3-2 のどかな里の農夫
良質な日光、清涼な大気、養分に富んだ土地。この三要素に恵まれた村は農業と精神静養に向いている。山の尾根まで繋がる山村風景は実に穏やかだ。
時間が停止した長閑な景色を前にしては、誰もが否応なく安堵してしまうだろう。
「心が強制的に潤う感じ。避暑地として悪くないわね、女王御用達にしちゃおうかしら」
「太陽の輝かしさにウンザリしながら言われましても。簾を下ろしましょうか」
「吸血鬼に日光浴を楽しませるのと、料理長に料理をした事のない母の味を再現させるの、どちらが難しいのかしら?」
ガーネットの実現不可能な問いに対し、ガーネット様に仕えるよりは容易、と回答してから、クロトは竹製の簾を下ろして日光を遮った。室内はかなり暗くなる。
クロトとガーネットは、平穏な村の平凡な木製家屋で寛いでいる。
クロトとしては、見慣れぬ様式で建てられた家に好奇心を覚えなくはない。次代女王が宿泊する施設としては相応しいか、そんな邪な考えは業務に戻ってから悩めば良い。
「そろそろ、教えていただけませんか?」
しかし、忘れてはならない。
この山村こそが王国から恐れられている、ハーフデモンの隠れ里である。ガーネット御一行は避暑地に逗留しにきた訳ではない。
人生に疲れている人間だけが別荘地で安らぐ資格を持っているとすれば、日々を満喫しているガーネットは該当しない。そもそも、引き篭もりは旅行しない。
「何を、が抜けているわよ。心当たりが多くて見当付かないのよねぇ」
「教えていただきたいのは、隠れ里を訪れた理由です。ガーネット様は後宮を襲撃した三人組に賭けを持ち掛け、勝利した場合、里へ客人として招待するようにと脅迫したそうですね」
賭けの内容は、迷惑にも護衛騎士との対決である。
クー、マチカ、モルドの三名は、次代の女王がハーフデモンと知らずに暗殺しようとした。しかし予想外にも次代の女王は彼等と同種で、行動理念や根本はガーネットの正体発覚と同時に崩れ去る。
隠れ里の者達は新女王誕生を人間との再戦、女王の敏腕ぶりを証明するデモンストレーションとしての軍派遣とネガティブに考えており、人間の統治者にハーフデモンが就任するというポジティブを調査していなかった。
状況の好転による暗転に付いていけず恐慌状態に陥っていたマチカに、ガーネットは迷子になった子供を騙す魔女の笑顔で提案したらしい。
『私の騎士と勝負してみる? 勝負するなら今回の事は不問にしてあげる。もし私の騎士が勝利したなら……貴方達の隠れ里に興味があるから連れていきなさい』
「あら、私が把握していたのはクーとマチカの二人だけよ。モルドは、まぁ、戦闘能力的に良い隠し玉だったわね。それに脅迫なんて可哀想な真似、泣き顔になっていたのにできたと思う?」
どこの誰が、泣き顔なんていうか弱さを見せていたというのか。
クロトは少年クーが順当だと思いつつも、違うだろうと直感していた。ガーネットの興味を惹くにはクーの泣き顔はレアリティが低い。
「まー。隠れ里、と言うよりも私の同種、デモンと人間の混種に興味があった。これは否定しないわ」
「戦闘を条件にしたのも、それが理由ですか」
「ハーフデモンの力量を知るためだけに私の可愛い騎士に命を張らせるなんて、酷い誤解! 私は捨て駒も有効活用する主義なのに」
ガーネットは演技過剰にうな垂れて、目を潤ませる。観客たるクロトが無反応だったため、即座に飽きて背筋を伸ばしたが。
「戦闘させたのはハーフデモンだけでなく、私の騎士の実力を把握するためよ。まったく、雇用者は大変だわ。雇い入れる人間の能力を把握しておかなければならないなんて」
「自分は命懸けでした」
「次代の女王に見初められるのに、命ぐらい軽いものでしょ」
ガーネットの言い分は尊大であるが、間違いではない。
親衛隊にとっての一番は女王であり己の命は二の次である。これは命を蔑ろにしているという意味ではないが、女王のために死ねるのは騎士として本望だ。
……もちろん、これは理想の話である。
過去はそうであったかもしれないが、近年の親衛隊は女王を知らない。命を賭す程の忠誠心は忘れ去れており、小娘の我侭にはストライキを起こしかねない。
今回の身内を試すようなやり方は、ガーネットの趣味に合致していても、クロトの趣味には合わない。ガーネットを崇拝しているクロトとて、腹を立てていない訳ではなかった。
「それとも、クロトは私のやり方に不満でもある訳?」
「――いいえ。ガーネット様ならばやりかねないという疑惑を胸に秘め、戦っておりました」
