2-6 白い翼にさらわれる
「クーから離れろ、人間!」
石材ブロック製の天井が砕かれ、怒号と共に何者かが落ちて来る。これがクロトの最初の直感だ。
そんな馬鹿げた現実はないだろうと、クロトは上方を目視するが、実際に、青年の脳天を目掛けて巨大な鉤爪が落下していた。
想像の範囲外からの奇襲だ。建物の構造を破壊して、玉座の間に侵入を果たすなど最早暗殺とは呼べない。解体屋や工兵の生業だ。
混乱が加速する頭に代わって、クロトの体は反射的に回避行動を取る。ディの警告を無条件に受け入れたらしい。影を介して繋がる第二親衛大隊の騎士には、こうしたタイムラグなしの意思疎通が稀に発生する。
今回、クロトは完全にディに助けられた訳であるが……もう半歩、足りなかった。
「翼で吹き飛べッ」
大人一人を丸々包み込める巨大白翼が、クロトの体を薙ぎ払う。
翼というよりも大剣の一撃だった。本来は大気を切り裂くための宝剣が、騎士を黒い甲冑ごと粉砕するために振るわれる。
胸部に強力な打撃を受けたクロトは一度床を跳ね返る。勢いが止らず、玉座の出入り口近くまで滑走してしまった。
受身など取れたはずがない。受身どころか打撃が命中した瞬間、肺と心臓が外部から無理やり伸縮されて気を失いかけた。
苦しくて触れた胸のプレートに、深い溝が走っているのをクロトは知る。
「ちぃッ、人間の癖にしぶとい」
鎧と地肌の間の影にディを纏わせて、どうにか衝撃を半減できたらしい。そうでなければクロトは即死していたはずである。
「マ、マチカさん?! まだ空で待機しているはずじゃ」
「とっくに時間切れだ! 合図がないからこうして突撃するしかなかった。絶対に失敗できないのっていうのに、役立たずのクーっ!」
有翼の襲撃者は床に張り付いた少年を言葉で詰りながらも、翼で優しく包んでいる。
襲撃は二人で行われる予定であったのか。最初に偵察に長けた者が出向き、戦闘に長けた者を誘導する。そんな所だろう。
「それがですね、マチカさん。天井から下りたまでは良かったんですけど、次代女王は留守でした。そんな時にノコノコとこの騎士さんが現れてしまって。暗殺の邪魔になる人間はマチカさんが殺しちゃうかなー、と危惧したんですよぅ」
「それで、殺さず捕まえようとしたんだな? 結果、返り討ちになったんだな!」
「いやー、助かりましたーっ」
「人間の心配なんかするからだ! オレもクーも、姿見られたら暗殺の意味がないだろッ。結局コイツは殺すしかない」
コイツとは、もちろんクロトの事である。
翼の生えた半魔は雄大に両翼を広げて突撃の体勢に入る。
クロトは血を床に吐きながら立ち上がると、影で出来た剣を構えて応じた。
「次で殺してやるからな、人間!」
奇妙であるし、不謹慎でもあるのだが、クロトは白い翼の女を酷く美しいと感じた。口調は荒く、瞳は猛禽類のように鋭いが、それが欠点とは言い難い。惚れてしまいそうな程に逞しい。
少年と同じ民族衣を背中の翼に合わせて修繕しているのだろう。肌色の締まった肢体が各所から覗いている。鬱陶しそうに長髪をなびかせる姿も様になっているか。
何より美しいのは人間では望んでも得えられない、異形の象徴たる白い翼だ。それを凶器に殺されかけたクロトでさえ拝められる。
例えるならば、天空に住まう女神。
「だが、女神だろうとデモンだろうと、ガーネット様の敵ならば斬り捨てるのみ」
実際には女神などではなく、恐らく少年と同じく魔人の血を受け継ぐ半人半魔。
「前口上は十分に済んでいる」
クロトはどれだけ女が美しくても斬る決意を既に固めていた。
胸の痛みが酷い。内臓の位置が移動してまた少量の血を吐いたが、クロトは完全に無視した。
相手が誰であろうと、どれだけ負傷していようと、関係しない。戦うべき瞬間に戦えないようでは、女王の騎士など務められない。クロトが仕えようとしている少女の未来には、舗装された安全路はないのだ。茨の一本道である。
「さっさと掛かってこい、翼女!」
だからクロトは、口から血を垂らしながらも翼の女と対峙した。
有翼女とクロトの間で殺気が渦巻く。少年は怯えて後退する。
もう誰にも殺し合いを止める事はできない。
「騒がしいわねぇ、私の部屋で殺し合い?」
……玉座の正当な主たるガーネットを除いて、という条件付きであったが。
「ッ! ガーネット様?! お下がりください」
「んー、もう部屋に入っちゃったから遅い。それに……へぇ、珍客来襲って訳」
ガーネットは妙に落ち着いており、優雅な仕草で二人の襲撃者を眺めている。硬質な角を黒く光らており、不敵な少女の表情には一握の動揺も見受けられない。
むしろ、激しく動揺しているのは襲撃者側の二人の方だろう。ガーネットは普段通りの色気と飾りの少ない毒々しい色合いのドレスを着ていたが、ガーネットの褐色の肌には酷く似合っている。
だというのに、少年と有翼女にはガーネットの容姿が酷く珍妙に見えているらしい。
