アリスの場合
初投稿です。
風に靡くと焔が燃えるがごとく光るその髪は、その深紅を目にした者たちの間で───味方には敬意、敵方には畏怖を込められ───〝炎髪〟と呼ばれていた。
炎髪の悪魔。それが二年間の軍務を経て私───アリス・フレイヴィアが得た渾名である。
焼き払うことしか能が無く、家族や友人もなく、ただ盗賊のように奪って殺すだけであった愚かな私を、軍の狗に取り立て、燻っていた炎の行き先を示してくれたのは、他でもないあの人。
魔術産業で多くの利益をあげ、短い期間で技術都市とまで呼ばれるようになった我が都市・ウィズダム随一の大魔導師。
私が軍務に精を出して遂に将軍にまで昇進を果たしたのも、彼の大事にするウィズダムに繁栄をもたらし、ひいては彼の恩義に報いるためである。
今回の調査はその彼の頼みだった。
『都市外西方の砂漠で、魔物の気性が異常なほど荒くなっているらしい。幸いなことに砂漠に住む移動民族は異変をいちはやく察知して安全な森に逃げているそうだが、このままでは砂漠を通る交易路が使えなくなってしまう。アリス、どうか君が調査に行ってはくれないか?』
二つ返事で了承したはいいが、現在の軍は治安維持のため大規模な定期調査団を近辺の魔窟へ向かわせてしまった。私の自由に使える人材はもはや残っていない。
しかし、私は特段それを問題には感じていなかった。何故なら、私一人でも魔物程度に引けを取ることはないと自負していたから。
───今となっては、迂闊だったと言わざるを得ない。
二日前、私は砂漠地帯へ一人きりの調査遠征を決行した。向かう道のりでは確かに魔物の気性が荒く、普段は私を見ると恐れるように逃げていく魔物たちが、錯乱したように襲いかかってきた。これは異常だ。私は原因を確かめるために砂漠へ向かう足を早めた。
砂漠に辿り着いたその日、思えば目的地への到着に少しの気の緩みが生まれてしまっていたのかもしれないが、私は大量の砂蠍に襲われた。そこまではいい。その程度の魔物に引けを取る私ではない。だが、周囲の砂ごと焼き払って、辺りにこんがり焼けた死体の山を築いたのがいけなかった。
さらに危険度の高い、砂蠍を捕食する魔物・砂地獄の群れが、あろうことか私の周りに散らばる美味しそうな焼きサソリを一斉にその穴に引きずり込んだのだ。
かくして私は愚かにも自らの墓穴を掘ってくれる魔物どもに、焼きたての餌をばら撒いたのであった。
足場を失った私は底無しの砂の中へ滑り込むように落ちてゆき、今に至る。
ぼんやりとここまでの経緯に思いを馳せていた自分の意識に喝を入れる。そう。今はそんなことをしている場合ではないのだ。
現在───私は未確認の迷宮、砂漠の地下に存在する魔窟を一日中さ迷っていた。
「はあ……」
五度目から数えるのをやめた溜息を吐いて私は真上を見上げる。どうやら魔窟は石で組まれているようだった。昔は砂漠の地下に街を築いて暮らす人々がいたのかもしれない。だが今は───
「スケルトン、か」
こうして魔物の巣窟となっている。ゆえに我々はこのような過去の文明の遺産を魔窟と呼ぶのだ。
「多いな……」
乾いた音を立てて近付いてくる複数の気配を感じる。スケルトンは死してなお戦いを強いられた人の骨格。その人形は完全に破壊されるまで動き続ける。彼らがいるのは───次の曲がり角の先。
「静まれ」
静かな魔窟に声が響き渡る。投げかけられた言葉に空気が重く感じられた。
