3-11 ガーネットVS二十万軍勢
太陽が南中する頃、私と私の騎士達、およびその他大勢は樹海の端に辿り着く。
陰湿な樹海とは異なって、目前の平原は日光の照り返しで暑そうだ。日陰者人生を歩んできた私にとって、慣れない光に満ちた舞台である。そこに一歩踏み出すと考えただけで、口元が酷く歪んでしまう。
「ガーネット様。王国軍の鼻先まで近づきましたが、これから何をなさるおつもりで?」
クロトは遠くを見詰めているが、特別目を凝らさずとも見える。
陽気を越えた先では、軍旗をなびかせ、長槍を掲げ、武装した人間の群集が列を成している。
一人一人は米粒大だが、地平線を埋める程の総数に広大な景色がぶち壊しだ。無駄に数を動員しているため多少は圧倒されてしまうものの、私の色眼鏡で透かして見れば、壁一面の節足動物を目撃した際の気持ちと似たり寄ったりだろう。
「現在、ガーネット様は里の戦力を手中に収めております。王国軍は膨大ですが、戦術を誤らなければ撤退させられるかと」
クロトのハーフデモン寄りの発言に、雇った覚えのない女騎士が呆然としている。
クロトいわく、女騎士は第二親衛隊の同僚騎士で、森でたまたま敵対したらしい。今は敵でも味方でもないが、責務に急かされ半魔の私を斬らぬよう手首を拘束しているとの事。正直、クロトの女になど興味はないので以後無視する。
私はクロトの提案を考量し、損得勘定から却下する。
趣向を優先して王国軍と全面戦争、敗走させても良いが、手札のフォーカードを捨ててフルハウスを待つ道理はない。ここまで状況が有利だと自由に動けず、すこぶる無念だ。
「クロト、第一親衛大隊の旗は確認できて?」
「……いえ、他の大隊はすべて揃っているのですが」
「まったく、捨てた札から意図がまる判り。身近に手勢を揃えておきたい気持ちは分かるけど、私に見透かされるようじゃねぇ」
独り言を続ける私を気遣いクロトはじっと命令を待つ。不敬な目線を向けながらも私を崇拝する妙技、絶妙過ぎて気色が悪い。
「して、攻めますか?」
「私は躾の悪い犬が吼えたぐらいで、鍋にして食べたりしないわよ。噛み付いてこない限りはね」
王国軍と戦わないためには彼等が噛み付かないよう躾ける必要がある。が、それ以前に駄犬共に私を飼い主と認識させねばなるまい。
護衛騎士に拡声の魔術を会得している者はいるかと訊ねる。
長身の女騎士が挙手し、森の奥で蠢くハーフデモンの中からも返事が聞こえた。これでどうにか山一つ分の範囲に私の美声を伝えられる。
「じゃあ、とりあえず、クロトが私を森と王国軍の中間まで運んで下ろす事」
「あのー、ガーネット様。僕達は?」
今後の展開に自分達が関わるのかとクーは不安がる。
「タイミングを見て勇ましく出てきなさい。そこの縄巻かれたオッサンも使うから、護衛騎士の誰かが連れてきなさいよね」
後はその場の勢い次第だと言い残し、私はクロトと共に騎乗した。
「そーいえば、護衛騎士の数が減っていたけど、何人生き残ったの?」
「……二十五名の内、十六名が再合流を果たしました。戦死を確認できたのは五名だけです」
喉でも負傷したのか、クロトは声を詰まらせて返答する。
私は私で、胸の奥に杭でも打たれた気分だ。手持ちの駒の減少で不機嫌になるとは、私も所詮は成人前のお子様という事か。
「そぅ。これでも急いだはずなのに」
森から出て、王国軍との距離を詰めた。
私は釈然としない気持ちのままクロトの手を借り、馬上から地上へと降り立つ。両手を腰に当てて王国の軍勢を睥睨する。
軍隊に対して恐怖は一握も感じない。なのに、代わりに込み上げるこの気持ちは何だろう。
クーを諭してあげた時にも高ぶる脈動を肌の下から感じたが、今回は熱した鉄心を飲み込んだかのごとくひたすらに胃がムカつく。
視界全域を見回した後、丹田に力を蓄える。
何故ここまで私の機嫌が悪くなったのかは定かでない。
だが丁度、目前には私に叱咤されるために集合した幾万もの人間がいるではないか。私らしくない事は重々承知しているが、私だって感情に逆らっては生きられない。
