泰山鳴動して鼠二匹
傍目八目。傍観者は清なり。
それらの言葉を踏まえて――恐らく今の世界中で、マシンガンが手元にあったら乱射しているであろう人間のいっちは、ユグドラシル主城門番、ホウソン=テスタロッサであろう。
目の前では、一対の男女が橋の高欄の上に腰掛けている。
平民の服を着てはいるが、中身は精悍な男前とドが付く美少女の組み合わせ――どころか若き騎士とお姫様が身分を偽って逢引きしているように見える。ある意味その通りである事を、ホウソンは知っていた。
それが城門の前でなければ。
マシンガンは今、手元にない。
少女の方は男の膝に座って、アンニュイな感じで男の胸に頭を寄せていた。が、よくある女が退屈しているサインのように、髪を弄ったりよそ見をしたりするのではない。年頃の女にしては落ち着きすぎていると良いくらいにじっとしている。
男が少女の頬を撫でると、少女はまるで猫のように頬をすり付けた。
あ、いいな。ホウソンが連想したのはつい先日祭りの日に誘った酒場の看板娘だった。外見的には目の前の美少女とは比べ物にもならないが、明るくて気立てのいい娘だった。しかし最近、あちこちからお誘いの声がかかったせいか、付け上がって仕事の方も態度が悪くなってきた。しょうがない事とは言え、品定めするような目つきは正直気持ちのいい物ではない。
それに比べて、目の前の少女はまるで男の理想を具現化したような態度だ。男に何かを要求する訳ではなく、それなのに構うと嬉しそうにする。都合のいい女と言ってしまえばそれまでだが、ある意味神話の中の聖女よりも聖女らしい。わかっててやってるのなら余程頭がいい。
マシンガンは今、手元にない。
男が何かを囁いた。少女がビクンと跳ね上がる。見る見る真っ赤になって行って、男の膝の上でもじもじと体を動かし始めた。
堀に落っこちてくれねえかな、こいつら。
マシンガンは今、手元にない。
先ほど慌てて城内に飛び込んだ同僚が無性に羨ましくなった――少なくとも死んだ魚のような目で城門の前に突っ立っている必要はなくなる。手に持った槍を構えて男の方を突っついてみたいと思う。人生一番でスカッとするだろうが、首もスパッと行くのは間違いない。本人達曰く今はただの平民だが、本当にそうだったらホウソンは目障りなこいつらを即座に追っ払っている。
城門の開く音が、ホウソンには福音に聞こえた。
意外かもしれないが、取り巻きと一緒に飛び出してきた貴族風のガリガリにホウソンは見覚えがなかった――毎日の搭城で馬車に乗っているからだろう。ただし心当たりはある、貧民のように痩せこけた貴族など、ユグドラシルでも一人ぐらいしかいない。平民風の男女が一礼をして城門の中へと入って行く。
かくして、一門番であるホウソン=テスタロッサの密かな受難は終わった。
余談ではあるが、シフト交替の後、一人の番兵が色街に繰り出したらしい。
※
公式では勇者は死んだと思われ、既に次世代の選定に入っている。
凱旋の時に爵位も何も要求せず、かつての再出立の際に何もかも返還したヴォルグ=ブラウンは制度上では既に平民ではある。ではひょこっと帰還してきたその時、周りがそいつをほっとくのだろうか?
