3-6 クロト前線へ
クロトは地図上の駒を動かすたびに思案する。
今の所、味方に目立った損害はない。作戦は予想以上にうまく機能している。
反面、予備兵力を温存しておく余裕がない。一つの分隊の損失が戦況を左右してしまう危うい状態でもあった。
クロトは参謀役の長身女性騎士、モニタと共に戦力配分に苦慮し、線のように引き伸ばした影を通じて各分隊と連絡を取り合っている。
そうして戦闘を続けていたのだが、敵の動きを察知していた数騎よりの報告を統合し、クロトは呟いた。
「……敵の動きが変わったな」
「敵戦力は森の各地に広がっていますわ。撹乱作戦はもう少し有効かと」
「いや、これまでは我々の撹乱によって敵を遠ざけていたが、少し前からその速度が増している。意識的に広がっているとみて間違いない」
クロトは、影の机に広がた森の簡易地図を見下ろす。数が少ない黒の駒と、隊列を組める程に数ある赤の駒が入り乱れている。
戦闘開始の初期段階では、黒の駒は密集する赤の駒を一つずつ誘き出す事に専念した。闘鶏の羽を一枚一枚、毟り取る地道な作業であったが、クロトの指揮の下、護衛騎士達は敵の誘導に成功する。
……しかし、体勢を立て直すのに十分な時間が経過しても、敵は分散したままだ。むしろ積極的に誘導部隊を追うようになっているとクロトは感じていた。
肥大化した戦線は破裂寸前の風船のようだ。
「こちらの戦力を見透かされたか。そろそろ――」
「クロト隊長ッ、西区域より新手。一直線に南区域を目指しておりますわ!」
「――レイピアの刺突よりも鋭い一団が現れるぞ」
地図を覗き込む姿勢を止めて、クロトはディを呼び出す。このまま前線に向かうつもりである。
「隊長自ら出陣しなくともよろしいのに……」
一人残されるモニカは恨めしそうに呆れている。出撃して部隊の仲間と戦いたい気持ちはモニカにも存在するが、通信伝達技能はモニカの得意分野であるため動かせない。
「自分以外にもう余った騎士がいないからだ。部隊指揮は任せたから、各分隊に現状を維持させろ」
司令官自ら前線に赴く状況は負け戦の必須事項の一つである。また、敵に戦力を見透かされた状態で部隊を小さく分けたままにしておくのは、各個撃破への序曲である。
クロトは己の無能振りに嫌悪感が高まる。とはいえ、焦燥感は意外にも薄い。
これはきっと、雇い主たるガーネットに、死んでいいわよ、と命じられていないからだろう。
死を命じられていない。護衛騎士達にとってそれだけが、この戦場における唯一の希望だ。
クロトが前線の味方と合流するのと、敵の新手部隊が出現するのはほぼ同時だった。その速度、万能機動力を有する第二親衛大隊に匹敵する突出力である。
「第二親衛大隊の名を辱めた怨敵! 素直に姿を――ッて、クロト?!」
それもそのはず。
濃霧の中から浮かび上がった敵も影の魔獣を使役する第二親衛大隊の騎士隊だ。
「……貴方は、マジで、何しているのよ」
しかも、先頭で隊を率いている赤毛の女騎士は、クロトの学友にして同期同門の騎士でもあり、最も付き合いの長いエリザだ。
クロトの個人的感想として、エリザとはそう悪くない友人付き合いをしていた。世話焼きなエリザの助言に助けられた機会は少なくない。どうして、部屋の掃除までしてくれるのか理解できていないが、クロトが最も信頼を寄せる騎士であるのは間違いない。
「何しているのか、分かっているの!? クロト小隊長!」
怒気を醸すエリザを目撃しては、今でもエリザの方がクロトを友人と認めているか自信を持てない。
「その言葉、そのまま問い返そう。ガーネット様の遊山を乱す無礼、同じ第二親衛大隊として恥ずかしく思う」
