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ゆるうた  作者: 宗園やや
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2013年4月28日土曜日

俺は億劫な動作で寝返りを打った。

今日は学校が休みなのでゆっくりと寝ていたかったのだが、そう言う日に限って早目に目覚めてしまう。

二度寝も出来ないくらいのハッキリとした覚醒。

意地でも昼まで寝てやろうかと思ったが、そんな努力は不毛過ぎるのであっさりと諦めた。

俺は温かい布団を名残惜しみながらベッドから起き上がり、カーテンを開けて朝日を部屋に取り入れる。

すると、窓の外側に居る少女と目が合った。

左の掌をガラスに張り付け、口をへの字にしている。

少女の瞳は青く、長めの髪は天然の茶髪。

父親は日本人だが、母親が金髪の外国人なので、こんな外見になっている。

名前も、どの国でも通用する様にと平仮名で『まりあん』と書く。

そのまりあんが顎で窓を開けろと意思表示している。

まぁ、まりあんが窓を開けようとしてサッシを爪で擦ったり激しくガラスを叩いたりしていたから、俺は目が覚めてしまった訳だが。

だから俺は不機嫌な表情を作りながら窓を開けてやる。


「窓の鍵は閉めるなって言ってあるでしょ? 記憶力無いの?」


棘の有る口調で俺を罵ってから部屋に入って来るまりあん。


「ゆっくり寝たかったから閉めたんだよ。まりあんに邪魔されないようにな」


俺もケンカ腰で言い返す。

当然、まりあんは怯まない。


「私を閉め出そうとするなんて、ショウのクセに生意気なのよ。良いから窓の鍵は閉めない事。分かったわね?」


高圧的に言ったまりあんは、俺のパジャマ姿を見てアヒル口になった。


「何だよ、その顔は」


「これから出掛けようと思ってるんだけど、準備に時間が掛かりそうねぇ」


厚手の上着とロングスカートと言う他所行きの格好をしているまりあんが溜息を吐く。

とある事情から、まりあんは厚手の上着を羽織らなければ外出しない。

例え真夏でも。

それは兎も角、俺の部屋は二階に有る。

つまり、まりあんはスカートで屋根から屋根へ飛び移って来た事になる。

ロングとは言え、女子としてその行動はどうなんだろう。

子供の頃からそうやってこっちに来ていたので、どうでも良いと言えばどうでも良い。

家がお隣同士で、同い年で、物心付いた時からの遊び仲間と来れば、そうするのは当然だろうし。

だが、今は高校一年生。

少しは弁えて欲しい物だ。


「出掛ける? どこへ」


「買い物。ショウは荷物持ち。じゃ、下で待ってるから。男だからすぐ支度出来るでしょ? すぐ来てね、すぐ」


俺の返事を待たずに部屋から出て行くまりあん。

俺は力無く俯いて頭を掻く。

あいつが強引なのはいつもの事。

寝惚け頭では反抗する気にもならず、言いなりを自覚したまま身支度を整える。

そして一階に降りてキッチンに行くと、母さんとまりあんが立ち話をしていた。

俺に気付いた母さんが冷蔵庫を指差す。


「おはよう、ショウ。まりあんちゃんと出掛けるんだって? 昨日の残りが色々入ってるから、食べてから行きなさいね」


「はいよ」


「じゃ、お母さんは洗濯物を干して来るから。気を付けて行ってらっしゃい」


「はい、お昼までには帰って来ます」


余所行きの微笑みで頷いたまりあんは、母さんがキッチンから出て行ったのを確認してから冷蔵庫を開けた。

他人の家なのに遠慮が無い。


「えーと。これとこれで良いわね。食べて」


まりあんは、昨日の晩御飯の残りを片手でテーブルに並べて行く。

冷えたポテトサラダと、二個のロールキャベツ。

俺は茶碗に御飯を装い、自分の席に着く。


「で、今日はどこに行くんだ?」


