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ゆるうた  作者: 宗園やや
2/7

4月29日日曜日

まりあんの親の会社がチャーターしたバスに乗って行った場所は、綺麗に整備されたキャンプ場だった。

小振りの別荘みたいなロッジがいくつも建っていて、今夜はそこに泊るんだそうだ。

人里離れた山の中でテントを張るのかと思っていた俺は肩透かしを食らう。

どうせ俺が力仕事をするんだろ? と予想して面倒臭がる必要は無かったって訳だ。


「そう思ってたって事は、渡したしおりを読んでないって事ね」


まりあんがジト目で俺を見る。

防水のポンチョを上着にしていて、下はショートパンツに薄手のタイツ。

暑いのか寒いのか良く分からない格好なのはまりあんらしいと言える。

俺は中厚手のシャツにGパンで、このまま街に行ける様な普通の格好。

そんな俺達が居る広い駐車場では、俺達と同じ様な格好をしている三十人程のご家族連れがひとつの塊を作っている。

まりあんの親の会社の社員とその家族達だ。

その集団に向かって、まりあんの両親が事故の無い様に遊んでくださいと挨拶をしている。

まりあんの父親は相変わらず渋いおじさんで、まりあんの母親は相変わらずゴージャスな金髪外人美女。

娘の茶髪ハーフは呆れた顔で俺に説教を始める。


「ちゃんとしおりを読んでないと、何か有った時に困るのは私なんだからね。ちゃんとしてよ」


「なんでまりあんが困るんだよ」


「誰かが怪我をしたり迷子になったりしたら、誰が責任を取ると思ってるの? 責任者である私の親でしょ? そして、ショウを誘った私が無関係だと思うの?」


反論の余地が無く、グウの音も出ない。


「反省した?」


「反省したよ。後で読んどく」


「絶対だよ? で、釣り、森林浴、バードウォッチングのグループに別れて行動するんだけど、私とショウは別の所に行くからね」


「別? どこに行くんだ?」


「行けば分かる。結構歩くから覚悟してね」


社長のあいさつが終わったので、バスから荷物を下して各々のロッジに入って行く参加者達。

トイレやキッチン等の水回りがロッジ内に無いのがキャンプらしい不便さを演出している、との事。

俺はまりあん家族のロッジに泊るので気まずい感じだが、寝室は個室なので安心だ。

まりあんが俺を巻き込むのは毎度の事なので、ご両親もその点は心得てくれている。

その個室に自分の荷物を置く。

小さなベッドが部屋の大半を占領しているくらいの狭さだが、天井が高くて木の香りが心地良いので不満は無い。

数分後、俺の部屋にまりあんが来た。

そしてお菓子が詰まったトートバッグを部屋の隅に置く。


「これはここに置かせてね」


「子供は三人しか居なかったな。まりあんから聞いていた感じより少なかった」


「そうね。予定では十人くらいだったんだけど。まぁ、手間が掛からなくて良かったじゃない」


まりあんはトートバッグの中からふたつの小さなリュックを取り出す。

一個を自分の肩に掛け、もう一個を俺に渡して来る。


「昨日買った防災セットとチョコ、水が入ってるわ。これを持って行くわよ」


「分かった」


「じゃ、その前に昼食に行きましょう」


「おう。って、どこで食べるんだ?」


俺を半目で見たまりあんは、トートバッグの中からしおりを取り出し、オラ、と言いながら俺に突き出して来た。


「予定表だけでも読んで。食事が終わったら、すぐ出掛けるから」


しおりを開いた最初のページに一泊二日の予定が書かれて有った。

昼食は、敷地内に有るレストランで取る。

夕飯はキャンプ場で飯盒炊爨。

メニューは定番のカレー。

翌日の朝はレストランが用意したお弁当で、その後帰宅。


「何て言うか、キャンプゴッコだな。これ、楽しいのか?」


「会社のレクリエーションでリフレッシュしに山に来てるのに、本気のキャンプしてたら疲れるじゃない。本末転倒でしょ?」


「そんな物かね。だけど、これじゃ子供の参加者が少なかったのも理解出来る――」


視界の隅で変な物が動いた。

驚きで言葉が止まる俺。


「どしたの?」


異変を感じ、俺が見ている方をまりあんも見る。

そこには小さな窓が有り、木々の緑が揺れているのが窺える。


「……風が、騒いでいるな。嫌な予感がする」


「……森の精霊達も、怯えているわ」


ザザザザザザ……。


「はい、クサいセリフゴッコ終わり。行くわよ」


俺の腕を引っ張ってロッジを出たまりあんは、早足に駐車場を横切る。

向かった先は木造平屋の洒落たロッジ風レストランで、参加者全員で同じメニューを食べた。

予約する時にそうしたらしく、レストラン側の負担を減らし、さっさと食事を済ますのが狙いなんだそうだ。

食事が素早く終われば遊びの時間が増えるから。

狙い通りに事は進んだ様で、三十分も掛からずに全員の食事が終わる。


「じゃ、私はショウと一緒に散歩に行って来るわ。ちょっと遠いけど、準備万端だから大丈夫よ」


同じテーブルで食事をした両親に小さいリュックを見せるまりあん。

俺も同じテーブルに座っているが、喋る事は無い。

どこに行くのかを知らないし、そもそも大人とフランクに話せる程の陽気な性格でもない。