予備詠唱。魔力の流れを作り出す魔素の群れを留め、把握する。ここは───私の得意とする熱素は僅かだが、冷え切った地下ゆえに冷素は多い。魔素はその性質に合った大気に親和し吹き溜まりを作るからだ。
仕方ない。冷素の扱いは得意ではないが、
「凍てつく物よ」
針と突き刺さるような音の連なりを吐き出す。大気に漂う冷素が励起され、気温が急激に低下してゆく。
スケルトンは未だに姿を見せない。その隙に私は詠唱を進めてしまう。
「私が命ずる。北の果てより来たる凍てつく物よ」
空間に亀裂が入るような音が走り、辺りに霜が降りた。寒さは感じない。私の身体に熱素で刻まれた刻印は冷気にも熱気にもある程度の耐性を与えてくれる。
とうとう角を曲がったスケルトンの一団が私に気付いた。肉を求める彼らは、我先にと私に向かって駆け出した。
手を叩く。破裂音が響くたびに冷素が凝結し、そこには氷の刃が生み出された。
「まずはひとつ」
音高く軍靴を地面に叩きつける。小気味よい音と共に氷刃は放たれた。
一番先を走るスケルトンに着弾するとその氷は鮮やかに頸骨を切り落とす。しかし、
「チッ、まだ動くか」
頭蓋骨を失ったスケルトンは、しかしその動きを止めない。
「其は純なる物、其は粋なる物!」
氷の塊が瞬間、大きく拡散して数体のスケルトンに絡みつく。そして凍結することで動きを止めた。
再びの軍靴。今度は複数。氷刃は、凍りついた骨格をなおも叩き切り、肉を求めて走るスケルトンを捉えた。
「凍れ! 凍れ! 凍れ! 凍れ!」
簡略化された詠唱はしかしスケルトンを凍り付かせその動きを止めるには充分だった。
「鎮圧完了……っはぁ」
思わず止めていた息を吐く。冷素の扱いは苦手中の苦手だ。しかしこの魔窟では冷素を使うほかない。こんな戦闘が続くようでは気力が保たない。
「私も未だ未熟、か」
あの人なら。
私は、自分の力不足を痛感するたび、自分とは比べ物にならない、並ぶことすら烏滸がましいはずの、彼のことを思い出してしまうのだった。
しばらく探索を続け、私は少し開けた部屋へ出た。迷宮のように砂漠の地下に張り巡らされた通路は、どうやら幾つもの大きな部屋を内包しているようだった。
明るい。微量の熱素を用いて照明魔術を使わなければ前後不覚なほどに暗かった通路とは大違いだ。部屋の中には照明器が幾つか設置されている。見る限り魔術機構によるものだろう。
どれほど古い物かはわからないが、私がこの部屋に入ったところで点灯したので、魔素に対して反応をするのかもしれない。少ない熱素で効率よく灯りを作りこれほどまで明るく照らしているのだから、開発した文明はよほど高い技術を持っていたのだろう。
「ウィズダムでもこんな照明器は未だ作れないだろうな」
誰にともなくつぶやいて、私はひとまず休息を取ることにした。部屋には三つの出入り口がある。万が一ひとつの入り口から魔物が入ってきたとしても、残りの出口から逃げられるはずだ。
張り詰めていた緊張を緩める。安堵の溜め息を吐いて暑苦しく分厚いローブを脱ぎ捨てた。座り込んで目を閉じると、一兵卒時代に培ったいつでもどこでも眠れる技術は、今となっても私を泥のような微睡みへと導いてくれるのだった。
夢は見なかった。軍務に就いてから夢を見たことがなかった。疲れを湛えた身体は貪欲に休息を求め、私に夢を見ることを許さなかった。
