3-10 人望なきガーネットの人望
戦場に割って入る聞き慣れた少女の美声。
および、類似したシチュエーションからクロトの脳裏に強制想起される王宮の夜。
しかし前回とは異なり、クロトは少女の登場を心待ちにしていた。護衛騎士に任務を命令するためにガーネットは現れる。こうクロト達は信じて戦っていた。
信じていられた理由は、ガーネットが我々に「死んでいいわよ」と命じていなかったからである。
捨て駒に対して律儀に死の宣告を行う君主がどこにいる。こう問われれば、クロトは即座にガーネットの顔を思い浮かべてしまう。
死を承服するなど正気ではない。こう不気味がったのなら、それは酷い誤解だ。戦場での戦死は必定である。敵も味方も分け隔てなく死ぬ。問題はどれだけの数が死ぬかであり、ガーネットはその辺りを把握しているからこそ、護衛騎士が全滅する場合は前もって教えてくれるのだ。
今回、クロト小隊は何も命じられていない。
死亡率の高い戦闘が行われているというのに、聡いガーネットがせっかくの命令の機会を忘れるとは考え難い。ならば、後から命じにやってくるとクロトは予想した。
ジリ貧になると解っていながら隊を分散させて戦っていたのは、それが一番長くガーネットを待てる方法だったからである。
そして、次代の女王という立場にあるガーネットが戦場に現れるのは、絶対の勝算を得た時だけだ。仮面の暗殺者を護衛騎士で対処したのが良い前例か。意外な気もするが、ガーネットは己の命を軽視していない。
すべては盲目的な崇拝と根拠に欠けた自信と楽観的な予想を糧にした行動であったが、結果的にクロトが正しかった事が証明される。
薄くなった霧の影から小柄が一歩ずつ近づく。
ガーネットの顔は、常よりも世間の面倒臭さにウンザリしている様子だ。
「どこの馬の骨が私をアレ呼ばわりしているかと思えば、ああ……、五日坊主の前任者じゃない」
ガーネットはたった一人で現れた。彼女の後ろには誰も控えていない。
「ク、クロトッ。あの子ってまさか半魔!?」
「動揺するのは無理もない。が、エリザ、今は静観してくれないか」
有角のガーネットを目撃して、エリザはクロトに近づき小声でどうするべきかを問う。
「部隊にも命じてくれ。敵と思われたくなければ絶対に動くな、と。説明は後でする」
クロトは、最良と思える行動をエリザに教えた。
「現れおった……自ら現れおったか。魔女の癖に殊勝な事よ、最後ぐらいは潔く殺されに現れたか!」
殺害対象が現れた以上、グッセルがクロトに構う必要はなくなった。部隊全員に突撃を命じて、自らも勇ましい声を上げながら突進する。
ガーネットにデモン的な特殊能力はない。首を絶つのは簡単だ。グッセルはこう侮っているのだろう。そうでなければ全員突撃などという無謀は行えない。
……酷い誤解だ。ガーネットという存在自体が、デモンよりもよっぽど恐ろしいというのに。
「さあ、首を差し出せ! 王国の穢れを今解き放ってくれよ――おぅッ!?」
突如、地中から突き上がったランスよりも太い爪が、先頭を走る騎士を馬ごと串刺しにする。先頭が絶命した事で行く手を塞がれ、後続は渋滞を起こして一箇所に密集していく。
ガーネットが自分を囮にして仕掛けた罠の真価は、これからだ。
縦に激しく揺れる、局所地震が発生する。騎兵が集まる土地が地盤ごと浮き上がり、百八十度回って落ちていく。
王都の森でクロトが体験した攻撃である。ただ、第一親衛大隊の馬はディとは異なり平凡だ。垂直の傾いていく地面を走って逃げられるはずがない。
十メートル四方の地盤の畳み返し。
超重量の爆発的な衝突音が森を揺るがす。
