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ゆるうた  作者: 宗園やや
3/7

4月30日月曜日

ユス何とかを背負ってキャンプ場に戻った俺達を見たまりあんの両親は、予想通りの反応をした。

ミイラレベルで痩せている女の子と、犬耳と二本の尻尾を生やした子供を連れて帰れば、普通は驚く。

警察だ救急車だと騒ぐまりあんの両親を何とかなだめ、他の参加者を驚かせない様にロッジの中に人外の二人を匿った。

それからまりあんとまりあんの母親が夕食の準備をし、俺とまりあんの父親がユス何とかの世話をした。

世話と言っても、ユス何とかはとにかく空腹を訴えているので、あちこちから食べ物を掻き集める作業をしただけだが。

キャンプ場のレストランは午後五時で閉まっていて食材が残っていなかったので、山の下のコンビニまで走った。

当然、俺が。

まりあんの父親は、キャンプ場に常備してある非常食を他人の迷惑にならない程度に集めた。

そうしていると、ユス何とか神社を管理していたあの老人が軽トラに乗ってキャンプ場に現れた。

老人は俺に分厚いA4の封筒を渡すと、すぐに帰って行った。

神様が居なくなった神社の後処理をしないといけないので忙しいとの事。

その後、ユス何とかは俺達の夕飯であるカレーも欲しがったので分けてやった。

全部合せて十人前は食べた。

そこまで行くと大分復活し、頬もふっくらとして普通の女の子っぽくなった。

身長より長い黒髪にも艶が戻ったが、先端までは栄養が届かなかった様で、尻の辺りから先は千切れて落ちてしまった。

カレーが無くなると、ユス何とかは考え事をしたいと言ってロッジの一室で瞑想を始めた。

復活直後なので色々と考える事が有るんだろう気を使い、俺達はユス何とかを一人にして夕飯後のレクリエーションをした。

大人が企画した当たり障りの無いイベントなので、それほど楽しくはない。

そう思っていたのだが、ビンゴ大会で俺はハズレ、まりあんはMP3プレイヤーを当てた。

いつも俺が損をし、まりあんが喜ぶ。

この差は一体何なんだろうな。

そのMP3プレイヤーは参加者の子供の一人にこっそりとあげていた様だが。

三人の子供の内、その子だけハズレだったらしい。

そう言う普段の行いが運の差に出るんだろうか。

ただ、その細かい心使いを俺に対して少しでもしてくれたら、運が無くても俺は幸せになれるのだが。

そんな事が有ってから老人に貰った資料を読み始めたので、大分遅くなってしまった。

時計を見ると日付が変わっていた。

息抜きにジュースを飲み、疲れた目を休ませようと瞼を閉じる。

資料と言っても、大きな絵と少ない文字で治癒の神の歴史を伝えている物なので、絵本と言った方が正しい。

だが、何十ページも有るのに製本していないから一枚一枚バラバラ。

しかも文章は古文書的。

かなり読み難い。

それでも読めた部分を頭の中で整理する。

ユス何とかは普通の両親から産まれたが、十年近く母親の腹の中に居た。

産まれてからも赤ん坊の期間が異様に長かった。

知能は普通のペースで発達したので、よちよち歩きの赤ん坊が流暢に喋ると言う、非常にアンバランスな状態だった。

これは神様ではないか? と囁かれ、信仰の対象となった。

その様子は、ユス何とかが封印されていた洞窟で壁画として描かれていたらしい。

文字が少ないのは元が壁画だからだろう。

しかし、その壁画は何百年も前の地震で崩れ、失われてしまった。

だからこうして紙に描いて残した。

そこから更に百年ほど経つとまた地震が起こり、洞窟は大岩で塞がれた。

その大岩がどうしても動かせなかったので、そのまま放置した。

結果、その大岩が御神体になる。

まっぷたつになって粉々に崩れたあの岩の事だろう。

あそこには神社らしい社が有った様だが、最近の地震で崩れ、一時的に撤去していたらしい。

良く地震で壊れる場所だな。

ならあの大岩も地震のせいで脆くなっていたのかな。

そう思った時、ドアがノックされた。


「どうぞ」


ドアを開けたのはユス何とかだった。

まりあんの服を着ているので、まりあんが来たのかと一瞬だけ勘違いした。

数時間前はミイラだったのに、今では普通の女の子になっている。


「お? どうした? こんな夜更けに」


「ずっと封印されていたせいで、全然眠くないのです。なので、お散歩をしていました」


「そんなもんかね」


部屋に入って来たユス何とかは、俺が持っている紙の束を赤い瞳で見下ろす。


「それは何ですか?」


「資料だよ。ユス、あー。ユス」


名前が呼び難いので、俺は赤い瞳の少女を指差す。


「わらわの? 読んでも良いですか?」


「良いけど、現代の文字が読めるのか? 大分長い間封印されていたみたいだけど」


数枚の紙を受け取り、目を通すユス何とか。


「読めます。やっぱり……」


ユス何とかは俺の隣に座り、読みながら喋る。


「わらわは封印されていた間、三度夢を見ました。その内のひとつが現代に近い物だったので、問題無く現代の文も読める様です」


「夢? どう言う事だ?」


「わらわも色々と思い出そうとしたのですが、良く分かりませんでした。もっと資料を読ませてください」


「ああ。全部読め。俺には難しい」


全ての資料を投げる様にして渡した俺を見て笑んだユス何とかは、真顔になって紙の束に視線を落とす。