って言うか、針のムシロの様な。

いや、知らない間柄でもないので、青竹踏みくらいの苦痛か。

わぁ健康的。

等と下らない事を考えていたら、またまりあんに引っ張られて外に出された。

他の参加者達もレストラン前の広場に出ていて、自分達がする遊びの場所をしおりで確認していた。


「夕飯に間に合う様に、真っ直ぐ目的地に向かうわよ」


まりあんは小さなリュックをポンチョの中で背負う。

片腕ではやり難そうだが、器用に身体を捻りまくって背負っている。


「せめて行き先くらい教えろよ。何で言わないんだよ」


俺もリュックを背負う。


「言いたくないからよ。良いでしょ、ちょっとくらいワガママ言っても」


アヒル口になりながら一瞬だけ俺の頭を見るまりあん。


「ちょっと……? まりあんが俺に向けて言葉を発する時は、ほぼ全てがワガママな気がするんだけど?」


「あぁん?」


「だから般若顔は止めろ。せめてヒントくらいは言え」


「ヒント? そうねぇ……。神社でお守りを買う様な物よ」


「そんな事を、わざわざこんな所にまでしに来たのか?」


「そうよ。じゃ、水筒持って行きましょう」


「水筒? 水はリュックの中に入ってるんじゃないのか?」


「それは非常用。初めての土地で結構歩くから、水分補給はちゃんとしないとね」


その時、強めの風が吹いた。

俺とまりあんは、俺達が泊まるロッジの屋根を揃った動きで見上げる。

青い空と白い雲を背景にして、派手な赤い布が風に煽られている。

本人は隠れているつもりなんだろうが、頭隠して尻隠さずとは正に今の状態だ。


「部屋の窓から見えたのは、やっぱりアイツの巫女服だったか……」


「ああ、嫌な予感ってのは冗談じゃなかったんだ」


「どうやってここまで来たんだか……。どうするかなぁ」


「今は無視しましょう。ここは人目が有るし」


レストラン前広場には、まだ十人位の参加者達が居た。

残っているのは釣りをする組で、釣り竿のチェックの為に出発が遅れている様だ。

三人居る子供達も釣りに行くらしい。

あいつが人前に出て騒ぎにでもなったら、まりあんの両親に迷惑が掛かるだろう。

なので、俺は赤い布を無視するという案に同意する。


「私達を追い掛けて来たら、また追い返せば良いし」


「ここまで追い掛けて来てるんだから、どこまでも追い掛けて来るだろ」


「でしょうね。狐はしつこいみたいだし」


「確かにしつこいな」


俺達はロッジの管理人からふたつの水筒を借り、水道水を容れて出発した。

ゴールデンウィークの爽やかな陽気の中、それらしく整備された山道を登る俺とまりあん。


「こっちはほとんど一本道らしいから、サクサク行きましょう」


「一本道、ねぇ」


俺は歩きながらしおりを開く。

キャンプ場周辺の地図も載っている。


「釣り場は逆方向に下った沢で、森林浴はロッジの裏か」


「バードウォッチングもキャンプ場の周りで出来るわ。ほとんどの遊びがあそこの周りで出来る様に整備されてるの」


「どうりですぐに人が居なくなった訳だ」


そうして一時間くらい歩くと分かれ道に出た。

右は急な上り坂で、左は今までの様な緩やかな上り坂。


「ここが唯一の分かれ道ね。えっと、右、かな」


ポンチョの下からしおりではない地図を取り出したまりあんは、慎重に周囲の風景と照らし合わせる。


「地図じゃ分からなかったけど、結構な坂ね」


「大丈夫か? 無理するなよ」


「そうね。ちょっと休憩しましょ」


片腕を失った後遺症なのか、まりあんは疲労が溜まると熱を出してダウンする。

自分でもそれが分かっているので、珍しく素直に近くの草むらに腰を下した。

俺もまりあんの横に座り、一息吐く。

田舎者は車や自転車をメインの移動ツールとして扱うので、意外に歩き慣れていない。

俺は自転車が苦手なまりあんに付き合わされているので徒歩に慣れてはいるが、それでもやっぱり疲れた。

男の俺でもそう感じるのだから、平気そうな顔をしているまりあんも内心はかなりキツいのだろう。

そのまりあんは太股で水筒を挟み、左手で蓋を開けている。

そして蓋を地面に置き、左手に水筒を持ち替えてから蓋に水を注いだ。

俺が手伝ってやれば早いのだが、自分で出来る事をやってやろうとするとヘソを曲げるので、敢えて何もしてやらない。

無意味に心配されたり手を貸されたりすると不機嫌になるから、まりあんには友達が少ないんだよな。

親切をにべも無く断られたら、事情を知っている人でも何だよって気になるし。

そうやって他人といざこざを起こした後は、気軽に暴言を吐ける俺に絡んで来てウサを晴らす、と。


「ふぅ……。沢山歩いたから水が美味しいわ。空気の良さは、あんまり感じないけど」


水を一気飲みしたまりあんは、大きく胸を上下させて深呼吸をする。


「うちの街は、それなりに人口が多いけど、所詮田舎だしな」


俺も自分の水筒から水を飲み、深呼吸をした。

それだけで何となく体力が回復する。


「糖分も補給しましょう」


ポンチョの下からクッキーを取り出すまりあん。

それを食むと、急に意地悪そうな顔付きになった。


「あらぁ? ショウはお菓子持って来なかったの? ショウの部屋にお菓子を置いてあげたのに」


