6月17日日曜日
雷呼の事件から約一ヵ月が経った。
ヒマが有ると俺の部屋に来ていたまりあんは、あれからパッタリと遊ばなくなった。
毎日朝早く登校し、下校もギリギリまで学校に残っている。
どうやら勉強をする為にそうしているらしい。
最初は五月の半ばに有った中間テストに向けて頑張っているのかと思っていたのだが、テストが終わってもずっと勉強をしている。
まぁ、理不尽な八つ当たりを受けるよりマシなので、俺からちょっかいを出すのは止めておこう。
そんな感じで今日まで来た。
お陰で積みゲーを全部消化出来た。
だから最近はヒマなのだ。
今日も日曜なのにやる事が無い。
時間は午前九時。
当ても無く出掛けるのにもちょっと早い。
店が開いていない。
こう言う状況になって、初めて気付いた事が有る。
俺には、こんな時に遊びに誘える友達が居ない。
だが、それも当然。
幼い頃からずっとまりあんに引き摺り回されていたので、まりあん以外の友達を作るヒマが無かったのだ。
高校に入ってもう二ヶ月になるから、教室での駄弁り仲間くらいは居る。
が、そいつらの携帯番号を知らない。
それを訊くと言う発想が無かった俺も悪いんだが。
困ったな。
新しいゲームでも買おうかと思っても、財布の中が寒い。
遊び捲れる社長令嬢のまりあんが羨ましいな、と思いながら鍵の掛っていない窓を見る。
誰かが外側から窓を開ける気配は無い。
こっちの都合を無視して邪魔しに来るまりあんをウザイと思っていたが、こうなると遊びに来て欲しいなと思ってしまう。
俺も中々の自己中だな。
そんな事を考えていると玄関の呼び鈴が鳴った。
回覧版か何かかな。
母さんはもう仕事に行っている時間なので、真珠も居ない。
だから、面倒臭いが俺が出るしかない。
ダラダラと階段を降りて玄関に向かうと、もう一度呼び鈴が鳴った。
「はーい」
ウチにはインターホンなんてハイカラな物は無いので、いきなり玄関ドアを開ける。
「おはよう。突然ごめんね」
そこに立っていたのは、眠そうな顔の委員長だった。
私服なので一瞬誰だか分からなかった。
「おお、おはよう。何だ? どうした?」
まりあん以外の女がウチに来るのは初めての事(人外の二人は除く)なので、何だか緊張してしまう。
「えっと、真珠ちゃんだっけ? 白い尻尾と耳の子」
「ああ、真珠だ。あいつが何か悪さでもしたのか?」
「ううん。真珠ちゃんに、ちょっとお願いが有って。まりあんに相談してたんだけど、真珠ちゃんの事は中古くんに訊けって言われて」
「今は外に出ていて留守だな。客が来ると犬みたいに興奮するから、居ればここに来るはずだ」
真珠は母さんのペット状態なので、朝は仕事場である店の前まで送るし、閉店が近付くと迎えに行く。
それ以外の時間は家で番犬として寝ているが、一人で勝手に遊びに行く場合も有る。
俺がそう説明すると、委員長は髪を編み上げている頭を傾げてしょんぼりとした。
「そう……。事前にメールなりすれば良かったんだけど、アドレス知らなかったし……」
「時間に余裕が有るなら上がって待ってみてよ。帰って来る時はすぐに帰って来るから」
委員長は、自分の腕時計を見てから頷く。
「そうね。じゃ、お邪魔しようかな」
二人っきりの時に女を俺の部屋に上げる訳には行かないのでリビングに通す。
最近は窓からの侵入が無いので大丈夫だろうが、タイミング悪くまりあんがやって来たらとんでもない事になる。
俺が他の奴と仲良くしているとヘソを曲げるからな、まりあんは。
「ちょっと母さんに訊いてみるよ」
委員長がソファーに座る様子を見ながら家の電話機で母さんの店に電話する。
『もしもし?』
開店前に電話をするのは俺か父さんくらいなので、電話に出た母さんの声は家の中に居る時と同じトーンだ。
「あ、俺だけど。真珠はまだそっちに居る?」
『ううん。いつも通り、店の前で別れたよ。何か有った?』
「ちょっと用事が有って。すぐ帰って来るかな?」
『今日は日曜でショウが家に居るから、真っ直ぐ帰るんじゃないかな。あの子、ショウの事も好きみたいだから』
「そ、そうか。分かった。邪魔して悪かった」
『良いのよ。じゃあね』
向かうから切れる電話。
「真珠はすぐに帰って来るかも知れないってさ」
俺は言いながらキッチンに行き、飲み物の用意をする。
「良かった。あ、お構いなく」
そう言われても構わない訳には行かないので、オレンジジュースを出してやる。
委員長は軽く頭を下げてから俺に眠そうな目を向ける。
「あのさ、中古くん。まりあんとケンカしてるの?」
「ケンカはしてない」
「でも、中古くんの家に一緒に来てってお願いしたら、奥歯に物が挟まった感じで断られたよ?」
俺は頭を掻きながら適当なソファーに座る。
「まりあんにも色々有るんだろうよ。俺には分からん」
「そっか。彼女は難しい子だからね。でも、二人は保育園の時から仲良しだったでしょ? だから、最近の感じは何か変で心配だよ」