「ごめんなさい。突然ショウを頼ったりして。ご迷惑だったでしょう?」


「そうだな。ウソを言ってもしょうがないから正直に言う。人一人押し付けられて、どうしようかと途方に暮れているところだよ」


「ふふ……。言い方は冷たいのに結局優しいところが、夢の中のあの人に似てたから――」


ユス何とかの顔が自然に微笑んで行く。


「つい頼りたくなったんです」


「良い夢だったみたいだな。そんな顔だ」


「はい。でも、最後は悲しい夢」


「どっちだよ」


「わらわは人を好きになりました。冷たくて優しい人。だけど恋は実りませんでした。わらわが病気で死んでしまったからです」


喋りながらも赤い瞳で文字を追っているユス何とか。


「そりゃ悲しい夢だな」


「はい。今は西暦何年ですか? 死ぬ直前、TVで二千年問題と言う言葉を聞きました。それくらいの時期だったと思うのですが」


「何とも具体的な夢だな。えっと、今は何年だ?」


俺は携帯を探す。

テーブルが無いので枕元に置いておいたのだが、どこにもない。

ベッドに上がり、枕の下を探す。

有った。

何かの拍子で布団とベッドの隙間に潜って行っていた。


「あらあら、お二人さん、何してるの?」


まりあんの声。


「あ?」


ベッドの上で四つん這いの俺は、そのまま振り返る。

なぜかユス何とかもベッドの上で四つん這いになっていて、俺の尻をガン見していた。

入り口のドアの所では、パジャマ姿のまりあんが引き攣った笑顔で俺達を睨んでいる。


「……何だこの状況」


俺がベッドの上であぐらをかくと、ユス何とかも正座した。


「何を探しているのか、気になって」


「動桃命が居なくなったのでこっそりと探しに来たら……。嫌らしい」


部屋のドアを閉めたまりあんは、冷たい目で言う。


「俺とこいつの位置が逆だったら勘違いするも仕方ないがなぁ」


「分かってるわよ。冷静に返さないでよ、つまんない。ショウにそんな甲斐性が有ったら、私は……。まぁ良いわ」


愚痴っぽくなるのを嫌ったまりあんは、木の床に座ってお菓子入りのトートバッグを漁る。


「真面目に。何してたの? お菓子でも食べながら説明してよ」


「あの爺さんから貰った資料を読んでただけだよ。ユス……、あー」


未だにユス何とかの名前が良く分からない俺は、髪の長い少女を苦々しい表情で見る。


「名前、珍しいから言い難いんだよ。どうしたら良いかな」


「どうしたら、と言われましても」


ベッドの上で正座したままのユス何とかも困った顔をする。

こうして見ると、あっさりした感じの和風美人だ。

ミイラ状態を知っているので、素直にはそう感じられないが。


「そうね。じゃ、あだ名で呼べば? ユス、トノ、ミコト。みこと。みことが可愛くて良いかな」


派手な音を立ててスナック菓子を食べている洋風美人のまりあんが勝手に決める。

しかし呼び易い案だったので、俺は満足して頷く。


「そうだな。これからはみことって呼ぼう。良いか?」


「構いませんけど。――わらわも食べて宜しいですか?」


「良いわよ。どうぞ」


ベッドから降りたみことは、紙の束を床に置いた。

そしてスナック菓子を抓む。


「で? 資料を読んで、何か分かった?」


菓子を租借しながら訊くまりあん。


「みことが産まれたのは、石器や土器を作って洞窟の壁に絵を描いていた時代だって事くらいかな。分かったのは」


俺もベッドから降り、菓子に手を伸ばす。


「何千年前よ」


「マジでそれくらい昔だ。ミイラから復活した過程を見てなかったら信じられないけどな」


「ちょっと、私にも資料見せてよ」


まりあんは、みことが読み終わった分の資料を床に広げた。

どうして最初から散らかすのかと驚いたが、すぐに気付く。

片手で紙の束を捲るのは難しいから広げたのか。

何も考えずに散らかすなと言っていたらまりあんを不機嫌にさせていたところだ。

危ない危ない。


「ふーん。紙が古くなる度に、あのお爺さんの一族が書き写して来たのか。だから絵や文字が今風なのね。そうやって何千年も昔の事を伝えて来た、と」


絵の脇には必ず朝顔凪(あさがおなぎ)と言うサインが入っている。

これを描いた人物の様だ。

アサガオと言う人物がみことを封印し、その子孫が神社を守って来たと言う事だから、あの一族は朝顔と言う名字なんだろう。

ただ、絵が何となく少女漫画っぽいので、あの爺さんが描いた絵じゃない事は確かだ。


「だけど、書き写して行く度に色々と劣化して、結果、分かり難くなっているのね」


「良く分かるな。俺はそんな事、疑問にも思わなかった」


俺が感心すると、まりあんは小指で資料の文字を突いた。

親指と人差し指にはスナックの油が付いているから。


「例えば、ここ。動桃命は兵の怪我を治した。明日、兵の怪我を治したら死んだ。意味不明でしょ? 色々間違っているのに、修正せずにそのまま書き写しているのよ」


「なるほど。内容が頭に入って来ないのは俺の頭が悪いからだと思ってたが、違うのか」


「それも有るでしょうね」


「なんだと!」


「だって、私は分かる部分なら理解出来てるもん」


「ぐ……。そうだけど!」


「ケンカしないで。わらわならその意味が分かります」


厳しい声で言うみこと。

