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ゆるうた  作者: 宗園やや
6/7

5月4日金曜日

襖が静かに開かれた。

複数の忍び足が畳を擦る音。


「まぁ。意外と寝相が宜しいんですのね」


「死んでるみたいでしょ? たまに呼吸を確かめるくらいよ」


「確かめてみるワン」


小さな手が俺の顔を雑に撫でた。

鼻や唇が変な方向にひん曲がる。


「……ふが?」


そこでやっと目が覚める俺。

瞼を開けると、浴衣を着た三人の女が枕元で俺を見下ろしていた。


「何するんだー」


頬を抓んでいる真珠の手を雑に払い、アクビをする俺。

まりあんが俺の布団を軽く蹴る。


「寝過ぎよ。そろそろ朝食の時間」


「あ、そう」


そう言えば、俺達は旅館に泊っているんだったな。

女三人は隣の寝室で、俺は一人でテーブルの有る部屋で寝かされたんだった。

封印の影響で眠れないみことは夜中に徘徊していた様だが、騒ぎが起きていないのなら問題は無いだろう。

上半身を起こした俺は、二度目のアクビをしながら浴衣の乱れを直した。

朝食は見晴らしの良いダイニングでのビュッフェなので、全員で浴衣の上に半纏を羽織り、そちらに向かう。

ダイニングに着くと、食事をしている他の宿泊客全員が他所行きの洋服を着ていた。

浴衣を着ているのは俺達だけ。

たくさん並んでいる料理を適当に取りつつ、失礼を承知で周囲の会話をそれとなく盗み聞きしてみたら、現在の状況が分かった。

昨日の騒ぎのせいで雷呼の湯が数日間の閉鎖となってしまった為、俺達以外の全員が帰り仕度をしているのだ。

一番の目玉である温泉が利用出来ないのならさっさと別の観光をした方が良い、との判断らしい。

自分達が騒ぎの原因だから旅館に対して申し訳ない気持ちは有るのだが、女三人が平気な顔をしているので、俺も普通にしている。

そして俺達は空いていたテーブルに着く。

真珠は肉ばっかりだが、獣なので偏食はしょうがない。


「あのさぁ。やっぱり、雷呼の言葉の意味を聞いておこうと思うんだ」


サラダを食べながら言うまりあん。

他の料理は取っていない。


「私を見て言ったのが気になってしょうがないの。教えてくれないかな」


「出来れば言いたくありません。が、今後、また同じ様な事が起こる可能性が有りますので、明らかにしておく必要は有ると思います」


みことは、山盛りのオカズを口いっぱいに詰め込みながら器用に喋る。

昨日、命懸けで雷呼を追い返した俺達に何かしらのお礼が有るかと思ったのだが、特に何も無かった。

夕飯も普通の量だった。

なので、治癒に使った体力を朝食で取り戻そうとしているのだろう。

小食のまりあんと大食らいのみことのギャップが面白いのか、他の宿泊客がチラチラとこっちを見ている。


「雷呼は最初からやる気が無かったので無事にやり過ごせましたが、もしも本気だったら確実に全員が死んでいましたものね」


おもむろに立ち上がったみことは、ご飯をおかわりして戻って来る。

当然山盛り。


「こっちの思惑を全部見透かしてたもんな、雷呼は」


俺は、家では滅多にお目に掛かれないサンドイッチを食べながら相槌を打つ。

定食屋を仕事にしているせいか、母さんがパンを食卓に置く事は滅多にない。


「ええ。何とかなると思っていたわらわ達が甘かったと言わざるを得ません」


「って言うか、封印を解いているのはショウよ? 私が関係有る訳?」


プチトマトにフォークを刺しながらダルそうに言うまりあん。

血圧が低いのか何なのか、まりあんは朝食中にテンションが下がるクセが有る。


「有ります。何を聞いてもまりあんが平気なら話しましょう」


「私が平気なら、か。――じゃ、食べながら話すのはお行儀が悪いので、部屋に戻ってからにしましょう。ここは人目が有るし」


「そうですね」


頷くなり、水を一気飲みする勢いで朝食を平らげるみこと。


「ちょっと……。急ぐ必要は無いから、ちゃんと噛んで食べなさいよ。見てるこっちが気持ち悪いわ」


「嫌ぁね。まりあんまで世話役みたいな事を言って。食事くらい、好きな様にさせて」


「おい。雷呼の口真似はよしてくれ。結構トラウマになっているみたいで、腋に汗を掻く」