「……え? 委員長って、昔の事を知っているのか?」
「やっぱり覚えていないんだ。保育園、三人一緒だったんだよ。小中は違う学校だったけど」
ふんわりと笑む委員長。
笑うと目を閉じているみたいになる。
「そうだったのか」
「青い目を理由に苛められてたまりあんを庇ってあげてたのが中古くんだったじゃない。
だから今でも二人は仲良しなんだと思ってたんだけど」
そんな事が有ったのか。
俺の事らしいが、当時の記憶が無いので他人事に聞こえる。
「隅っこで絵本を読むのが好きだった私を無理矢理外に引っ張り出して、三人で遊んだじゃない。
私、中古くんのお陰で自転車に乗れる様になったんだよ?」
俺の顔を窺う委員長。
「ホントに覚えてないの? まりあんは私の事を覚えててくれてたよ?」
「サッパリ覚えてない。あ、だからあのまりあんとすぐに仲良くなれたのか」
「うん。ただ、まりあんの右腕の事は頑なに教えてくれないけど」
「まぁ、な……。ん?」
玄関の方から蝶番が微かに軋む音が聞こえて来た。
「真珠か? ちょっと来てくれ」
巫女装束姿の狐耳少女が、中腰で警戒しながらリビングに来た。
委員長を凝視している。
「誰?」
「まりあんの友達の、由利さんだ。真珠にお願いが有るんだと。話を聞いてやってくれ」
委員長はソファーから立ち上がり、真珠の前まで移動する。
「由利亜子です。よろしくね、真珠ちゃん」
「ユリ? アコ?」
「アコよ」
真珠と目の高さを合せる様に前屈みになる委員長。
子供扱いしているが、そいつは俺達より年上だ。
だが、真珠の警戒を解く事には成功している。
「アコ。お願いって、何?」
「うん。実はね――」
委員長は語る。
五月の終わり頃から、委員長の自室のベランダに妖怪が現れる様になった。
専業主婦の母親が言うには、毎日必ず午前十一時頃に現れ、すぐに居なくなるらしい。
自分は休日にしか部屋に居ないので自分が目的ではないだろうが、それなら何が目的で来ているのかが分からない。
不気味で仕方が無いので、似た様な妖怪で人畜無害な真珠になぜ現れるのかを聞いて欲しい。
「――と言う訳なの」
「真珠に似てるのか?」
俺が訊くと、委員長は背筋を伸ばして頷いた。
「一見普通の女の子なんだけど、猫の耳に、二股の尻尾が付いてる。多分、ネコマタ」
「猫か。確かに真珠の尻尾は二股だが……。真珠にそんな器用な真似が出来るとは思えないな」
「どうしてウチに来るのかを訊くだけで良いから。ね? 真珠ちゃん。お願い」
委員長に拝まれた真珠は、狐耳を寝かせた情けない顔を俺に向けた。
「真珠にどうして欲しいの? 話が長くて分かんないワン」
「猫の妖怪が現れるから、何で来るのか訊いてくれってさ」
「ふーん。話をするだけ?」
訊かれた俺は委員長を見る。
視線で察した委員長は、真珠の肩に手を置いた。
「うん。お話をするだけ。お礼のお菓子とかも、一杯用意して有るから」
「甘い物は好きじゃないワン」
「え? あ、じゃ、何が好きなのかな?」
「肉」
「お肉? えーっと、焼肉? 生?」
「そんなマジに受け取らなくて良いよ。ペット用のジャーキーで良い」
放って置くと委員長に大出費をさせそうなので、俺は助け船を出す。
「あ、そうなの? じゃ、ウチに行く途中のコンビニで買ってあげる。どうかな?」
「ジャーキー好き。行けば良いの?」
真珠が乗り気になったので、委員長はホッと胸を撫で下ろす。
「ありがとう。じゃ、早速私の家に行きましょうか」
「ワン」
大きく頷く真珠。
良い感じでエサに釣られている。
「良し。じゃ、頑張って来い」
「え?」
「え?」
委員長と真珠が揃ってキョトンとした顔をしたので、俺は面食らった。
「え?」
「あ、っと、その……中古くんにも、来て欲しいなー、って……」
長い髪を編み上げている自分の頭を撫でながら気まずそうに言う委員長。
「何で。俺が行っても何も出来ないぞ?」
「でも、怖いから……。男の人が居れば、妖怪相手でも、安心出来るかな、と思うし……」
モジモジしている委員長を見た真珠は、なぜか目を細めて彼女の匂いを嗅いだ。
「お前、変な事を考えてないか?」
「え? 何も考えてないよ?どうしてそう思うの? 真珠ちゃん」
「女の匂いがきつくなってるワン。発情し」
「どぅわっ! 緊張してるだけ! 超緊張してるだけだからっ! 真珠ちゃんの思い違い!」
委員長は大声を出しながら真珠の口を塞ぐ。
お陰で真珠の言葉が聞こえなかった。
「本当にそんな事無いから! まりあんを裏切る事は絶対にしないから! ……あ、ごめんなさい」
息苦しそうに暴れる真珠の口から手を離す委員長。
見た目だけは幼女の真珠は顔も小さいので、口と鼻を一緒に押さえてしまっていた様だ。
「……ケン。なら良いけど。でも、真珠も一人で知らない人の家に行くのは怖いワン。ショウも来て」