さすが神様、凄むと身が竦む。

あのまりあんでさえ反射的に口を閉じたのだから、かなりの物だ。


「わらわの治癒の力は、短時間に連続で使用すると、怪我人を殺してしまうのです」


「なん、ですって……?」


驚きで目を丸くするまりあん。


「じゃ、幻肢痛と掠り傷を同時に治して貰った私は危なかったと言う事?」


「いえ、怪我の数ではなく、今、まりあんに治癒の力を使うと危ないと言う意味です」


みことの言葉を頭の中で噛み砕くまりあん。


「つまり、昼に痛みを取って貰った。夜にまた痛み出したからと言って、ここで治癒の力を使って貰うと、私は死ぬと言う事?」


「そう言う事です。屈強な者でも身体が破裂します」


「破裂!?」


俺とまりあんが同時に驚きの声を上げる。


「その事実が判明した後、わらわは……。ああ、そうか……」


何かを思い出したのか、みことは資料に目を落とす。


「どうしたの?」


まりあんが訊いているのを無視し、資料を物凄い勢いで読み出すみこと。


「ええと……。有った。やはり……。その事実が判明した後にわらわは治癒の力を使う事を一時的に止めている」


「……何が有ったか詳しく訊いても良い?」


神妙な顔で言うまりあん。

しかし、みことは長い髪を揺らして頭を横に振った。


「まだ記憶がハッキリと戻った訳ではないので、正確な受け答えは出来ません」


「そう……。ならしょうがないわね。それが封印された原因かと思ったんだけど」


頷きながら自分の親指を舐めてスナック菓子の油を取るまりあん。


「この資料はわらわが読みます。お二人は眠られた方が宜しいでしょう」


時計を見ると、もうすぐ一時になるところだった。


「明日は朝食後にすぐ帰るから、確かにもう眠った方が良いわね。じゃ、みこと。私達の部屋に戻りましょう」


まりあんは立ち上がる。

お菓子の袋はすでに空になっているのでゴミ箱に投げ捨てる。

しかしみことは動かない。


「いえ。わらわは資料を読みます。お気になさらずに」


「ん? 寝ないの?」


「みことは封印のせいで眠れないんだとさ。それは良いんだが、俺も眠るから、別の明るい場所で読んでくれ」


「しかし……」


みことは床に散らばった資料に顔を向ける。


「あ、私のせいか。ごめんごめん。片付けるよ」


資料を纏めるまりあん。

俺も手伝い、床が綺麗になる。


「じゃ、おやすみ。寝坊しないでね」


「おやすみなさい」


「おう。おやすみ」


女子二人が部屋を出て行った。

お菓子が入ったトートバックも持って行ったので、全てがみことの胃袋に収まる事だろう。

面倒臭い資料から解放された俺は、凝った肩を解しながら明かりを消し、ベッドに入った。

治癒の力を連続で使うと身体が爆発する、か。

もしかすると、大岩が崩れて洞窟が爆発したのは、その力のせいか?

御神体として長年崇められていた大岩だし、その可能性は有るかも知れない。

理屈は分からないが。

ふと何かの気配を感じた俺は、真っ暗な部屋の中に目を向けた。

何の考えも無い、反応だけのその行動で、俺は何かと目が合った。

暗闇の中で、ふたつの瞳が光っていた。


「……。おい。本気でビビったじゃないか。いつから居たんだ?」


俺は、冷や汗と心臓の激しい動悸を感じながら光る目に話し掛ける。


「ずっとここに隠れていたワン。外は人が多いから」


その声は、やっぱり真珠の物だった。


「人が多いのは苦手か」


「うん。人が多いと苛められるワン。少ないと食べ物くれたりするけど」


「ふぅん……。お前も苦労して来たみたいだな」


追い出そうと思ったのだが、情が湧いたのでそのまま放って置く事にした。

犬、じゃなくて狐だし、見た目は子供だし、問題は無いだろう。


「じゃ、俺は寝るぞ。おやすみ」


「ワン」


色々有って疲れていたので、俺はあっと言う間に眠りに入った。

そして時間が経ち、携帯電話のアラートに起こされる。

眠った気がしないのでまだ夜中だと思ったが、木造の部屋の中は明るい。

見慣れない部屋の風景にぼんやりと視線を動かしていると、まりあんの青い瞳と目が合った。


「……おはよう」


「おはよう」


冷たい目のまりあんは、すでに昨日と同じポンチョに着替えている。

下は色が違う様だが、寝起きなので良く分からない。


「だから、勝手に部屋に入って来るなっていつも言ってるだろ?」


俺は頭を掻きながらあくびをする。

ここで心の籠ってない謝罪が来るのがいつものパターンなのだが、それが無かった。


「この状況でそれを言うと、別の意味になっちゃうわね」


「あ?」


まりあんが何を言っているのかが分からない。

だから訝しげに身体を起こしたのだが、掛け布団が妙に重かった。

起き上がれない。

何事かと目を凝らすと、真珠が俺の布団の上で丸くなって眠っていた。

なるほど、だからまりあんが不機嫌になったのか。

赤い巫女装束を着ているので、多分真珠はメスだろう。

男とメスがひとつの布団で寝ている状況を目の当たりにするのは、多感な女子高生には刺激的か。


「……まりあん。犬に嫉妬するなよ?」


「狐よ!」


歯ブラシと歯磨き粉を俺に投げ付けたまりあんは、踵を木の床に叩き付けながら部屋を出て行った。

普段はノリが良いのに、冗談が通じなかった。

本気で怒っていたのか?

