1-4 誕生日まで、二週間と五日~三日
「不審物は、まだ発見できないか」
クロトは、先日の謁見で次代女王が指摘した場所の一つ、後宮中央に存在する中庭を見渡す。
手入れが行き届いていない花壇の朝顔。
白色ペンキが剥げ落ちた茶色いベンチ。
ボウフラがドロドロと浮かぶ水質汚濁の井戸。
とても王族の庭とは思えない光景である。出不精の次代女王に園芸の趣味があるとも思えないが。
事前学習で読んでいた資料によると、先代女王の悲劇の際に後宮は焼き討ちにあったそうだ。次代女王の育児施設として改装されるまで長く放置されていたらしく、現在も手入れが行き届いているとは言い難い。
「雑草の多さには弱ったな」
王族の建物に相応しく中庭は無駄に広い。その半分が草で覆われているのだから、捜索は難航している。王族の埋蔵金が埋まっている可能性も視野に入れるべきだろう。
騎士になってまで草刈に頭を悩ます己にクロトが苦笑していると、現場指揮をしている部下が状況報告にやってきた。
長身の女性騎士で、名前をモニカという。部隊の参謀役であり、頭の出来が良いのでクロトからの評価は高い。
「クロト隊長、本当に何かあるのでして? 中庭は後宮の中心部に位置し、周囲は壁です。外部からの侵入は考え難いのですが……」
「危険物が紛れ込んでいる可能性もあるだろう」
「放置されて数年経過していますから、それも考え難いですわ。わたしくの愛馬を使い探索してみましたが、不審物はありませんでした」
初夏の陽射しは柔らかく心地良くても、第二親衛大隊の特徴たる黒を基調とした服装の所為で汗が滲む。流石に甲冑は脱いでいるが、厚手の生地が酷く蒸れていた。
高い茎の密集地で、黒い人影がゆらゆらと蠢く。
「……わたくし、中庭を警戒するより、もっと優先すべき場所があると思うのですけど」
額にシワを寄せてモニカは進言する。情報統括に自信があるモニカが不満を感じるのは当然だった。
それだけ、クロトが部隊に出している命令は無価値なものである。
しかし、根拠のない過信は禍心を呼び、次代女王を侮る事は職場環境に災いを招く。
「次代女王の言葉を嘘だと思うか? 次代は面白みに欠ける冗談を嫌悪する人だぞ」
クロトは、得心顔ではないモニカを諭す。
護衛とは、常に後手にまわってしまう受身の任務である。徒労としか思えない監視や巡回を何十に重ねたとしても十分とは言い難いのに、慢心から任務を雑にこなして誰を護れる。
まして、クロト小隊の護衛対象は次代女王であり、敵は王族殺害を企てる輩ばかりだ。想像の埒外、死角からの攻撃が当然のように行われるだろう。
「冗談や戯れでなくとも、次代様が勘違いなされたのかもしれません。王族といってもまだ子供。中庭は幽霊が在住にしていそうなぐらいに荒れていますわ。反乱時には実際に死人が出たとも。些細な事柄であっても不安なのでしょう」
「私も次代の事を熟知するにはまだ仕えた日数が足りぬが。あの方は、柳を幽霊と誤認する程に可愛らしくない」
クロトはまだ顔を知らぬ、全ての人間を見透かしているような少女を思う。
あれは確か、クロトの部下の一人が無謀にも既製品のベッコウ飴を忠誠心加味の手作りと偽った時の事だった。飴を一舐めした次代女王はその部下を正座させて、ベッコウ飴に対する愛を説いたらしい。
半日後、しゃくり泣きしながら廊下を歩いている部下を目撃したので、記憶に鮮明だ。
「……ともかく、探索は続行だ。中庭の警戒は分隊単位で行え。高楼への配備も忘れるな」
後宮は城ではないので物見櫓は建っていないが、展望用の塔が角地に建っている。その一本を後宮専属の警備部隊から借りる手続きは済ませてあった。
「合計二分隊も、ですか? これでは守るべき要所が手薄になってしまいます」
「ニ分隊でも足りない、と私は考えている」
次代女王がわざわざ指定した中庭。備えが過ぎる事はない、とクロトは考えている。
「きっと、まだ策を講じる必要がある。次代は騎士が必要になると予期したからこそ、自分に護れと命じたはずだ」
「まさか……。失礼ですが、隊長は次代様の言葉を気にし過ぎですわ」
「自分があの引き篭もりを過大評価し過ぎていると思うか?」
王族の中傷は心が痛むのか、モニカは返答できない。
しかし言葉にしないだけだ。モニカを代表とする部下の多くが、クロトの異常な警戒を訝しがっている事は明白だ。