よって私は、人生最大の声量で王国軍に八つ当たりを開始した。
「このッ、大馬鹿共めがぁぁーーッ!」
「ノコノコと眼前に現れるとは、恐れを知らぬ馬鹿と恐れも知らぬ馬鹿、お前達はどちらに属する馬鹿なのかしら!」
魔術によって拡声された私の美声が轟く。本来は民草を愛でるために用いられる貴族御用達魔術は、馬鹿を馬鹿と誹るためだけに行使される。
聞き入る王国軍の反応は酷く抜けている。
第一に、彼等は何故自分達が叱られているのか理解できていない。
第二に、目だけは聡い彼等は私の角を見て、ノコノコ現れたのはどちらだと言いたげに数万の槍を向けてきた。
遮る物のない平原の強風にワインレッドの地毛は乱れ、黒水晶よりも硬質な角に絡みつく。
「なるほど、お前達は後者の馬鹿なの。それも主を嗅ぎ分けられない程の駄犬」
乱流に乗り、口の中に入ってきた数本の髪を吐き出す。味は甘苦い。
「地方軍だけならいざ知らず、正規の軍隊たる王国軍が誰の命令で動いたのかしら。仲良く並んでいる親衛隊は言い訳さえできないわよね。……とりあえず、武器を主に向けたままなんて躾けられる態度じゃないわよねぇ?」
王国軍は武器を下げない。小数の動揺はあっても、集団としては未だに私を敵として対処している。
強情というよりも、物を考える主体性が欠如しているのだろう。犬に思えて実は烏合の衆だったと。
「武器を下ろさないのね。ハーフデモンの小娘に駄犬と罵られる覚えはない。こう暗に示している訳?」
見栄と打算で集合した人間の扱い方は何ぞ。そんな問い掛け、人間の虚栄と欲望優先の思考に生かされてきた私にとっては欠伸ものの愚問だ。
利を消し去り、損を強調するだけで人間は従順になる。
「では、この私、唯一の王位継承者たるガーネット・クリスタロン・エンペリアが即日判決を下す。お前達全員、反軍として討伐するッ! 次代女王の命を狙っておいて、責め一人に帰すと間違っても思わないことね。階級や身分を問わず、目に付いた奴と気に入らない奴を優先して処刑してあげるから」
法螺にしても限度がある。
妄言に耳を傾けるのは時間の無駄だ。
こう言いたげに、軍勢はざわめき揺らぐ。騎馬隊も歩兵部隊も、突撃の兆候が見られた。
私は前衛部隊の突撃の出鼻を挫く声量で、罪状を述べる。
「お前達は次代女王である私の暗殺を見過ごし、加担したッ! 実行部隊を率いていたのは第一親衛大隊のグッセル高位騎士!」
背後の森に目配せを行うまでもなく、蹄の音が近づく。
二騎の護衛騎士がグッセルを牽引していた。手足を縛った縄だけで引きずってきたため、グッセルの全身は擦り傷だらけの砂塗れだ。
「こいつが生きた証拠よ。けど一番関心を寄せるべきは、第一親衛大隊の本隊がいない事よねぇ」
顔を伏せていたグッセルを見下す。
グッセルはかなり消耗していたが、私の言葉にピクリと肩を震わる。
「周りを見渡してみなさい。どこかに第一親衛大隊が見えて? 見えないでしょ! それなのにグッセルは単独行動を取っていた。次代女王である私を殺す刺客としてね」
実際、将軍の幾人かは第一親衛大隊の不在に気付いていたはずだが。第一親衛大隊の不在を、ライバルを出し抜く好機と都合良く考えていなかったのなら、冷たい表情で笑ってやるしかあるまい。
「他にも旗数が少ないわよね! 八大公爵なのに、ここに揃っているのは七つの地方軍のみ。目に見えるすべてが、お前達が反軍である証となる。お前達が何を大義に出軍したのかは知った事ではないけど、王族主義者共の第一親衛大隊が抜けた状態で次代女王救出を理由しても説得力に欠ける。そして、次代女王の救出以外の名目で軍を動かしたのなら、反乱を起こしたと疑念を持たれて当然っ!」
ようやく自分達の立場の危うさに気付き始めたのか、部隊間、軍団間で顔を見合わせている。
政を代行している公爵会の権限で出軍した。こう白を切るには動いている軍隊の規模が大き過ぎるのだ。その割に一部の部隊が不審な行動を取っているため、体裁はすこぶる悪い。