まさかな。


「……ん?」


派手にドアが閉められた音で目覚める真珠。


「おはよう。あのな、真珠。どうして俺のベッドで寝ている?」


「温かそうだったから」


「そうか。じゃ、仕方ないな」


それ以上言う事が無い。

叱ったとしても、今日で帰るんだから躾にならないし。


「良し、朝飯に行くか。真珠も腹減ったろ? 俺のを半分分けてやろう」


「ワン」


そしてロッジ風レストランに行くと、入り口でまりあんとみことが待っていた。


「ああ、真珠を連れて来てくれたわね。みことと真珠の分の朝ご飯も用意されてあるから、入っちゃって」


「用意してあるなら俺のを分けなくても良いか。でも、中に入っても良いのか?」


「二人は大人しくしてれば普通の人間に見えるしね。大人しくしてくれるよね? 真珠」


まりあんは、素っ気無く言った後、レストランに入って行った。

人前では普通にするのが彼女の信条なので、理不尽な暴力や要求は無かった。

キレるとその信条を無視したりするが、今回は大丈夫だったので、そんなには怒っていないんだろう。

箸が使えない真珠が犬食いしたのを優しく叱ったりしているし、獣の妖怪に対して不機嫌になる方がおかしいと思ったのかも知れない。

そして朝食が終わり、迎えに来たバスに乗って帰途に付くキャンプの参加者達。

真珠は子供達に人気が出たので子守りを任せ、俺達はバスの一番後ろでみことのこれからを相談する事にした。

なぜなら、みことが俺の家で居候すると言い出したからだ。

それを猛反対するまりあん。

女の子は女の子と暮らすのが当然だと言うのが反対の理由。

俺としても推定数千歳の女の子と暮らすのは落ち着かない。

それに、十人前をペロリと食べる奴を家に迎えられるほどウチは裕福ではない。

だが、みことはどうしても俺を頼りたい様だ。

と言うのも、みことを封印した朝顔と紫が女だったので、もう同性は信用出来ないらしい。

しばらく意地の張り合いの様に同じ主張を言い合うまりあんとみこと。

このままでは埒が明かないので、俺の家とまりあんの家は隣同志だから、何か有ればすぐに俺を頼れる、と口を挟んでみた。

俺も味方になってくれない事を察したみことは渋々納得し、まりあんの家で世話になる事で決着した。


「問題は真珠だよなぁ」


みことの行き先が取り敢えず落ち着いたので、俺達は子供達のおもちゃになっている狐耳巫女を見る。

嫌がっている様にも見えるが、遊ぶのは楽しいらしく、逃げたりはしていない。


「私を助ける為にした約束だから、私も協力するよ。でも人探しなんかした事が無いからなぁ」


口をへの字にしてポンチョの乱れを直すまりあん。


「あの子は人を探しているのですか?」


みことが銀色の狐耳を見ながら訊く。

まりあんも銀色の尻尾を見る。

見られている本人は、放り投げられたお菓子をダイビングキャッチしていた。

狭いバスの車内なのに誰にも迷惑を掛けない跳躍をしているのはさすが妖怪と言うべきか。


「得体の知れない存在の言う事なんかまともに聞くつもりが無かったから詳しくは知らないけど、そうみたい」


「帰ったらちゃんと話を訊かないとな。まずはそれからだ」


俺の言葉に頷くまりあん。

みことも頷く。


「わらわも出来る事をします」


「ああ。みことには学校とか無いから、頼み事は色々と有ると思うぞ」


話の方向が纏まったところでバスがまりあんの会社の駐車場に着き、そこで解散となった。

参加者達は駐車場に停めてあった自分達の自家用車や自転車に乗って帰って行く。

社長夫婦は会社でやる事が有るらしく、まだ帰れないそうだ。

だからまりあんの親はタクシーを呼ぼうとしたが、まりあんが歩いて帰るからと断った。

早く帰ってもヒマだし、徒歩三十分程度なので、遠足気分で帰りたいんだそうだ。

普段の俺なら面倒臭いなこのアマと思うところだが、今日はちゃんとした理由が有るので、甘んじて遠足を受け入れる。


「さて、真珠」


駐車場から出た俺は、人気の無い道を歩きながら銀色の頭に話し掛ける。


「ワフ?」


二足歩行の狐耳巫女は、声を掛けた俺の顔を見上げた。

見た目は幼女なので、大分背が低い。


「真珠は人を探してるんだったよな。女の子だっけ? どんな人なんだ?」


「ご飯くれたワン。首輪もくれたワン。頭を撫でてくれたワン。一緒に遊んでくれたワン」


言いながら首に巻かれている大きな赤いリボンを撫でる真珠。


「それ、首輪だったのか」


赤いリボンを触ろうとしたら、するりと避けられた。


「これ、あの子の大切な物だワン。真珠の宝物だワン。触らないで」


「そうかそうか。ごめんな。何かヒントでも有ればと思ったんだが」


「そのリボンをくれた子の名前は何て言うの?」


まりあんが優しい声で訊くと、真珠は元気良く応えた。


「まみちゃん!」


俺とまりあんは目を合せて『ん?』と思ったが、良く有る名前なので気にしない事にした。


「名字の方は?」


「名字?」


真珠は小首を傾げる。


「私なら、宝月(ほうつき)が名字で、まりあんが名前。こいつは中古(なかふる)が名字で、(しょう)が名前」


