第五十二話 可もなく不可もなく
───コンコン
「はーい、ちょっと待ってくださーい。」
ジャム作りの仕事を終え帰宅したハルカのもとに来客があった。竈の準備をしていた手を止めてドアを開ける。目の前には見慣れた燃えるような赤色に黄色を混ぜた髪の毛の人物が何かを片手に立っていた。
「こんばんは。」
「ユウくん!こんばんは!」
慣れた人ならばいつ何時であろうと来客が嬉しく、ハルカは歓迎して扉を大きく広げた。しかしユウはすぐに入ろうとはせず暫し驚いたようににっこりと笑みを浮かべる。そのままぽんぽんとハルカの頭を撫でた。
「偉いなー、ハルカ。ロゼの家とは思えないくらい片付いてるし、料理も始めたみたいだな?」
「うん!掃除は割りと得意なんだ!…料理は始めたはいいけどからっきしだよ…。」
「慣れもあるだろ。これから上達すればいいって。で、今日は何作るんだ?」
「つっ…作るというか…ご飯、上手く炊けなくて…それだけでもって…。」
「…、俺も手伝うから頑張ろうぜ。」
様子から推測するに本当に悲惨な腕前なのだろう、励ましながらユウは室内へと足を踏み入れる。手に持ってきたのは夕飯のおかずなのだがこれほどちょうどいい土産はなかった。
「おかず持ってきて良かったよ。じゃ、一緒に一からやってみるか。」
「おかず…!ありがとさすが俺の嫁ぇ!…うん、お願いします。」
「懲りてねぇなこんにゃろう…。…釜の準備はできるか?」
「うん、それはお風呂より怖いけど似てるからできるよ。整えるから待ってね。」
ハルカがぱたぱたと走って支度を整えていく。本当に
薪をくべたり、油を差したりは手慣れたもので点火準備までは素早く行動できた。少し得意気な顔をして振り向く。
「そしたら、米を洗ってふやかすか。」
「うん!」
「俺が洗うから見とけよ。ここから美味い米が炊けるか始まってるからな。」
「うん、わかった。」
買っておいてある砕いた米をザルとボールを使い手早くかき混ぜて洗っていく。この行程に時間をかけてしまうと砕かれた米の表面から水分が入り込みすぎて炊き上がりがべちゃりとしてしまうのだ。ある程度洗う水が澄んできたら今度は釜に戻し水を張る。
「洗うのは簡単にでいいんだね。」
「砕くまえに店で洗われてるからな。水はこんくらい、指立てて感覚覚えてみ。」
「そっか、指で大体を把握すればいいのか…。」
言われた通りに人差し指を立てて水位を目で確認する。きちんと覚えてから再び作業はユウへと移る。蓋をしてから灯を灯したマッチを薪の上へと落とした。
「あとはもう音とか香りとかで判断…は難しいか…料理自体苦手なんだもんな…。」
「うん…。」
「あー、タイちゃんに砂時計作ってもらいな。そしたら難しいことないだろ。」
「計り砂?」
「俺の家にあった砂のオブジェ。あれ砂時計って言うんだよ。砂の落ちる量で時間を計れるんだぜ。」
元いた世界では砂時計と呼ばれていた道具はこちらで砂時計と呼ばれているのだと知る。概念が違えば同じものでも呼び方が異なることに妙に感心しながら頷いてみせた。
「さて、と…。炊けるまでの間は食卓整えんぞ。」
「うん、ちょっと待ってね!」
二人でてきぱきと物を片付け布巾でテーブルを綺麗にしていく。ロゼットと違い器用なユウと支度をするとあっという間におかずも用意され、米が炊けるのを待つだけの状態になる。目の前にあるみょうがの刻み漬けや揚げなすの餡かけなどがたまらなく美味しそうで釜よりそちらから目が離せない。
「飯は逃げないから、釜見ろー。」
「えっ、あ、つ、つい…。」
食事にしか目がいっていなかったことには指摘されて初めて気がつく。釜の前へと座りそちらに意識を集中させているとじわりと汗が滲んでくる。真夏に火の傍にいるのは拷問のようだ。