「しょうがないな。どうせヒマだし、行ってやるよ」
リビングの壁に掛かっている時計を見ると、九時半。
「ネコマタが来るのは十一時だったよな」
「あ、うん。ウチまでは歩きで一時間掛からないくらいだから、急がなくても大丈夫」
委員長も時計を見る。
「真珠ちゃんが自転車に乗れるか分からなかったから歩きで来たけど、どうだったかな? やっぱり、歩きは面倒だったかな?」
「いや、歩きで良いよ。じゃ、ちょっと待っててくれ」
俺は自分の部屋に戻り、携帯とサイフをポケットに突っ込む。
ふと窓の方を見たが、人の気配は無い。
まぁ、用事が出来てヒマじゃなくなった訳だから、向こうの事はどうでも良いか。
一階に降りてリビングに戻った俺は、小声で話をしている二人に手を振る。
「お待たせ。じゃ、行くか」
「ワン」
「あ、うん。行きましょう」
家を出た俺は、何気なく隣の家の二階を見上げた。
すると、まりあんの部屋の窓に張り付いているみことの赤い瞳と目が合った。
みことの視線を感じたから無意識に見てしまったんだろう。
そのみことは、振り向いたりこっちをみたりしながら口をパクパクさせていた。
部屋の中に居るまりあんに俺達の事を報告しているのか。
そんなみことに背を向けた俺は、天気とかのどうでも良い話をしながら委員長と並んで歩く。
真珠は途中のコンビニで買った酒のつまみ用のジャーキーを巫女服の懐に入れ、上機嫌で俺達に付いて来る。
そして委員長の家に着いた。
この辺りでは良く有る普通の一軒家。
時間は十時四十分。
丁度良い。
「おじゃまします」
早速上がらせて貰った俺達は、真っ直ぐ二階の一室に通される。
カーテンが閉め切られていて、昼なのに薄暗い。
「妖怪が怖いからカーテンが開けられないの」
委員長は、そう言いながら明かりのスイッチを入れる。
フローリングの床。
中心に小さい絨毯が敷かれていて、その上に小さい丸テーブルが置いてある。
部屋の一角に寄せてある一人掛けのソファーに、ベッドと本棚。
大きな青いカーテンの前に小さいパイプテーブルとパイプ椅子。
TVは無い。
家具の全てが小さいせいか、何も無い部屋に感じる。
良く言うなら、オシャレな空間の使い方をしている、って感じか。
俺達を上げるつもりで真珠を頼って来たんだから、事前に片付けておいたんだろう。
「じゃ、時間まで待ちましょうか。お菓子とか持って来るね」
「ああ。俺は遠慮しない。有り難く頂くよ」
クスっと笑った委員長が一階に降りて行く。
「どうだ? 真珠。妖怪の気配とかするか?」
「全然。ねぇ、ジャーキー食べて良い?」
「良いけど、人ん家だから零すなよ」
「ワン」
いそいそと袋を開けた真珠は、もしゃもしゃとジャーキーを食べ始める。
女臭かった部屋が一気にジャーキー臭くなる。
幸せそうな真珠は放置し、取り敢えず絨毯の上に座る。
そして丸テーブルの上に置いてある一冊の本を手に取った。
表紙絵に華が無く、やたら分厚くて重い。
小説か。
さすが優等生、賢そうな物を読んでいるな。
開いてみると、当然の様に文字しか無い。
挟んである栞を抜き取ったら怒られるだろうな。
そんなイタズラをしても意味が無いので、そのまま元の場所に戻す。
もしかして、あの本棚は小説ばっかりなのか?
立ち上がり、俺の背と同じくらいの高さの本棚の前で腕を組む。
一番上の段に何冊かのマンガが有った。
探偵マンガの新しい奴だ。
他は……ラノベ、新書、ハードカバー。
やはり大半が小説。
著者は大体が知らない奴だが、江戸川乱歩とか、俺でも知っている名前も有る。
そこで俺はひとつの共通点に気付いた。
新書やラノベを次々に手に取り、背表紙に書いてある作品紹介部分を読む。
思った通り、全部探偵物だ。
探偵物って言えば、大体の物で殺人が起こるイメージが有る。
おっとりしている割には血生臭い物が好きなんだな。
「おまたせ」
お盆を持った委員長が戻って来た。
色々なスナック菓子が盛られた大き目の皿と、メロンジュースが注がれた三個のコップを丸テーブルに並べる。
「真珠ちゃんは甘い物が苦手なんだっけ。真珠ちゃんの分のジュースも持って来たけど、飲む?」
「水が良いワン」
本棚を見ている間にジャーキーを食べ終わっていた真珠が指を舐めながら言う。
「分かった。ちょっと待っててね。中古くん、良かったら二杯飲んで」
「おう」
再び下に行った委員長は、水の入ったコップを持ってすぐに戻って来る。
それを一気飲みする真珠。
一時間の歩きとジャーキー一気食いのせいで喉が渇いていた様だ。
「そろそろ時間だから、カーテン開けるね」
委員長が青いカーテンを開ける。
壁一面がガラス窓で、その向こうに結構広いベランダが有った。
土の詰まったプランターが何個か置いてあり、色々な花が植えてある。
だが、ほとんどの花に元気が無い。
枯れているのも有る。
「ベランダに出られないから、花の手入れも出来なくて……」