答えはノーだ。
かつて魔王を倒し、その後も攫われた伴侶を連れて奇跡の生還を果たした元勇者。異国の姫であり建前上では一国にも匹敵する教導騎士団の主たる騎士の王の養女。肩書だけでも目が潰れるような組み合わせに、お腹いっぱいの経歴。えげつない事に、一番大切な部分は誰も知らないと来た。こんなとんでもないの、城の外にほっとくとどんな大事になるかわかったもんではない。
今、ガリガリ大臣は慌てて二人を城内に迎え入れ、謁見の用意を整えようとしていた。
完全な不意打ちだった。実はちゃっかりとアポを取っていた凱旋の時とは訳が違う。二人の身支度と住処の手配、王様のスケジュール調整、勇者本家への打診などやる事は山ほどある。とりあえずは観光名所と化していた屋敷の封を切り、慌てて一日で使用人を掻き集めた。
当時から体格の出来上がっていたヴォルグはともかく、ベリル姫に至っては身長はともかく胸とか尻とか特に胸が4年ものの時間相応にご発達あそばされたので服も数日で仕立てなおさなければいけない。屋敷の中にドレスが残ってなければお針子さんが何人か首をくくっていたに違いない。ていうか揉みまくりやがったなてめえいやそれ大体ご自分でやったんですよ。
幸いにして元の使用人達は王宮御用達だった。しかしそいつらがいくら半日程で元の仕事をほっぽって参上したと言っても流石に屋敷の掃除が一日かそこらで終わる訳もない。屋敷内がてんやわんやになっている間の二人は王宮で待機である。真っ先に駆けつけてきたフローラとの涙の再会。当面の日常服の調達と確認。ドレスの寸合わせ。諸々の確認。えー、客室は一つでいいんですかキャーこれなんですか仕事中にオーホホホホホホホホホではご入浴をうわ肌凄いお胸がくびれがキャーキャーキャーキャーキャー。
念入りにクリームを塗りこまれ、マッサージまでされた。手つきがアレだった。
むしろ精神的にヘトヘトになって、ベリルは客室のベッドに倒れこむ。
「おつかれさま」
使用人に体を洗わせるなんて久々のような気がする。
人界に魔力を使った光源など存在しない。王宮だろうが蝋燭の光は頼りない。ベッドサイドのランプを頼りに、ベリルは恨めしそうに自称勇者を見上げた。苦笑している――キリッとした顔も悪くはないのに、その必要がない時はいつもニコニコしている。何がこんなに嬉しいのか。心当たりはあるがそれをハッキリとさせるのは恥ずかしい。
うー、と不満気に唸りながらベリルは両手を伸ばす。捕まえた。頭を引きずり込んで玩具を抱いた猫のようにゴロゴロしてやる。なすがままにされている鬼畜野郎が気持ち良さそうに息を吸い込んだ、今や人間の頭蓋骨を一握りで砕いてしまうような手足の力が抜けている。わーはっはっ、さぞかし柔らかくていい香りだろう、何せ風呂あがりでノーブラなのだ。触れ合ってないと落ち着かないのが自分だけでは不公平だ。
魔王デウス・エクス・マキナは、ただ一言だけを囁いた。
「予定通りだよ」
うん、と頷く。一体何が予定通りなのか、ベリルは聞かない。いい雰囲気になっている最中に、とも思わない。先に待っているのが天国だろうが地獄だろうが、腹は既に決めている、荷物の支度も済んでいる――だからこれは必要最低限の説明義務だ。ベリルのやれる事とは言えばひたすら幸せに浸かって、このほっとくと自分に篭ったあげく破滅に突っ走る大馬鹿野郎を引きずり込めばいいのだ、今のように。
元勇者が背中や尻を触ってくる。期待してくれてるメイドの皆様には悪いが、猫でも撫でてるような手つきだった。ランプの光を消して、布団の中に二人して潜り込んだ。
普通に寝た。
覗きは一人である。
王家の者しか知らないはずの抜け道には、針山に一直線の落とし穴や槍が突き出す壁などがてんこ盛り。正確なルートはユグドラシルの城壁の角っこ近くにある謎の物置小屋から入って通路にって脇目も振らずに真っ直ぐ、百歩数えたら目の前にある階段の脇に体を挟み込んで先に進まないとギロチンが降ってくる。
覗きはベリルに一目惚れしてパパーあれ欲しい欲しいと叫んで殴られた第三王位継承者でも、ましてや思わず殴った王様でもなかったのだ。だからそいつが五体健全で、客室への覗き穴に目を当てているのは由々しき事態であった。
そいつは腕を組んで、細い穴の中で動かなくなった布団をただ眺めている。
情報が足りないのだろう。
例えばここで二人が致しているとしよう――気づいてない上に隙を晒してくれているのだ。正に千載一遇の好機と言える。
女の方が寝て男が起きている――それはつまり警戒している。ただし、何も起こらない夜を明かして翌日を睡眠不足で過ごすだけだ。
では二人して布団を被ってる、微動だにしない。動かないようにナニをしているのか起きているのかすらわからない。寝ていると思ったら開けてビックリ玉手箱の可能性すらある。
覗きは動かない。
だから四角い部屋以外のエリアを全て余すところなく感知していたランスロットは、空き室だった隣部屋から抜け道に入り、その不届き者を背後から押さえつけた。
無数のガラスが破裂したような音が通路に響く。プロテクション。滅びの鎧の裏側に描かれた魔法分解の式が発動すると同時にランスロットのインビジブルも効果を失う。防壁の向こうにある肉体は鍛え抜かれてはいるが人族のそれだった。魔王のお願いは丁重に。
丁重に、ランスロットはそいつの首を締め上げて失神させる。
物音は部屋の中にも響いた。
布団は動かない。猫のように丸まった元魔王が、抱きつく力をギュッと強める。