「こいつ言うな。どうだ? それが分かればかなりの近道なんだけど」


うーんうーんと唸った後、狐耳を倒す真珠。


「分かんないワン。聞いてない、と思う」


「そうか……」


俺は歩きながら腕を組む俺。

人気の無い裏道だが、たまに車が通って行く。


「となると、探すのに時間が掛かりそうだ。この街の子なんだよな?」


「分からない。だから、あっちこっちの神社を探したワン。でも、どこにも居ない」


「ちょっと待って。あっちこっちの神社って、どう言う意味?」


まりあんが半笑いで訊く。


「あの子とは、いつも神社で遊んでたワン。でも、突然来なくなった。ずっと待ってても来ない。だから他の神社も探したワン」


「いえ、そう言う事じゃなくて……。あ、じゃ、まみちゃんと遊んでいた神社って、どこの神社?」


「夕日が海に沈むのが見える神社」


「んがー!」


まりあんが突然吠えたので、驚いた真珠が俺の陰に隠れた。


「ここ、内陸部! 明らかに近所の神社じゃないわ! ……もうひとつ訊くけど、どれくらい待った?」


ビクビクしながら答える真珠。


「えっと、神社で冬をみっつ越えて、歩き始めてから、冬が、1,2,3……」


冬の数が十を越えた辺りでまりあんがカウントを止める。


「オッケー。分かったわ。人間に化けている時点で動物の寿命を超えてるんじゃないかとは思っていたけど」


まりあんは半笑いのまま俺を見る。

青い目が笑っていない。


「どうする? ショウ」


「約束したんだから、一応は探すよ。ただ、その子って生きてるのか? 突然来なくなったんだろ? 嫌な予想しか出来ないんだが」


「また遊ぶって約束したんだから、また会えるワン」


「どうかなぁ。どっちにしろ、時間が経ち過ぎている。見付からない事も覚悟してくれよ?」


「探すって約束したワン!」


真珠が地団太を踏むと、ずっと黙っていたみことが口を開いた。


「もしもその方が死んでいたら、もう二度と会えないんです。それは当然の事なんです。受け入れるしかありません」


「ウーー……」


犬みたいに唸りながらしょんぼりする真珠。


「まぁそう落ち込むな。まだ探し始めてないんだから、見付からないと決まった訳じゃない。帰ったらネットでどこの神社か調べよう」


俺の言葉を聞いたまりあんは、呆れる様に肩を竦めた。

そしてそっぽを向き、深刻な表情になって口の中で呟く。


「面倒臭がりのところと、キッチリしてるところが有るんだよなぁ…」


そして我が家に着く。

なぜかまりあんも俺の家の門を潜る。


「一旦帰って荷物置けば?」


「誰も居ない家に帰ってもしょうがないもん。みことだって、私の家に来るって決めたのに、当たり前の様にこっち来てるし」


「わらわは、みんながこっちに来たから、こっちに来ただけです」


「あー、もう。分かったから。さて、昼飯はどうしようかなぁ」


考えながら玄関ドアに鍵を差し込む俺。

が、手応えがおかしい。


「あれ? 開いてるぞ。ただいまー」


ドアを開けると、豚肉の生姜焼きの匂いがした。

そのせいで空腹感が倍増する。


「おかえり、ショウ」


台所の方からの返事。

毎日聞いている声。


「ああ、やっぱり母さんか。仕事はどうしたんだ?」


「ショウが帰って来るから、ちょっと休憩してお昼を作ってたの。あら、賑やかね。お友達?」


俺は家に上がり、廊下を進む。

その後ろでまりあんと真珠がゴチャゴチャと言い合っている。

足を拭いてから上がれとか何とか。


「友達って言うか、何て言うか。説明すると長いんだけど、良いかな」


「どうしたの?」


母さんが台所から廊下に出て来た。

軽く身体を傾けて俺の後ろを見ようとしている。


「まず、明らかに見た目が人間じゃない方から紹介しよう。――おい真珠、何やってる」


俺に呼ばれ、自分の尻尾を追う犬の様に足拭きマットの上で回っていた真珠が目を回しながら顔を上げる。


「まりあんがやれって言うから」


「良いからこっち来い。獣の耳と尻尾が生えてるが、無害な奴だから大丈夫。……母さん?」


母さんは、狐耳巫女を見て表情を強張らせる。


「真珠……? ……! その、リボン…!」


ポカンと口を開けている母さんの顔がみるみる青くなって行く。


「どうしたんだ? 大丈夫か? 母さん」


「ケン!」


いきなり四つ足で廊下を走り出した真珠は、勢い良く母さんに飛び付いた。


「ひいぃい!」


悲鳴を上げた母さんは、真珠の体当たりをまともに受けて仰向けに倒れた。

真珠はその上で馬乗りになり、母さんの顔の匂いを嗅ぐ。

突然の事に驚いて動けなかった俺達は、母さんの助けてと言う叫びを聞いて我に返る。


「おい真珠! 止めろ!」


俺が強引に真珠を抱き上げ、母さんから引き剥がす。


「真珠は俺にも体当たりかましたよな。危ないから止めろ。マジで」


「見付けたワン! まみちゃん見付けたワン!」


俺の腕の中で暴れる真珠。

その脇を冷静に通り過ぎるまりあん。


「名前を聞いてまさかとは思ってたけど、探していた女の子って、小母さまの事?」


母さんの名前は中古真美子(なかふるまみこ)