倒壊する土の壁に潰されて生き残れる人間はいない。ほとんど一瞬で、第一親衛大隊の騎士隊は壊滅した。
「お、おのれ……ッ、おのれおのれおのれェェえええッ!! 半魔の類が私の騎士を!?」
悪運の強いグッセルはどうにか生還したようだ。が、グッセルの馬は首から上だけしか残っていない。騎士としての機動力は殺がれた。
しかし、グッセルはしつこい。生き残りの部下から強引に馬を奪うと再び突撃していく。
ガーネットの近傍で地面が盛り上がり、地中から毛むくじゃらな巨体が出現してグッセルの進行を阻んだ。
「熊無勢が、王国の騎士たる私を止められるかッ」
「俺は熊じゃねぇッ。大土竜のモルドだ!」
モルドの爪は遅いが広範囲だ。慣れぬ馬で避けきるのは困難を極める。
それでも、真正面からの突破をグッセルは図った。左の爪に馬を引き裂かれ、右の爪に金の騎士団印章を肩部の鎧から削ぎ取られる。
だというのに、グッセルはまだ前進している。
それどころか、モルドの巨大な腕に足を掛け、肩を飛び越えてしまった。第一親衛大隊の騎士という誇りだけで動いたとは思えない。ガーネットを心の底から殺したいという、呪いにまで昇華した殺意がグッセルを進ませている。
グッセルのロング・セイバーは、ガーネットの首を射程内に捉えた。
「魔女よ、絶えよッ!」
「はいはい、私は魔女魔女」
「なんでッ、そんな自信満々に立っていられるんですか?!」
中傷に相槌するガーネットの背後から、気配皆無の少年が現れる。少年は身を挺してガーネットを庇い、一緒に地面に倒れていく。
目標を失い、グッセル決死の剣戟は虚空を空振る。
直後、反転しながら繰り出されたモルドの裏拳がグッセルを殴打した。巨漢のグッセルもモルドと対比すれば赤子同然。ラケットで強打されたボールのごとく、グッセルの体は大きく跳ね飛ばされて遠地の大樹に衝突した。
「ぐふぁっ、うがァ……。やはりお前は王国の穢れだ。半魔は半魔と群れる……」
「と、考えちゃうでしょ? でも実際の所、私ってハーフデモンからも嫌われちゃったみたいなのよ。人間だけが他者との相違点を嫌悪し差別する特別な動物じゃなかった訳ね。うわ、そう思うと、この世界って人間みたいな気色悪い生物しか住んでいないのかしら」
「その見下した態度に、どれほど私の自尊心が傷付いたか理解できまい! 私はお前に仕えていたたった五日に、それまでの騎士人生を否定されたのだ!」
「それは貴方の勝手な解釈よ。恥知らずの前任者は、己の失敗を乗り切ったクロトを見習ってみてはどう」
「そう私を愚弄するから……私はお前を殺すのだッ」
グッセルは大樹に背中を預けたままの体勢で、片腕をガーネットに向ける。
剣は届かない距離のはずだった。第一親衛隊の所属を表す、金色のアームガードの内側に単発式の仕込み矢が隠されていなければ、ガーネットは無事でいられたはずだった。
騎士が暗器を持っていた事実に、モルドもクーも完全に反応が遅れた。
クロトも同様で、そもそも距離的に、ガーネットの身代わりになる事さえできない。
背筋が凍結し、砕けていく感覚にクロトは全身を震わす。ガーネットが余裕の顔を消し、失敗した、と呟いている。これがどうしようもなく恐ろしいのだと、解かってしまったのだ。解っただけで何もできない己を殺してしまいたくて、心臓が萎んでいった。
「ガーネット様ッ!!」
口髭を極限の笑顔で歪めて、グッセルは矢を放つ。小さな矢だが、軌道は正確だ。
ガーネットの眉間を射抜かんと、矢はまっすぐに飛んでいき――。
「――あれだけ里を小馬鹿にしておいてっ! 簡単に死ぬのは許さない!」
――クロトはまず、突風を地肌に感じた。
