2-2 騎士は悩み、少女は動く。そして不審者は……
ガーネットへの質問を終えた後も、クロトはまだ苦悩し続けていた。
「……どうした、ディ。心配してくれているのか?」
クロトは嘆息した後、中庭で愛馬をブラッシングする。
実際の所、無形の生命体であるディに手入れは必要ない。馬に擬態させているが、ディの本性は影の魔獣である。クロトが常に魔力を提供しているので、健康に気を使ってやらなくても不調は起こさない。
……身体的には、であるが。
影のような存在とはいえ、ディにも心は存在する。タワシで甲殻を撫でてやれば気分良く尻尾を振り、一緒に中庭を駆けてやれば敷地が狭いとヘソを曲げてしまう。
愛馬とのコミュニケーションは、彼等の脚力を頼りにしている第二親衛大隊の騎士の日常であった。
クロトは、身を寄せる健気な愛馬の首をさすってやる。
「大丈夫だ。自分は悩んではいるが、次代は女王に相応しい人物だと考えている。あの暗殺者のように殺害を目論んだりしない。しかし……、今一番の不安要素は部下達か」
第二親衛大隊が酔狂な考えに至ったのは七年前の事だ。
“どんな環境でも機動力の落ちない兵馬”
当時はそれだけを望んで、魔獣にさえ手を出してしまったらしい。本当は容姿端麗なペガサスあたりを使役したかったのだろうが、好色家に戦術を仕込む前に、騎士の男女比率で計画は頓挫してしまったらしい。
苦心の末、どうにか要求仕様を満たす魔獣を森林地帯で発見する。
しかし、その魔獣は元々人間の影に寄生し、衰弱死させてしまうジャジャ馬。いや、馬の形すらしていない影の魔獣だったのだ。
影の魔獣が何故選考対象となり、採用されてしまったのか。
要求仕様を満たす生物が他になかったから、という消極的な意見もあるが、実際にディを愛馬としているクロトはそうは思わない。影の魔獣には利点が多いのだ。
例えば、調教次第で万能の機動力を備えた馬に擬態できる。この応用で、体の一部をランスや剣に変化させる事もできる。
更に、騎士の影に寄生させて養う影の魔獣とは、信頼関係の進展により感覚器官を共有する事も可能だ。深夜の暗闇の中でも、元が影であるディの目を通せば真昼よりも鮮明な光景を見渡せる。
これらの利点が決めてとなり、魔獣は馬として第二親衛大隊に採用された。
「特異な血筋のガーネット様を快く思っていない者が少なからずいるはずだ。当分の間、部下を監視しなくてはならない」
魔獣を寄生させる嫌悪感に、当初、多くの騎士が第二親衛大隊を見限る。
ただ、乗り手にはある程度の潜在魔力が要求されていたので、騎士の入れ替えは必要な処置でもあったようだ。農民の長男であるクロトが騎士の位を得られた理由は、その余波である。
身分不問の新人騎士募集。および、魔力が平均値を上回っていた幸運が重なった結果、クロトは訓練学校に入学できた。
「……半数かそれ以上の解雇を、覚悟しておくか」
第二親衛大隊の数年先を見越した改革は、現在、開花直前という状況だろう。
平均年齢が低く、新規に騎士の身分を手に入れた者が多い事から、第二親衛大隊は『お遊戯親衛隊』と他の大隊から揶揄されている。しかし、女王を失ってから遊んでばかりいた者共の野次など、虚勢を張る犬の喚き声にしか聞こえない。
親衛隊同士で争う事はまずないだろうが……。
戦場を選ばない機動力を有する第二親衛大隊は、他の大隊を圧倒してしまうだろう。
「部下といっても、同じ寮で育った仲間も多いのだがな」
ディがクロトを心配して、更に体を密着させる。尖った甲殻が刺さって少々痛そうだ。
「実を言えばな、ディ。自分は野心を持って、騎士になった訳ではない。長男の癖に家を捨て、路頭に迷って食う物に困り、無償食事付きの訓練学校に入っただけ。そのはずなのだが、ガーネットに夢を見てしまった」
同じ飯を食べて修練に励んだ仲間を捨てて混種の女王を選ぼうとしているクロトは、己を相当に破廉恥な男だと自覚していた。
「――――引き篭もり続ける事にも、飽きてきたかしら」
私はそう呟く。
日課である一人ボードゲームを楽しんでいる最中の、ふとした心情の変化であった。
「んー、これはきっと、クロトの言葉が原因ね」