悲しそうに言う委員長。
「探偵物ばっかり読んでるみたいなのに、妖怪が怖いってのも変な感じだな。人間の殺人者の方が怖いと思うんだが」
「ああ、さっき本棚を見てたね。あれは作り話だもの。読んでワクワクする物。
でも、何をしに来るのか分からない本物の妖怪は誰だって怖いはずだわ」
「最初に真珠と出会った時、まりあんは真珠の耳を捻って追い払ったけどな」
「痛かったワン」
思い出したのか、真珠は自分の狐耳を手で押さえた。
「あの子は、こう言っちゃなんだけど、色んな意味で特別だから……。まぁ、座りましょう」
丸テーブルの横に座った委員長は、テーブルの上に有った小説をテーブルの下に置き直す。
「その前に窓を開けておくか。頼んだぞ、真珠」
俺はベランダに出る為の大きな窓を開け、その窓枠の前に真珠を座らせる。
「ワン。ネコマタが来たら、何でここに来るかを訊けば良いんだよね?」
「そうだ」
そして俺も丸テーブルの横に座り、真珠の二股尻尾が揺れるのを見ながらお菓子を抓む。
時計の針が段々と十一時に近付いて来る。
緊張しているのか、委員長が生唾を飲んだ。
「ワン!」
真珠の鳴き声と同時に黒い物がベランダに降り立った。
真っ黒な綿菓子の様な髪に、ゴスロリって言うのか、真っ黒なお姫様ドレス。
そして、黒い猫耳に、二股の黒い尻尾。
時計の針は十一時数分前。
時間通りに委員長を怖がらせているネコマタが現れた。
見た目は俺達と同年代くらいのネコマタは、明らかに人間の物ではない猫目で真珠を見詰めた。
二、三秒の睨み合いをする二匹の妖怪。
俺と委員長は固唾を飲んで見守る。
「おい。お前。何でここに来る」
いきなりド直球の質問をする真珠。
「ここはお前の縄張りか?」
二歩足で立っているネコマタは身構え、二本の尻尾をピンと立てる。
「違うワン。でも、まりあんの友達がお前を怖いと言っているワン。なぜここに来るか言え」
ネコマタは俺達を見た。
その後、背の低い真珠を見下す。
「狐がワンワン言って人に使われているのか?」
「真珠は犬だワン!」
真珠がネコマタを睨み付ける。
怯まずに見下し続けたネコマタは、数秒後、肩の力を抜いて深く溜息を吐いた。
「プライドも無い犬か。――と思ったけど、私も似た様な物だわね」
「どう言う事だ?」
ネコマタの警戒が解けた様なので、俺は口を挟んでみた。
怖い物知らずな俺の行動を不安そうに見る委員長。
「私も飼い猫だからよ。だけど、私の飼い主のお婆ちゃんが、ちょっと前に倒れちゃったの。それで入院してるの」
ベランダで座るネコマタ。
大きくて黒いスカートがお椀を逆さまにした様な形になる。
「この家は病院とお婆ちゃん家の真ん中くらいに有って、お見舞いに行く途中の丁度良い休憩場所なの。ここに来ている理由はそれだけよ」
「つまり、たまたまこの家が通り道だから、たまたまここで休んでるだけか」
「そうよ」
俺は委員長を見る。
毎日ベランダに来る事に深い意味が無いと分かり、顔の強張りが取れている。
「じゃ、もしもそのお婆ちゃんが退院したら、ここにはもう来ないんだな?」
「そうなるわね」
「そのお婆ちゃんの病名は分かるか?」
「一度訊いたけど、忘れちゃったわ。覚えたとしても、私は何も出来ないもの」
「まぁ良い。ちょっと待ってろ」
俺は携帯でまりあんに電話する。
まりあんも俺と同じく友達が少ないので、滅多に電話が鳴らない。
なので、携帯を取るのに時間が掛かる。
『何?』
やっと出たと思ったら、相変わらずの素っ気ない声。
「悪いな。みことは居るか? ちょっと変わって欲しいんだけど」
謎の間。
「もしもし?」
『私抜きで亜子と遊んでる人が、どうして私にそう言う事言うの? 嫌がらせ?』
「別に遊んでる訳じゃない。何が気に入らないか知らないが、
そう言う事を言うなら最初からまりあんが委員長の相手をすれば良かっただろ?」
無言でいるまりあん。
「俺がここに居る理由はまりあんも知っているって話だったよな? みことの助けが要るんだ。頼むよ」
『……ふん』
電話の向こうでみことが『え? わらわ?』と言っている。
『もしもし。お電話変わりました』
「みことか? 俺だ。ショウだ」
『ショウでしたか。はい。何でしょう?』
「ひとつ、治癒を頼みたい。病名が分からないから無理かも知れないけど」
治癒と聞いて、ネコマタの猫耳がピクリと動いた。
『病名が分からないのですか? その方は、どう言った方ですか?』
「詳しくは後で説明するが、その人が元気になれば問題が解決するんだよ」
また謎の間。
「もしもし?」
『……その方は、ショウのご友人ですか?』
「いや、違う。会った事も無い、お婆ちゃん?」
俺はネコマタに視線を送る。
察し、真剣な表情で頷くネコマタ。
「お婆ちゃんだそうだ」
『ご老人ですか……』
みことの声が暗い。
あまり乗り気では無さそうだ。