「持って来てないよ。って言うか、ワザと持って行けと言わなかっただろ。それに、お菓子を取るヒマなんか無かったじゃないか」


「人のせいにしない。結構歩くって言ったでしょ?」


「歩くイコールお菓子なんて、誰も連想しないだろ」


「小学生の時、遠足のお菓子は三百円までって言われなかった? 私は連想するなぁ」


「くっ……」


腑に落ちないが、俺の負けらしい。


「次からは気を付ける様に。はい、一枚恵んであげる」


「そりゃどうも」


俺は自棄気味に貰ったクッキーを一口で食べる。

甘味が疲れた身体に染み渡る、気がする。


「食べ物ってのは、意外に重要なんだな」


「でしょう? さて、休憩終わり。行きましょうか」


立ち上がったまりあんは、薄手のタイツに付いた雑草とかを手で払う。


「チラチラ見える赤い布はどうする? 視線を感じて落ち着かないんだが」


俺も立ち上がる。


「こっちから相手する必要は無いんじゃないかな。だって、あの子が探してるのはショウじゃないんだし」


「まぁ、そうだけど」


来た道を振り向いてみる。

アイツは素早く隠れた様で、どこにも居ない。


「ショウ。自分から面倒事に首を突っ込む気? 徹底的に無視して」


まりあんは、急な方の坂を登り始めながら言う。


「そうだな。面倒事はまりあん一人で十分だ」


「あぁん?」


ポツリと言った独り言に反応するまりあん。


「その顔止めろ。って言うか、地獄耳だな」


更に一時間ほど歩く。

今までの道から打って変わり、砂利やら土塊(つちくれ)やらが転がっていてかなり歩き難い。

そのせいで距離的にはそれほど進めていない。


「まだ着かないのかなぁ……」


自分で来たクセに愚痴り始めるまりあん。

まりあんは余計な事をウダウダと喋る奴だが、聞いて不快な文句は滅多に洩らさない。

なのに愚痴を言うって事は、かなり参っている様だ。

腕時計を見ると、二時を数分過ぎたくらい。


「まりあん、もう二時だ」


天然茶髪少女の横に並んだ俺は、その顔を覗く様にして言う。

頬が赤いので、体温が上がっている。

ただの疲れか、危険な発熱かは、俺には判断出来ない。


「だから?」


まりあんは真っ直ぐ前を見て歩きながら応える。


「ここまで来るのに二時間。帰りを考えると、もう三十分が限界だぞ」


「二時三十分……。帰ると、五時か……」


「しおりには五時から夕飯の仕込みって書いて有る。どうする?」


悪く受け取れば無視しているかの様な態度で歩き続けるまりあん。

こう言う時は色々な選択肢を考えている事を知っている俺は冷静な声で続ける。


「分かってるだろうが、敢えて言うぞ。無理はするな」


「オッケー。後、二十分進む。目的地に着かなかったら、そこで十分休んで、引き返す」


「良し。頑張れ」


「うん」


それからは無言で歩く。

言葉を発すると余計な体力を使うから。

十五分ほど歩いた所で、俺達は絶望的な表情で立ち尽くした。

土砂崩れで山道が塞がれ、行き止まりになっていたのだ。

右手側は木々を見下ろす崖で、左手側は土が剥き出しになっている山肌。

回り道も出来そうもない。

正面には俺達の身長と同じくらいの岩が有り、土砂の中から顔を出している。

重機でここまで土砂を掘って来たが、岩に行く手を阻まれたので工事を中止した、って感じだ。


「そんな……」


まりあんは目の前の巨岩に左手を突き、腰が抜けた様にへたり込む。


「折角来たのに残念だったな。そんな女っぽい仕草をしても、これ以上先には進めないぞ」


俺はいつもの調子で軽く言う。

しかし、まりあんは地面に座ったまま動かない。

本気でガッカリしている様なので、空気を読んでふざけるのを止める。


「この先には何が有ったんだ?」


俺もまりあんが手を突いている岩に触る。

すると、巨岩がまっぷたつに割れた。

桃太郎の絵本で良く有る、ドンブラコと流れて来た大きな桃をおばあさんが切った様に、パカッと。


「!?」


驚く俺とまりあん。

半分になった岩が大地を揺るがしながら崖を転がり落ち、崖下の木々をいとも簡単になぎ倒して行く。

茫然とその様子を眺めていた俺は、突然後ろからシャツを引っ張られた。


「うわっ!」


引っ張られるまま後ろ向きに走る俺。

突然の事なので、倒れない様にバランスを取るので精一杯だ。


「ショウ?」


俺の異変に気付いたまりあんがへたったまま振り返る。


「真珠!止めなさい!」


十メートルくらい下がってから解放された俺は、やっと後ろを振り返る。

銀色の髪の小さい女の子がまりあんに向かってアッカンベーをしていた。


「バイバイ、痛い事する奴!」


「……どう言う事?」


訝しげな顔をしているまりあんの後ろで残り半分の岩にヒビが入り始める。


「まりあん! こっちに来い! 逃げろ!」


俺が叫んだと同時に巨岩の自壊が始まる。

岩に向き直り、何が起こっているのかを理解したまりあんは慌てて立ち上がった。

が、疲れのせいか焦ったせいか、一歩目で盛大に転んでしまった。


「まりあん!」


助けに向かおうとした俺のシャツを引っ張る真珠。


「山が崩れるワン。行くと死ぬワン」


「何?」


