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この親にしてこの子あり

 誕生日を迎えて一週間後の事である。


 ベリルは両足の間に棒を突っ込んでいた。


 待て、早まるな。別にエロい事をしている訳ではない。第一樹皮も剥がしていない木の枝では、エロではなくジャンル違いの別物になりかねない。

 とりあえず何をしているかについての描写は、その目的はともかく過程があまり見られたものではないので割愛させて頂く。


 前述した通り、この世界には座式便所がある――似たような文明程度の地球はおまるだの地面に開けた穴で済ませているのに、である。

 では何故そんなものがあるのかというと、地球になくてこの世界にあるものが関係している。


 まず便器のかたちから始めよう、地球ではお馴染みの丸っこい蓋の付いたアレではなく無骨な木製の箱。箱の上部には色々出すための穴が開いており、これだけ見ると巨大なクジ引き箱のように見えなくもない。

 更にもう一工夫として、全体にガウムの樹液が塗ってあった。乾かすと琥珀と同等ぐらいに硬くなる代物で、触り心地も樹液というよりはセラミックに近い。むしろ下地が木製であるだけ冬においての座り心地は上である。用を足しながら安らぐ事も可能。これで庶民レベルでも大量に使われているものだから夢のような素材と言えよう。

 しかし真に驚くべきなのはその構造にある――なんと水槽がないのにも係わらず排水口があるのだ。それは魔法で形造られた排水道を得て、魔王城の外へと排出されるらしい。環境破壊だのという概念がまだない世界ならではの荒業だと言えよう。


 では水はどうするのかというと……


「ばーば、終わりました」

「はい、ではお嬢様、お手をどうぞ」


 ベリルから木の枝を受け取ったシラが呪文を唱えると、その手のひらから水流が流れ出し、ベリルの手と便器を同時に洗い流した。


 一般的に魔法を学ぶための第一歩とは、日常生活で使う簡単な魔法をマスターする事から始まる。


 ベリルは手を拭きながらシラからの説明を再び思い出す。


 魔族の体には誰しも自然と魔力を貯めこんでいるタンクのようなものがあるらしい。細かい位置の個人差こそあるが、大体は体のどっかにあるそれを魔力源と呼ぶ。

 その魔力源から魔力を手の先などに流し、呪文を唱えて事象を起こす、それが魔法である。


 シンプルな理論ではあるが、ベリルは早速躓いていた。

 何が悪いのかはわからない。

 これに関しては、教えずとも自然と出来る子供も多いらしい。大体はこれだとピンと来てしまうものだが、ベリルには魔力とやらの流れる感覚がわからないのである。

 魔法の授業を始めましょうと言われた時はかなりワクワクしていた。しかしシラが辛抱強く何度も説明しても、基本的な照明用の魔法ですら闇が微塵ほど動いた様子はなかった。

 アルケニーの世話役は誰もがすぐに出来る訳ではないと慰めてくるのだが、なまじっか読み書きのマスターが速かった分、ベリルのショックは大きい。


 そんな時の事である。


「これにに小水を付けてきてください」


 それを聞いた時、ベリルはまるで目の前に自らの目玉を差し出すゾンビがいるような表情をした。

 忌々しい事件が起きてから数日。魔法の授業に夢中でようやく忘れかけたというのに、一体このネタをどれほど引っ張れば済むのか。

 しかしネタでない証拠に木の枝を差し出してきた老婆は大真面目であった。

 結局は何らかの理由があると思い、ベリルはその通りにする。


 それでも受け渡したばっちいのをシラが再びベリルに差し出してきた時、ついに老婆がボケたのかと思って泣きたくなった。


「お嬢様、呪文を唱えてください」


 は?


 一瞬反応が遅れたが、教育係の指示をベリルは脳裏でちゃんと理解していた。


 ロクでもない予感がした。


 ディフューズ、と教わった通りにイメージ、小さく呟く。


 直後、麗人の塔が光った。


 周囲を飛んでいた警備のシャドウサーバント達が、闇素が希薄どころか皆無になった空白の中で溺れかかった。塔の半ば辺りまで落っこちてから、慌てて体勢を立て直す、

 ベリルが呪文を唱えた瞬間、闇が窓から噴き出すように追いやられた。果てには塔の先端を中心に暗闇のない空間を作り上げてしまったのである。

 魔界の薄暗い昼間の中で、麗人の塔はまるで灯台のように――しかしそのものではない証拠に全方向へと燦々たる光を放っていた。

 光はしばらくしてから納まった。

 宙を舞う魔族達は、しばらく遠巻きに塔を見つめていた。


 魔法を発動させた木の棒を持ったまま、ベリルは完全に硬直していた。

 我に返った後、ギギギと音が聞こえるような動きで首を回す。

 お話があります、とシラは前置きをした。


 ベリル様は亡きお母様と同じ体質のようです。

 魔力の流れる先が若干特殊であり……その、出口が股の間に限るようなのです。

 なお、この事を知っているのは私、それと今から報告しに参る魔王様だけです。

 そしてこれが一番大切なのですが。

 夫となった方以外には決してこの事を口外しないでください。

 いいですか?