「なぁ、頼むよ。何か問題でも有るんなら諦めるが」
『分かりました。ショウのお願いなら断れません。そのご老人が、自分の足でわらわの許にいらしたら、診るだけみましょう』
「そうか。助かる。ちょっと待っててくれ」
携帯を顔から離し、ネコマタを指差す。
「名前はなんて言うんだ?」
「私? タマ」
「随分古風な名前だな。そのお婆ちゃんが付けたのか」
「そうよ」
「じゃ、タマ。お婆ちゃんを連れてウチまで来れるか? 入院中だから無茶なのは分かってるが、運が良ければお婆ちゃんは助かるぞ」
「無理だわ」
「どうして」
「歩けないから」
「歩けない?」
「倒れた時に骨折して、糖尿病がどうとかで片足をなくしたの。もう病院から出られないってお婆ちゃんは言ってる。だから私は元気付けに行くの」
絶句する俺。
想像以上に状態が悪い様だ。
『もしもし? ショウ?』
携帯から俺を呼ぶ声がしたので我に返る。
「あ、ああ。すまない。どうやら動けないらしい。みことが病院に行く事は出来ないか? 糖尿病らしいんだが」
「倒れたのは糖尿病のせいじゃないよ、ってお婆ちゃんは言ってた」
タマが部屋の中に入って来る。
真珠は威嚇したが、俺は手を振って真珠を下がらせた。
委員長はビビって俺の後ろに隠れている。
『あのね、ショウ。わらわが治せるのは怪我だけ。糖尿病は無理です』
「そう、だったな。入院の原因は糖尿病でもないみたいだが」
『それに、ご老人の場合、体中に治癒が必要な部分が有る場合が有ります。そうなると、わらわの体力がゴッソリと持って行かれます』
猫の目が俺を見ている。
期待されているが、残念ながらそれには応えられそうもない。
『今は飽食の時代だから平気ですが、恐らくとんでもない量の食事が必要になるでしょう』
「なるほど……」
『それに、人は必ず死にます。助からない人を見るのは、わらわにも苦痛です』
電話の向こうで深呼吸する音。
本気で嫌がっている様だ。
「そうか……。無理言って済まなかった」
『わらわはショウの役に立ちたい。ですが、わらわの封印はまりあんも居ないと解けなかった。だから、まりあんの役にも立ちたい』
タマの事とは無関係な事を言い出すみこと。
「その話は帰ってから聞くよ。今、目の前に問題の元が居るから。じゃ」
携帯を切り、タマに向き直る。
「悪い。治癒は無理みたいだ」
「そう。狐を使役してるから只者じゃないのかと思って期待したけど、しょうがないわね」
猫のくせに背筋を伸ばして立つタマ。
服装のせいか、大きい胸が目立つ。
「私もお婆ちゃんも覚悟しているから、もう良いわ。この姿になったのは、お婆ちゃんの最後を看取る為だしね」
タマは偉そうに腕を組む。
そんな黒い妖怪をじっと見ていた真珠がいきなり喋る。
「人間の形になったのは、最近?」
「ええ。猫のままじゃ病院に入れないから」
納得出来る理由だ。
「真珠も、まみちゃんに会う為にこの形になったワン」
真珠色でフカフカの二股尻尾が床に垂れる。
「だけど時間が経っていて、まみちゃんは大きくなってた。それなのに真珠は大きさが変わらないワン。どうして?」
「お前は自分の力でその形になったんじゃないの? 変化しておいてそんな事も知らないなんて、とっても不自然だわ」
猫目を真珠に向けるタマ。
無意味に偉そうなところがまりあんに似ている。
「真珠は神社でお願いしてこうなったワン」
「ふーん。猫と狐では事情が違うのかしら」
「教えて。まみちゃんは、このまま年を取っちゃうの? 真珠は、また置いて行かれるの?」
真珠を訝しげに見るタマ。
「お前、訳が分からない。もう行くわ。お婆ちゃんとの面会時間が無くなっちゃう」
真珠に背中を見せない様に後退さってベランダに出たタマは、人間離れした跳躍力で隣の家の屋根に飛び移った。
そしてそのままどこかへとジャンプして行く。
「あ、待って! 真珠に教えて!」
真珠もタマの後を追い掛けて出て行った。
真珠はタマより跳躍力が少ないので、ベランダから飛び降りて地面を走って行く。
残された俺と委員長は、茫然と開けっ放しの窓を眺める。
しばらく固まった後、委員長はゆっくりと俺から離れた。
「真珠ちゃんが言ってた、まみちゃんって誰?」
「俺の母さんだ」
真珠が俺の家に来た経緯を簡単に説明する。
「そうなんだ……。じゃ、真珠ちゃんは、ああ見えて二十歳以上なのね……」
考え込む委員長。
「さっきの言葉……。真珠ちゃんも悩んでいたのね」
「どう言う事だ?」
「真珠ちゃんが子供の姿なのは、中古くんのお母さんと遊んでいた時の年齢だからだと思う」
「言われてみれば、そうだろうな。あいつが母さんを探していた理由は、また一緒に遊びたいからだって言ってたし」
「でも、再会したら中古くんのお母さんは大人になっていた。これはつまり、二人の時間の流れが違うと言う事」
立ち上がり、恐る恐る窓に近付く委員長。
そして、ゆっくりとベランダの様子を伺った。
