にメッセージが貼りついていなければ、それが身代わりだと気付けない程に――幼稚なダミーによって粉々に砕け散った。
仮面の裏側で、奥歯を噛む音がギチギチと鳴り響く。
「馬鹿ニシオッテェェェェ!!」
怒りに任せて、仮面は鋭いナイフで枕を切り刻んだ。
当然、飛び散るのはどす黒い怪物の血ではない。真っ白な羽毛では達成感など得られない。
十度は斬りつけて、仮面はどうにか最低限の冷静さをどうにか取り戻す。それからようやく、本物の次代女王の姿を探し始める。
「ドコニ、ドコニ居ルーーーッ」
次代女王は倉庫にはいない。ならば他の候補を巡るだけの話だ。
時間が経過すればするほど暗殺者側が不利となるが、まだまだ許容範囲のはずだった。何より、暗殺者を侮辱した小娘は、絶対に殺害しなければならない。
仮面は数度深呼吸した後、倉庫から出て行く。
「………何を喚いていたんだ?」
黒い甲冑の青年が、暗い廊下の真ん中で剣を構えていた。仮面が先程殺し損ねた護衛騎士だ。
砕け散った自尊心が更に細かく摩り下ろされる感覚に、仮面は奥歯をガチガチと噛み締めて耐える。
全くの慢心なのだが、仮面は護衛騎士の存在をすっかり失念していた。