後の君主に良い所を見せようと張り切り、それを唯一の利益と踏んで可能な限りの兵士を投入したのは理解できる。
だがどうだろう。最高級の食材を浪費して作り上げた究極のフルコースを女王に献上したはずなのに、メインディッシュたる油ジューシーな肉料理を配膳し忘れていたとしたら、どうだろう。
当然、ナイフとフォークを装備した次代女王の心証は悪化する。王族特有の癇癪を起こし、フルコースを用意できなかった料理人が島流しになっても可笑しくはない。ちなみに私は肉が嫌いだ。
「これは私が次代女王でなくても変わらぬ事実。まぁ、私は本物なのだけど」
主体性のなさが仇となり、目前の二十万人はひたすら立ち尽くす。
一部が私を偽者として攻撃したとしても、残りすべてが暴挙の証人となってしまうからである。正気を失って突撃される懸念もあるが、人間は金銭と命を天秤に掛けてしまうぐらい損益に敏感だ。
目前のハーフデモンが本当に王族だったら、という想像力により、王国軍は判断力を奪われている。
「私の素性ばかりに想像力を働かせているとは、なんて幸せ。私の生死に関わらず、お前達が王都に凱旋した頃には王国は乗っ取られて、財産すべてを没収されるのに」
第一親衛大隊はどこに消えたのか。これは想像力を働かせるまでもなく出る答えだ。
「お前達が全軍出撃してしまったお陰で、今頃王都は空じゃない。どうぞご自由にクーデターを行ってください、とでも書置きを残してきたの??」
王都全域を制圧するとなると第一親衛大隊だけでは数が足りないが、第一大隊は私の素顔を見て鞍替えしただけだろう。たった一ヶ月前の話なのに破廉恥な人間共である。
第一親衛大隊を歓迎したクーデターの首謀者はブラウンズ公爵だ。分かり易い事に、彼の地方軍もここにいない。
「王都は逆賊に奪われた! そして私に矛の先を向けている。意識的にせよ無意識的にせよ、お前達は十二分に反軍としての役割を演じ、王族殺害に加担している。これですべて理解できたかしらね!」
気だるく片腕を天空に伸ばして、私の忠実なる護衛騎士を召喚する。
今か今かと命令を待っていた騎士達は颯爽と現れて、私を中心に陣形を組み上げた。
「護衛騎士のみが王国の正規軍であると宣言しておく。地方軍、王国軍、護衛騎士以外の親衛隊はすべて反軍と見なして討伐を開始する。……ただし、最後に許しを請う機会を与えてあげるわ」
王位継承時は罪人への恩赦が付き物、とおじ様から聞いている。
なんて不愉快なしきたりと思っていたが、役立つ時もあるものだと考えを改めよう。
「全軍、最速にて王都を奪還なさい。そして、私が女王になった暁には此度の謀反を忘れてあげる。けどもし、私の言葉を疑うのなら――」
天へ伸ばしていた腕を水平に倒す。
同時に護衛騎士は各々、影のランスを軍勢に向けて突き上げる。
「――決して容赦しないから。私が女王となって後世にお前達の駄犬ぶりを語り継ぐ。ちなみに、私の王国軍の数の少なさから、処刑の順番が遅れる事を嘆く必要はないわ。既に国民から義勇兵を募ってあるの」
不自然に平原の風は流れる事を止めて、大気は急速に澱んでいく。
森から溢れる人外の魔力に平原は彩色を失っていく。
何かよくないモノが近づく気配で空間が飽和する。地肌がひんやりとするまで体感温度が下がった所で、ようやく、ハーフデモン達は森から這い出した。
異形の軍勢は何もかもが規格外だった。たかだか百の数が、万の人間を圧倒する存在感を放っている。
無駄に長く巨大な者。
細かく分散した者。
部位の数が膨大な者。
無形の者。
――どれもこれもが個性的で、群集となったハーフデモンは絵具を全色垂らした風景画よりも混沌としている。一方で、個性を何よりも尊ぶ魔人の性質は混沌という連帯を生じさせているため、奇妙にも統一性を感じるのだ。
「さあ、反軍の汚名を着て死ぬ?」
王国軍は目に見えて後退する。
「それとも死にたくない? なら、さっさと王都を取り返しに行きなさいッ!」
一戦交えるまでもない。
二十万の兵士は私に忠誠を誓うために、遁走を開始した。




