第五話 生きる
(どうしよう、これじゃ逃げられない…。こんな大きさでカマキリに会ったら切り刻まれちゃうし、ネズミにかじられたら穴が開いちゃう。)
静まり返った部屋でベッドに腰を掛け考える。小さくなってしまった体では森は危険に溢れて見えるうえ、窓の外は陽が落ちてきて暗くなってきていた。今外に出るのは賢明とは思えない。乾かしていない髪の毛からぽたぽたと滴が垂れていく。水滴がすっかり冷たくなっても考えはまとまらない。
(夢、じゃないんだよね…?)
そう簡単に信じられるわけがない、少なくとも数日前まではバイトをして大学に通い、身長も153cmあったのだ。頬をつねってみるが目覚める気配はなかった。それはそうだ、これは夢などではないのだから。
(本当に、小さくなったんだよね…。)
脱衣場にあった鏡で見た自分はいつも通りだった。胸まである黒髪に切り揃えられた短い前髪、遊びにも行かず勉強とコンビニバイト漬けで培った白い肌。見た目は何も変わらなかった。しかし、気絶する前に見た虫の大きさは忘れていない、落ちてきた木の実に殺されるところだったことも覚えている。
(こうなったら、小人ライフを満喫してやる!)
少し自暴自棄になって決意をする。どうせ面白くもない人生だったのだ、今更どうなろうと一度は捨てようと思った命と開き直るしかない。
「上がったよー。」
久し振りに湯船へと浸かり表情を綻ばせたロゼットが戻ってきた。寝巻き用のワンピースを着て腰布を巻いている。サイズも肩幅もぴったりできちんと着こなせていた。
「ごめん、そろそろ暗いよね。今灯り点けるから。」
ロゼットは商業用の鞄からランタンを取り出して慣れたように灯しそれを部屋の真ん中に吊るす。辺りが橙色の柔らかな光で満たされる。その灯りを頼りにタンスを漁ると小さなランタンと予備の歯ブラシを取り出す。正直二つともあまり綺麗な状態とは言い難い。
「ロゼットさん、掃除苦手なの?」
「掃除っていうか…家事全般苦手なんだよね…。こんな汚いところに連れてきちゃって本当にごめん。」
ランタンを脱ぎ捨てた服で磨きながら話す。人を助けたとは思えないほど低頭なのがロゼットの人柄を表していた。煤を吹きロウソクを変えるとマッチで火を灯す、無事に部屋の明るさが一層増した。
「これ、ここに掛けておくから好きに使って。トイレは脱衣場の隣だよ。あと歯ブラシも…ちゃんと新品なんだけどよく洗ってから使ってほしいな…。」
「あの、ありがとう。でも私、あなたに返せるものを何も持ってないんだけど…。」
「そんなの要らないよ。」
ハルカは面食らってしまう。見返りを求めずにここまで自分に良くしてくれる理由が分からないからだ。素性の知れない一文無しに良くして何になるのだろうか。
「やっぱり、から」
「体で払えとかも言わないから!」
彼女を逃げてきた遊女と思い込んでいるロゼットは食い気味に否定をする。顔は真っ赤だ。
「……ありがとう。」
じわり、ハルカの目の端に涙が滲む。人の善意に触れることが極端に少ない人生だった。でも目の前の人は何も求めずに自分に良くしてくれる、暖かな幸せを感じた。