「俺もまさかとは思ったが、こんな偶然が有る訳無いと思ってた」


「でも、ショウの匂いがあの子に近かったってのが出会いの切っ掛けだから、偶然でもないんじゃない? ……小母さま?」


倒れたまま震えている母さんは、怯えた目を真珠から離せないでいる。


「大丈夫ですか? 小母さま」


「あ、大丈夫よ、大丈夫」


まりあんに抱き起こされたところで我に返る母さん。

左手だけのまりあんに体重を任せるのは酷なので、震える体を押さえながら正座の形になる。


「真珠って、あの真珠? 白くて小さかった、真珠?」


かすれた声で訊く母さん。

それにワンと吠えて応えた真珠は、俺の腕の中で尻尾を振った。

二本も有って嵩張るので、俺の腹をモソモソと擦っている。


「真珠が探していた女の子って、母さんで間違い無いのか?」


俺は確認の為に訊く。


「ワン! 姿が変わってても、匂いで分かるワン!」


「母さん。母さんは、真珠の事を知ってるのか?」


小刻みに震えながら頷く母さん。


「知ってるわ。だって、名前を付けたのも、そのリボンをあげたのも、私だもの」


「やっぱりリボンが決め手になるか。でも、何でそんなに怖がってるんだ? 昔、一緒に遊んでたんだろ?」


訊くと、母さんはまりあんを見た。

ついうっかりそっちを見てしまった、と言う感じ。


「……?」


無言で見詰められたまりあんは、怪訝な顔で顎を引く。


「……そりゃ、二十年以上前に子犬だった子が、人間の姿で現れたら、誰だってビックリするわ」


「それだけじゃありませんわね? 小母さま」


まりあんの感の良さを知っている母さんは、青い瞳から顔を逸らした。

俺達母子は、揃ってまりあんに敵わない様だ。


「真珠の探し人が見付かった以上、私達は真珠を小母さまに預けなければなりません。ですが、その怯え様では……」


母さんの背中を優しく擦るまりあん。


「そ、そうね。こうしてここに真珠が居る以上、私が責任を持つしか無いわよね」


俺達の顔を順に見てから真珠を見詰める母さん。


「……ショウ達は、真珠に会って、良くない事とか起こった?」


「えっと、動桃神社で起こった事は、真珠とは関係無いわよね。真珠に助けられた訳だし」


まりあんは昨日の事を思い出す。

同意して頷く俺。


「追い払ったはずの真珠がキャンプ場にまで付いて来た事以外は、特に何も無いな」


俺とまりあんを舐め回す様に見た母さんは、俺達に不自然な部分が無い事を確認して落ち着いた。

身体の震えも収まった様だ。


「……真珠」


母さんが呼ぶと、真珠は嬉しそうにワンと吠えた。


「真珠は、どうして人間になったの?」


「まみちゃんを探して神社巡りをした時、ついでにお願いしたんだワン。神様に、人間にしてくださいって。そう言うお話、してくれたでしょ?」


「ああ、そうだったわね」


母さんは懐かしむ様に口の端を上げる。


「なんでまたそんな話をしたんだ」


俺は訊きながら真珠を離した。

解放された真珠は、匂いを嗅ぎながらゆっくりと母さんに近付く。


「そう言う落語が有るのよ。タイトルは、元犬、だったかな。小学生の時、落語に嵌ってて」


母さんは簡単にあらすじを説明する。

人間になりたい犬が神社で願うと、男の姿になる。

そして人の世界で働くんだけど、元が犬だから頭の悪い騒動を起こす。

そんなドタバタコメディらしい。


「落語に嵌るとか、どう言う小学生だよ」


俺のツッコミにウフフと笑った母さんは、真珠の頭を優しく撫でた。


「お腹空いたでしょう? まりあんちゃんも来ると思って、大目に作って置いたの。後ろの子も一緒にどうぞ」


「ありがとうございます」


みことは礼儀正しく頭を下げる。


「おっと、もう一人も紹介しないとな。名前はみこと。正しくは、あー、何だっけ」


「ユスラトノミコト。ちょっと大丈夫? そんなに難しい名前じゃないでしょうに」


呆れるまりあん。


「滅多に聞かない音だから覚え難いんだよ。みことの存在は、真珠より面倒臭いんだ」


そう言いながら母さんの手を取って立たせた俺は、良い匂いに呼び寄せられる様に台所に行く。

他の奴等も台所に入る。


「まぁ、みことの事はゆっくり説明して行くよ。メシを食おう。腹減った」


「はいはい」


母さんは、ぴったりくっついて歩いている真珠の頭を撫でながらテーブルに昼食を並べて行く。


「そう言えば、母さんは真珠を何だと思ってたんだ?」


「何だって、何?」


「いや、こいつ、自分は犬だと言い張ってるんだが、本当は狐だろ?」


母さんは動きを止め、首を傾げて昔を思い出す。


「ああ、なるほど。それも私のせいよね」


食事の準備が終わった母さんは、隣のリビングに行ってソファーに座った。

真珠もソファーに乗り、ニコニコしながら母さんの隣で寝そべる。


「子供の頃に遊び場にしていた神社でこの子を見付けた時、犬だと思ったのよ。産まれ立てだったしね。だから、ずっと犬として育てたの」


「尻尾の数がおかしいのはそのせいかな。妖狐として変化してる訳じゃないから」


真珠の二本の尻尾を見ながら呟くまりあん。

ネットで調べた限りでは、二本の尻尾を持つ妖狐の話は有る。

だが、それらと真珠は様子が明らかに違う。

妖狐は基本的に妖艶な女性として描かれているが、真珠は見た目から子供で心も純粋過ぎる。


「落語を参考に人の形になってるのなら、自分は犬だって思い込んでいる上で人の形になっているのね。妖狐とは別の物な訳だ」


「ふーん。良く分からん。じゃ、いただきます」


「私もちょっと調べただけだから、結構適当だよ。いただきますね、小母さま」


「いただきます」


俺とまりあんとみことの三人は、テーブルに着いて豚の生姜焼きを食べ始める。

美味い。

みことの食欲が心配だったが、今のところは普通のペースで食べている。


「ねぇ、真珠。私の事、怒ってない? 結果的に捨てた形になったから」