「ちょっと抓み食い」


行儀悪く左手でロールキャベツを抓み、口に運ぶまりあん。


「……うん。さすが小母さま、冷えていても美味しいわ」


「おい、無視すんな。それと、ただでさえ少ないオカズを取るな」


俺は慌てて最後のロールキャベツに箸を刺す。


「世間では明日からゴールデンウイークでしょ? 学校が休みな私達は今日からだけど」


御飯を食べながらまりあんの話を聞く。

ロールキャベツだけだとちょっと辛いので、ポテトサラダに少々ショウユを掛けて塩味を足す。


「――で、明日明後日と、うちの会社がレクリエーションでキャンプに行くの。それの買い出し。私とショウの分」


シンクに凭れながら台所の隅の方に視線を向けるまりあん。


「ああ、そう。やっぱり俺も頭数に入ってるのか」


俺は食事をしながら半笑いになる。

まりあんは派手な外見をしているクセに寂しがり屋なので、一人で出掛ける事が苦手だ。

だから事あるごとに隣の家に居る幼馴染みの俺を連れ出す。

しかも強引に。

女子の友人との都合が合った場合は俺の部屋に乗り込んで来ずに出掛けて行くのだが、そんな事は滅多に無い。

それはつまり、俺にはゆっくり出来る休日が滅多に無い事を意味する。


「もしもキャンプが無かったら、ショウは何をする予定だった?」


「予定なんか無いよ。クリアしていないゲームを消化するくらいかな」


「だったら別に良いじゃない。小母さまには、今、許可を貰ったから」


こんな感じで。

でもまぁ、家でゲームするより女の子と外出する方が楽しい――訳が無い。

女の買い物は無意味な寄り道が多くて長いので、荷物持ちの身としては苦行でしかない。

しかもまりあんの両親はかなりの規模の会社の社長と役員なので、娘には思う存分買い物が出来るくらいの小遣いを与えている。

迷惑な話だ。


「さぁ、さっさと食べて。行くわよ」


俺が食べ終わるのを待てずに玄関に行くまりあん。

俺の部屋から入って来てそのまま出掛けると言う行動をしょっちゅうしているので、我が家の玄関には若い女向けの靴が数足置いてある。

今着ている服も、置いてある靴に合せたコーディネイトだ。

普通に自分の家の玄関から出入りすればそんな面倒な事をしなくて良いのにな。


「ごちそうさん」


食べ終わった俺は食器を流しに置き、足取り重く玄関に向かう。


「キビキビ歩く!」


「へいへい」


俺は叱られても気にせず、緩慢な動きで穿き古したスニーカーに足を突っ込む。

そんな俺に苛立ったまりあんは、一人先行して表に出て行った。

落ち着きの無い奴だ。

不意に強めの風が吹いた。

少し埃っぽい春の風がまりあんの上着を撫でて行き、その右腕の部分が不自然に煽られる。

そんな時、まりあんは無意識に視線だけで周囲を見渡す。

誰かが自分の右腕を見ているのではないかと探るクセが付いているのだ。

なぜそんなクセが付いているのか。

それは、まりあんの右腕が無いからだ。

正確には上腕の三分の一くらいは残っているが、その部分の肌を見た事は無い。

多分、医者以外の他人には見せていないと思う。

どうしてそんな事になったのかと言うと、幼い頃に車の事故に遭い、それで失ってしまったらしい。

その事故には俺も一緒に遭っている。

髪の毛で隠してあるが、俺の頭にも大きな傷が有るから事実だ。

さっきの寝起きの時にまりあんがアヒル口になったのは、寝癖のせいでその傷が見えたからだろう。

俺は傷が頭に有るせいか事故で何が起こったのかを全く覚えていないが、まりあんはどうやら覚えているらしい。

だが、まりあんは事故の詳細を全く話してくれない。

他人に右腕の事を聞かれるのが猛烈に不快らしいので、完全にその話題をスルーするのだ。

だから視線避けを目的として、真夏でも長袖を着る。


「ショウはやる気が無さ過ぎ!」


