第三十五話 慣れ
「おはよう、リオン先生ー…お腹空いた喉乾いたぁ…。」
「君、遠慮という言葉を覚えた方がいいよ。」
なし崩し的にリオンの家に泊まったハルカは到底朝早いとは言えない時間に起きてすでに行動しているリオンに話しかけた。昨日のような事態を危惧して飲み物は用意されるが食べ物は待てど出てこない。
「ごはんは?」
「僕は朝は食べない主義なんだよ。」
家主が食べず用意されていないというのなら仕方がない。食事は諦めて飲み物だけ飲む。何かのハーブティーらしく寝覚めにはもってこいの爽やかさだ。昨日の薬の副作用もないようでホッと一息吐く。
「リオン先生、帰りたいから宿題だして。」
「作っておいてあるから持っていくといいよ。単語と進行形ね。」
リオンの仕事の早さには驚くしかなかった。紙を確認してみると文字がびっしりと並んでいる。自分が寝ている間に後に言われるであろう事を予想し、それに備えて動くという首尾の良さに感服した。誉めるのは悔しいためそのままたくさんの用紙を鞄に詰め込む。
「じゃあまたそのうち来るね!」
「来なくていいよ。」
リオンの口が悪いのはいつもの事なので全く気にせずに家をあとにする。体が潤っているうちに家に帰らないと昨日の二の舞なので急ごうとした。ふと、後ろで何かの足音が聞こえた。
「ハルカ!」
「イトナ!」
昨日の大蜘蛛、イトナの足音であった。大きすぎる体のせいで蜘蛛なのに足音が鳴るのだ。一日振りであるが再会できた感動にお互い腕を広げて抱き締め合う。
「オレ、心配デ待ッテタ!」
「ありがとう、イトナ~…無事帰ってこれたよ!」
「疲レテルダロ、ロゼット、三股木ッテ聞イタ、送ル!」
「本当に?じゃあお願いしちゃおうかな。」
あれほどにまで大蜘蛛での移動は嫌だと言っていたが今はなんの抵抗もない。背中に股がって二人でガサガサと森の中を移動する。八本の足で縦横無尽に動くイトナの移動は自分で歩く何倍も早かった。
「わー!もう着いた!イトナすごーい!」
「小人ハ遅イカラナ。」
「ね、イトナ、一緒にご飯食べようよ!うちは見た通りイトナサイズじゃないけど外なら大丈夫でしょ?」
「イイノカ?オレ、ハルカト食ウ!」
家の中に入って何を食べようか考える。大蜘蛛が何を食べるのか知識はないが、街中で虫も動物も同じ食事をとっていたことを思い出す。塩漬け肉をスライスしレタスを玉ねぎをパンに挟んでサンドイッチを作る。コーヒーも作りたかったが湯も沸かせないので水出しのお茶で我慢するしかなかった。
靴の概念がないイトナには関係がないが厚手の敷物を用意して庭に敷いた。そこに食事と飲み物を運び二人で手を合わせる。
「いただきます!」
「ウマイナ、コレ。」
「竈が使えるようになったらまたバリエーション増やせるから食べに来てね!」
「オウ!ロゼットハ、イナイノカ?」
「ロゼットは今商売に出てるんだぁ…。」
ハルカがしゅんと悲しそうにしたのを見てイトナはこの話題に触れてはいけなかったのだと焦る。誤魔化すかのようにマグカップの取っ手に手先の爪を器用に通し、お茶を啜った。
「ハルカハ、ロゼットト結婚シテルノカ?」
「ううん、まさか!私じゃ役者不足すぎるよ!ただの同居人だよー。」
「ソウカ。小人、群レルモンナ。」
「イトナはどこに住んでるの?」
「オレ、洞穴ノ一角!」
今まで知りもしなかった蜘蛛の暮らしを聞き、楽しく会話をする。最初は気持ち悪いとしか思わなかったたくさんの目も今では一つ一つくりくりしていて可愛らしい。朝食を食べ終わってからも何気ない会話は続くが、昼近くになってようやく一区切りついた。
「オレ、ソロソロ帰ル!」
「うん、また遊びにきてね!」
イトナと別れたあとに待っていたのは洗濯や洗い物だ。小人の生活は家事をするのも一苦労だが少しずつその身に馴染みつつあった。