 将来的になるであろう方ではなく、なった方です。


 母と娘、二代に渡って仕えてきた世話役の言葉がジワジワと耳の中に染み込んでくる。

 狂乱した魔剣、我を失った巨大な目玉。

 夫になった奴。

 男。

 理解してしまった、普通の5歳児だったら到底想像の及ばない事までさえ。

 なおも念入りに言い聞かせようとするシラの背後では、絵の中の美しい母親が変わらない笑顔をこちらに向けている。


 目の前が真っ暗になった。


     ※


 ここでベリルと一緒に午後のお茶を飲みながら、魔界に存在する種族について学んでおこう。


 いくら魔界が常闇の世界と言えども、そこに住んでいるのが全て魔族とは限らない。


 歴史を紐解いて地球での出来事に例えてみよう。ピルグリムファーザーズという事実上の難民が北米大陸に逃げ込んだ時、彼らの目にその地は魔境以外の何物でも無かった。

 見知らぬ土地に命からがら逃げ込んだのである、当然ながら十分な準備ができていたとはとてもではないが思えない。物資も知識も足りず、気候に土地、果ては食べ物まで敵に回った結果、入植者達は最初の冬でその数を半分以下に減らす事となった。先住民達の助けが無ければ全滅してもおかしくはなかったという。


 まあ、後にその先住民達をやれ迫害だの虐殺だの、恩を仇で返すような真似をしでかしているのだが、どの国の人間もその恩知らず共を笑えた義理ではない――迫害した部族の旧き神々を悪魔と呼び、併合した部族の偶像を自らのものとして改変した歴史は地球上のどの国にも共通の事柄だ。人間に四本の手足が生え、その先端が五本の指に分かれているのと同じぐらい当然の出来事なのである。


 とどのつまり、魔界にもいるのだ、人族が。


 しかしこれが言わば魔界の先住民である魔族の場合、人界から逃げ込んだ人族に対しての対応は地球上のと比べて随分と毛色が違った。

 力こそ正義である事を尊ぶ魔族達は当時のネイティブ・アメリカンと同じく各部族で分散して生きていた。そのおつむはレッドと呼ばれた人々より遙かに頭が悪かったが、人間達と比べるまでもなく圧倒的な力を誇り、更に容赦がなかったのである。


 慈悲はない、生き延びたければ配下に降って働け、歯向かえば殺す。


 シンプル・イズ・ベストとでも言うべきか、弱者であった人族達は強者に成り上がるチャンスなど与えられなかった。無論その中には生き物の業を示すかのように、アメリカ植民のような真似をしでかした輩もいた。しかし彼らのほとんどは最初の冬を迎える事すら出来なかった。

 結果、現在アメリカで覇を唱える白人の割合が7~8割に対して、正確な統計はされていないが魔界における人族の人口は逆転して2~3割ぐらいと言った所である。


 しかも千年以上もかけて魔族とキャッキャッウフフしたり男は×せ女は◯せとやったせいなのか、純粋な人族はいないと思っていい。人族と人族が結婚したら赤ちゃんに角が生えたという事さえある――あ、本人達の名誉のために言うと不倫ではない、念のため。


 では残りはと言うと、大雑把に人型とそれ以外に分けられる。


 魔王タッカート様その方も人型である事からわかるように、魔族の中でも人型は多数を占める。ヴァンパイア、獣人、ダークエルフ、罠鎧のアレでもちょこっと出てきたドワーフ、果ては角の生えたオーガ等。実に多様性の溢れた奴らが同じ種族で部族として暮らしていたり、いい加減にも似たような外見の奴らで町を作っていたりする。サキュバスの集まる区画がどんなのかはまあ、ご想像の通りである。


 人型以外では例えば麗人の塔をふよふよと飛んでいる魔界版コウモリのシャドウサーバントがそれだ。彼らのように単なる獣が魔界の環境に馴染んで、知能と言葉を持つに至ったという例も多い。これを魔物と呼ぶ。こっちは姿が大幅に違うせいか、そのほとんどが人型の魔族と距離を離して暮らしている。