俺と二人並んで住宅街を歩き出したまりあんは、肩で風を切りながら言う。


「私と出掛けられるんだから、もっとウキウキするべき」


「ワァ、ウキウキ、スルナ」


棒読みで言う俺を本気で睨むまりあん。

だがすぐに呆れた表情になって正面を向いた。


「まぁね、分かってるよ。女の買い物は長くてつまんないってショウが思ってるって」


「分かってるのかよ。だったら何とかしてくれよ」


「してるよ。だからショウと一緒の時は目的地以外に行かないし」


「ウソつけ。一旦外に出たら色んな店に寄るじゃないか」


「折角の外出だもん、掘り出し物が有るかをチェックしなきゃ。目的地以外ってのは、時間が許す限り関係無い道も歩く事だよ」


「それはキツ過ぎるな。手加減してくれて助かります、まりあん様」


「感謝したまえ、ショウ君」


ドヤ顔のまりあん。

そうして住宅街を抜けると急に視界が広がり、申し訳程度の畑とかなり広い国道が見えて来る。

こちらに来たと言う事は、街の外れの方に有る大きなデパートが目的地の様だ。

他に寄れる様な店は無い。


「って言うか、私が居なかったらショウがどうなっていたかと想像すると怖いよ」


「ん? 何だ突然」


「だって、ショウって怠け者だから、高校受験に向けての勉強なんかしなかったと思う。する気が無かったでしょう?」


「……そんな事は無い」


否定してみたものの、俺は自分が自発的に勉強をする人間だとは思えなかった。

当然、まりあんもそれは分かっている。


「ウソ。去年、ショウの部屋を覗くと必ずゲームしてたじゃん。受験生のクセに緊張感無く遊びまくってさ」


溜息を吐くまりあん。


「あの時も出来る時にやるとか適当な事言ってたよね。だから私が夜な夜な勉強会を開いてあげてたの、忘れたの?」


「夜な夜な男の部屋を覗くとか、いやらしい……」


「フザケンナ。そのお陰で私と一緒のレベルの高い高校に入れたんだから、荷物持ちくらいは喜んでやるべき」


「嫌だって言っても聞かないクセに」


「何よ。私に感謝してない訳? 恩知らずだわぁ~」


そんな会話をしている間に巨大なデパートに着いた。

駐車場に沢山の車が停まっている。


「で、何を買うんだ? 今日も手加減して貰えると助かるんだけど」


「この後にもう一か所寄る所が有るから、超手加減するよ」


まりあんは早足でデパートの一階を回る。

それに続く俺。


「おかしいな。すぐ見付かると思ったんだけど。喉元過ぎれば熱さ忘れるって奴かな」


左手で自分の茶髪を弄るマリアン。

少しだけイラついている時に出る無意識のクセ。

首を傾げながら二週目に入る。


「何を探してるんだ?」


「防災セット。地震とか水害とか色々あったから、今も普通に売ってると思ったんだけど……」


うーんと唸ってから「いや有るはずだ」と近くに居た店員に話し掛けるまりあん。

その人は化粧品売り場の人だったが、親切に対応してくれた。

防災セットは、お中元等のギフトが並んでいるコーナーの隣でひっそりと売られていた。


「種類が少ないなぁ。まぁ、有るだけマシか。えっと――ちょっと小さ過ぎるけど、これで良いや。はい、ショウ」


まりあんは、持ち運び出来るタイプの小さい防災セットをふたつ俺に持たせる。


「キャンプの買い出しに来たんだろ? こんな物、何に使うんだ?」


「キャンプ場は山奥なの。そこで道に迷った時の備え。使わなかったとしても、家に有れば安心」


「なるほどな。食材とかを買い込むのかと思ってた。バーベキューの肉とか」


「食材は会社の人が用意してくれるから大丈夫」


「安心した。テントとか椅子とか買うなんて言い出してたら、全力で逃げていたところだ」


「その発想は無かったな。楽しそうだから買うか!」


「マジか!」


「嘘よ」