「怒ってないワン。また会えるって信じてたワン」


その真っ直ぐな瞳を見て安心した風に笑う母さん。


「約束を破ったから、私、真珠に呪われたのかと思っていたのよ。ずっとね。ごめんね、真珠を疑ったりして」


「呪い? どう言う事だ?」


俺が訊くと、母さんは真珠を撫でながら語る。

幼い頃から遊び場にしていた神社で産まれ立ての子犬を見付けた小学生の母さんは、しばらくの間、神社でその子犬を育てた。

と言うのも、母さんの祖母、つまり俺の曾婆ちゃんは、かなりの動物嫌いだったから。

犬猫を見ると棒を持って追い払う人だったそうだ。

それは凶暴な人だと言う訳ではなく、田舎では玄関等を開けっぱなしにする為、野良猫に仏壇の食べ物を荒らされたりするからなんだそうだ。

だから飼いたくても真珠を家に連れて帰れなかったのだが、その祖母が突然亡くなった。

真珠を見付けてから、約一ヶ月後の事だった。

それは突然で悲しい出来事だったが、真珠を飼える可能性が出たのは嬉しかったんだそうだ。

そして初七日が終わり、落ち着いたところで母親に子犬の事を打ち明けた。

すると、すぐに飼っても良いよと言われた。

実は娘が神社で何かの動物を飼っている事を知っていたらしい。

今思えば、毎日残飯を持って神社に向かっているのだから、知っていて当然なのだが。

だから喜んで真珠を連れて帰ると、母親は絶叫した。

娘が連れて帰った物が真っ白な狐だったから。

母親は、祖母がしていた様に真珠を追い払った。

そして、祖母が突然亡くなったのは狐の呪いだとか言い出し、他の地方の神社からお札を取り寄せ、家中に張り出した。

なぜ母親がこれほど狐を嫌ったのかは全く分からない。

だが、意地を張って真珠に拘ると保健所に連れて行かれるかも知れないので、真珠を神社に返し、そのまま神社に近付かなくなった。 


「それでも私がこっそり真珠に会っていると思ったのか、すぐに遠くに引っ越すと言う徹底ぶりだったわ。今でも母を理解出来ない。それっきり真珠に会えなくなったって訳」


その母も引っ越してすぐに重い病気になり、半年後に亡くなった。

死ぬ間際まで、狐の呪いが、と言い続けたらしい。


「おい真珠、本当に何もしてないのか? 悪い事が起こり捲ってるじゃないか」


食いながら訊くと、真珠はフンと鼻を鳴らした。


「真珠、犬だもん。それに、今聞いた事、あんまり覚えて無いワン。あ、でも、怖い顔の人に怒られたのは、ちょっと覚えてる」


それは母さんの母親、つまり俺の祖母の事か。


「私も、それが真珠の呪いだとは思ってなかった。……あの事故が起こるまでは」


まりあんを見る母さん。

その視線を受け、濃い顔のまりあんは眉間に皺を寄せる。


「……あの?」


「ええ」


母さんは憂鬱な表情になる。


「ショウは覚えていないのよね、まりあんちゃんが右腕を失った事故の事」


母さんが俺達の事故の事をハッキリと言うのは珍しい。

俺はまりあんを伺う。

その表情は少し険しいが、どちらかと言うと無関心顔。

まりあんが不機嫌にならないのなら誤魔化す必要は無いので、正直に応える。


「覚えて無いな」


「その事故の原因は、白い犬だったそうね。でしょ? まりあんちゃん」


「……はい」


その話題には触れたく無さそうに頷くまりあん。


「その白い犬が真珠かと思った。真珠が私に仕返しをしたと思った。だって、母が言う呪いは、私にではなく、私の周りの人に不幸をばらまくから」


「なるほど。だから小母さまは、何か有る度にお守りを買えと私に言う訳ですね」


まりあんが箸を置く。

小食なので食い終わるのが早い。


「まりあんのお守り好きは母さんの刺し金だったのか?」


初めて知る事実に俺は驚く。


「そうよ。でも、私もあんな事故、二度とごめん。だから私の意思でもある」


無言で食べ続けているみことは赤い瞳で俺達を見ている。


「言って下されば否定出来ましたのに。その白い犬は、普通の犬です。ポメラニアンっぽい、雑種の犬。狐とは全然違います」


「まりあん。その事故って、どんなのだったんだ?」


冷たい目で俺を見るまりあん。

だが、今回は引かない。


「この流れなら言っても良いだろ。気になる」


仕方なさそうに溜息を吐いたまりあんは、渋々口を開く。


「ショウが河原で子犬を見付けたの。捨て犬。だから私を河原に引っ張って行って見せてくれたの。可愛いからってね。そして――」


まりあんは、つまらなさそうな表情で空になった生姜焼きの皿を左手で流しに持って行く。


「その犬がヨチヨチ歩きで道路に飛び出して、それを避けた車が私達に突っ込んで来た。犬はその後行方不明。それだけよ」


「なるほど……。その状況なら、事故の原因が真珠だと思っても仕方ないか」


頷いたまりあんは、空になった食器を次々と流しに運ぶ。


「小母さま。お仕事は良いんですか? 後片付けは私達がやりますから、どうぞ」


壁に掛かっている時計を見る母さん。

母さんは小さな定食屋を一人でやっていて、お昼時は忙しい。

本来なら家でのんびりとはしていられない。


「そうね。じゃ、真珠。私行かないといけないから、家で待っててね」


立ち上がろうとする母さんの服を凄い力で握る真珠。

なので立ち上がれない。


「どこ行くの? 真珠も行くワン」


「ごめんね、真珠。食べ物屋さんだから、犬は入れちゃダメなの」


クゥーン、と鳴く真珠の頭を撫でる母さん。


「でも、大丈夫。もうどこにも行かないから。必ずここに帰って来るから。ここは私の家だもの」


「本当?」


「本当。約束。絶対に破らない約束」


「でもぉ……」


母さんの服から手を離さない真珠。

二十年以上も探していた人から離れたくない気持ちは分からなくもない。


「真珠。わがままを言って想い人を困らせると、また良くない事が起こってしまいますよ」


みことが立ち上がり、流しの水道水で口を漱いだ。