山肌の方を見ても変化は無い。

だが、この妖怪がウソを言うとも思えない。

そんな知恵が有る様には見えない。


「離せ! 山が崩れるなら、まりあんを助けないと!」


「お前は良い匂いだから助けたワン。でも、あいつはダメ。痛い事をする、悪い奴だワン」


「そうか、悪い奴か。困ったな、それは否定出来ない。だけど、俺はまりあんを助けなきゃいけないんだ。離してくれ」


真珠の手を振り払おうとしたが、小さいくせにやたら力が強く、前に進めない。


「折角見付けたあの子の匂い、絶対に離さないワン」


微かに地面が振動を始めた。

全身の毛が逆立つ様な緊張感。

過去に体験した二度の大地震を身体が思い出し、これは本気でやばいと本能が訴える。


「分かった。あの子って奴を探すのを手伝ってやる。だからまりあんも助けてくれ」


早口で言った俺の言葉を受け、銀色の犬耳がピンと立つ。


「ホントに? 手伝ってくれる?」


「ああ、絶対に手伝う。だから早く!」


「分かったワン!」


大きく頷いた真珠は、まりあんに向かって四つ足で駆け出した。

同時に岩が木っ端微塵になり、無数の破片がまりあんに降り掛かる。

不自然な程に細かくなっており、目の粗い砂を被っている様な物なので、それ自体は危険ではない。

生き埋めになるほどの量でもないし。


「助けるから痛い事しないで」


そう言った真珠は、腹這いになっているまりあんのポンチョに噛み付いた。


「何を……」


四つ足のまま踏ん張った真珠は、まりあんを引き摺って後退さる。

しかも全速力。

左手で頭を守りながら真珠の行動に驚くまりあん。


「ちょっと、痛痛っ!バカッ!」


整備されていない山道を腹這いのまま引き摺られるのは、見ているこっちも痛くなる。

かなり無茶な救出方法だったので俺も手を貸そうと一歩前に出た時、左手側の山肌がモソリと動いた。


「まりあん、土砂崩れだ! 手を伸ばせ!」


「ショウ!」


まりあんの手首を掴むと、俺の手首が握り返された。

そのまま力任せに引き上げ、抱き締めつつ後ろに下がる。

女の身体は柔らかいと良く言われるが、抱き締めたまりあんはゴツゴツしていた。

真珠はまりあんのポンチョから牙を離し、二本足になって俺の背後に回る。

そして俺とまりあんの服を手で引っ張り、後ろに下がるスピードを上げてくれた。


「ポンチョの中にどれだけの物を仕舞ってるんだよ。抱き心地最悪じゃないか」


「ごめんねぇ、固い女で。ショウは意外と力強いのね。もう高校生なんだねぇ」


そんな暢気な口調の会話のすぐ近くで大量の土砂が谷底へと流れ落ちて行っている。

逃げるのが一歩遅れていたら、俺達はあの土砂に巻き込まれて行方不明になっていただろう。


「真珠、ありがとう。助かったよ」


安全な位置まで下がってもまだ俺達を引っ張っている真珠に礼を言うと、そこでやっと俺達の服から手を離した。

俺達の足も止まる。


「エヘヘ……」


人懐っこい笑顔になる真珠。

褒めて欲しそうだったので、まりあんを離してから頭を撫でてやった。

真珠は気持ち良さそうに目を細める。


「助けてくれたのは有り難いけど、もうちょっと優しくして貰えないかな」


涙目で言うまりあんのポンチョには雑草や土がこびり付いていて、タイツの膝が破れて血が滲んでいた。


「真珠のお陰で助かったんだから文句言うなよ。苦労してこんな所まで来て人生の終わりを迎えるなんて、最悪にもほどが有る」


俺は崩れた土砂を見る。

土の流れはほとんど止まっている。

災害としては山の表面が削れた程度の極小規模な物だった様だ。

それでも俺達を飲み込むには十分な威力が有ったが。


「そうね。あっ、痛た……」


その場に座り込むまりあん。

三角座りの格好になり、膝の傷口に息を吹き掛ける。

目を逸らす程の怪我ではないが、痛そうだ。


「大丈夫か? 歩けないんなら助けを呼ばないといけないんだけど、携帯通じるかな、ここ」


整備されたキャンプ場の近くなら山の中でも大丈夫だろうが、大分登って来ているので圏外でもおかしくない。

携帯を取り出して確認しようとしたら、まりあんは大きく首を横に振った。


「歩けないほどじゃない。心配しなくても大丈夫」


まりあんは、ポンチョの中から消毒液と絆創膏を取り出した。

準備万端過ぎる。

そりゃ抱き心地が悪い訳だ。

それらを地面に並べながら青い瞳を真珠に向けるまりあん。


「真珠。助けてくれてありがとう。昨日は痛い事をしてごめんね。もうしないわ」


「本当に?」


俺達を遠巻きに見ていた真珠が二本の尻尾を揺らす。


「ええ。命の恩人だもの」


笑顔になって真珠の警戒を解いたまりあんが自身の治療を始めようとしたら、いきなり土砂が爆発した。


「!?」


飛び上がるほど驚く三人。

爆発音が山彦の様に響き渡り、舞い上がった土粒が辺り一面に降る。


「なぁ、まりあん。ここには何が有るって言うんだ……?」


俺は茫然と爆発跡を見ながら訊く。

位置的には割れた岩が有った場所で、その部分だけ土砂が無くなっている。


「だ、だから、神社よ」


まりあんも思考停止している顔で応える。


「古傷の痛みを消す治癒の神様が祀られているって言う神社。霊験あらたかって話題になってたから、一度来てみたかったの」