「手加減してくれて、本当に助かる」


防災セットを買い、遭難した時用のチョコと水を買い、口寂しい時のお菓子を買う。

お菓子の量が異様に多い気がするが、キャンプに行くのなら不自然じゃないのかも知れない。


「軽いけど、結構な量になったな」


両手に買い物袋を持っている俺の言葉を無視し、手ぶらでドリンクコーナーを物色しているまりあん。


「ジュースは、私が用意しなくても大丈夫、かな?」


「そうだな。第一、俺が持てない」


「じゃ、次行こう」


デパートを出た俺達は国道脇の歩道を進む。

見慣れた道だから行き先は分かっているが、違う可能性も有るので、あえて訊く。


「まだ何か買うのか?」


「いつもの神社」


「いつものお守りか」


「正解」


まりあんは、遠出する度に安全祈願のお守りを買う。

修学旅行や遠足は勿論、家族旅行の時も。

俺の分も買い、俺が出掛けなくても無理矢理押し付けて来る。

そして律義に正月のお焚き上げでお守りを清めて貰う。

当然、俺も毎年引っ張り出される。

信心深い年寄りでもそこまでしないと思うが、そこまでしてしまう程、幼い時の事故がトラウマになっているのだろう。

その証拠に、国道脇の歩道を歩いている今も車道側には絶対に近付かないし、車が自分の横を通り過ぎる度に肩が小刻みに痙攣する。

本人は否定しているので、無意識下での反応だと思われる。

それだけなら可愛い物なんだが、俺が車道にはみ出るのも嫌がり、端に寄れと命令する。

冗談で車道の真ん中に出よう物なら、体重を乗せたキックを飛ばしながら本気で怒る。

まぁ、車が来ない事を確認してのおフザケでも怒られて当然の行為なんだが。

行動を制限されるのは邪魔臭いが、高校生にもなって交通ルールに反抗するのもみっともない。

だから俺は大人しくまりあんに従い、歩道の端を歩いて山の方に有る神社に向かう。


「しかし、毎回神社に行くのも面倒だよなぁ。お守りって買い置き出来ないもんなのか? 十個くらい買えば数年は安心、みたいな」


「何バチ当たりな事言ってんの。そんなのダメに決まってるじゃない。まぁ、この微妙な遠さは私も面倒だとは思うけど。――さぁ、着いた」


長い階段を上って鳥居を潜った俺達は、神様に失礼の無い様に手を洗い、口を漱ぐ。

片手のまりあんが手を洗う時は柄杓を垂直に傾け、自分の手に水を零す様に洗う。

普段は横暴なまりあんだが、こう言う時は粛々と決まり事をこなす。

この行動も、お守りの効果を高める為だろう。   

そしてお祈りを済ませ、顔馴染みの巫女さんからキャンプに効きそうなお守りをふたつ買う。


「よしよし、これで安心だ」


満足そうに笑んだまりあんは、愛おしそうにお守りをポケットに仕舞った。

俺は興味が無いので無造作にズボンのポケットに押し込む。


「さて、荷物が食べ物だから一旦帰って……、ん?」


まりあんの青い瞳が俺の背後に視線を送る。


「どわっ!?」


直後、俺の背中に何かがぶつかり、うつぶせに倒されてしまう。


「いってぇ!」


神社の境内は、砂粒より大きいくらいの砂利が塗されている。

だから不意に転ばされると本気で痛い。

俺にぶつかって来た何かは、俺の背中の上で四つん這いになった。

そして耳元や首筋の辺りで鼻を鳴らし始める。


「うはっ、擽ったい! 何だ? 犬か? おいまりあん、見てないで助けてくれ!」


ロングスカートのまりあんは、冷たい目で俺を見下している。


「犬、なのかな。猫じゃないわねぇ」


「のんびり言ってないで、早く!」


しかしまりあんは微動だにしない。

早く助けて欲しいんだが。


「んー……。これ、神主さんを呼んだ方が良くないかな」


俺の上の四つん這いの物が無遠慮に動き回る。

結構な大きさだ。

柴犬とかのサイズじゃない。

土佐犬くらい?