「同じ第二親衛大隊? ハッ、白々しい事を言うようになったわね、クロト。てか、ガーネットって女、誰よ!」
エリザの怒号で、一瞬だけ半魔の森が常の静寂を取り戻す。
「……いや、まぁ、自分もつい最近まで名前を教えてもらえなかったのだが」
「歯切れが悪い言い方、らしくない。いえ、まさかクロトが第二親衛大隊を裏切るなんて想像さえできなかった。さっきまで有り得ぬ誤解と信じていたのに……、このっ、裏切り者! しかも人外の敵に付くなんて」
「誤解という言葉もそのまま返す。エリザ、その剣は誰のための物か、熟慮しろ」
クロトはディの背から抜き取った剣の先を、エリザに向ける。
瞬間、彼女の後方に控えていた騎馬が突撃の構えを見せるが、エリザの静止によってその場に留まった。錬度、連携、共に良い部下達だ。
「誰の騎士に剣を向けているかも思い出せ。自分も可能であるのなら、エリザと対峙したくはない」
「裏切り者が騎士道を説くか。それとも暗に次代女王が人質であると脅し、デモンの加護に慢心しているのか。落ちに落ちたものね」
「酷い曲解だ。二つ訂正しておく。一つ、里に純粋なデモンは存在しない。二つ、あの方に仕えていると慢心とは正反対に、心労が溜まる」
人質の部分は的外れではないので、クロトは訂正しない。ガーネットは里に囚われている。
遠回しな会話に焦れているのか、エリザは肩を細かく震わしていた。クロトも主人を真似した言葉遊びでエリザの怒りを買うのは心苦しい。
しかし、エリザの言葉から状況を把握するのも大切な戦術行動だ。
「……里の外では、我々は裏切り者になっているようだな」
「里を滅ぼすために、森の外に二十万の兵士が集結中よ。クロト……お願いだから私に討たれて。王都の広場で斬首なんて不名誉だけは避けてあげるから。大丈夫、痛いのは一瞬。首を斬られた経験がないから知らないけど」
「不幸な友人を持ったな」
誰が不幸なのか、クロトは悩んだ。
エリザは単騎で歩み出て、クロトとの一騎打ちを宣言する。裏切りの汚名は愚かな旧友一人に被せて、旧友の忠実なる部下達の生命を保障する。エリザなりの心配りである。
律儀な心配りに苦く笑い、クロトも二騎しかいない部下に待機を命じる。せっかくなので、エリザの誘いに応じてみる。
馬上試合を演じるには狭苦しい木々の合間で向き合い、お互いに剣を顔の前で構えて礼を行う。
後は落ち葉が落ちるような切欠を合図に、決闘を開始するだけであったが――。
「何をしておるかッ!!」
――霧を切り裂き、樹海を走破し、怒号を発する巨漢が私とエリザの戦いに割り込んだ。
横合いより、大きく振られたロング・セイバーが急襲してくる。クロトは首の皮一枚という危うさでかわしたが、刃から延長して伝わる剣圧に背筋が冷えてしまう。
乱入者に対して、即座に影のナイフを投擲して反撃する。が、クロトの拙い反撃は先読みされており、易々と掴み取られてしまった。
「貴様は護衛騎士だな。王国の害虫たる半魔を敬う逆心者め」
クロトは目を見張る。技量と金の騎士団印章から、新手の正体を読み取ったのだ。
現れた敵は、第一親衛大隊の騎士。
「さあ、言うのだ。国と王族の伝統を穢したアレの居場所を!」
整えられた顎鬚が癪に障る。
この巨漢の騎士とクロトとは食の好みから心の筋の数に至るまで、一切合財、万遍なく合致しないだろう。何よりも尊ぶべき者の選考基準に絶望的なズレがあり、クロトは瞬時に髭男を嫌悪した。
嫌悪すべき点が多過ぎるため、第一親衛大隊の騎士の癖に強いという特徴は、そう目立った悪点ではない。