なるほど、過去の事故関係の事だから言いたくなかったのか。

そうは思ったのだが、予想もしない出来事の連続の後だったので、普段なら絶対に訊かない事を訊いてしまった。


「右腕の傷、痛いのか?」


「うん、たまに。ショウは、頭の傷、痛くないの?」


欠損している右腕の事を訊いたのに不機嫌にならず、尚且つ初めて俺の傷の事に触れて来るまりあん。

動揺しているのはお互い様らしい。


「俺のは何とも無い」


「そう……。あの事故の前と後で性格が違うから、影響が無いとは思えないんだけど……」


間抜けに口を開けている俺達の脇を通り過ぎ、土砂の方に向かって歩き出す真珠。


「おい、真珠、どこに行く。そっちは危ないぞ」


「神社が有るなら、あの子が居るかも知れないワン」


振り向かずにそう言った真珠は、ちょっとした山の様になっている柔らかい土砂を登って行く。


「どう言う事だよ、おい!」


「おーい。そこは神社じゃないよー。誰も居ないから戻っておいでー!」


俺とまりあんの声を無視し、爆発で出来た穴の中に頭を突っ込む真珠。


「ショウ。あの子を連れ戻して。危なっかしくて見てられないわ」


「ったく。しょうがない妖怪だなぁ」


「気を付けてね。何が爆発したのか分からないから、また爆発するかも。ガスとかも注意して」


「相変わらず気が回るな。でも、どう注意したら良いのか分からないしなぁ」


取り敢えず周囲の音と空気の匂いに集中しながら銀色の二本の尻尾を目指す。

土砂が積もっている道は足場が不安定で脆いので、なるべく固めな土塊を選んで踏んで行く。


「おい真珠! 俺達を助けてくれた真珠が危険な事をしてどうする。ここから離れるぞ」


「女の子は居たけど、違う子だったワン」


爆発跡から頭を出して俺を見る真珠。

銀色の髪の毛に砂が付いている。


「何? 女の子が居た、だと?」


俺も爆発跡を覗く。

そこには横穴が有り、その大きさは俺が中腰になれば通れるくらい。

周りに積もっている土砂のせいで太陽の光が少ししか入らず、中は薄暗い。

だから、驚きはしたが、取り乱したりはしなかった。


「……アレが、女の子?」


横穴の中に干からびた人間が転がっていた。

光の加減で足しか見えないが、完璧にミイラ化している。


「うん。匂いは全然しないけど、声は女の子だワン」


「声?」


「うん」


「誰の」


「あの子の」


ミイラを指差す真珠。


「まさかとは思うが、アレが喋ってるのか?」


俺もミイラを指差す。


「うん。水が欲しいって言ってるワン」


「マジか」


耳を澄ませてみても何も聞こえない。


「本当に欲しいって言ってるのか?」


「うん」


にわかには信じられないが、真珠が言うなら本当なんだろう。

そんなウソを俺に言っても仕方ない。

意味が無い。


「なら、あげてみるか」


さすがに自分で行く勇気は無いので、何が起こっても大丈夫そうな妖怪巫女に任せよう。


「入り口が狭くて俺は入れないみたいだから、身体の小さな真珠がやって来てくれるか?」


「分かったワン」


水筒の蓋に水を入れ、真珠に持たせる。

水が零れない様に慎重に洞窟の中に入って行く真珠。


「気を付けろよ。変な匂いとかしないか?」


「カビ臭いワン。土臭いワン。草臭いワン」


「そう言う事じゃなくて……。まぁ良いか。危険な臭いは無い、って事だな」


「どうしたのー?」


道に座っているまりあんが大声で訊いて来たので、そっちに顔を向ける。

その膝には既に絆創膏が貼られている。


「中にミイラが居るんだ。水を欲しがっているらしい」


「はぁ?」


状況を伝えてから横穴に顔を戻す。

すると、真珠が戻って来た。


「もっとだって」


「大丈夫か? 悪い予感とかしないか?」


「よかん?」


「分からないか。えーっと、まりあんみたいに痛い事しそう、とか」


「そう言うの良く分からない……。でも、真珠にありがとうって言ってくれたワン」


「そうか。じゃ、水筒ごと持って行け」


「うん」


水筒を持った真珠が横穴の中に戻って行ったら、土砂のすぐ脇まで歩いて来たまりあんが声を上げた。


「ミイラって何? また妖怪?」


「カラカラに乾燥しているのに喋っているみたいだから、常識で考えれば妖怪の類だろうな」


「何かしら。治癒の神様を頼って来た……?」


考え込もうとしたまりあんは、頭を振って我に返る。


「そんな事はどうでも良いわ。降りて来て、ショウ! 色んな意味で危ないから!」


「しかし……」


洞窟の中から水音が聞こえて来ている。

まだ水をあげ続けている様だ。

真珠を置いては離れられない。


「真珠みたいに追い掛け回されたらどうすんの! 真珠は見た目が可愛いからまだ良いけど、ミイラはホラーよ! 私、そんなの嫌よ!?」


一向に動かない俺を必死に説得するまりあん。


「た、確かにそうだな」


「それに、そろそろ戻らないと、夕飯が!」


「分かった、降りる。おい真珠、戻って来い」


俺は横穴に向かい直って手招きした。

そこで違和感に襲われ、動きを止める。

何かがおかしい。

何だ?


