1-1 誕生日まで、三週間
「クロト・フットが率いる第二親衛大隊所属、第十八番小隊全二十五名、次代女王陛下の命に従い、ここに参上しました」
後宮の深部にて、着任の儀が行われていた。
そこは窓がない。装飾品がない。広さに反して入り口が酷く狭い。
好感触に取られるならば、防御に向いた部屋である。入り口さえ固めてしまえば他に侵入可能な穴がない。壁も天井も石材でできているので通常の方法での侵入は難しい。脱出できないのが致命的だが、その代わり千の大群に攻め入られたとしても一個中隊だけで数分は防げる。
先代の悲劇と次代女王の立場を考えれば、身の安全は何よりも優先されるべきなのだろう。だからこれほど強固な部屋を仮の玉座として選んだと思われる。
しかし――ここはまるで物置部屋か、倉庫そのものだ。青年の素直な心には、そんな感想しか浮かばない。
質素倹約を心がける女王は、農民出身者には好感触だろう。が、赤い絨毯を取り除けば、空の倉庫と見分けがつかない部屋に住む者を女王と称えるのは難しいのではなかろうか。
……いや、絨毯以外にも余計な物は存在する。
「ようこそ、クロト・フットとその若い騎士達。これより私の身辺警護、後宮内在住、各種必要経費の申請を許可するわ。私から命じたい事は沢山あるけど――」
赤い絨毯に膝を付き、頭を下げている青年の名はクロト・フットという。
戦闘の邪魔にならない程度に整えられた黒髪を持つ、黒い甲冑の男である。平均よりやや背が高いぐらいであり、それ以上の特徴はない。
「――ふふっ、とりあえず前任者よりも長く仕えられるよう色々とがんばってみて、とだけ激励しておくわね」
クロトと次代女王との間には、倉庫を二分する面積の薄布が存在した。生地は薄くても、紫色に染められた布越しでは次代女王の顔を拝見できそうにない。
謁見のための玉座にカーテンなど、鎖に繋がれ放置され、餓死寸前に宮廷料理の匂いだけを嗅がせる程の理不尽だろう。麗しい少女の声だけは何に邪魔される事なく聞こえるが、これだけ近くにいて、美声だけで満足できるはずがない。
クロトは不満を、眉毛を曲げる事で表現した。今回の着任を不審に思いながらも、クロトは次代女王の護衛を楽しみにしていたのだ。
次代女王は一度も国民の前に現れた事がないため、一部の貴族を除いて、誰も彼女の尊顔を知らない。親衛隊の大隊長さえ拝見を許されていない。王族の警護にしても過剰だが、この国にはもう一人しか王族が残っていないため、それでまかり通っている。
しかし、最も身近で警護を行う事を許された護衛騎士ならば仕事柄、次代女王の顔を誰よりも近くで拝めるはず。
クロトはこう期待して、見事に裏切られたのだった。
きっと厳重な警備のため、と半ば無理やりクロトは納得する。守るべき相手の人相を知らない警備上の利点は全く思い付かないが。
問題は警備の話だけではない。小隊長であるクロトは、部下達の動揺も留意するべきだ。
クロトと同様の期待を抱いて現実に落胆したのならば、部下の士気は大きく下がっているはず。
ここ数ヶ月の間、クロトは心を鬼にして部下達を鍛え上げたが、クロト小隊は――クロトを含めて――とても若い。年の功だけは訓練では養えない。騎士道と精神面の強さは別次元の話なのだ。
「はっ! 護衛騎士に抜擢されたからには、例え布越しであっても、我等はどのような害悪からも次代女王をお守り致します」
人見知りが激しい女王に対し、クロトは率直な宣誓を行った。王族を相手に、それも初っ端から危険な賭けに出てしまった気がして喉を乾かすが、一度言葉してものは飲み込めない。
カーテンの向こう側の少女は……、ふふふっと嬉しそうに小さく笑う。
「仕事は自由にやってもらって構わないから、許可が欲しければ随時相談しなさい。面白い事を発見したら即報告。逆に、私が話したい時はクロトが代表して馳せ参じるように」
人見知りにしては妙に馴れ馴れしい態度だった。さっそく、次代女王は家来の名前を敬称なしで呼ぶ。
この瞬間、クロトの中で次代女王に対する第一印象が決定する。
布越しに拝聴する声は十代中盤の少女のものであり、それ相応に朗らか。相手を嘲っているような態度も、深い部分で相手を期待する気持ちが混じっている。
つまり少々性根が歪曲した妹というのが、クロトの正直な感想だ。
「ふふ、気になっているようだから言っておくけど……。まだ私、姿を晒すつもりはないわよ」
しかし同時に、次代女王はどこか毒々しくもあった。
次代女王が住まう後宮は、彼女の伯父に当たるウェールズ公爵が管理している。
王族の所有物である後宮を、血縁とはいえ公爵が管理しているのは異例の処置だ。まだ幼い次代女王に大人の仕事を任せるのを不憫に思った公爵が、些事を代行しているのである。
少なくとも国民はそう思っている。
これまでもこれからも、次代女王が成人するまでは公爵の私兵が警護を行う。
よって、護衛騎士という国の習慣は、習慣以上の意味を持たない。クロト小隊は後宮の警護において余分な人員だ。