「ふふ。ごめんなさいね、ショウ。えっと、もう一回おかわりしても良いですか?」


分かっててやったのだろう、苦虫を噛んでいる様な顔の俺を見て上機嫌になるみこと。

まりあんの性格の悪さがうつって来ている。

困ったもんだ。


「俺も、もうちょっと食いたいな。帰りの時間は大丈夫か?」


サラダを食べ終わったまりあんは、飲もうとしていたコーヒーのカップを下して応える。


「ええ。帰りは十四時の予定。女風呂時間で浸かってから帰ろうと思ってたから、大分余裕が有るわ。思う存分食べて。全部食べても料金が増える訳でもなし」


言ってからコーヒーを啜るまりあん。


「まぁ、お得ですね。じゃ、思いっ切り食べましょう」


「ワン」


一心不乱で肉に齧り付いていた真珠も、俺とみことの後に続いておかわりをした。

まりあんの許可を得て本気を出したみことの勢いは異常で、ビュッフェタイムが終わる三十分前に全ての料理を食べ尽くしてしまった。

正に人間業じゃない。

その時間になると他の客はほとんど帰っていたので誰にも迷惑を掛けていないし、残飯が出ないエコな日って事で許して貰おう。


「満足した?」


みことの食欲に呆れながら訊くまりあん。


「ええ。お腹いっぱいです。とても満足しました」


「ふーん……」


えびす顔のみことをジト目で見たまりあんは、いきなりみことの腹を擦った。


「ひゃっ! 何するんですか、まりあん!?」


「うわ、パンパン。妊婦みたい。すげー。普通なら胃が破裂してるわよ」


「あはは。わらわは妊娠したら死んじゃうそうですよ。困ったな」


「そう言えばそんな話も有ったわね。って言うか、食べ過ぎ。真珠なんか、途中で飽きて部屋に戻っちゃったわよ」


「え?」


言われて初めて気付く俺とみこと。

確かにダイニングの中に真珠の姿が無い。


「では、わらわ達も部屋に戻り、お話をしましょうか」


にこやかに言うみことと共に楓の間に戻る。

朝食の間に布団は片付けられていて、新しいお茶菓子が用意されていた。

こりゃ良い。

旅館ってのは本当にゆっくり出来る場所なんだな。

そんな部屋の隅で真珠が丸くなっていた。

お腹いっぱいなのでじっとしているんだろう。

本当に犬みたいな奴だ。


「さて。この話は、わらわと雷呼の話です。全ての封印がそうだとは思わないでくださいね」


座椅子に座って落ち着いたみことは、重々しく口を開た。

表情も真顔になっている。

その雰囲気を受けて気を引き締めた俺とまりあんも座椅子に座る。


「封印される前のわらわが朝顔を信用していた様に、雷呼も封印した者に好意を寄せていた様です」


「好意って、自分を封印しようとする人間を好きだったって事?」


確認する様に訊いているまりあんに頷くのは俺。


「そう言えば最後にそんな事を言ってたな。だから本気になれなかったんだとか」


視線をテーブルに落とすみこと。


「身も蓋も無い言い方をすれば、封印する相手を油断させる為に好意を持たせたんです。

裏切らないと思わせておいて、本心は……。そんな感じです」


「なるほど……。まぁ、そうでもしなけりゃ雷の神様になんか勝てないでしょうしねぇ」


まりあんは納得しながらお茶を淹れる。


「だからこそ、雷呼はこの一帯を破壊する、と言ったんでしょう。神じゃなくても怒る話でしょう? わらわも未だに朝顔一族と紫を信用出来ませんから」


「分かるわ」


みことの分と、そして珍しく俺の分までお茶を淹れるまりあん。


「そこに封印を解く鍵があるのです」


頭を下げてからお茶を啜るみこと。


「生きたまま封印されている物は、ほぼ例外無く封印を解いて欲しいと願っています。外へ出たいと。自由になりたいと」


「当然ね」


「その願いを叶えられる者と封印されている物の想いが同調した時に、封印が解かれる訳です」


「ん……? どう言う事?」


「今この場では、願いを叶えられる者、つまり封印を解ける者は、ショウですよね? まりあん」


「うん。そのせいであの騒ぎになったからね」


「封印されている物は、封印を解ける可能性を持つ有る者が近付くと、あらゆる手段を用いてアピールします。私は、無意識、と言いますか、夢の中での要求をしました。雷呼の方は分かりません」