もう妖怪二人の姿は無い。
「だから、寿命的な意味で、ずっと一緒に居られないって事だよ。さっきの言葉からすると、真珠ちゃんは随分と長生きするんでしょうね」
委員長は静かに窓を閉める。
「あいつもみことと同じ事で悩んでたのか……」
「みことって、まりあんの家に居候してる子?」
「ああ。知ってるのか」
「そう言う子が居るってのは聞いてる。さっき電話してた子だよね。その子も妖怪なの?」
「いや、神様らしい」
みことの事も簡単に説明する。
「千歳以上の神様……」
「すぐ近くに居る特殊生物なのに、お互いの悩みが同じなのに気付かなかったってのもおかしな話だな」
「そうでもないんじゃない? 神だ妖怪だって言っても、相手の心が読める訳じゃないんでしょ?」
「まぁ、そうか」
そう言えば、アンドロイドの山田と出会った時、真珠は先に帰っていたな。
あの会話を聞いていないのなら知らなくても仕方がないか。
「だから、神様よりは同じ妖怪の方が話が通じるんじゃないかな。変化物って言う共通点も有るし。真珠ちゃんもそう思ったから追い掛けて行ったんでしょう」
腕を組む委員長。
「最後にタマちゃんが真珠ちゃんを嫌がっていたのも、タマちゃんの方も同類だと思ったからじゃないかな。
似た者同士って、最初は嫌い合うじゃない」
「そう言うもんかね」
「それを乗り越えれば、きっと良い友達になれると思う」
「ほう。さすが推理小説ばっかり読んでるだけはあるな。良くそこまで分かるもんだ」
「ただの一般論よ。タマちゃんの事も、私とお母さんが勝手に怖がっていただけみたいだね。お婆ちゃん想いの良い子じゃない」
組んでいた腕を解いた委員長は、逆光の中で微笑んだ。
「ありがとう、中古くん。お陰で怖くなくなったよ。きっと明日もタマちゃんは来るだろうけど、もう大丈夫」
「そうか……。俺は何も出来てなかったから、礼を言われるのはムズ痒いな」
「そんな事無いよ。私、タマちゃんがベランダで休む事を赦してあげようって思えたから。
中古くんがタマちゃんとお話をしてくれたお陰でね」
赦してあげると言う言い回しに委員長らしくない違和感が有る。
どこかで聞いた気がするんだが……。
そんな俺の心を読んだかの様に頷き、眠そうに微笑む委員長。
「そろそろお昼だけど……ご飯食べて行く?」
「いや。妖怪共が向かった方向の病院を回ってみるよ。今の時点ではタマが真珠を嫌っているから、ケンカするかも知れないしな」
「そう。ごめんね、面倒な事になっちゃって……」
委員長は不意にポケットに手を入れた。
バイブにしていた携帯にメールが来た様だ。
それが切っ掛けで完全に解散モードに入る。
「じゃ、俺はこれで失礼するよ」
お菓子を一抓み食べ、ジュースを飲み干した俺は、おもむろに立ち上がった。
「うん。今日は本当にありがとう。あ、タマちゃんの事でまた真珠ちゃんを頼るかも知れないから、中古くんのメールアドレスを教えて貰えるかな?」
「ああ、そうだな」
委員長とアドレス交換をする。
「じゃ、また明日、学校で。真珠ちゃんにも、ありがとうって伝えてね」
「分かった。じゃ」
委員長に見送られて家を出た俺は、妖怪共が行った方に向かってダラダラと歩く。
こっち側は学区外だが、長年まりあんに連れ回されたお陰で土地勘は有る。
「確か、大きい病院はふたつ有ったよな。お婆ちゃんが入院している病院ってのはどっちかな。小さい病院は全く分からないから、そっちだったらお手上げだが……」
まぁ良いか。
妖怪共がケンカするかも知れないと言うのは、多分心配し過ぎだろう。
人の言葉を喋るだけあって、真珠は人としての常識を弁えている。
病院に入る為に人の形になったタマにもそれなりの分別が有るはずだ。
大きい病院をふたつ回って見付からなかったら、そこで諦めて帰るか。
真珠が迷子になったとしても、犬なら帰巣本能で戻って来るだろ。
休日なので人出も多い道路をのんびりと歩き、最初の病院に着く。
適当に駐車場を回り、通行人や病室の窓を眺めてみるが、特に変わった雰囲気は無い。
騒ぎが起きた気配も無い。
近所の屋根も見上げてみたが、妖しい人影は無い。
狐耳巫女装束と猫耳ゴスロリじゃ異様に目立つはずだから、こっちじゃ無かったって事か。
次の病院に行こう。
駐車場の反対側から出て、美味しそうな匂いが漂う道路を歩く。
そう言えば昼時だったな。
委員長の家を出た時は菓子とジュースのお陰で平気だったが、それなりの距離を歩いた今はかなりの空腹を感じる。
次の病院、結構遠いんだよな。
歩くのも面倒臭くなって来たから、もう帰ろうかな。
外食する金も無いし。
良し、止めよう。
周囲の民家の屋根や背の低いビルの隙間に妖怪の姿が無い事を確認したのを最後に探すのを諦めた俺は、自分の家に帰る為に振り向いた。
「!」
すると、五十メートルくらい後ろでまりあんが驚いていた。
何でこんな所に居るんだ?