次に、女の声を聞いた。
森の永年霧は上空からの風によって消し飛んでいたので、クロトの目前の光景は鮮明だ。
天から降り立った純白の翼が、ガーネットを覆い隠していた。グッセルが放った矢は白い翼に弾かれたらしく、ガーネットは無傷だ。
白翼の抱擁の中で、死に掛けた事を即座に忘れて、ガーネットは人生の予想外に対してニヤニヤと笑っている。
「私、期待を裏切られるのは嫌いなのに。ふふふっ、最近そういう事が多くて嫌になるわねぇ」
「モルドが出て行ったのに、オレが来ないとでも本気で思ったか。やっぱり、オレはお前……ガーネットが嫌いだ!」
「あら、負けん気が強いマチカはその内来ると信じていたわよ。こんなに早いのは予想外ってだけ」
「それが侮辱しているって言うんだ。……長老からの伝言。里は決意した、これまでの無礼を謝罪したいってさ」
マチカの言葉を待っていたかのように、複数の気配が里の方角から近づく。
詳細は聞かずとも分かる。ガーネットが、里のハーフデモンを掌握したのだ。
百人力の話では終わらない。一鬼等千の力を保有するハーフデモン達が戦力に加わった事で形勢は変貌してしまった。ガーネットは独力で王国軍と対峙できるだけの兵を調達したのだ。
クロトは様々な事態の好転に対して大いに喜びつつも、改めてガーネットの先見の明に戦慄する。
ガーネットはどこまで目論んで里を訪れたのだろうか。いや、そもそもどの時点で目論んでいたのか。
「……させんッ! 王国滅亡など、させんぞぉぉッ」
諦め悪く、グッセルは叫びながらガーネットに近づいていく。
満身創痍の騎士など誰でもトドメを刺せたが、クロトはその役を誰にも譲らない。譲る訳にはいかない。グッセルだけは己の手で直接殺す。それが、部下を殺された隊長の務めだった。
ディに騎乗して近づくと、クロトは影の剣を振り下ろす。
「ストップ、クロト。そいつはまだ利用するから殺しちゃ駄目よ」
「――御意。ガーネット様」
刃はグッセルの背筋に届かず急停止する。クロトは、ガーネットの勅命に従う己の反応力の高さを今ほど憎んだ事はない。
自身の冷静さに不安を感じて、クロトは後処理をディに一任した。
ディはグッセルのがら空きの背中を前脚で押し倒し、衝撃で手放されたロング・セイバーも踏みつけて破壊した。
正午前には樹海の前哨戦は決着が付いた。
グッセルは騎士として有能で、指揮官としても高いカリスマ性を発揮した。が、それだけにグッセルを捕えた影響は強い。グッセル捕縛の一報で多くの敵騎士が敗走していく。
「誰か、まだ生きているかーっ!」
自身の手当てを後回しにして、クロトは叫ぶ。
生存者への問い掛けに対し、ぎこちなく一本の腕が上がった。グッセルの部隊と一緒に戦った部下二人の内、先に落馬し姿が見えなくなった副長のヘイルストーンである。どうやら、うまく生き残っていたらしい。
「……一人だけ、か」
しかし、いつまで経ってもグッセルに刺された女騎士、リーズの手は上がらない。
リーズが倒れた場所を数分費やして探し出し、クロトは彼女の戦死を確認した。
「――死んじゃったの、その子。もう少し長く生きていれば女王の騎士になれたのに」
いつの間にか、ガーネットがクロトの傍に立っている。
きっとガーネットは自分のために戦って死んだ護衛騎士に対しても特別な感慨を持てない。人間味が欠けていてこそのガーネットであるし、それを受け入れて戦ったのは護衛騎士である。
主の精神構造に対して、クロトの不満は皆無だ。
「その子の作るベッコウ飴、美味しかったのに……まったく」
だから、残念がるガーネットの声質に、クロトは心底驚いた。