「アピールと言うと、みことが復活した時の、岩が割れて洞窟が爆発した、アレ?」


「わらわは視線を送っていました。封印の場に近付くに連れ、誰かに見られている感じが増大したはずです」


良く覚えていないが、まりあんと二人で山道を登り始めた後から視線を感じていた。

あの時は真珠に見られているからだと思っていたが、言われてみれば視線の量が一人の物では無かった気がする。


「岩が割れたのは、封印が解かれたから。爆発は、穴を塞いでいた岩が無くなり、洞窟に溜まっていた治癒の力が外に漏れただけです」


「そうなんだ……」


「しかし、もしもあの場に居たのがショウ一人だったら何も起こりませんでした。アピールも無駄になります。いえ――」


言い淀んだみことは数秒考える。


「もしかすると、アピールをする時に魂の欠片を解き放ち、

アピールが無駄になったら別の場所に飛んで人間の子供として生まれるのかも……? まぁ、今はその話は無関係ですね。脇に置きます」


物を横に置くジェスチャーをしたみことは、居住まいを正してから話を続ける。


「わらわと雷呼が同調した大元は、まりあんの願い、なんです」


「それが雷呼の視線の意味?」


「はい。わらわが朝顔に向けた信頼。雷呼が封印者に向けた愛情。まりあんは、それらをショウに向けているでしょう?」


「……!?」


まりあんの頬が微かに赤くなる。


「封印されたわらわ達が好意を持っている相手に向けた感情と、まりあんがショウに向けている感情が同調しているんです」


言葉にすると分かり難いですね、と首を傾げるみこと。


「封印者と解放者の置かれている状況が同じなんですね。だから因果が時空を超え、封印を無効化した」


アニメやマンガでしか言わない様な言葉を吐くみこと。

そう言うふざけた状況になっているって事なんだろうが、当然の様にまりあんの表情は腑に落ちていない。


「まだ分かり難いですか? ショウがまりあんを封印しようとしていると仮定しましょう」


しかし、俺はまりあんを封印するつもりは無い。

封印を行える知識も無い。

そんな俺に封印されているみことが反応した。

みことの意識が封印した朝顔から封印する気の無い俺に移る。

人の想いと言うのは死人よりも生者の方が強いので、過去の想いと現在の想いが入れ替わった。

それで封印が無かった事になった。


「わらわが朝顔に向けた気持ちとまりあんがショウに向けている気持ちが全く同じになったんです。だからわらわはショウを無条件で好きなんです」


実際は無条件ではなく、夢の中での恋心も影響しているので、そこに差異が有る。

そのせいで復活直後の混乱が長引いたらしい。


「えっと、つまり、何だ。まりあんが俺を好きだから、その状況と同じみことも俺を好きになり、

朝顔の事がどうでも良くなって封印が解けた、って事か?」


俺が自分なりに纏めると、みことは薄く笑んで頷いた。


「簡単に言うとそうなります。正確に言うと違いますが、今は正さなくても良いでしょう」


「本当にそうなら、まりあんにはもうちょっと優しくして貰いたいもんだが」


俺は苦笑しながらまりあんが淹れてくれたお茶を飲む。


「うるさい。もしそうじゃないなら、一緒に温泉なんかには来ないわよ」


あれ?

今、認めた?