寝返りを打って追い払おうと思っても、両肩を踏まれているので力が入らない。


「いて、いてて! コラ、動くな! 降りろぉ!」


「しょうがないなぁ」


転んだ拍子に放り投げてしまったスーパーの袋の中からビーフジャーキーを取り出すまりあん。


「ほらほら。美味しいよ。こっちおいで」


まりあんは数歩後退り、ビーフジャーキーの袋を噛み切って開けた。

これはお菓子として食べる物ではなく、山の中でクマ等に出会った時、囮として放り投げる為に買った物だ。

そんな物要らないだろと俺は思ったが、慎重過ぎるまりあんの性格が今ここで役に立った事になる。

それに釣られて俺から降りた物は、赤い袴の巫女だった。

七、八歳くらいの子供で、肩まで伸びている真っ直ぐな髪は銀色。

その銀色の頭には犬の様な耳が乗っかっている。

赤い袴の尻には、太くてもふもふの銀色の尻尾が二本。


「何だ? コスプレか?」


俺は起き上がりながら自分の掌を見る。

小石が減り込んだり皮が剥けたりしているが、出血は無い。

一安心。


「人間の子供がビーフジャーキーに釣られるかな」


袋を右脇に挟み、左手で茶色の肉片を一本取り出すまりあん。

それを軽く振る。


「ワン」


嬉しそうに二本の尻尾を振っているコスプレ巫女は、ワザとらしく吠えた。

人間が犬の鳴き真似をしている風にしか聞こえない。


「お腹が空いているのね。食べて良いわよ」


クンクンと鼻を鳴らしたコスプレ巫女は、まりあんの左手からビーフジャーキーを食べた。

俺の方からは背中しか見えないので、まりあんの隣に移動する。

その時にはもうビーフジャーキーを飲み込んでいた。

その食べる速さは、まるっきり犬だ。

ほとんど噛まずに飲み込んでいる。

もっとないかとまりあんの左手の匂いを嗅いでいたコスプレ巫女は、俺に茶色の瞳を向けた。

顔も人間だが、やはり大きな耳が気になる。

カチェーシャ的な物で犬耳をくっ付けている風には見えない。

首に赤くて大きなリボンを巻いているが、それは耳とは無関係か。


「良い子良い子」


コスプレ巫女の頭を撫でるまりあん。

その流れで頭に生えている犬耳を抓む。


「……本物の耳だわ。温かいし、取れない」


「ケン!」


変な鳴き声を上げたコスプレ巫女は四つ足で逃げて行った。

そのまま境内の柵を飛び越え、林の中に消えた。


「あらら。ちょっと強く引っ張っちゃったかな。可哀想な事をしたね」


「今、本気で痛がってたよな。って事は、本物の耳なのか? 尻尾も二本有ったし、本物の妖怪かな」


俺は拍手をする様にして掌に付いた土を落とす。


「かもね。はい」


口の開いたビーフジャーキーの袋を俺に押し付けて来るまりあん。

その目は林の奥に向いている。


「ワン、って言ってたけど、逃げる時には、ケン、って言ってたね」


コスプレ巫女の気配が完全に無くなった事を確認したまりあんは、鳥居に向かって歩き出した。

俺が転ばされた時に落としたお菓子はひとつも拾ってくれない。

全部まりあんの金で買った物なんだから、少しは気を向けて欲しいんだが。

しょうがない奴だ。


「それが?」


俺はスーパーの袋を拾い、その中にビーフジャーキーを放り込む。

それから小走りになってまりあんに追い付く。

もう神社には用が無いので、二人並んで階段を降り始める。


「尻尾の形から、あれは狐だよ。犬の振りをした狐。ビックリすると地が出るのね」


「ほー。良くそんなのが見分けられるな。食い物と服にしか興味が無いくせに」


「あはは。どう言う意味かな~?」


まりあんは、爽やかな笑顔で俺のひざ裏にローキックを入れた。

階段を降りている最中にそんな事をされたら、当然バランスを崩す。

落ちたらただでは済まないので必死に持ち堪え、結果、勢い良く階段を数歩降りただけで済んだ。


「バッカ、俺を殺す気か!」


「結構ピンチだったね。てへ。ごめんごめん」


軽い調子で謝るまりあん。

その態度にカチンと来る。

瞬間的に脇や背中に冷や汗を掻く程ビックリしたと言うのに。


「さすがに今のは怒るぞ! 本気で命の危機だったじゃないか!」


「何? 謝ったでしょ? それとも、土下座しろって言うの? すれば良いの?」


「逆ギレかよ。反省してないじゃん」


「反省はしてるよ。じゃなかったら謝ってない」


「そんなんだから友達が出来ないんだよ。少しは相手の事も考えろ」