少しだけ軽くなった身体を起こす。朝なのか昼なのか夜なのか、一日歩き回った時点でもうわからない。しかし疲れて眠って起きたのだから今は朝なのだ。軍人にとって朝は特別な時間。いつ何時も欠かしてはならぬ日課の訓練がある。
腕立て百回、腹筋百回。普段はロードワークもするのだが、魔物に出くわしては面倒なので流石に控えることにする。
黙々と鍛錬をするうちに考えた。糧秣はあと二日分ある。このまま留まっていても出口は見つからないだろう。少なくとも動けるうちに動いておかなくてはなるまい。私が入ってきたと思われる穴は流れ落ちてきた砂によって通路ごと塞がれてしまったし、少し掘り返してみてもより多くの砂が流れ落ちてくるだけだ。他の出口を探す必要がある。
ひとまずはこの部屋を拠点にして三つの出口を探索してみよう。熱素でマーキングをしながら探索すれば迷うこともない。
方針が定まったところで鍛錬が終わった。途端に頭を擡げる空腹感。こればかりはどうしようもない。
私はバックパックから携帯食糧のパッケージを取り出して憎々しげにそれを見つめる。長持ちして、腹持ちがよく、安価であり、栄養価の高いその万能食の唯一の欠点は、
「…………不味い」
粘土のような食感と粘土のような味と粘土のような粘土である。念のために言っておくがこれは粘土ではない。
貴重な水を、不味い携帯食糧を飲み下すために使うわけにもゆかず、涙目で一食を飲み込んだ。
休息によって疲れは癒え、どんな食糧にせよ腹は満たされ、トレーニングによって身体は目覚めた。探索の時間だ。
重く嵩張るバックパックは置いたままにして、私はひとつ目の出口から探索を開始したのである。
薄暗い通路を早足で行軍する。意識的に石の床を踏み鳴らし、その反響によって敵の存在を察知する。
私の得意魔術は音素という魔素を用いた音魔術である。詠唱や柏手によって音素を励起して、それを契機に他の魔素の流れを操作する。
円を用いた魔法陣を描き魔素の流れを直接集約する陣魔術と比べ、比較的歴史の新しい音魔術は、陣魔術の巧遅性をカバーするために生み出された。あの人が完成に至らせ、私が教授されたものだ。
誰よりも耳を研ぎ澄ませ、誰よりも敏感に魔素の流れを感じ取らなければならない音魔術は、陣魔術よりも魔素の流れを感じ取る素質に左右される。
私は幼少のみぎりに初めて魔素を感じたとき、それは火のようだと感じた。私を包み込んでは高く揺れる炎。歌うことでそれを集め、小さな火を点けられることを知ったのはそのすぐ後だった。
ただ規則的に足を運んでいるとつい昔のことを考えてしまう。私は頭を振って雑念を振り払うようにすると、ふと気付いた。
静か過ぎる。
これまで歩いて来た道は少しでも風の音やスケルトンの骨が転がる音、蝙蝠の羽ばたく音がしたのだが、気付けばすべての音が消えている。
足を止めて周囲を見回す。確かに前も薄暗かったが、今はもっと暗い。
───また迂闊なことをした。
この異変に気付かずのこのこと歩いて来てしまうとは。どうやら過去のことを思い出す自分は随分と注意散漫のようだ。
意識をしっかりと持ち直し、注意深く前進する。どのみち探索しなければならないのだし、危険な場所であっても注意さえしていればなんとかなるはずだ。
しかし、この時においても私は甘かった。
咆哮。
突如鳴り響いたそれに私は反射的に身構える。地響きを伴うほどの大きな絶叫。それは紛れもなく魔物のものだ。この先。この先に恐ろしく大きな魔物がいる!