「水、全部飲んじゃったワン」


空になった水筒を持った真珠が横穴から頭を出す。

分かった。

さっきまで見えていたミイラの足が消えているんだ。


「そうか。じゃ、帰るぞ」


悪い予感しかしないので急いで戻ろうとしたが、真珠は横穴から離れようとしない。


「待って。何か食べ物は無いかって。力が出ないんだって」


「は? 食い物だって?」


俺は、ついうっかり横穴の奥に視線を向けてしまった。

這いつくばっているミイラと目が合ってしまった。

極限までこけた頬に、瞳の無い白い眼球。

染料が抜けた着物から伸びる、細い手足。

長時間放置したカツラの様にボロボロの髪は異様に長い。

そんな生き物と見詰め合っている俺は、どうして良いか分からずに金縛り状態になる。


「お礼はしますから、食べ物を……」


俺にも聞こえる声で喋るミイラ。

掠れているが、確かに女の子の声だ。


「どう見ても人間じゃないが、助けても良いんだろうか。どう思う? 真珠」


俺の声は動揺のせいで震えていた。

真珠が応える前に謎の生き物が辛そうな吐息を返す。


「わらわの名前は、ユスラトノミコト。……この様な格好になっていますが、人の子です」


「ユス……何?」


「お願い、します、食べ物を……。お話する、力が出ません……。警戒する気持ちは分かりますが、貴方に不利益を与える事は、絶対にしませんから……」


「仕方ないな。おーい、まりあん!」


「何ー?」


「食べ物、まだ持ってるか?」


「有るけど、何をするの?」


「ユス何とかって言うミイラが何か食いたいんだとさ。このまま放って置いたら死にそうなんだ」


目を丸くして驚くまりあん。


「え? まさか、ユスラトノミコト? 動桃命(ゆすらとのみこと)がそこに居るの?」


「そう、それだ。知ってるのか?」


「目指していた神社で祀られていた神様の名前よ」


「神様か。ミイラになっても生きてるんだから、そのレベルだろうな」


「怪我に訊く神様だから、そう言う復活も有り、なのかな。本物だとは思えないけど」


「話を訊こうにも、腹が減って力が出ないみたいなんだ。何かくれ」


少し悩んだまりあんは携帯電話を取り出し、時計とアンテナを見てから頷いた。


「時間が押してるからショウの思う通りにしてあげるわ。いざとなったら助けを呼ぶ。お菓子で良い?」


「ああ。真珠、取って来てくれ」


「ワン」


新聞を取って来る犬の様に従順に言う事を聞く真珠。

足場の悪い土砂の上なのにヒョイと降りてピョンと登って来る。


「はい」


「ありがとう」


持って来たのは、一口サイズのゼリー二個とウエハース二枚入り二袋だった。

それと、真珠の首にまりあんの水筒が掛かっている。

さすがまりあん、抜け目ない。


「出来たら外に出て貰ってー。まだ小石とかが落ちて来てるからー」


まりあんは、真珠とミイラにも聞こえる様に大声を出す。

頷いた俺は横穴から少し離れる。


「食い物だ。下からの声が聞こえていただろう? ここは危ないから、外に出てくれるかな?」


ユス何とかは頷き、手を伸ばして来る。

痩せこけた老婆の様な腕。


「動けないので、引っ張ってください……」


ミイラを触るのは、正直気持ち悪い。

だが俺に向かって言っているので真珠行けとは言えず、恐る恐る節くれ立った手を取った。

ゴツゴツした細い手は強く握ると壊れそうだから、慎重に引き寄せる。

横穴から上半身が出た。

眩しそうに目を細めるミイラの身体は、明るい所で見るとやはり異常に細い。

骨と皮だけで、肉が無いのだ。


「真珠。また山が崩れそうだったら、なるべく早く教えてくれよ。この神様は乱暴に扱えないから」


「ワン」


一旦手を放した俺は、ミイラの両脇に手を入れる。

そして子供を持ち上げる様に横穴から引っ張り出す。

全身が外に出たと言うのに、髪の毛はまだ横穴の中に有る。


「見た感じ軽そうだから、そのまま降りて来たら? 安全な所で落ち着こうよ」


下から言うまりあん。


「いえ。その前に、せめて、食べ物を一口……。日の光が、強過ぎて、気を失いそうです……」


腕の中の元ミイラは苦しそうに喘ぐ。

生きているのが不思議な状態だし、仕方ない。


「先にゼリーを食わせる」


まりあんに向けて大袈裟に頭を横に振り、そう応える。


「気を付けてね」


「おう」


ユス何とかをゆっくりと土砂の上に座らせた。

身体に力が入らないのか、水中の海藻みたいにユラユラと揺れている。

辛そうなので、左手で背中を支えてやる。


「ツルンとした食い物だから慌てて飲み込むなよ。喉に詰まらない様に、ちゃんと噛め」


俺はそう言いながら右手だけでゼリーの包装を開ける。

そして小さく頷いたユス何とかの口にゼリーを入れてやる。

水筒一本分の水を飲んだせいか、唇だけはぷっくりとしていて肉感的だ。


「ん……く、ん」


ユス何とかはゆっくりと租借し、シワシワの喉を鳴らして飲み込む。


「……ほう」


美味しそうに吐息を洩らす。


「もう一個食うか?」


弱々しく頷いたので、ふたつ目のゼリーも口に入れてやる。

それも飲み込んだ後、ユス何とかは自身の右手を顔の高さまで上げた。


「血が増え、身体を動かせるまでに回復しました。ありがとう」


声に張りが出ている。

そして、白目だった眼球に真っ赤な瞳が現れた。

気味が悪い色の瞳を動かし、周囲に視線を巡らすユス何とか。


「……ここはどこでしょう」


「見ての通り、山の奥深く、だよ」


「そう……。近くに村は有りますか?」


「そこまでは知らない。俺達は――」


「お前達ー。そこで何してるー!」


ボロいバイクに乗った老人が叫びながら現れた。


「どうもこうも。こっちが説明して貰いたいくらいですよ」


自分の横でバイクを止めた老人に真顔を向けるまりあん。

初対面の老人にも物怖じしない。


「前触れも無く岩が割れ、いきなり土砂崩れが起き、そこがなぜか爆発し、終いには自称動桃命の生きたミイラが発見されたんですよ」


「なんだと?」


