3-9 落ちていく僚騎
奇形の樹林を駆け巡る。後ろを追走する敵を振り切り、クロトは目前に現れた敵に一撃を加える。だが深追いはしない。できない。
装っていた戦力の均衡は完全に暴かれた。
戦場は敵の騎兵で満ち、どこを駆けても勝機は転がっていない。
クロトは過剰な大演舞を行い辛うじて敵を翻弄できているが、走る速度が僅かにでも低下したなら、蟻に群がられる虫と同じ運命が待っているだろう。
敵はグッセルと思しき高位騎士率いる第一親衛大隊の騎士隊だった。グッセルの部隊がすべて動員されているとすれば、クロトは中隊規模の相手と戦っている事になる。圧倒的戦力差であるが、多勢無勢を嘆くのは今更だろう。
ここに配置していた護衛騎士はクロトを含めてもたった三騎だけだ。既に一人斬られて落馬してしまったため、現状二人で戦っている。
クロトの前方から突撃してきた金装飾のプレートアーマーの間接へと、影の剣先をこじ入れる。落馬した部下、ヘイルストーンの敵討ちを果たしたが、敵の数は減っているようには見えなかった。
「王国を穢した魔女に仕える奴等を嬲れ、蹂躙せよ。そして殺せっ!」
グッセルの声が何処から響く。
高位騎士たるグッセルは、この戦場で一番危険な敵である。他の敵兵は木々に動きを阻害され機動力が落ちていたが、グッセルだけは巧みな手綱捌きとそれに応える駿馬の複合で襲い掛かる。
「しかし、隊長のクロトだけは生かして捕えよ! 奴からは魔女の居場所を問い出さねばならん。厳命であるぞ!」
けれども、グッセルは思いの他、狡猾だった。
グッセルは一騎討ちを避けて、クロトに隙が生じた時にしか接近してこない。クロトの生け捕りを狙っているためか、体力を削ぐ事に重点を置いている。
だからこの戦場で最も命が危ぶまれているのは、グッセルに狙われたクロトの部下だ。クロトの最後の僚機となった女騎士は、グッセルが近づく蹄の音に気付く。愛馬を翻し応戦を試みる。
「リーズ、止せッ!」
「隊長、見ていてくださいッ」
敵の大将に襲われたのは本望だと、リーズは決死の形相で盾を投げ捨てる。真正面からグッセルに挑み、剣を突き出した。
最速で駆ける両者が擦れ違った時間は一瞬で、勝敗も一瞬で付く。
霞の向こう側で黒馬は魔力供給を失って消滅する。直後に、黒馬の背に乗っていた女騎士は地面に落ちた。
「裏切り者のクロトよ、聞いておろうな! 最後の味方はこの私が倒したぞ。が、まだ殺してはおらん」
嫌な未来予想にクロトの心が竦み、連動してディの脚が鈍る。
この致命的な停滞を逃さず矢が背中に突き刺さったが、これはクロトにとって幸運だった。背面の痛みでどうにか己を取り戻す。
「さあ、どうする? 私の剣はこの女の腹に向けられておるぞ」
クロトは更なる矢の命中を避けるために移動しながら、横目で確認した。馬から下りたグッセルが、リーズを見下ろしている。
「お前にも尋ねてやろう。アレ、次代女王を名乗る魔女の居場所を吐け」
グッセルはロング・セイバーを下向きに構えており、今にも剣先が落ちてしまいそうだ。
「あるいは、クロトが連れても良いのだぞ。その方が私の手間が省ける」
「――ッ! クロト隊長ッ、私の事はお気にせず! ガーネット様を守ってさし――」
「それが答えかッ。下賤とはいえ命を粗末にする愚か者め!」
それは水面に石を落とすよりも容易だった。そこに人間の体があるとは思えなくなるぐらい抵抗感なく、グッセルの凶刃はリーズの体を貫く。
リーズの悲鳴は吐血に紛れて、以後途絶えた。
「グッセルーーッ! こいッ、相手をしてやるッ」
だから、腹を刺された部下の代わりに、隊長のクロトが叫ぶ。
「何を喚く。部下を見殺しにしたのはお前だろう。そも、あの魔女を崇拝している時点でお前等の命は半魔の位にまで落ちたのだ」
「ガーネット様まで愚弄するか! お前は次代女王の本性を知らぬ癖にッ」
「だから愚かしいと言う。あの禍々《まがまが》しい姿、流れる血、人間を卑下する口調、すべてが穢れていると私は知っておるぞ!」