滴り落ちる汗が石床を濡らすことにも気付かず、私はじわりじわりと後退った。苦しいほどの圧迫感。姿さえも見えていないのにこれほどの威圧。未だかつて出会ったことのない感覚。
私には、脱兎のごとく逃げ去ることしかできなかった。
音が戻り、明かりが戻り、ようやく自分が息もできなくなっていたことに気がついて、慌てて息を吸ってむせ込んだ。呼吸の仕方を忘れてしまったかのごとく私は一回一回注意深く息を吸って吐いてを繰り返す。
何だ、アレは。
落ち着くまでしばらくの時間がかかった。二年の軍務で私よりも格上の人間や魔物に出会ったことは数多くあったが、アレほどの威圧を持つ相手は初めてだ。
身体中が汗でぐっしょり濡れている。嫌な汗は身体を冷やし体調を崩す原因になってしまう。
「……拠点に戻ろう」
つぶやいて再び足を動かした。声を出さなければ、足は萎縮したまま動かなかった。
拠点に着くと、私は張り詰めた糸が切れるように崩折れた。余りに緊張し過ぎたらしい。
意識が遠のく。このまま眠ってしまう前に濡れた服を脱いで汗を拭き取らなければならない。こういった細かいことをしっかりしないと体調を崩す。
何とか立ち上がって、必死で眠気と戦いながら服を脱ぎ捨て、バックパックから半ば引きずり出すように取り出した長い布に包まったところで意識が途切れた。
結局、布一枚で眠るようでは、風邪を引いても仕方ない。とことん迂闊な自分に呆れたのが、私の眠りに落ちる前の最後の記憶だった。
いつよりも疲れ切っていたはずなのに、数年振りに夢を見た。それは、もう思い出せない幼い頃の夢。私を寝かしつけるために添い寝をしてくれた育ての父親。彼の身体は大きくて、硬くて、けれど温かくて。まだ普通の女の子だった私はそれに安心して眠れたものだった。
実父も実母もよく覚えていないし、いたかどうかすらもわからない。物心も付かぬ私を魔窟に棄てる両親のことなど覚えていたくはないからよいのだが。けれど、育ての父と一緒にいた頃の私は、確かに幸せだった───今はそう思える。
身体は昨日の極度の緊張のせいで未だに強張っている。少しずつ覚醒していく意識の中で私は信じられないものを耳にした。
私のものではない吐息。呼吸の音。
何かがいる───! 普段の私ならば魔物の侵入を察知して瞬間に意識を覚醒できる。そういうふうに訓練されたからだ。しかし今回ばかりは完全に緊張が途切れてしまっていたようだ。
思わず乱れる呼吸を限界まで数を減らし、私の思考は一振りのナイフのように研ぎ澄まされる。
分析───呼吸は穏やかだ。おそらく敵は臨戦態勢ではないようだ。ゆっくりとひとつひとつの出入り口付近を注意深く見回す。みっつすべて確認し終わったが魔物の姿はない。どういうことだ?
姿の見えない魔物───その可能性が頭を過ぎった。ここは未確認の魔窟、そのような魔物がいたとしてもおかしくはない。ゆっくりと、静かに、息を呑む。
私はひとまず武装を整えるため立ち上がって───ぎゅむ。
「ぎゅむ?」
思わず声を出して慌てて口を手で塞いだ。何かを踏んだような感触。そこには、
「な…………っ!」
アホ面を晒して眠りこける一人の男がいたのであった。
改めて状況を整理してみよう。私は布一枚で眠っていた。
「な、な、な、」
そのすぐ隣に、知りもしない男が寝ている。口に手を当てようとしても、間に合わない。漏れる叫び声。
「なんだこれは──────っ⁉︎」