「ただし、それだけでは封印は解かれません。その程度で解かれるのなら、とっくの昔に解かれているはずですから。信頼や愛情を持っている男女なんか、文字通り人の数だけ存在していますから」


「ま、まぁ、そうね。みことは神社として祀られたし、雷呼は温泉に浸かっていた。大勢の人が二人に近付いていたわね」


多少どもりながら言うまりあん。

顔が少し赤い。


「なら、なぜショウは封印を解けたのか。それは、まりあんの想いがとんでもなく強いからです。それこそ、呪いと呼べるほどに」


「え……?」


驚き、青い瞳を見開くまりあん。


「まりあんは俺に呪いを掛けているのか?」


「はい。ショウに怪我をして欲しくない。ショウの未来を明るくしたい。そんな呪いです」


俺は困惑して首を傾げる。


「それは呪いなのか? 良い方への願いだと思うんだが」


「他人の運命に干渉して自分の思う通りに事を動かす。それは呪いです」


「私が、ショウに、呪いを……?」


目に見えて青褪めるまりあん。


「ですが、それでも封印を解くにはまだまだ足りません。神の封印とは、世の理を動かすほどの荒事ですから」


「じゃあ、どうして?」


赤くなったり青くなったりしているまりあんの顔を真っ直ぐ見るみこと。


「まりあんは、一度ショウを殺しましたね? 恐らく、件の事故で」


「!」


「何言ってるんだ。俺は生きてるじゃないか。ここに居るんだし」


みことは小首を傾げる。


「言い方が悪かったですね。自分がショウを殺したと思い込んだ、でしょうか?」


「……そうよ」


今度は顔色を土気色にして言うまりあん。


「あの事故の時、犬を避けた車が真っ直ぐショウに突っ込んだ。だから私は、ショウを突き飛ばした」


右腕の残っている部分を左手で押さえるまりあん。

まりあんが人前でこんな行動をするのを初めて見た。


「気が付くと、ショウは潰れた車の下に居た。潰れて切り落とされた腕と共に。後でそれは私の物だと分かったんだけど、その時は――」


俺を見ない様に顔を横に向けるまりあん。


「私が付き飛ばしたせいで、ショウがバラバラになって死んだと思った。私が殺したと思った」


まりあんは自分の右肩を強く握る。


「そもそも、あの子犬が道路に飛び出したのは、私が異常に可愛がったから。だから全部私のせい。腕を無くしたのは、私への罰」


「その背徳感ですね。呪いを最高レベルにまで引き上げているのは」


納得してうんうんと頷くみこと。


「死と言うのは、その人の世界が終わる事。殺すのは終わらせる事。わらわ達に声を届けるには十分な想いでしょう」


人柱や生贄で神に祈る形に近い、とみことは続ける。


「祈りの結果と言う物は、本人がどう思うか、ではないのです。それがどう作用するか、なんです。今回は結果的に呪いになっている」


みことは俯く。

長い髪が和風美人の顔に掛かる。


「わらわの封印が失敗していたら、わらわは裏切った朝顔を殺していたでしょう。その部分もまりあんの呪いに反応しています。わらわの立場に居るまりあんが、朝顔の立場に居るショウを殺しているからです」