「ど、ど、どういう事だ、クーッ!!」
「は、はひぃぃッ、マチカさん?!」
「どうして王宮にハーフデモンがいるんだッ。調べてなかったとは言わせないぞ」
「この建物は王族の所有物なので、内部には次代女王とその護衛騎士しか住んでいないはずです。で、今となっては信じたくありませんが、女の子は次代女王だけです!」
敵陣の真っ只中で、有翼女が少年を糾弾し始める。会話から察するに予定外の状況に追い込まれているらしい。
ガーネットがクロトの背中に近づくと耳打ちする。声量は落としていないので、侵入者二人組にあえて聞こえるようにしているのは明白だ。
「呆れたヒト達ねぇ。……あの可愛らしい男の子は、飼い慣らしたくなっちゃうけど」
「早くお下がりください。ここは自分が防ぎますので、ガーネット様は近くの騎士に保――」
「顔を確認してなかったから、ハーフデモンだと気付かなかったッ?!」
翼女の驚愕が部屋を揺るがし、クロトはガーネットへの退避勧告を中断してしまう。
改めてクロトは口を開いたが、今度は少年の泣きじゃくりに阻害されてしまった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ!!」
「馬鹿クーッ、大馬鹿クーッ!」
「ですけどっ、マチカさんだって、まさかのまさか、次代女王がハーフデモンだったなんて思わなかったはずですよね! 後宮で一番感の鋭い人が次代女王で、その感の良さがハーフデモンだからだったなんて、僕ものすごく納得している所なんです! 天井に潜んでいるのに発見されそうで、とても不思議でしたよ!」
「暗殺対象の顔ぐらい確認しておけーッ!」
二人があまりにも喧しかったからだろうか。いや、きっと会話の内容がループして鮮度が失われ始めたからだ。
「はい、ストーーップ!」
ガーネットが不毛な会話に割り込んでしまう。
「大いに混乱しているのは分かるけど、結局、貴方達はこれからどうするつもり?」
ガーネットは一歩進んでクロトと並び、更に一歩勇み出て、好奇の目で同種を見詰める。
「このまま大人しく拘束されてくれるのかしら。それとも、ここの騎士全員と戦って討ち死にしてみる?」
有翼女の怒号は玉座の外部にまで響いていた。怒号が聞こえて放置するような護衛騎士はいないから、玉座の扉が勢い良く開かれる。各所から集まった護衛騎士が駆け込む。
クロトの部下達は有翼女の大きな白翼と負傷したクロトに一瞬たじろぐが、各人の役割を忘れない。ガーネットと混種の二人組を隔てるように陣形を組む。
「…………いや、虜囚にも死体にもならない」
多少なりとも冷静さを取り戻した有翼女がガーネットへと返答する。
有翼女は少年と目配せをした後、翼を限界まで高く広げて鋭い視線を放つ。
「尻尾を巻いて逃げるって訳。あ、確かにそこの男の子には尻尾があるわねぇ」
「ああ、オレとクーは逃げる。ただし――」
白い翼が羽ばたき、瞬間的な暴風が生じた。
風は牽制のためではない。有翼女の羽ばたきは純粋に飛翔するためのものである。
「――同種たるハーフデモンを置いては行けない! 一緒にきてもらうぞ、次代女王」
有翼女は、窮屈な玉座の内部でも器用に飛び立つ。と同時に、ガーネットに向かって滑空を開始する。
これを迎撃するためにクロトを含めた騎士三人が向かい出た。
有翼女の飛行術は恐れ入るが、狭い室内では飛行ルートに限りがある。小さな燕を斬り落とすためには達人の域の剣技が必要でも、人間大の標的ならば若い騎士達の技量でも対応できる。
直進を続ける有翼女。最も生存率の低い選択肢だ。
クロトは細い剣を床に捨て去るが、迎撃を諦めた訳ではない。より強い武器を求めてディに念じ、足元の影から漆黒の長い棒を伸ばさせた。
棒を引き抜いて、円錐形状の大型武器、ランスを前面に構えるまで一秒未満。材料が己の影だからこそ可能な、重量を無視した反則的な武器装備が有翼女を待ち構える。
翼女は、突如現れた図太いランスに舌打ちする。
仕方がなく、翼の角度を曲げて……あろう事か、石の天井へと急上昇した。
その軌道は飛燕のごとき滑らかさを持つ。しかし、その本質は翼の強度を当てにした猪でさえも白目を剥く猪突猛進だ。翼女は翼を盾にして天井に突っ込むと、そのまま天井の石ブロックを粉砕しながら飛行を続ける。
落下してきた石の破片に翻弄される騎士達を尻目に、有翼女は強引にガーネットの目前に着地する。
「来いッ!」
両腕でガーネットを抱えて確保を完了すると、今度は初めから天井を破壊するつもりで有翼女は垂直に飛び立った。
唖然とした表情を見せながらも、クロトは天井の破片落下を無視して、空まで続く大穴の直下に向かう。
「デモンの混種は、ここまで滅茶苦茶なのかッ!」
大穴を越えた先にある上空では、白翼が上昇している姿を確認できる。
有翼女の脚にしがみ付いた、ブロックの直撃で傷だらけの少年が不憫に思えた。