軍では、罪を犯して逃げる咎人を捕らえる仕事も請け負っている。ウィズダムの自治集団である軍は治安維持のための仕事を広く取り扱っているからだ。
そして、そういった治安維持活動において最も必要とされる技術は何か。逃亡者を捕まえる健脚か、争いになった時の戦闘技術か。否、それはようやく捕まえた犯人を逃さないための捕縛技術である。
どうでもいいことを考えること十五秒。長年の習慣は無意識の私に堅固な結び目を作らせた。男は私の絶叫にも気付かず未だ暢気に眠っている。
「こ、これでよし」
何がよしなのかはわからないし声は震えているしどうやら私は幾らか冷静さを失っているようだった。平静を装いつつ次策を考える。
「こ、殺すか……」
おかしい。明らかにおかしい。何がおかしいって私がおかしい。
男は見たところ一般人に見える。そうでなければ私の圧し殺した殺気に気付いて目を覚ますはずだ。となれば軍の人間たる私はこの男を保護しなければならない。
魔窟に迷い込んだ一般人の保護も軍の仕事なのである。しかし、
「どうしよう……!」
この男がすごく危険な暴漢という可能性もある。女が寝ている所にも構わず寝てしまうような男だ。私の貞操に危険が及ぶ。あるいはもはや既に───
「いやいやいや! 流石にそんな行為に及ばれれば幾ら何でも起きるだろう!」
長い髪を振り乱して邪念を払う。都市を守る軍人たるもの自らの貞操を守れずしてどうする。有り得ない。無事、なはずだ。
「んにゃ……」
「ひっ⁉︎」
暴漢が目を覚ました。思わず悲鳴を漏らしてベルトからナイフを引っ張り出す。軍で教わる中でも最も手間がかかり最も堅固な縄縛りを施された男に私は震える白刃を突きつけた。
「あ、アレ? あの……」
「黙れッ! こ、この……変態ッ‼︎」
「変態⁉︎ いや、君、服着てないし! よっぽど君の方が変態ぃっ⁉︎」
私がナイフをさらに近付けると、裏返った声で怯えたように呻く。涙目の男は小さくなった声で、
「なんで……一人で寝てただけなのに……」
言い訳など聞く耳持たん。女に乱暴を働こうとする輩など、待て、今なんと言った?
「……一人で、と言ったか?」
「え、うん……僕、砂漠を歩いてたら砂蠍に襲われて、とりあえず倒したんだけど、大量の砂地獄が……」
どこかで聞いた話である。頭痛がした。しかし私が寝ている寝床にこの男が潜り込んできた事実は揺るぎないはずだ。
「砂まみれになって魔窟を歩き回ってたんだけど、バックパックだけが置いてある部屋があったからさ。誰かがいるんだって思ったら安心して、疲れてたから一休みしようと思って……」
「そ、その時に私がいたのに気が付かなかったのか?」
「いや、僕が寝る時に君はいなかったよ! というか、君がいたんならちゃんと起こすし、そもそも君───軍人でしょ?」
その言葉にはっとさせられた。
「君が寝ている間、同じ部屋に何かが入ってきたのに、気付かず寝ているはずがないなんてことは、君自身が一番よく分かってると思うんだけど」
「……何故私が軍人だと?」
「立ち方でわかるよ。そこまで背筋の張ったいい姿勢で立つのは軍人か物差しだけだ。それにそのナイフ。軍の徽章が彫られてる」
こいつ、一般人ではない。
「ところでその……苦しいんだけど、縄、解いてくれない?」
変わらず涙目で言う男。私の向けるナイフにいちいち怯えたような声を漏らす。
一般人ではない……よな?