そしてリビングに移動しながらハンカチで自分の口を拭く。


「ショウのお母さん。無事に帰って来れるおまじないをするので、動かないでください」


「え? おまじない?」


赤い瞳に見詰められた母さんは、戸惑いの愛想笑いをする。

突然そんな事を言われたら、そりゃ困るよな。


「真珠。離れてください」


「でも……」


「良くない事が起こって、この方が悲しんでも良いのですか?」


「ワン……」


「こっちに。お利口ね。――では」


母さんの服から手を離した真珠をソファーから下したみことは、母さんの額に数秒間のキスをした。


「おしまいです。行ってらっしゃいませ」


髪が異常に長い女の子の不可解な行動を訝しんでいる母さんは、不審者の様にオドオドしながら立ち上がった。


「あ、ありがとう。……あら? 腰が軽い……?」


真珠の頭に手を乗せて微笑んでいるみことを驚きの表情で見る母さん。


「貴女のおまじない、とっても効いたみたい。ありがとう。じゃ、行ってきます。良い子で待っていてね、真珠。ショウ、後をお願いね」


「ああ」


そして母さんは仕事場に向かって行った。

真珠は玄関まで行き、玄関ドアを閉める母さんを名残惜しそうに見送った。


「あのさぁ、みこと。さっきのキス、どう言う意味?」


まりあんは、空になったみことの食器を流しに運びながら訊く。


「今の話を聞いた限り、ショウの家は早死にする血筋の様です。ですから治癒の力を使ってみたのですが、予想は当たりました」


自分の頭に人差し指を突き立てるみこと。


「脳の血管が詰まり掛けていました。なので、そこを重点的に治しました。そして腰痛、手湿疹。そのふたつは流れで治りました」


「それって結構危機一髪だったんじゃない?」


まりあんは目を丸くする。


「それほどひっ迫してはいませんでしたが、血筋的には危なかったとわらわは思います」


「そうか……。母さんを助けてくれたんだな。ありがとう、みこと」


俺が頭を下げると、みことは神々しく笑んだ。


「いいえ。恩返しが出来て、わらわも嬉しいです」


「ちょっと待って。血筋的に危ないって事は、ショウも危ないの?」


まりあんが眉根を寄せて言うと、みことは頷いた。


「まだ若いので問題は無いでしょうが、二十年後は分かりませんね」


「いえ違うの」と言って首を横に振るまりあん。


「ショウは、さっき話していた事故で頭を強く打っていて、事故前の記憶を失っているの。だから年齢は関係無いかも知れないの」


「まぁ。それは心配ですね」


「そうでしょう?」と心配そうな顔をするまりあん。

動きが芝居がかっているので妙な事を考えていそうだ。


「俺は大丈夫だから。頭痛も全く無い」


「実はね、ショウ。捨て犬の話でもあった様に、事故前はショウが私を連れ回して遊んでいたのよ。今とは逆だったの」


「そうだったか?」


「だけど事故後は無気力になっちゃって、幼い内からニート予備軍に見えた。だから私が外に引っ張り出してるのよ」


「頭を打って性格が変わったと。まりあんが心配するのは当然です。治癒しましょう」


立ったままのみことが「さぁ」と言って俺にソファーを進める。


「いや、いいよ。大丈夫だから」


俺は食卓から離れ、ゆっくりと廊下に近付く。


「何を遠慮する事が有るのですか。おでこにチュッとするだけです。すぐ終わります」


おいでおいでと手招きするみこと。


「だから嫌なんだよ。恥ずかしいだろ?」


逃げる様に廊下に出ると、玄関で無意味にウロウロしていた真珠と目が合った。


「真珠。ショウを捕まえて!」


「ワン!」


まりあんの号令を受けた真珠が、二階に避難しようとした俺の背中に体当たりした。

そのまま猿の子の様に抱き付き、腕の自由を封じて来る。

バランスを崩した俺は、廊下の真ん中でうつ伏せに倒れた。


「無駄な抵抗をしなければ痛い目を見ずに済んだ物を……」


悪役の様なセリフと共に俺を見下すまりあん。

そして左手で俺の頭を押さえ付け、顔を横に向かせる。


「さぁ、観念しなさい。みこと。やっちゃって」


「はい。暴れないでくださいね、ショウ」


俺の顔の横で三つ指を突くみこと。

瑞々しい唇がどんどん近付いて来る。


「ちょっと、待っ――」


俺の口がみことの口で塞がれた。


「んなっ!」


まりあんもその行動に驚き、みことの頭を鷲掴みにして俺から引き剥がす。


「何やってるの、みこと!」


「あん。治癒の途中だったのに」


ペロリと舌舐めずりするみこと。


「額じゃなかったの?!」


「ショウが凄く嫌がっているのが癪に障ってしまい、ついイタズラ心が」


「つい、って……!」


怒りやら混乱やらでまりあんの顔全体が真っ赤になって行く。

俺と言えば、初めてのキスの感触に茫然としていた。

舌でも唾液でもない細かいゼリーの粒の様な物が口の中の粘膜に吸収されて行っていたのが物凄く不快で、だけどみことの唇が柔らかくて。


「で? 治癒はどうだったの?」


みことの頭から手を離し、そっぽを向くまりあん。


「途中でしたから、何とも。ですが、命に関わる様な部分は無かったと思います」


「そう! 良かったわ! じゃ、私の家に行くわよ!」


乱暴にみことを立たせたまりあんは、みことの腕を引っ張って俺の家から出て行った。

残された俺から離れた真珠は、クンクンと鼻を鳴らしてから、ペロリと俺の頬を舐める。


「真珠、悪い事しちゃった?」


「……いいや。真珠は悪くない。真珠は、な」


俺はうつ伏せのまま応える。


「ワン。じゃ、まみちゃんが帰って来るまで、ここで待ってるワン」


忠犬の様に玄関マットの上で座る狐耳巫女の背中を寝転んだまま見詰める俺。

なんでこんな事になったんだろうなぁ。

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