「あぁん? ケンカ売ってるの? 私にだって友達くらい居るよ?」


眉間に皺を寄せ、チンピラみたいな声を出すまりあん。


「その顔止めろ。まりあんはハーフで顔が濃い目だから、般若みたいになるんだよ」


「あー。今私は言われなき中傷を受け、非常に傷付きました。謝罪を要求します。土下座しろコラ」


「しねぇよ、ボケがぁ」


そんな感じでふざけ合いながら俺の家に戻る。

母さんはいつも通りの時間に仕事に行った様で、玄関に鍵が掛かっていた。

俺は財布に入れてある予備の鍵でドアを開け、家に入る。

当然の様にまりあんも家に上がる。


「早速明日の準備をしましょうか。一泊二日だから、着替えはそんな感じで」


「行くのめんどくせー。は通用しませんか?」


「しませんね。却下です。って言うか――」


まりあんは真っ直ぐ俺の部屋に入る。

主である俺が後に続く。


「会社のイベントだから、参加者のほとんどが大人なのよ。でも家族での参加も可だから、子供も来るの」


俺のベッドに座るまりあん。

留守中に母さんが片付けたので布団は無い。


「参加希望者のリストを見ると、子供は小学生のみっぽいの。高校生は私一人だけ。寂しいじゃない」


「だから俺も巻き込もう、ってか?」


「そゆこと」


「なら、行かなきゃ良いんじゃね?」


まりあんは不機嫌な顔になる。


「ご家族で参加してねって言っておいて、社長の娘は不参加です、じゃ格好悪いでしょ? 悪いんだってさ」


「つまり、まりあんもあんまり乗り気じゃない、って事か」


「そうでもない。家に残ってもヒマだし、ショウもヒマでしょ? さっきゲームするって言ってたし。何も無い休日よりは万倍もマシ」


「行く気満々なら、さっきの不機嫌っ面は何なんだよ」


「はいはい、一緒にキャンプ行きましょうねー」


俺の疑問を強引に無視したまりあんは、買って来たお菓子を床にぶちまけた。

そして床に座り、種類別に分けて行く。

箱に入っている物。

袋に入っていて壊れ易いスナック系。

袋に入っていて、乱暴に扱っても平気な乾き物。


「ビーフジャーキー、どうしようかなぁ。役に立ってた訳だし、やっぱり必要だよなぁ」


口の開いた袋を見ながら悩むまりあん。

その隣でしゃがむ俺。

ジャーキーの匂いがきつい。


「それひとつだけなら近所のコンビニで買えば良いだろ。それにしても、ちょっと量が多くないか?」


「未成年の中では私達が年長になるから、子供達の面倒を見ろって言われるかも知れないのよ。家族単位で動くからその可能性は少ないだろうけど」


「そんな事も予想してるのか。相変わらず準備万端だな」


「一応、ショウにもキャンプのしおりを渡しておくか。ついでにバッグを持って来る」


立ち上がったまりあんは、当然の様に窓から出て行った。

この部屋の正面に有る隣家の部屋は、まりあんの部屋ではなく物置だ。

二階に物置が有るのは妙な話だが、多分、男女の部屋を向かい合わせにするのは良くないと向こうの親が思っているのだろう。

肝心の娘本人がしょっちゅうこっちに来てるので、あんまり意味は無いのだが。


「よっこいしょ」


空のトートバッグを左肩に掛けて戻って来るまりあん。


「バッグの中にしおりが入っているから――」


「あ」


俺はまりあんの言葉を遮り、短く声を上げた。

驚いて青い目を剥くまりあん。


「んん? 何?」


俺の視線を追い、振り向くまりあん。

今まりあんが入って来た窓の外に銀色の犬耳が有った。

恐る恐る、と言った感じで銀色の頭がせり上がり、茶色の瞳が部屋の中を覗く。


「憑いて来ちゃったか。さて、どうしよう」


困り顔のまりあんが腰に左手を当てると、銀色の頭が引っ込んだ。


「キミキミ。もう見付かってるんだから隠れても無駄だよ。出て来なさい」


言われた通りに顔を出す犬耳巫女。

今度は首のリボンまで見える。


「大人しいな。言う事聞くし、悪い妖怪じゃなさそうだ」


俺は警戒を解いたが、まりあんは相手を刺激しない様にゆっくりとトートバックを下した。


「言葉が通じてるみたいだから、知恵が有る。善悪の判断はもうちょっと待ちましょう」


笑顔を作ったまりあんは窓の前に移動した。

その動きは慎重で隙が無い。


「どうしてこんな所まで来たの? 君の目的は何?」


まりあんを見上げた犬耳巫女は、俺を見てから鼻を鳴らした。

人の鼻と同じ形だが、その先っぽが微かに白い。


