第十六話 継書
「きつかったねぇ、町長。俺、緊張とけて…吐きそう。」
「…うん、私も吐きそう。次はどこいくの?もうこういうのないよね?」
「大丈夫…こんなの一日に何度も味わったら死んじゃうよ…。次は文房具を買いに行こっか。まずは字の勉強をしないとね。」
トイレで顔を洗い、気を持ち直した二人はまた街を歩く。文房具を買い、布団を買い、日用品を買い、簡単な食料を買い、落ち着く頃にはすっかり日が暮れてしまった。ロウソクや暖炉の灯りだけを頼りにしている街は昼間よりもずっと暗い。しかし、夜は夜の活気に満ちていた。行く人々に酒が入り笑い声が絶えない。
「最後にジャム屋さんに行ってもいい?」
「うん、パン買ったもんね!ジャムがないと!」
商店街の一角にある小さな店、看板には『grandma JAM』と書かれていた。店の外は薄汚れ、店内も暗い。少し不気味な雰囲気を感じる。ロゼットはその中へと入り商品のほとんどない店内を見回す。
「ごめんなさいねぇ、今日は店じまいなのよぉ。」
「ダータさん、こんばんは。」
「あらぁ、ロゼットちゃん!久し振りねぇ…隣の子は彼女さんかしらぁ?」
「ちち、違いますよ!ちょっと色々あって…。」
「こ、こんばんは…。」
「はい、こんばんはぁ。」
店の奥から少し背の丸くなってしまったおばあさんが出てくる。髪の毛は真っ白になってしまっている、結構歳なようだ。ロゼットが体を支えながら会話をしなければならないくらいに足腰が弱っているらしい。
「ちょっと待ってねぇ、ロゼットちゃん。野イチゴのジャムが好きだったわよねぇ。とっといたのよぉ。」
「ありがとうございます。やっぱりジャムはダータさんのじゃないとで。」
「うふふ、そう言ってもらえると嬉しいわぁ。せっかくロゼットちゃんが女の子を連れてきてくれたんだもの、彼女にもなにかプレゼントするわねぇ。」
ダータが杖をつきながら奥の部屋へと入っていく。次出てきたときには二つの瓶を抱えていた。赤色のジャムが入った瓶をロゼットに、黄金色の瓶をハルカへと手渡す。
「ロゼットちゃんはいつもの野イチゴねぇ。あなたのはレモンよぉ。あなた、お名前は?」
「ハルカって言います!」
「どこのハルカさん?」
「あの、事情があってポポロイのハルカ、なんです。」
「あらぁ、そうなの?私はマデトーノのダータよぉ。よろしくねぇ。お近づきの記念よぉ、苦手じゃなかったら食べてねぇ。」
ダータの柔らかな笑みになにか懐かしさを覚える。ハルカは自分より低い位置のその顔を見つめて表情を綻ばせる。細かなピール入りで黄金色に煌めく瓶を見て目を輝かせる。非常に美味しそうだ。
「ありがとうございます!すっごい美味しそう!」
「うふふ、感想聞かせてねぇ。」
「ハルカさん、そろそろ行かないと。…森は遠いよ。」
「あ、そっか。また乗るのかぁ…。」
「気を付けて帰るのよぉ。いつでも来てねぇ。私はあんまり動けないから人に来てもらうのが楽しみなのよぉ。」
ダータに別れを告げて移動処へと向かう。そこには小人をのせて動いてくれる動物や虫が待機していた。ハルカが元居た世界で言うのならタクシー乗り場みたいなものだ。
「あんまり揺れると荷物がなぁ。大蜘蛛とかだと助かるんだけど…?」
「なら、私は、ここに、泊まる!」
「だよねぇ。」
「そしたらボクに乗らないかにゃ?料金は高いけどにゃあ?」
一匹の黒猫が話し掛けてくる。くりくりとした金色の目を細めて笑っていた。背中には個室タイプの鞍が乗っている。屋根もあり窓もあり、敷物も敷いているためくつろぐことも可能だ。もちろん荷物も固定した上でたくさん積み込める。速度も速く移動としては最高の条件だろう。猫はロゼットを頭で押してハルカから遠ざけ交渉に入る。
「自分で言うほどに高いけどにゃ?」
「うぇ…い、いくら…?森の三股木の傍なんだけど。」
「3000テナにゃ。」
「えぇっ!?それ、平均の四倍以上…!」
「キミは平気でも彼女は足もくたくたにゃ?虫も苦手だにゃ?今日は泣かしたにゃ?すごい疲れてるだろうにゃあ?」
猫の観察眼は鋭い。未だに少し膨らむ涙袋やまぶたを見ただけで今日の出来事を判断する。そしてそのうえで揺さぶりをかける、やり手だった。
「たまの贅沢は罪じゃないにゃ!」
「うぅー…わかったよ、払うから乗せてよ。 」
「毎度ありにゃ~。」
料金は後払いで払うことを約束し、まずはロゼットが荷物を積み込みロープで固定する。そのあとに自分が乗り込みハルカを室内に引っ張りあげてやる。
「夢のねこばす…!」
二人で靴を脱ぎ敷物の上に座る。ハルカの頭の中は有名な映画のワンシーンを思い出しそのことでいっぱいだ。猫は鞍を気遣いながら走る、しなやかな体を持つためにあまり揺らさずに済む。しかし、その心地いい揺れは疲れた体を眠りの世界に誘おうとする。
「ん…。」
「ハルカさん、起きて。外で寝るのは危ないよ。」
寝かせてやりたいのは山々だが事故に遭ったとき受け身を取れず、鳥に襲われたとき逃げることもできない。体を軽く揺すって起こしてやる。
「うぅん…。…寝ないように何か話して…。」
「そしたら継書について話そうか。」
「うん!聞きたい!」
「継書っていうのはね。子供が産まれたときに両親が書き始めるんだ。まずは子供に当てたメッセージ、次は子供が産まれた場所の歴史を、そして自分達との思い出や育った環境、最後に見た目や特徴、特技とかの情報を書き込んでくれるんだ。家を出るときにそれを渡されて、それは身分証明になる。悪いことをすると中表紙にその内容を書かれたり、特別な情報があれば記されたりするよ。今日町長が俺の継書に書き込むって言ったでしょ?それはそういうことだよ。」
「やだ!ロゼットの継書に書き込ませたくない!」
「大丈夫、ハルカさんは悪いことなんてしないだろ?」
「うん、しない!」
「継書は両親の生きた証でもあるんだ。本の背表紙内側部分に俺の両親の出身場所と名前が書いてあるんだよ。」
ふと、黒猫が動きを止めた。さすがに大きな個体が走ってくれるだけはある、早くも森の中に着いたようだ。ハルカが猫の力を借りながら降り、ロゼットが荷物を持ってそれに続く。高い料金を払い終え、我が家へと二人で帰った。猫の笑みを背に受けながら。