しかし、次代女王の勅命によって動く護衛騎士に求められる仕事は、ただの警護とは意味合いが異なる、はずだ。
剣を持たぬ彼女に代わって我々が剣を振るい、女王の願いを叶えばならないはず、なのだ。
クロトは私室にて、そう自分に言い聞かせていた。
「……とはいえ、自由にやれという命令だけでは身辺警護ぐらいしか思いつかん」
隊長特権たる一人部屋にて、クロトはどう部下を動かすべきか大いに悩んでいた。
護衛騎士に大抜擢されたからには何か大事に関わりたい。とはいえ、命令がなければ何もできない。
お飾りの部隊と言われればそれまでだ。が、クロトとしては、二十歳を超えたばかりで井戸端会議を待ち侘びる老人のように、暇を持て余したくはなかった。
「王族の飯事に付き合うのも御免こうむるが」
私の独り言が木霊す個室にノック音が響く。
入室したのは小隊副長のヘイルストーンだ。彼も他の騎士同様若い。クロトよりも一歳年下の線の細い眼鏡男子である。
クロトとしては能力が優れているから副長に任命しただけであり、それ以上の深い意味はない。そう思わない下世話な者達は、クロトの性的趣向を疑っていたが。クロトはノーマル属性であるが、男色など珍しい話ではないので放置している。
眼鏡越しに覗えるヘイルストーンの瞳は、雪解け水よりも澄んだ色をしている。
「クロト隊長。各分隊の部屋割りは速やかに終了しました。王宮に住めると、皆はしゃいでいます」
「……そうか、ここも王宮の一部だったな」
クロトは副長の言葉でようやく気付く。内装が寂れていたので認識できていなかったが、この私室も後宮の中に存在する。
城下町に面した煌びやかな城を表面だとすると、王宮の奥に隠された後宮は仄暗い裏面である。建物の素材は光沢を放つ程に贅沢なのに、住んでいる人間が少なく物寂しい。清掃も行き届いているとは言い難い。
「あの、クロト隊長に一つ確認事が」
「部隊に不備でもあったか?」
「いえ。私は今回初めて主従関係を結びましたが……。主とは、顔を見せないものなのでしょうか?」
「さあ、な。私も経験は浅い。だが、大方の貴族は顔を見せたぞ」
「王族特有の家風でしょうか?」
クロトの事前学習では、そういう注意事項はなかった。むしろ、君主という人種は、威厳を振りまく事で騎士を労わる人種であったはずである。もちろん、絹一枚で威厳が減衰してしまう主に仕えたいと、クロトは願わないが。
……ふと、クロトは自己完結する。そういう意味では次代女王は有望なのかもしれない。こう思えたからだ。
顔を見せない事に対するクロト小隊の動揺を、あの毒々しい妹のような少女は面白がっていた。
「やはり、皆は戸惑っていたか?」
「それはもう。次代の女王は後宮に篭ったまま、一部の貴族を除いては誰も素顔を知らないのです。しかし、直属の護衛ともなれば限りなく近い距離で容姿を拝見できる。……私も、そう期待していた一人です」
確認するまでもなかった。クロトが予測した通り、部下の士気は減少傾向にある。
上官たるクロトが話し相手だからだろう。ヘイルストーンは副長としての役割を一旦忘れて、胸の内を明かす。仲の良い強大の弟が、兄に対する話し方に似ている。
ヘイルストーンはクロトを尊敬しているだけであり、他意はない。
「王族に生まれる者は等しく見目麗しい。黄金色の髪は清流、穢れを知らぬ白肌は初雪の如き。王国に眉目秀麗な女性は多かれど、女王に勝る者なし。こう聞き及んでおります」
「君主が絶世の美女であるか否か、不安か?」
「艶やかな声から想像するに、噂に偽りはないかと。それだけに不満が残ります」
そうだな、とクロトはヘイルストーンに同意しておく。
ヘイルストーンの見解はさておき、一千万人の統治者としては容姿も重要だろう。しかし歴史上、国を十二分に統治できる器量を授かっていない美女ほどに不憫な女王はいない。先代の女王が悪い例だ。
「部下には不満を感じる暇を与えない方が良いか。副長、すぐに警備を開始させろ。スケジューリングと配置は一任する」
「了解、任されます」
「後宮の内部は予想外に立哨が少ないから気を使う事になりそうだ。特に重点を置くべきは――」
注意事項を数点付け足し、クロトは副長の退室を許す。
クロトも部下と共に後宮の内部構造を頭に叩き込む必要があったが、ヘイルストーンには後から出向くとだけ伝えた。
扉が閉められ、再び私室で一人になった途端、クロトは背中を椅子に預けて天井を見上げる。そんな体勢のまま、しばし黙思する。
いくつか推測を行うが、どれも的外れな勘繰りでしかなかったので破棄。
次代女王が年相応の少女であるというツマラナイ予想。これも破棄。
クロトは黒い篭手を指で叩いてリズムを取りながら、いくつもの思考を破棄していく。ある謎の答えが、どうしても納得できないのだ。
頭の中に何も浮かばなくなったクロトは、ついに、不満気に言葉を溢した。
「何故、次代女王は姿を隠すのか? 隠す程の理由があるというのか」
答えが無性に気になったクロトは、気合を入れて椅子から立ち上がった。