「この匂い、探してる人の匂いだワン。だから来たワン」


「喋った! しかも語尾がワン」


どうでも良い事に驚いている俺を冷たい目で見るまりあん。


「探してる人の匂い? この部屋の匂いがそうなの?」


「ワン」


「この部屋は、あいつの部屋よ。って事は、あいつを探してるの?」


犬耳巫女から視線を逸らさずに俺を指差すまりあん。


「クゥ~ン……。探しているのは、女の子。でも……」


犬耳巫女は前のめりになり、上半身を部屋の中に入れて来た。

二本の銀色尻尾が揺れているのが見える。


「この匂い、絶対にあの子の匂いだワン」


「残念ね。あの人は男の子よ。人違いよ」


言いながら携帯を取り出したまりあんは、何枚か写真を撮った。


「それに、君、ワンワン言ってるけど、本当は狐よね?」


犬耳巫女は目を吊り上げてまりあんを睨む。


「違うワン! しんじゅ、犬だワン!」


キツイ視線を平然と受け流すまりあん。

妖怪相手でもふてぶてしい。


「しんじゅ? ああ、真珠。それ、君の名前?」


「ワン。あの子が付けてくれた」


「そうなんだ。素敵な名前ね。確かに君の髪の色は真珠の輝きに似てるわ」


「ワン! あの子もそう言ってた!」


嬉しそうに目を細める真珠。

尻尾の揺れが激しくなっている。

素直に感情を表に出しているので、やっぱり悪い奴ではなさそうに感じる。

裏表が無いって言うか。


「あらあら、可愛いわね。でも残念。私、犬は嫌いなの」


携帯をポケットに仕舞ってから真珠の肩に手を置くまりあん。


「さぁ、もう行きなさい。真珠に名前をくれた子を探すんでしょ? いつまでもここに居ると、犬嫌いの私が真珠を退治しちゃうわよ?」


「退治……?」


子犬みたいに首を傾げる真珠。


「退治されるのは痛いわよ? もう二度とここには来ないでね。じゃないと……」


「ケン!!」


真珠の小さな身体が跳ね上がり、そして物凄い勢いで逃げて行く。


「こうなるわよ!」


真珠が逃げた方に向かって大声を張り上げたまりあんは、音を立てて窓を閉めた。


「何をしたんだ?」


訊くと、まりあんは再び携帯を弄り出した。


「小型のスタンガンみたいな奴を使ったのよ。おもちゃだから、静電気がバチって来る程度なんだけどね」


「何でそんな物を持ってるんだよ」


「当然、護身用。また来たら妖怪退治の専門家を頼りましょう。そんなのが居るかどうかは知らないけど、調べておく」


「あいつが本物の妖怪ならだが、実際に目の前に妖怪が現れた訳だから、妖怪退治の専門家も実在しそうだな」


「そうね。写真を撮ったから、本物の専門家なら見れば分かるでしょ」


携帯を仕舞い、鼻で溜息を吐くまりあん。


「面白そうな子だけど、妖怪とは友達にはなれないわよね」


さて、と言って気持ちを切り替えたまりあんは、トートバッグにお菓子を詰め込んで行く。


「明日は玄関から入るから、自力で早起きしてね。起きてなかったら、ショウも退治するよ」


「退治されるの困るな。逃げるか」


「本気で逃げるんだったら別に追い掛けないけどね。好きにすれば良い」


満タンになったトートバッグを壁際に寄せたまりあんは、勝手にゲーム機の電源を入れた。

TVも点ける。


「さて、変に時間が余ったからゲームでもしようか。開けたビーフジャーキーを食べちゃおう。これに合うジュースを持って来て」


まりあんは片手でも出来るボードゲームのソフトを立ち上げる。

何も言わないが、俺が2P側に入るのを待っている。

いつもの事だ。


「へいへい。何が良いかな」


「あ、後、今日明日だけはキチンと窓に鍵を掛けて。また真珠が来るかも知れないから」


「そうだな。分かった」


部屋から出ようとしていた俺は踵を返し、窓の鍵をチェックする。

ちゃんと掛かっていた。

さっきまりあんが窓を閉めた時に、同時に閉めたんだろう。

片腕なのに手際が良い。


「早く、ジュース」


ビーフジャーキーを噛みながらゲームのデモ画面を見ていたまりあんがおっさんみたいな咳をし始めた。

味の濃さが喉に来るらしい。


「もう食ってんのかよ。俺は瞬間移動出来ないんだから、ちっとは待て」


忙しない奴だ、まりあんは。

たまにはゆっくりとした休日を過ごしたいよ、全く。

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