バイクから降りた老人は、驚いた顔で土砂を見上げた。

下の喧騒を全く気にせずに真珠の首に下がっている水筒に手を伸ばしている髪の長いミイラを見て顔の皺を更に深くする。


「アレが動桃命だと名乗ったのか?」


「みたいですよ。貴方は?」


「俺はここに有った動桃神社の管理者だ。お前達は近所の子じゃないな。下のキャンプ場の客か?」


「そうです。――ああそうか、行き止まりだったのは、ここが神社だったからなのね」


「そうだ。ここに有った岩がご神体だったんだ。それが無くなっているのを見た時は、ご先祖に顔向け出来ないと思ったが……」


老人は合掌し、モゴモゴと口の中で念仏を唱える。

そうしている間に水筒の水とウエハースの全てを胃袋に納めたユス何とかは、自力で立てるまでに回復した。

手足は相変わらず骨と皮だけだが、顔は痩せ過ぎな女の子レベルになっている。


「ありがとう。貴方のお陰で生き返りました。貴方のお名前を教えてください」


声にも張りが出ている。

明らかに人外だと判断出来る回復力だ。

ほんの数分でミイラから復活したのだから。


「俺は、中古笑(なかふるしょう)。こっちは真珠。真珠がこの横穴を見付けたんだ」


俺の横で尻尾を振っていた真珠の頭を撫でながら紹介してやる。


「そうなのですか。ありがとう、真珠」


「ワン」


微笑み合う謎の生命体二人。

その笑顔のまま俺に頭を下げるユス何とか。


「貴方達にお礼をすると約束しましたが、わらわは怪我を治して差し上げる事しか出来ません。

それでも宜しければ、どうかわらわに恩返しをさせてください」


「怪我を治す? ああ、そう言えば、古傷に効く神様なんだっけ」


「古傷に限らず、新しい怪我も治せます。ですが、病気は治せません」


「そうなのか。まぁ、取り敢えず降りよう。自力で降りられるか?」


一歩歩いてみるユス何とか。

しかし膝に力が入らないのか、バランスを崩しそうになる。


「申し訳ありません。足場が悪過ぎて、降りられません」


「さっきまで干からびてたんだもんな。おんぶしてやるよ。真珠、これを頼む」


「ワン」


背負っていた小さいリュックを真珠に渡す。

身軽になった俺を赤い瞳で見詰めて来るユス何とか。

眉間に皺が寄っている。


「おんぶ……」


「どうした?恥ずかしいのか?」


「いえ……。夢で、見た様な……。うーん……」


「こんな所で考え込まれても困る。いつまた崩れるか分からないんだ。まず降りて、それから考えてくれ」


「はい」


ユス何とかを背負った俺は、慎重に土砂から降りた。

真珠は先に降り、俺達を心配そうに見詰めている。

背中に感じる感触は骨ばっていて、ちょっと痛かった。

何で俺の周りの女は女らしい柔らかさが無いのだろうか。

固い地面に降り立った俺は、ゆっくりとユス何とかを下す。

俺等が無事に下りられた事でホッとしているまりあんを見て、ふと思い付く。

変な爺さんは、今は無視をする。


「そうだ。お礼なら、まりあんの痛みを取ってやってくれ。食い物を持っていたのはまりあんなんだから、礼はあいつに返すべきだ」


突然俺に指差されたまりあんは怪訝な顔をした。

そのまりあんの膝を見るユス何とか。


「掠り傷程度なら、まだ体力が回復していなくても、容易い事です」


「いや。実はな――」


「ショウ」


まりあんの冷たい声が俺の声を遮る。


「話は分かったわ。容易いのなら、この掠り傷を治して貰えるかな。それが出来たら、貴女を動桃命本人だと認めてあげる」


「何でそんなに偉そうなんだよ、まりあんは……」


呆れる俺の横で、真珠は興味無さそうに犬耳を掻いている。

いや、狐耳か。


「良いでしょう。そのまま立っていてください」


まりあんの前で跪くユス何とか。


「傷口に直接触れるので、少々痛みますよ。でも、動かないでくださいね」


ユス何とかは、絆創膏からはみ出している部分の掠り傷に口付けした。


「っ!」


驚きと微かな痛みでまりあんの眉間に皺が寄る。

ユス何とかは、傷から口を離して深く息を吐く。

心成しか少し萎んでいる。


「貴女、掠り傷だけじゃありませんね? 大きな傷を隠している」


「……凄いわ。幻肢痛がすっかり消えている。膝の痛みも綺麗に無くなった」


絆創膏を剥がすまりあん。

痛々しかった傷が跡も無く消えている。


「本物だわ!」


「感動しているところ悪いが、げんしつうって何だ?」


俺の質問に応えたのは、なぜか爺さん。


「手や足を失った者が感じる、有り得ない痛みの事だな。無いはずの部分に痛みを感じると言う。お嬢さん、あんた……」


「ところで爺さん。あんたは何者だ」


まりあんの顔から表情が消えて行くのを見てた俺は、慌てて話を変える。

さすがに見ず知らずの年寄りに蹴りを入れる事は無いだろうが、何を言い出すか分からないから。


「俺は、代々動桃神社を管理して来た家の者だ。俺の一族は動桃命様が復活なされた時に手厚く保護する為に居る」


「わらわが、復活……? 代々……?」


ボサボサの長い髪を地面に広げて座っている動桃命は、ゆっくりと爺さんを見上げた。

その視線を受けた爺さんは、優しげな声で質問する。


「動桃命様。アサガオ、と言う名前に聞き覚えは有りませんか?」


「アサガオ? 朝顔……。聞いた事が有ります。それは、それは……」


赤い瞳が動揺で揺れる。

神様の言葉が続かないので、老人は待たずに自分の話を続ける。


「俺はそのアサガオと言う者の子孫なんです。ですから、何の心配も要りません。我が家に帰りましょう」


「朝顔の子孫……。貴方達も、ですか?」


ユス何とかは、ゆっくりと頭を動かして俺を見る。


「俺達はただの、何て言うか、通りすがりの者?」


「動桃神社を参拝に来た、ただの観光客じゃない?」


頭を掻く俺に続き、ポンチョに付いた草を払い落としながら言うまりあん。


「朝顔や紫とは関係ないのですか?」


「それは人の名前なの? って訊くくらい関係ないわね」


まりあんの声の調子が良い。

幻肢痛って奴が消えたせいか?