グッセルの意味深な中傷に集中していたクロトは、左右から迫る敵騎士の斬撃への回避が遅れた。仕方なくディの脚を止め、両手に剣を持って二つの斬撃に対処する。
騎乗し直したグッセルを睨んでいるはずなのに、クロトの瞳には蟻に群がられた虫の死骸が映る。
グッセルが近づく。蹄の地響きに心拍が増す。クロトの両手の握力は、左右からの剣戟に耐える以上に強くなる。眼前に迫ったグッセルの髭面は勝利の愉悦に歪んでいた。
グッセルはロング・セイバーを高く構えながら接近。構えた刃はクロトの利き手を断つための軌道に入る。豪腕が振られるのに連動し、斬撃を描いた。
両手が塞がり続けているクロトは、己の右手が切断されるのを阻止できない。
クロトできる事は、ただ、切断の痛みに堪える事のみ。僚騎をすべて失った今、誰かが助けてくれるなど思わなかった。
……仮に助けが入るとすれば、それは敵対者すら助けてしまう程に情の深い友人ぐらいだろう。
「――私は言ったはずだぞ、不審な行動はするなと。これが最後のチャンスとも警告していたか。騎士エリザ?」
横合いから伸びるエリザの剣が、間一髪の所でグッセルの一撃を受け止めていた。
「第一親衛大隊の高位騎士グッセル。今更問う事でもないけれど、騎士には騎士の誇りと戦い方がある。敵であっても尊ぶ所は尊ぶ。戦場で敵を殺めるのは否定しないけれども、わざわざ下馬してまで刺し殺す必要がどこにあった。何より先程の発言、私には次代女王を貶めているように聞こえたわ」
「小娘が……。何も知らぬからと謝る事は、もうできぬぞッ!」
力を倍化させる覇気を放ち、グッセルはエリザの剣を跳ね飛ばす。そのまま当初の目的を違わずクロトの腕を狙うが、ふと、グッセルは舌打ちを残して後退していく。
エルザの影の剣は刃が跳ね飛ばされた形に軟らかく曲がっていたのだ。その黒い剣先は、曲線を延長してグッセルが先程までいた地点を貫いている。影の魔獣の応用はエリザの特技の一つだったと、クロトは思い出す。
静観していたエリザの部下も動き始め、クロトを中心にグッセルの部隊を威嚇するように展開する。行動を共にしていたグッセルと対峙する事に多少の躊躇は見られるが、第二親衛隊の騎士達の気持ちはエリザと同調していた。
「ハッ、良いぞ! 良い余興だ! 私の部隊の戦果が増えるだけの事。いや、魔女を殺す以上の名誉はない。第二親衛大隊の小僧小娘をいくら殺しても、私の剣が汚れるだけか!」
エリザの離反に直面してもグッセルの表情から優位性は失われない。一部隊が寝返ったぐらいでは動じる程に、グッセルは生易しくない。
一方のエリザは勝算があってグッセルに敵対した訳ではない。目前で、クロトが腕を失うのを黙っていられず、突発的に理由を考えて動いただけである。エリザの赤い瞳は酷く強張っていた。
「そうだ。すべてはあの魔女が発端だ。唯一アレに感謝するとすれば、我々が真に仕えるべき主を気付かせてくれた事だろう。半魔共の一掃も、アレが王宮から逃げ出してくれたからか」
クロトは、ガーネットに対するグッセルの度重なる中傷に頭髪を逆立てていた。ようやく確信したが、グッセルはガーネットの正体を知っている。どこで知ったかは分からぬが、知ってしまったから存分に詰っている。
女王を中傷。
それだけでも重罪だが、グッセルはガーネットの殺害を望んでいる。仮面の暗殺者と同じく殺意を実行に移し、自らの手でガーネットを殺そうとしている。ハーフデモンの森のような辺境に現れたのも、それだけが理由だと言いたげだ。
「クロトよ、言え、言うのだっ! アレは今どこで震えているのだ? 少ない手勢の奇跡の勝利を信じて、半魔の巣の片隅でビクビク震えているのだろ?!」
「違うッ、ガーネット様は違う!」
「アレの醜い洟垂れ顔を見せろ! 玉座から見下ろしながら私の誇りを詰ったアレの顔を――」
「――ヒトの事をアレ、アレと。森林浴が豪雨のバーベキュー並みに不快になったわ」