庭の芝刈りをしたくて騎士を目指した者を部下に選んだつもりは、クロトにもない。
「しかし、これが小隊長としての判断だ。黙って従えとは言わないが、次代の言葉以上の説得力を示さない限りは、続行するぞ」
クロトは心の内で部下に詫びるが、これまでの信頼関係を信じた。
……いや、クロトが信じるべきは部下達だけではない。次代女王という少女を信じるのだ。
次代女王にクロト小隊を信じてもらうよりも早く、クロトが次代女王を信じなければならない。それが忠誠なのだという確信がある。
「まったく。一目もしていないのに、惚れたかのようだな」
「……え、何でしょうか。クロト隊長??」
「何でもない。水分補給は忘れるなよ」
正午となり、光沢の薄れた石床に落ちる人影の濃さが増している。
現場指揮に戻るモニカの足元の影が一瞬だけ遅れ、馬の脚になってモニカを追いかけたように見えたのは、錯覚や蜃気楼の類ではなかった――。
――計画が早まった。
次代女王の暗殺が数日早く決行される事になったのだ。
種々の要因が重なった結果であるが、その一つとして、護衛騎士の予期せぬ行動が挙げられるだろう。
後宮の中庭に存在する抜け道は、王族仕様の魔術結界で隠蔽されている。通常の方法では発見できない。が、こうも飽きずに警戒を続けられると話は別である。
常に小隊の半数を割いた監視体制。
所詮は第二親衛大隊の若造の集まり。やり方そのものには粗が多く、監視の死角の特定は容易だったが、それでも抜け道が発見されてからは遅過ぎる。
だから暗殺決行は今夜中、と彼等は命じられた。
前倒しとなった分成功率は低下する。とはいえ、小娘一人を殺すぐらいには計画は練られている。後宮を模した演習場での訓練は、この半年間で千パターンは繰り返されているのだ。
最早、数日の誤差による一憂も、数日早まる一喜も存在しない。
ただ、次代女王を殺したい。
彼等の心中を表現できる言葉は、純粋な殺意だ。
暗殺の実行は深夜二時前後。井戸の底から見上げる夜空にほぼ満月の月が浮かんでいる。月光が強く暗殺日和とは言い難い。
演習通り、まず、一人が先行して井戸の中から這い出る。
這い出しながらも、仮面の下では小さく呪文を紡ぐ。
夜の闇に紛れ易い姿が、本当に消えてなくなる。高楼からの監視を欺瞞する魔術を発動させたのだ。
光の屈折率を少しばかり変更し、隠し切れない部分に地面の色を複写するだけの簡易な魔術だ。真理を探究する術であるべき魔術をただのカモフラージュに用いるのは、その暗殺者にとって業腹である。しかし、魔術を用いなければ小娘一人殺せぬ不条理に、無表情の仮面が震えた。
魔術による欺瞞が完成した後、他二人を誘導する。三名の暗殺者が後宮内部への侵入を果たした。
後は個別に次代女王を探索し、発見次第抹殺する。計画の重要性の割に殺り方は実に単純だ。
力量が最も高い一人目は、玉座へと通じる道を選ぶ。玉座に住んでいるのか、次代女王は深夜でもいる可能性が高いのだ。
無音歩行で廊下を進む。装飾品が見当たらず、壁に絵が一枚も飾られていない。
玉座に至るまでの道のりで、注意すべきは護衛騎士である。が、暗殺者は慎重さよりも速度を優先した。まるで、若造の護衛騎士との遭遇を恐れていないかのような動きだ。
事実、仮面の暗殺者は護衛騎士を恐れていない。恐れているのは、異常に中庭を警戒していた護衛騎士と、若造共にそう命じた偽りの小娘の方なのだ。真なる女王の恩恵を知らない若造共など、恐れる相手ではない。
むしろ、仮面の暗殺者は彼なりの善意があった。若造共にままごとと真の忠誠の違いを、己の無能による悲痛を、鮮血という結果で教授する。己の教鞭が似合い過ぎていて、仮面の内側で笑う。
無知なる護衛騎士は、暗殺者を恨むかもしれない。
ただし、それも最初だけ。次代女王の死骸を凝視した瞬間から、暗殺者に感謝するようになる。
知らぬが仏と言うが……。
人外の化物に仕えるのはとても不幸な事のはずだ、と暗殺者は呟いた。
「――誰が不幸かは知らないが、お前の動きは不運にも掴めている。次代女王直下の護衛騎士、クロト・フットが警告する。我々に捕縛されろ」
突如、前後の小部屋から黒い鎧を装着した騎士が出現し、仮面の暗殺者に対して嫌味たらしい口上を述べてきた。
暗殺者が虚を突かれるなど、冗談であってもツマラナイ。