身体検査の結果、どうやら武器の類は持っていないようだったので縄を解いてやると、男は縄のあとを痛そうに撫でさすっていた。ちょっとした罪悪感があったので名前を尋ねると、男はツカサと名乗り何を思ったか握手を求めてきたのでぶん殴った。
「で? 何故私と同じ寝床でお前が寝ていたのか」
「痛てて……そりゃ、君が僕の寝ているところに潜り込んできたからじゃないか」
「私が?」
まさか、それこそ有り得ないことだ。と思って笑い飛ばそうとしたところで昨夜(昼夜の区別はないが寝る前を便宜的にそう呼ぶ)のことを思い出した。
私は疲れ切って、汗だけ拭いて意識を失うように眠って、
「………………済まなかった」
どうやら変態は私の方だったらしい。ひとまず私は罪のない男に土下座を示さなければならないようだった。
「いや! 相当鍛えてる君がそれだけ不注意になるってことは本当に疲れてたんだろうし! 頭あげなよ……」
いつまでも申し訳なさを引きずっていても仕方がないので、謝意が伝わったところで私はすっぱり頭をあげて、本題を切り出すことにした。軍人は過去に囚われないのである。
「それで、お前は何故砂漠に来た? よもや魔物の凶暴化を知らずに来たわけではあるまい。砂漠に向かう途中で出会った魔物ですら相当に異常だった。どうしてわざわざ危険に飛び込むような真似を」
「まあ、ね。危険なのはわかってた」
私が眉を顰めると、彼は苦笑いして続ける。
「頼まれたんだ。僕はできるだけたくさんの国を回ろうと旅をしてるんだけど、野宿のために立ち寄った森に砂漠の移動民族が避難しててさ。彼らが僕に、この異常な魔物の凶暴化の原因を確かめてくれって」
頭がかっと熱くなるのを感じた。圧し殺すような声で吐き出す。
「…………無責任だ」
大方、旅人なのだから腕が立つとでも思ったのだろう。しかしこんな危険な場所に旅人を一人で向かわせるなど、人を殺すことと同じだ。私が砂漠の民への怒りを隠せずにいると、
「飯をね、ご馳走になったんだよ」
「は?」
正直に言って、意味がわからなかった。
「……それが、この危険地帯に飛び込んだ自殺にも等しい諸行の理由だと?」
「うん」
臆面もなく頷く彼に、私は思わず溜息をついた。こいつはやはり、
「…………馬鹿者め」
そう罵ってやっても、ツカサはただ薄く微笑むだけだった。
「さて、ではどうやって脱出するかを考えよう」
朝の鍛錬と粘土を無理やり飲み込む苦行を終えると、私とツカサは向き合って作戦会議を始めた。議題はこの魔窟からいかにして脱出を果たすか。かつてないほどの難題である。ハッキリ言ってお手上げだ。
「私は昨日、規格外の魔物の気配を感じた。アレを突破すれば活路があるやもしれん。どう思う、ツカサ?」
「僕はその魔物をまだ見たことがないけど、君が恐れるような魔物なら相当強いんだろうな」
「恐れているのではない、飽くまで正確な戦力分析をだな」
むっとして言い返すと苦笑いされた。どこまでもやりづらい男である。
「わかった。その魔物へとりあえず偵察に行ってみよう。君だけならともかく、僕がいれば相手になるかもしれないしね」
「…………本気か?」
私には彼が戦力になるようにはあまり考えられなかった。凶暴化した魔物の猛攻に晒されて死なずにここまで辿り着いたことと、私を軍人と見抜いた眼力とで一般人ではないとは思っていたが、その弱々しい態度からどうしても強い戦士とは思えなかった。
「あんまり武器の手持ちがないから、少ししか戦えないけど、それなりに力にはなれると思うよ」
武器の手持ち? 投げナイフでもするのだろうか。投擲武器と聞けばますます実力に疑いが生じる。
まあ、戦闘を援護してくれると言うのならいてくれて損はないだろう。そう思って私はツカサの調査への同行を認めた。
「ところで、武器というのはどこにある?」
彼はそっと壁を指差す。そこには大きな木で作られた箱が立てかけられていた。珍しい形をしている。
「でも、ほとんど壊れちゃっててさ」
彼はそう言って申し訳なさそうに笑った。