 しかし種族こそ数あれど、力こそ正義というどこぞの世紀末状態が魔界のデフォルトである事に変わりはなかった。

 この百年の魔界は主にマイナー部族の間で恒常的な弱肉強食と下克上を繰り返しながら、魔王を頂点とした支配体制を敷いていたのである。


 その中で、一際異彩を放つ種族があった。


 その種族は闇の巫女と呼ばれていた。

 姿は一見、人族と大して変わりはなかったのだが、他の部族と一線が画す点があった。

 女だけなのである。


 とは言え、アマネゾス伝説のように弓のために胸を削ぎ、男を攫っては種馬にするような、Mな性癖向けエロ御用達のそれではない。むしろ巫女と呼ばれているように彼女らは一様に戦いを好まず、節制した生活を心がける物静かな種族と伝えられている。


 それだけなら単にどこぞの修道院だよという感じではあるが、無論それだけでは弱肉強食の魔界中で生きていける訳がない。彼女等は腕力こそ人族並に貧弱なものの、同時にも強大な魔法使いを輩出する部族であった。また生まれた子供が男の子の場合は相手側の性質に染まるという特質を利用し、他の部族に嫁入りした者も多数いる。その幅広いコネから魔界でも最も手を出し難い部族の一つだとはシラの弁である。


(つまり生まれたのが女の子なら、自分の一族に迎える事で人口を維持していると)


 という推測をベリルは飲み込んだ。5歳児がそんな事を口にすると流石に訝しがられるからである。

 ともあれ、亡きお母様のルーツはわかった――一族から生まれた男が旦那側の性質に染まるのに対して、娘の自分がその例外だという事も。


 母親は麗人の塔にあるその姿絵だけでも、金に糸目を付けない男がいるような絶世の美人なのは確かだ。傾城という奴だろうか。旦那を刺し殺してでも手に入れたい、というのは実際にやるかどうかは別として、元男として一応は気持ちがわからんでもない。


 そんな彼女は、魔法も腕力もなかった。

 魔王(パパ)に出会えたのは幸運なのだろう、多分。


 シラが喋りたがりそうにウズウズしているのがわかる。ロマンあり波乱ありの一大スペクタクルを夕食の時間まで聞かされるのは予想がつく。まだ午後のティータイムにも係わらず既にお腹一杯なのだ、これ以上は御免被りたい。


 まあ、ベリルの体質と同じだという事なので――前代魔王をもアッサリと八つ裂きにしたのが夫婦共同の作業の結果だとは想像に難くない。

 結果、魔王タッカートとその一人娘、ベリルが誕生した。

 つまり自分だ。

 なんとなく想像してみる。


 天蓋付きのベッドに、二人の男女がいる。

 上にいるのは何故かお父様をマイナーダウンしたような男だ。逃げられないように女の両手をベッドに押し付けている。

 ふかふかのベッドに細身を沈み込ませた女の方はいまいち姿があやふやなのだが、そこまで嫌そうな感じではないのはわかる。

 そして上気した彼女の顔に、唇を近付かせた男はこう呟くのだ。


「俺が、魔王になる」


 ただし、自分は組み敷かれている方だ。


 ブワッと、全身に鳥肌が立ちまくった。


(俺が……)


 男と?

 いやいやいやいや無理無理無理無理。


「……お嬢様?」


 ハッと、我に返る。


 シラが心配そうにこっちを見ていた。

 ショックを受けているのはともかくとして、流石に鳥肌まで立つのは様子がおかしかったのだろう。

 しかしベリルには取り繕う余裕すらなかった。


 偶然、シラの背後にある姿見が目に入ったのだ。

 それは家族を人族に殺され、その身を堕してでも魔族に取り入ろうとする名工サス=カカダが魔王タッカートの奥方に献上した、現代地球のそれと比べてもなんら遜色のない渾身の逸品であった――何せ例の罠鎧でコケたのである、彼の者が更に必死だったという事は容易に推しはかれる。

 その鏡には、まだ五歳であるのに、既に亡き母親の面影が出始めている楚々とした姿が映っていた。

 自分がまだ男であると仮定しよう、成長したそれが目の前にいたとしてほっとくだろうか。


 ノーだ。


 サーと、音すら聞こえるような勢いで、顔面から一気に血の気が引く。

 お母様同様、ベリルには腕力も魔法もないのだ。

 弱肉強食の魔界で。


 そしてこの時を境に、世界はベリル=メル=タッカートという人物を中心に回り始める事となる。

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