雷呼も封印者を殺している様ですし、と言ってから長い髪を耳の後ろに撫で付けるみこと。

封印中に見た三度の夢の中で異性との恋を経験した為、現在は人殺しは悪い事だと認識している。

しかし、封印される前は平気で人を殺せたらしい。

生まれた直後から神と崇められ、まともな教育を受けなかったせいで。

朝顔の父親を殺めてしまった後に治癒を止めたのは、人殺しを後悔したからではなく、目の前で人が破裂した事への嫌悪感のせいだった。

つまり、他人の血や内臓を浴びるのは気持ち悪いから治癒をやりたくなかった、と言うのが当時の感情だったそうだ。

治癒は口付けで行われるので、人間が破裂したら至近距離で血飛沫を食らうから。


「今にして思えば、封印されても仕方の無い神でした」


「そうね。ふ、ふふ……」


顔を逸らしたまま不気味に笑うまりあん。


「確かに、私に辛い理由だったわね。そっかぁ……。長い間小母さまに勘違いさせていた真珠の呪いの正体は、私の想いだったんだ……」


「つまり、その、何だ」


重い空気に居た堪れなくなった俺は、頭を掻きながら取り直そうとする。


「そのお陰でみことが復活して、俺の母さんが早死にしなくて済んだ訳だろ? 結果的には良かったんじゃないか? 呪いじゃないと俺は思うぞ」


「わらわも復活出来て嬉しいと思っていますよ。まりあん」


みことも笑顔で俺に同調してくれる。


「――でもさ」


いきなり立ち上がるまりあん。


「雷呼が本気だったら、また私がショウを殺すところだったんでしょ。そんなの……」


まりあんは、言いながら隣の部屋に続く襖を開ける。


「本気の呪いじゃない」


「結果的にこうして無事だったんだから、それで良いじゃないか」


俺の言葉を無視したまりあんは、感情を込めていない青い瞳でみことを見る。


「このままじゃ、また何かを復活させる可能性が有るんでしょう?」


「一度だけなら偶然かも知れませんが、二度目が有った以上、三度目も有ると思った方が自然です。ただ、状況が限定的なので、確率はかなり低いでしょうけど」


断言するみこと。

空気を読んでウソを言って欲しいと思ったが、そんなのはまりあんには通用しないか。


「次も無事にやり過ごす保証は無い。なら、復活させない様にするしか無いわね」


隣の部屋に移動したまりあんは、ピシャリと襖を閉じた。


「お、おい、まりあん」


俺も立ち上がり、襖に近付く。


「着替えるだけよ。開けたら蹴るよ」


襖の向こうでそう言うまりあん。

泣きそうなのを我慢している感じの声なんだが。

困った俺はみことを見る。

髪の長い神は、話が終わったのでお菓子を食べ始めた。

まだ食うのか。


「あー、まりあん。呪いがどうこうとかってのは、俺は全然気にしてないぞ。そんなものは後付けの言い訳みたいな物だろ?」


返事は無い。


「こう言う結果になって、初めてそう言う事かって思える訳だ。呪いなんか気のせいだ」


みことは俺を見ながら無言でお菓子を食べ続けている。

真珠は丸まったまま動かない。


「そもそも、あの事故でまりあんが俺を助けてくれなかったら、俺はここに居ないんだろ? こう言ったら怒るかも知れないけど」


俺は襖の柄を見詰め、照れを我慢しながら言う。


「腕を失ってまで俺を助けてくれた事に感謝するよ。ありがとう。俺は覚えていないから、こう言うしかないけど」


やっぱり返事が無い。

上っ面な言葉で誤魔化される様なまりあんじゃないか。

困り果てた俺は、小声でみことに助けを請う。


「まりあんが拗ねると、俺じゃどうしようも出来ないんだよ。何とかしてくれよ」


「大丈夫ですよ。だって、何度も確認したじゃないですか。辛い話ですよ、って。まりあんも承知してますって」


「でもなぁ……」


「もしも大丈夫じゃなかったら――」


窓の外を見るみこと。

今日は良い天気で、山の緑が目に心地良い。

雷呼が呼んだ黒い雲は全て消えている。


「ここに来る前は朝顔の所に行くと言っていましたが、考えを改めました。神の国と言う物が本当に有るのなら、そこに行きます」


「へ? なんでそうなる。雷呼の言い方じゃ、そこはあの世みたいだなと思ったんだが」


みことはお菓子を食べる手を止め、色っぽい目で俺を見る。


「じゃあ、ショウの家でお世話になろうかしら。そして良い仲に。うふふ……」


「だから、なんでそうなる。意味が分からんぞ」


少し後ずさる俺。

ディープキスを平気でやるみことは冗談にならない勢いで襲って来そうだ。


「居心地の良い居場所が欲しいんですよ。ショウとの恋はこの世に留まるには十分な理由になります。子作りさえしなければ良い訳ですし」


「それはそれで俺が辛いんだが……いやいや!」


「うふふ。わらわは別に構いませんよ? 雷呼の湯に入れるのならば、混浴の時間に二人で流し合いでもしたかったですね」