ガーネットにとって人間は他生物、知性を持った雑食性の動物に過ぎない。人間を嫌悪している訳ではないのだが、贔屓する事はありえない。特別な感情がないという点では無関心に近いものなのか。人間が猿を見るように半魔の少女は人間を観ている。
だたし、最近ガーネットの中では変化が起きている。虫にも害虫と益虫がいるように、人間の中にも有益な者がある事を学んでいるのだ。
護衛騎士は有益人間の筆頭であり、部隊長たるクロトは、可愛がれば働く他生物ぐらいには思われているのだろう。
「ふふ、なかなか良い心掛けだわ。私が所望している騎士にピッタリ」
飼い始めたペットが甲斐甲斐しい、そんな口元が歪んだ笑顔でガーネットは笑う。
「敵に対しては一歩も退かず、味方に対しては一歩引いた目で見てやる。その信条は尊いわ。クロトは時々私に無礼だけれど順応だから素敵ね」
褒められた気分にならないのに、褒められた相手がガーネットというだけでクロトは恐縮してしまっている。やはり、己は破廉恥な人間なのだと、クロトは自覚する。
「……それで、里を訪れた感想はどうです?」
「せっかちねぇ。まだ来てから半日よ。午後には長老と会談できるらしいし、今日ぐらいは強行軍で疲れた身体を休めてなさい」
話は終わり、とガーネットは顔を逸らしてクロトの退席を促した。里から提供された伝記の流し読みを開始したので、会話は終了してしまう。
クロトはガーネットの考えを聞けたので、用事を失って家屋から出て行く。
一礼する際に見えたガーネットの小顔は、年相応の笑顔で満ちていた。
「へぇー、これが私の同種の歴史。奇天烈な割に安穏としたものねぇ」
これまで人間という他生物の中で育ったガーネットにとって、同種の存在はさぞかし興味深いものなのだろう。
ガーネットが滞在している家屋から護衛騎士の拠点までは、少し遠い。
家屋が密集している地帯から里外れへと歩く必要があるのだが、道中、細心の注意が必要だ。田と田を区切る小道からはみ出さないよう、怪しいと疑われぬよう、直進しなければならない。
不審な行動は、命に関わる。爆発性の罠を恐れるかのように、クロトは道の真ん中を歩き続ける。影の中に飼っている愛馬も、足元から伸びないよう言いつけていた。
鮮やかな彩色の野花で彩られた里は静かだ。一見、どこにも帯刀した騎士が怯える要素はないように思える。危険なものは何も見えない。
その代わり住民も発見できない。里内は疫病が流行った後のような静寂に満ちている。あるいは、獣が獲物を仕留める直前の殺気を押し殺した無音か。
ちなみに、護衛騎士一行に宛がわれた土地は、ただの野原だ。隔離と保護、二つの理由により出入りを禁止されている。
隊長のクロトは例外的にガーネットと謁見できたが、妙な行動を取れば部下達に危険が及ぶのは間違いないだろう。狼に囲まれた羊の絵が脳裏に浮かんで、クロトは足を速めた。
見えてきた拠点では、テントが組みあがっている。クロトの部下達は、ピクニックを楽しんでいる様子だ。
クロト小隊は隊長の帰還に気付く。気持ち程度に儲けられた杭の境界線に沿って隊列を組み、出迎えた。
「ガーネット様から指示を仰いできた。当面は……待機、英気を蓄えろとの事だ」
ガーネットの言葉をクロトなりに翻訳し、部下に伝える。ニュアンスは正しい。
「野営準備は進んでいるようだな。とりあえず、昼食を取るか」
「よー、クロトはいるか?」
青空の下、和気藹々《わきあいあい》と雑草スープに舌鼓を打っていた騎士団に来客が現れる。
来客は鍬を数本束にして担ぐ大男である。具体的にどれだけの大きさかと言うと、設営したテント越しに頭が見えてしまう程の大きさだ。ディに騎乗したクロトでようやく水平に対面できる身長だろう。
「飯を食っていたのか。なら、少し待とう」
「いえ、食べ終わった所ですが……」
大男の見た目は――並の騎士を凌駕する体格を除けば――麦わらの農夫でしかない。
だが、ただの農夫であるはずがない。そも、この里に護衛騎士以外の人間は在住していない。
何より怪しい点は――。
「……自分と貴方、どこかでお会いしましたか?」
――初対面でありながら大男はクロトの名前と顔を知っている。
訝しげな表情を見せるクロトに対して、大男も不審な顔を見せる。
大男は木の幹のような首を回して思考を巡らせていたが、数秒後、何かに合点がいってはにかんだ。
「なるほど、死闘を繰り広げた間柄でも、人に擬態していたら分からねーよな。といっても、これも俺の姿である事には変わりないのだが」
大男の笑みはごつい表層筋を押し上げて深まる。
「背格好は縮んでいるが、俺はモルド、大土竜のモルドだ」