「離れててもいいから、熱いだろそこ。」
「うん…。」
二人で何を話すわけでもなく、少し離れた場所からぼんやりと釜をみつめる。少しすると最初は勢いよく燃えていた薪もかなり火が小さくなっていた。それてもユウはそのままの火加減で時間が過ぎるのを待つ。
「あれ?ユウくん、火が消えちゃう!」
「いいんだよ。火が消えたら少し蒸らして蓋開けるか。」
「いいんだぁ…。」
料理に関してユウに口出しなどできる気もせず黙って指示に従い、炭は赤いが火が消えてしまった状態でしばらく待ってみる。ユウが立ち上がるとそれに習って動き羽釜の上に乗る木蓋が持ち上がるのを眺める。ほわっと湯気が立ち上がり中にはつやつやの白米が炊けていた。
「わー!おいしそう!」
「大成功だな、食おうぜ。」
「うん!食べる!」
ユウがしゃもじでほかほかのご飯を一度かき混ぜ、茶碗によそう。それを運びテーブルにつくと待ちきれないと言わんばかりにハルカが手を合わせた。
「いただきます!」
「いただきます。」
炊きたてのご飯にみょうがの刻み漬けをのせて頬張る。保存のために少し濃くつけられた醤油味がたまらない。しかしただ醤油で漬けただけではないみたいだ、しょっぱいだけではなく舌触りも味もまろやかであとに残るコクがある。
「おいしーい!」
「よかったな。」
「しょっぱいけど角がなくてごはんもいくらでも食べれちゃう!」
「たまり醤油に漬けた卵黄を絡めてあるからな。甘さもあるだろ。」
「ふぉ…。こっちも揚げられたナスにとろとろの挽き肉入り餡が絡まって堪らないよぅ…!」
「なんだ『ふぉ』って。」
食事が一番の楽しみになりつつあるハルカにとってユウの作る食事は至極の一品だ。表情は柔らかく蕩け箸は止まることを知らないかのように動く。ユウからしてみれば嬉しいことではあるのだが、視線には呆れも含まれる。最初は表情を飽きることなく眺めていたが小さく肩を竦め、暫くは悦にいった状態を放っておくことにした。
「自分で作ろうと思うようになってからユウくんのご飯が一層おいしく感じるよー。嫁に来てぇー。」
「……。…式はいつにする?」
「えっ?」
「嫁にもらってくれるんだろ?誓いのキスの練習でもしとくか、旦那様?」
「──ッ!」
嫁系男子のイメージが強いユウに対してはつい軽口を叩いてしまうハルカだったが、再び返り討ちにあう。今度は前回よりも直接的に責めてくる言葉に顔を真っ赤にして首を横に降る。嫁に来いとは言うものの本当に嫁いでもらう気などはない、具体的な言葉を返されると弱かった。
「ははは、真っ赤だな、旦那様?」
「も、もうっ!じょ、冗談、だってばぁ!」
「事あるごとに嫁に来いなんて言われたら、その気になるかもな。」
「う、あ、や、結婚は、まだ…。」
「なら嫁に来いは禁止、OK?」
「わかった…。」
結局言いくるめられて頷く。わしゃわしゃとかき混ぜるように頭を撫でられて、またからかわれたのだと気付くが軽率な自分が悪いので黙って食事を再開させる。頬の赤みが引いてくる頃には腹も大分膨れテーブルの上もほとんど片付いた。
「お腹いっぱい!ごちそうさま!」
「ごちそうさまでした。」
「ユウくん、今日泊まってく?」
「んー、迷惑じゃなければ。」
「全然迷惑なんかじゃないよ!私、人とお泊まりするの好き。」
「ならお邪魔します。」
ユウは自分が客人であろうがきちんと働く。家事をしないのは落ち着かないのだ。ハルカが風呂を支度している間にテーブルを片付け洗い物をする。
全てを済ませてからユウはベッドに、ハルカは布団に横になる。他愛もない話をして、時々噛み合わない話を紐解き、どちらともなく眠り一日が終わった。