暫時の休憩を終え、私たちは昨日私が通った道を再び辿り始めた。今度は過剰なほど注意深く、聴覚を始めとする感覚器官を総動員して、環境の変化に備える。
私が集中を切らさないよう、道中の魔物はツカサが徒手空拳ながらも健闘を見せてくれた。彼はなかなか使えるのかもしれない。
と、しばらく歩いたところで。前回と同じく音が徐々に消えてゆき、熱素の量が著しく減る通路に逢着した。
私が黙ったまま指で示すと、ツカサは引きずっていた棺桶を止めて耳を澄ませた。
「確かに、大きいね」
同意の頷きを返して私は思案する。さて、どうするか。
私に構わずツカサはゆっくりと歩み出した。私は首を傾げながら、しかし先行する彼に従うことにする。どのみち進まねば魔物の姿を確認すらできない。
その時、あの咆哮が再び私たちを襲った。低い、重い、呻吟するかのような唸り声。地響きすら生まれるその声にしかし彼は狼狽えず、そのまま直進した。
とうとう暗い道の先が開け───そこには、これまでのどの部屋よりも大きな空間に、生物と呼ぶには憚りがあるほどの、あまりにも巨大な、塊が鎮座していた。
「やはり〝土竜〟か……」
「土竜⁉︎ 何だ、それは‼︎」
私は何ともなくつぶやいた彼の言葉に驚愕する。知っているのか、これを⁉︎
私が唖然としているとツカサは黙ったまま箱を背から取り外して地面に突き刺した。そのとき、
『───ゥゥヴルルゥゥゥゥゥゥ』
背筋を凍らせる濃厚な死の気配。視線によって射止められた私の身体は完全に萎縮してしまい、呼吸すら上手くできなくなる。
これは、相手にならない。勝てる、勝てないの次元じゃない。こんなの───
一方的な、殺戮。
「アリス」
身体の硬直が解けた。声のもとに反射的に目を向ける。
「下がっててくれ。僕の戦い方は協力に向いてない」
「だがッ!」
「頼む」
静かな声で、私の軍人としての矜持を跳ね除けるツカサ。抗いがたいような力を感じて、渋々私は後退った。
ツカサは箱を持ち上げると、天井に向かって放り投げた。
息を呑んで見詰めている私の前で、箱はバラバラに砕ける。その中からは───無数の武器、武器、武器。
確かに小型のナイフやチャクラム、トマホークなどの投擲武器もある。しかしその中で特に目立つのは、大型の戦斧、大剣、戦槌、三叉槍、その他様々の巨大な武器たち。
これをどう使う⁉︎ 私の足は竦み喉は乾ききっていたが、目だけは彼から離せずにいた。
「さて、まずは───戦槌かなッ!」
箱から放たれ地面へと降り注ぐメイスを掴み取ると同時に土竜が動いた! 疾く、重く、繰り出されたのは尻尾か。堅固な岩盤を備えたその尻尾はまるでこちらも巨大な槌だ。竜はそれを余すことなく振り乱し、いくつもの岩石の塊を撃ち出す。それを───
「ていッ!」
まるで礫を相手にするかのごとく軽々と打ち砕く打ち砕く打ち砕く! 細かな砂塵が私の方まで飛び散ってくるのをローブを広げて防いだ。
三つ、四つと巨岩を叩き壊すうちに彼のメイスが軋みをあげる。鋼鉄で鍛え上げられたはずのメイスが、だ。
「ッ、そろそろ限界か……!」
最後の岩石弾を打ち壊したところでメイスは小枝のように折れる。土竜はその隙を逃さぬというように追撃。直接槌の尻尾を閃かせる。しかし、その攻撃は完遂されることはなかった。
尾が切り落とされた。俄かには信じがたい光景に私は震えを抑えられない。
ツカサの手には───長剣。
既に折れたメイスに見切りをつけて新たな得物を手にしている。
「こんな……こんな戦い方……!」
彼は不敵な笑みを見せて、今度は自らが大きな岩盤の塊に斬りかかる。
土竜による威圧の咆哮。しかし彼もまた雄叫びをあげる。打ち消しあう二つの気迫が私を圧倒した。
閃く剣戟。不可視の斬撃はしかし土竜の強固な装甲を貫くには至らない。
長剣が折れては持ち換える。斧、槍、棍、果ては小さなナイフまで。すべてを使いこなして少しずつ分厚い岩肌を削り取っていく。
再びの咆哮が響いた。先ほどのものとは毛色の違うこの叫びは怒りだ。圧倒的な存在のはずの土竜が、自らに危害を加える小さな羽虫に怒り狂っている。
しかし彼は耳すら塞がず手を止めない。やがて竜はその全身を大きく震わせた。
───来る!
