第二話 青年、ロゼット
青年の家は汚かった。キッチンは埃をかぶり、足の踏み場が無いほどに物が乱雑に転がり、ベッドもようやく人一人が寝転がれるスペースが空いているのみだ。
「こんなことなら掃除しておけばよかったよ…。」
後悔しても後の祭りだ。青年は物を足で掻き分けて進み、ベッドが汚れるのも気にせずに泥まみれの女を僅かに空いたスペースに寝かせる。生きてはいるが衰弱の激しそうな様子に焦り、今できることを考える。
(体拭いて…いやいや、女の子だし俺には無理…っ!ご飯…も作れないし…。せめて起きるまで片付けはできるはず。)
青年は不器用だ。片付けをするために歩けば派手に転び、物をしまおうと棚を開ければすでにたくさん詰められていて放り投げる。いっこうに作業が進む気配はなかった。
「はぁ…。」
青年の口から溜め息が溢れる。自分の無能さを嘆きつつ物をしまうのを諦め、洗濯をしなければならない服を拾い集めて部屋の隅に纏める。その作業の途中で本に足を引っかけ盛大に転んだ。
「いったぁ!」
「お客様、大丈夫ですか!?」
「え!?」
青年のたてた物音に驚きでもしたのか、女が目を覚ました。勢いよく起き上がり意味のわからない言葉を発しながら。泥まみれの女とたんこぶを作った青年の視線が初めて交差する。
「あの、私…生きてる…?」
「え、うん、多分…。おお、おばけとかじゃないんだよね!?」
「お腹も空いてるし、多分おばけじゃない!と、思います!」
「よかったぁ~…。」
間の抜けた会話が部屋に部屋に響く。しかし女は次の瞬間自分が全裸なことに気が付いて素早く毛布にくるまった。青年もその動作で初めて女を意識し、視線を逸らす。泥まみれで肌が見えないとしても、この状態の女を見るのは女性に対しての失礼に値する。
「あの…えっと…ここはどこですか?」
女は混乱しており何から言葉にすればいいのかわからない。聞きたいことは山ほどあり、言いたいこともまた山ほどある。
「ここはポポロイの森だよ。」
青年は答える。そして一つの考えは自分の中で確かなものに変わった。カブトムシと感じた印象が正しいと。地名も知らない場所に身一つで年頃の女が転がるとしたらそれは、遊郭から逃げてきた遊女だ。匿い続ければ自分の身になにが起こるかもわからない存在。しかし青年にそのようなことは関係無い。
「聞いたことない…じゃあ、あなたの名前は?」
「俺はミズーリのロゼットだよ。君は?」
「私は広尾はるかって言います。」
「ヒロオ…?聞いたことない地名だなぁ。」
「地名じゃなくて広尾は名字です。」
青年、ロゼットは商人をしているので地名にはかなり詳しい方だ。聞いたことすらないとなれば相当遠くから来ているはずだがどうやら女の様子は違う。
「名字って、何?」
「え…名字は名字…。」
「んー…えっと、名前はハルカでいいんだよね?」
「はい、そうです!」
中々二人の話が噛み合うことはなかったがようやく一つ解決した。女の名前はハルカだ。ロゼットは素性の知れない女の名前だけでも判明し、ホッと一息吐いた。