思いっ切り挙動不審なので、偶然通り掛かったって様子じゃない。
「何してるんだ?」
俺が近付こうとすると、まりあんは一瞬だけ逃げようとした。
が、思い直した様にモジモジしながら向こうから近付いて来た。
何だか様子がおかしい。
「あー。その。真珠は見付かった?」
まりあんの額には汗が滲んでいて、呼吸が荒い。
珍しく走って来た様だ。
片腕が無くて身体のバランスが悪いせいか、まりあんは走るのが苦手なのに。
「いや、まだだ。でも、どこの病院に行ったかも分からない奴を探すのは無理だと思ってな。たった今、諦めたところだ」
「そ、そうだったんだ。私がショウを見付けた途端に振り向いたから、気配を読まれたのかと思ったよ」
だから驚いたのか。
「で。まりあんは何しにここに来たんだ?」
「あー。うん。その、みことがね。今が運命の分岐点だから、もしも今日中にショウに会えなかったら溝の修復は不可能になるって」
「溝?」
「亜子にも色々と相談を聞いて貰ったのに、ネコマタの話を無視する形になって、申し訳ないなーって」
「悪い。まりあんが何を言ってるのか、さっぱり分からない」
「あぁん?」
「般若顔をしても分からんもんは分からん」
「そうよね。ショウはそう言う奴よね」
支離滅裂なまりあんの方が明らかに悪いが、そう言うツッコミは火に油なので俺が悪い事にしておく。
そこに赤と白の物体が降って来た。
音も無く着地し、茶色の瞳で俺を見上げる。
「お? 真珠の方から来てくれたか。タマはどうした?」
「逃げられたワン。妖怪だろうが神だろうが、やった風にしかならなくて、なる様にしかならないって言われたワン」
真珠色の耳が寝る。
「訳が分かんないワン」
「そうか。まぁ、タマも悪い奴じゃないみたいだし、人の形になった真珠と似た様な生き物だから、また会ったら仲良くすれば良いよ」
「また会えるかな」
「タマは決まった時間に決まった場所に行くんだから、それを知っていれば会えるだろ」
「あ、そっか。アコの家のベランダで待てば良いんだ」
「ベランダに入るなら、ちゃんと家の人に許可を貰ってからにしろよ。周りの家に迷惑掛けるのもダメだぞ」
「分かったワン」
「委員長も真珠とタマは良い友達になれるって言ってたから、やり方を間違えなければ大丈夫だ」
頷いた真珠の尻尾がもっさりと揺れる。
「その事をまみちゃんに話してみるワン」
笑顔になった真珠は、民家の影に消えて行った。
周りの家に迷惑掛けるなと言ったばかりなのに、ナチュラルに人の家の敷地に入って行っている。
悪意は無いから、他人に気付かれていないのなら勘弁してやるか。
「――やった風にしかならなくて、なる様にしかならない、か」
ぽつりと言うまりあん。
それに気付いた俺は、まりあんに肩を竦めて見せる。
「真珠はみことと同じ様に寿命の事で悩んでいたみたいだな。まぁ、妖怪同士で解決すれば良いよ」
「妖怪同士で、か……。みことの予想は大当たりって訳か……」
足元に視線を落としながら呟いたまりあんは、顔を上げて薄く笑った。
「ねぇ、これからカラオケにでも行かない? お昼、まだでしょ?」
「まりあんに誘って貰えるのは一ヵ月ぶりだな。ヒマだから良いけど」
「行こ」
まりあんと二人、並んで歩く。
「私さ。待ってみたら、ショウの方から誘って貰えるかなって思ってた。ショウもヒマ人だし」
「ああ、そう思ってたのか。悪かったな、気が効かなくて」
「良いよ、もう諦めたから。私、待つのは無理だわ。ヒマでヒマで。みことが居なかったら、二週目の日曜でギブアップしてたよ」
「って言うか、まりあん、勉強しまくってたじゃないか。そんなの邪魔出来ないだろ」
「だって他にやる事が無いんだもん。みことはネットに嵌ってるし、亜子は引き籠って本を読むのが趣味だし」
「俺なら、こっちの都合なんか無視して引き摺り回せるから都合が良いってか?」
「うん」
即答かよ。
別に良いけど。
そのお陰で昼飯に有り付けるし。
「――あのさぁ、ショウ」
肩で風を切って歩き、真っ直ぐ前を向いたまま喋り始めるまりあん。
「この一ヵ月、学校以外はずっと家に居たよね。友達居ないの?」
「それが分かるって事は、まりあんもずっと家に居たって事か。お互いに友達が居ないんだな」
俺はふざけて言ったが、まりあんは真顔のままだ。
「そうなったのは、私のせいだよね」
「ん? 何だ、急にしおらしくなって。らしくないぞ」
「まぁね。みことにあれこれ言われてね」
まりあんは、上着の胸元を大きく開けた。
走ったせいで暑い様だ。
天気も良いしな。
「真珠と出会ってから、みこと、雷呼と、連続で変なのが出てきたでしょ?」
「そうだな。よくもまぁ連続で変な物が沸いて出るもんだと感心するよ」
「で、今日はネコマタと出会った。タマ、だっけ?」
「ああ。タマ。多分、黒猫だ。スゲー派手な外見をしているぞ」
「みことが言うには、封印解除のフラグが別の人に移り掛けてるんだってさ」
「フラグ?」
「あいつ、ネットに嵌ってるって、さっき言ったよね? 徹夜でずっとやってるからボキャブラリーがおかしな事になってんのよ」
「まだ眠れないのか」
「最近は一,二時間くらいは寝てるみたいだけどね。で――、あ、ここに入ろう」
適当なカラオケ屋が見付かったので、そこに入る。