本能的に感じた私は身を小さくして衝撃に備える。ツカサも流石に危険視したのかすぐさま飛び去った。
放たれるのは純粋な衝撃波。竜のみが生み出せる究極の魔術。限界を超えた量の力素の集結。息吹攻撃。土竜のそれは眷属たる岩と土と砂とすべてを吹き飛ばした。
刹那強い陽が差し込む。目が眩むほどの強い光。しかし長年の炎魔術行使に私の目は光に慣れている。すぐさま視界を取り戻すと、魔窟の天井には巨大な穿孔。
土竜は自らが穿ったその穴から注ぐ陽光に目を潰されたようで、もがきながら近くの岩を叩き潰している。その近くに見知った顔を見つけて、
「ツカサ!」
思わず駆け寄った。ツカサは───巨大な岩に挟まれて身動きができそうになかった。
「すまない……僕はしばらく抜け出せない。君が、止めを刺すんだ」
「な……っ! 無理だ! あんな巨大な竜を!」
彼は唯一自由になる首を振って私の言葉を遮った。頭からは拭っても拭っても止まらない血が流れていく。
「できる。君ならできる。いいね? その髪は何の色だ」
私は思い出す───育ての父の言葉を。人間の親に見捨てられた私を救ってくれた、強大な炎竜。
『アリス、お前の髪は私の色だ。お前の炎は、私の炎だ。何より熱く何より気高く、すべてを焼く賢者の炎だ』
私は、少しだけ目を瞑って、覚悟を決めた。
あの土竜に知性はない。何らかの理由で錯乱させられている。その苦しみから解き放ってやらねば。
「静まれ」
向き直りざま、唱える。場に満たされるのは溢れんばかりの陽光、すなわち熱素である。唯一の得意分野である炎魔術。とっておきをお見舞いしてやる。
未だもがき続ける土竜をなだめるような優しい声音で私は続ける。
「炎竜の娘が命ずる。熱く気高い我が父よ」
静謐に、燃え盛る火焔の王気が召喚される。竜のみが許される究極の魔術。息吹は私に限ってその禁術指定を解かれる。
有り得ない質量の炎が湧き上がるのを目にして、アリスは父の面影を感じる。失われた炎竜の大魔術。継承するはその娘のみ。懐かしき日々への思慕を込めて、アリスは歌い上げる。
「力をお貸しください。炎をお与えください」
土竜はその炎に気付いたのか動きを止め、その潰れた目で必死に何かを見出そうとじっと私を見詰めている。
「我が血は人であろうとも、我が魂は───」
すべての熱素を解き放って、叫んだ。
「竜のもの!」
大炎上する土竜は、本来ならばその堅い外殻によって守られるべきはずが、岩盤は削り取られ、もはや何をかも土竜を守ってくれはしなかった。
間も無く私は気力を使い果たし、意識を失った。
「───で、何故私がお前に運ばれているんだ。ツカサ」
気付けば私はツカサに背負われて砂漠を歩いていた。石に挟まれて重傷だったはずの彼は私を背負って平気で歩いている。
私の心配を返せとばかりにツカサの肩にぎちりと爪を立てると彼は大袈裟に痛がってみせて、応えた。
「身動きが取れなかったのは本当だよ。あのあとじっくり岩と格闘して抜け出したんだ。幸い怪我はなくて君をこうして運んであげられている。むしろ感謝して欲しいくらいだね」
確かにそうだ。いちおう私はお礼を言っておくことにした。軍人は恩義に厚いのである。
「…………ありがとう」
「……ん」
黙って頷く彼の背に揺られながら、まだふらつく頭で、今回の件をあの人にどう説明するか考える私なのであった。
お読みいただき、ありがとうございました。