スパーン! と勢い良く襖が開く。

その音に驚いた真珠が跳ね起きた。


「……」


洋服に着替えたまりあんは、仁王の様な顔で俺達を睨んだ。

みことはニコニコしているが、俺は冷や汗が止まらない。


「もうやる事が無いから帰るわよ。私がチェックアウトをしている間に着替えて来なかったら、置いて行くわよ」


畳を踏み抜く勢いの足音を立てて楓の間を出て行くまりあん。


「ホラ、大丈夫でしたでしょう?」


残ったお菓子を両手で掴むみこと。

持って帰るつもりらしい。


「アレは大丈夫って言うのか? 雷呼を前にした時より生きた心地がしなかったが」


「神に届くほどの想いを持った者ですから、ショウには少々威圧的に感じるのかも。

さて、真珠。着替えますよ。のんびりすると置いて行かれます」


「ワン」


隣の部屋に行って襖を閉めるみことと真珠。

俺も素早く着替え、三人で楓の間を後にする。


「たった二日間のお部屋でしたけれど、帰るとなると寂しいものですね」


みことは、ポケットの中のお菓子を抓みながら名残惜しむ。


「ノンキな事言ってないで、急ぐぞ。機嫌の悪いまりあんは、置いて行くって言ったら本当に置き去りにするからな」


全員の着替えが入ったリュックを持った俺を先頭にカウンターに走ると、まりあんと女将さんがなにやら話していた。


「あ、やっと来た。ねぇ、みこと」


「はい、なんでしょう」


音を立てない様にお菓子の包みを握り潰しながら応えるみこと。

お菓子を持って帰るのは恥ずかしい事だと思う常識は持っている様だ。


「雷呼はどこかに帰ったけど、身体はまだ残ってるって話だったよね?」


「はい。封印の岩はそのままですから、あの下に肉体が有るはずです」


「じゃ、あの露天風呂は、雷呼の湯って名前のままでも問題は無い訳よね?」


「そうですね。本来ならキチンと社を建てて祀るべきなのでしょうけど――」


赤い瞳で女将を見るみこと。

みことが本物の神だと言う事を知った女将は、申し訳なさそうな顔で手を合せている。


「でも、雷呼本人は気にしていない様子でしたので、今まで通りでも構わないでしょう」


「って言うか、神様が封印されている岩を温泉の中心に置くってセンスが分からないな」


俺が肩を竦めると、みことがクスッと笑った。


「本当に神が封印されているとは思っていなかったのでしょう。そうでしょう? 女将さん」


「はい。温泉自体は大昔から有りましたし、雷呼神社は別に有りますので」


更に腰を低くして言う女将さん。

昨日居た神主さんの神社の事か。


「まぁ、みことや真珠が居なかったら、俺もまさかと思うだろうなぁ。なぁ? まりあん」


「そうね」


女将さんを見ながら素っ気なく返事するまりあん。

反応してくれるだけ、まだ良い。

本気で機嫌が悪いと人前でも平気で無視するし。


「では、私達はこれで帰ります。予定より早くて申し訳有りませんけど」


外面良く言うまりあんに頭を下げる女将さん。


「いえいえ。こちらこそ、とんだ事になって申し訳有りませんでした。動桃命様に至っては、二人の命を救って頂き、心から感謝致します」


「どういたしまして」


神々しく笑むみこと。

俺達には見せない表情だ。

これがみことの外面、って奴か。


「あの二人は、その後のお加減は如何ですか?」


「はい。後遺症も無く、数日で退院出来るとの事です」


「そうですか。良かった」


ゆっくりと頷くみことを見て、ふと思い付くまりあん。


「あ、そうだ、女将さん。みことの能力の事は、出来るだけ秘密にしてください。きっと誰も信じないでしょうが、騒ぎにはしたくないので」


「はい。畏まりました」


「じゃ。お世話になりました。忘れ物は無いわね」


「おう。部屋に有った物は全部入ってる」


俺は背負っているリュックをまりあんに見せ付ける。

そして、旅館の従業員一同に見送られて旅館を後にした。

帰りは徒歩で駅に向かう。


「何で歩きなんだよ」


「帰りの電車まで時間が有るからよ。折角の旅だもの、のんびりしても罰は当たらないわ」


俺の質問に応えてくれるまりあん。

少し愛想は悪いが、いつも通りだ。

帰りの電車の中でも笑顔でトランプに混ざって来たし、心配も機嫌取りも必要無いか。

そして地元に帰って来た。

見覚えの有る風景の中を歩くまりあんは、自分の前髪を弄りながら溜息を吐いた。


「やれやれ。癒されに温泉に行ったのに、疲れただけだったわね」


「そうだな。風呂も、結局は一度しか浸かれなかったしな」


「わらわのお肌はスベスベになりませんでした。残念」


「また電車に乗りたいワン」


そんな感じの雑談をしながら我が家に帰って来た俺達は、それぞれの家の玄関に別れて入った。

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