入り口で手続きを済ませ、指定された部屋に移動する。
「で、話の続きだけど」
まりあんはソファーに座ったが、マイクを持つ気配が無い。
なので、俺もまりあんの正面に座ってそのまま話を聞く。
「もしもこのまま放って置いたら、亜子の方にショウが行っちゃうんだってさ。みことが言うには」
「行っちゃうって、どう言う意味だ?」
「真珠の興味も、みことからタマの方に移り掛けてる。タマは亜子の家に来るから、ショウもそっちに行くんだって」
「意味が分からん」
んー、と唸るまりあん。
珍しく噛み砕いて説明してくれるつもりらしい。
「ショウはね、他人の影響を受け易いんだって。良く言えばね。悪く言えば自分が無いって事だけど」
「まぁ、自覚は有るな」
「だから、私が遊びに誘わないと、他の人に遊びに誘われる。すると、そっちにばっかり行くって訳」
「そりゃ、誘われたらそっちに行くだろ。俺なんかいつもヒマなんだし」
「うん……」
しょんぼりするまりあん。
反応がいちいちおかしい。
何なんだ一体。
「何か変だぞ、まりあん。ハッキリしないな。いつもみたいにズバッと言えよ」
「……そうだよね。遠回りに言っても、ショウには通じないよね」
「おう。まりあんが一番それを知ってるはずだ」
「じゃ、サクッと言うね」
背筋を伸ばし、深呼吸するまりあん。
「ショウに友達が居ないのは、私がくっ付いて歩いてるから。意識的に友達を作るヒマを与えなかったからなの。
ショウに自分が無いのは私にも分かってたしね」
「そうなる様に、ワザとやってたのか」
「そのせいで私も友達が作れなかった訳だけど、私はそれでも良かった。だって……」
まりあんは、左手を太股に挟んでモジモジする。
女の子っぽい仕草が激しく似合っていない、と軽口が言える空気じゃない。
「何と言うか、私とショウは、仲間だと思ってるから。友達とか幼馴染とか、そう言うのじゃなくて」
口を噤んだ後、視線を床に落とすまりあん。
「――同じ事故に遭った仲間。色々と説明しなくても良い間柄、って言うのかな。そんな人、他に居ないから」
「そりゃそうだ」
「だから、変な言い方だけど、独占したかった、みたいな……」
今度は茶色の髪の毛を弄り出す。
「それに、事故の事とかをショウに赦して貰いたくて……」
「赦すも何も、昔の事は綺麗サッパリ覚えていないんだが」
「うん。だからいつもショウと一緒に遊んでいれば、いつかは思い出すんじゃないかな、って。独占も出来るし、一石二鳥かなって」
まりあんの左手が右腕の残った部分をきつく握る。
「ショウが思い出さなきゃ、赦すも何も無い訳だし……」
「記憶に無い事をとやかく言われても訳が分からないしな」
「でしょ? それに、こうしていつも奢って恩を売って置けば、思い出しても怒ったりしないかも、ってね」
「思い出したら俺は怒るのか? って言うか、そう言うつもりで遊びに誘ってたのか」
「だって、私が余計な事をしなければ、あの子犬は道路に飛び出さなかった訳だし」
「どっちかと言うと、まりあんの方が目に見えて大怪我してるから、俺は怒らないと思うぞ」
「私は良いのよ。これが私への罰だし。自業自得は同情されるべきじゃない」
「だから手を貸そうとすると不機嫌になる訳か。同情されると罰にならないから」
頷いた拍子にまりあんの青い瞳から涙が一粒落ちる。
「だけどショウったら全然思い出さないんだもん。だから、動桃神社や雷呼の湯に行って、頭の怪我を治して貰おうと………」
立ち上がり、涙目で俺を見るまりあん。
「でも、その想いが呪いとなってみことと雷呼を復活させた。だから私とショウは離れた方が良いのかと思ったけど――」
まりあんの涙をハッキリと見たのは初めてかも知れない。
少なからず驚いた俺は、間抜けに口を開けてまりあんを見上げる。
「ショウが私以外の人と仲良くするの、やっぱりヤダ! それが亜子でも! ずっと私の荷物持ちでいてよ!」
「荷物持ちかよ」
「だってしょうがないじゃない。私が腕の事で甘えられるのは、ショウしか――」
まりあんの言葉が止まる。
店の受付で注文したピザとコーラを持った店員が、失礼しますと言いながら入って来たからだ。
歌わずに涙目で立っているまりあんと、口を半開きにして座っている俺の視線を受けた店員は、微かに表情を強張らせた。
しかし彼は無表情を装ってテーブルに注文の品を置いた。
妙な勘違いをされている気がするが、何も言われていないのに違うんですと言い訳するのもおかしいので、
黙って店員の動きを眺める俺とまりあん。
そして店員が早足で出て行くと、まりあんは崩れ落ちる様にソファーに座った。
「……歌うか」
まりあんは、曲を入れる為のリモコンに左手を添えた。
そしてお決まりの一曲目を入れる。
「次の日曜、ちゃんと窓の鍵を開けておきなさいよ。もう吹っ切れた。ショウが昔の事を思い出すまで、ずっと遊びに誘ってやる」
「勉強はもう良いのか?」
「ヒマだったからやってただけだし。ま、大学受験が来たら、また無理矢理勉強させるから覚悟しておいて」
「また一緒の大学に来いって言うのか?」
曲のイントロが始まり、マイクを左手で持つまりあん。
「当然でしょ!」
その言葉はスピーカーを通り、無意味に大音量で響いた。
やっぱり俺に拒否権は無いらしい。
困ったもんだ。