「動桃命様。我々で子々孫々まで動桃命様を祀らせて頂きます」


無関係な奴等は黙ってろと言わんばかりに俺達のド真ん前に移動して来る爺さん。


「わらわを、祀る……?」


「神様扱いがお気に召さないのならば、普通の女の子として家族に迎え入れる事も出来ます」


「普通の、女の子……?」


ユス何とかの赤い瞳の焦点が合っていない。

オウム返ししかしていないし、大丈夫なのか?


「動桃命様の御心のままに我が家を動かす事が出来ます。詳しい話は我が家にお越し頂いた後にゆっくりとしましょう」


そう言う老人に首を横に振って応えるユス何とか。

呆けた表情から一転、痩せこけた顔が引き締まっている。


「色々と思い出して来ました。わらわを騙し、こんな山奥に連れて来たのは、その朝顔と紫。だから、朝顔の子孫は信用出来ません」


「では、我が家にはお越しになられないと?」


老人は落ち着いた感じで言う。

代々守って来た神様に嫌われた割には平然としている。


「はい」


「では、行く当てが有るのですか?」


なるほど。

神様とは言え、身寄りの無い女の子が行ける場所は無い。

目覚めたばかりの今は老人の家に行くしかないのだ。

しかし、ユス何とかは俺を見詰めた。


「貴方はわらわを助けてくれた。無関係なのに。ですので、貴方は信用出来ます。わらわが出来る事は何でもしますから――」


俺に向かって土下座するユス何とか。


「もう一度、わらわを助けてください」


「え? いや、でも……」


慌てる俺の横でニヤリと笑うまりあん。


「良いんじゃない? 有益な神様に頼られるのは凄いお得だし。真珠と違って、私達のメリットは計り知れないわ」


それを聞いた真珠が怒った顔をする。


「真珠と違うって何」


「あんた、人を探してるだけじゃない。この動桃命は私達を助けてくれるって言ってる。全然違うわ」


今度は拗ねた顔をする真珠。

二本の太い尻尾が垂れ下がる。


「さっき助けたワン」


「ああ、そう言えばそうだったわね。でも、真珠が居なくても、きっとショウが助けてくれてたわ。ねぇ? ショウ」


俺は肩を竦める。


「助けただろけど、真珠が居なかったら間に合わなかっただろうな。だから真珠には感謝しようぜ」


「で、どうするね?お前さん達」


脱線した話を戻す様に訊いて来る老人。


「どうもこうも。貴方はどうしたいんですか? 貴方の家の神様でしょうに」


俺が訊き返すと、老人は皺だらけの顔をユス何とかに向ける。


「動桃命様がやりたい様にやらせてやれ、と言うのがアサガオの遺した言葉でな。だから俺がどうこうする事は出来ないんだ」


「どう言う事ですか?」


「待って、ショウ。そろそろ戻らないと」


まりあんが携帯の時計を俺に見せる。

もうすぐ三時。

帰りに二時間掛かるので、今すぐ出発しないと夕飯の準備に間に合わない。

俺達が遅れると、まりあんの両親にカレー作りの全てを任せる事になってしまう。

それは気まずい。


「動桃命様。この子達と一緒に行かれるのですね?」


土下座をしている髪の長い少女の前で正座をした老人は、神妙な表情で訊く。


「はい」


背筋を伸ばしてから、しっかりと頷くユス何とか。


「分かりました。そうですな。見た目は同年代ですし、奇妙なモノノケも連れているこの子達と行くのは良い事でしょう」


老人は立ち上がり、俺の手を握る。


「動桃命様を宜しくお願いします。動桃命様に関する資料は後でキャンプ場に届けますので、ご心配無く」


「ご心配無くって言われても……」


「大丈夫よ。私も責任を負うから」


ユス何とかにクッキーを渡しながら言うまりあん。


「じゃ、ショウ。この子をおんぶしてあげて。こんなにガリガリじゃ山道は歩けないでしょうから」


「マジか? 本気で連れて帰るのか?」


「マジよ。って言うか、こうなるのが嫌なんだったら水をあげなきゃ良かったじゃない。助けたのはショウなんだから、責任取りなさい」


「しかし……」


「真珠みたいに付き纏われたらどうするのって私は言ったわよ。言ったわよねぇ? 私の忠告を聞かなかったのは誰でしょうか?」


反論出来ない。


「……分かったよ」


観念した俺は、骨ばった女を背負った。

真珠の女の子探しも手伝ってやるって約束してしまったし、面倒事が一気にふたつになった。


「今、面倒事が増えたなーって思ってたでしょ」


俺の胸を指差すまりあん。


「頭の中を読むな」


「治癒の神様に頼られるのは、私的にはラッキーだからね。失礼の無い様にお連れしてね」


吐き捨てる様に言い残し、先を行くまりあん。

その背中を茶色い瞳で見ていた真珠は、無邪気な無表情で俺を見上げる。

どうするの? と窺っている気がする。


「……帰るか。真珠、悪いがそのまま俺のリュックを持って来てくれるか?」


「ワン」


神様を背負っている俺も山道を下る。

真珠は後ろをちょくちょく振り返りながら俺の後を付いて来る。

何が気になるのかと俺も振り返ってみると、代々神社を守って来た一族の老人が静かに俺達を見送っていた。

それと、ユス何とかの長過ぎる髪が蛇の尻尾の様に俺の後ろに垂れていた。

帰りは下りなので比較的足早に歩けたので、まりあんが休みを取る必要は無かった。

人一人背負っている俺は辛かったが、そんな事はどうでも良いらしく、そのままノンストップで歩く。

だが、そのお陰で夕飯の準備には余裕で間に合いそうだ。

後十分でキャンプ場、と言う所でまりあんが携帯を取り出し、ちゃんとアンテナが立っているかを確認してから電話を掛けた。


「あ、パパ? これからちょっとビックリする見た目の子を連れて行くけど、気にしないで」

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