期待された程度で嬉しがるなど、私もまだまだ幼い。
クロトはどうやら、私が女王に相応しいと本気で思っているようなのだ。王国の運営をしたいと希望した覚えはないのに、クロトは私が一番女王に相応しいと信じている。自分勝手に私を女王として認めてしまった。
ほんと、人間らしい排他的心理。
……けど、ねぇ。
排他的ではない人間などかつて存在しただろうか。真心にて他者を気遣っていると妄信している人間ほど、気持ち悪い生命体はいないのよねぇ。
「これは護衛騎士を欲した私の責任かぁ。公爵会の言いなりになっていても、もう女王にはなれそうもないし」
昨晩は一組目の暗殺者が現れた。
そして暗殺が失敗した以上、次はもっと大胆に攻めてくる。
今の私の立場で未然に防ぐのは無理だろう。相手は公爵会の裏をかき、暗殺者を後宮に送り込める実力を持っている。王族のみが知る中庭の井戸の隠し通路を調査できる辺り、かなり上位の貴族が協力している節がある。
私の予想では、これはただの暗殺事件ではない。
次代女王である私の殺害は、もっと大きな事件を起こすための準備に過ぎない。恐らくはお母様の時に起きた事の模倣か。
利口というよりも小賢しい。そんな相手に殺されるのは命の無駄遣い。
とはいえ、私は細腕の女の子。人間をからかうのは好きでも、暴力に打ち勝つ腕力はない。いちおう、最低限の護身のために一個小隊の護衛騎士を揃えたが、今確実に命令を訊く騎士はクロトだけだ。
「言いつけを守る騎士がたった一人っていうのも情けない。仕方がないから、少し遊んでみようかしら――」
自衛手段ぐらいは確立しておこうと決心した私は、玉座の外に控えている騎士を呼ぶ。
「――ねぇー、ちょっとーっ!」
半信半疑、そんな挙動と表情で騎士二人が入室してきた。
男女の組み合わせで、両人ともクロトと同じ黒い甲冑を着込んでいる。年齢は私よりも少し上、クロト以下ぐらいだろう。ほとんど同世代の人間と会話するのは――説教は除こう、あれは私の一方的な論破に近い――人生初だったりする。
「遅い! 呼んだら一秒以内にきなさい。そんな愚鈍な動きで次代女王を護れると思っているの? そっちの甘い匂い貴方、名前は? ……リーズ、良い名前ね!」
説教かと怯えている二人に対し、私は部屋の隅に積み重ねてある室内ゲームの山からチェス盤を発掘してくるように命じる。
「チェスぐらいできるわよね? え、知らない?? 剣だけ扱う筋肉質は私の騎士としては落第よ。次代女王直々に遊び方を教授してあげるから、もっと近くに寄りなさい」
第一の標的として、まずは髪を編みこんだ女騎士を選択する。彼女の、私の角を見てオドオドしている姿が田舎娘のように初々しく新鮮だったからだ。リーズなる名前を、さっそく覚えてあげるぐらいには第一印象は良い。
対面するのを憚り少し遠くに座ったリーズは、チェス盤を見て目を白黒させている。本当にルールを知らないようだ。
私は半分デモンではあるが、純粋な鬼ではない。手加減はしてやろう。
「私は、そうねぇ……クイーンとナイトを一騎、この二つだけでいいわ」
ハンディキャップとしては十分だろう。
何せ、これが私の現状だ。
少女の笑いと二人の騎士の悔しがる声が響く室内。
その天井の裏に、不審者が一人潜んでいる。
「……よく聞こえないけど、戦術論を協議しているような」
天井の造りは頑丈で、室内を覗ける隙間もない。
隙間があったとしても、この不審者には女の子のプライベートを盗み見る勇気が足りないので、分厚い石の天井越しに、微かに聞こえる会話を盗聴するのみだ。
「クイーンが突出するなんてありえない? もっと騎士を有効利用しなさい? や、やっぱり、戦争の話だ!」
不審者は神妙な面持ちで、フサフサの耳を石の天井に当て続ける。盗聴はエチケットに反しないと勘違いしているのか、気付いていないだけか。
盗み聞きした内容に驚いた声は、まだ声変わりしていない少年のものである。若々しく、可愛げもあるが、その分頼りない。
「大変だ! 王国が戦争で、僕達の里を攻撃するつもりだ!!」
ともかく、不審者な少年は、盤上のお遊びを本物の戦と完璧に誤解した。




