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据え膳食わぬは魔王の恥

「遠征――ですか」

「ああ、今すぐという訳ではないが。工房の連中が言うにはそれまで大体一ヶ月くらいかかるらしい。君は……」

「勿論一緒に行きます」


 間髪入れずに答えが返ってくる。

 愚問だった。


 ――何かも初めてなんだ。危険があるかもしれない。


 ジョルジュは言葉を飲み込む、どれもフィレスを止める理由にはならないと気付いたのだ。何でも従順なのに、こうと決めた事はガンとして譲らない。昔からそうだった。

 自分に苦笑しながらも、ジョルジュは食卓の向こうにいる妻とグラスを打ち付ける。

 本日の晩御飯は豪勢だった。サラダは色とりどりの野菜の上に精がつくダダラ芋のすりおろし(トロロ)クレタ(猛牛)のレアステーキなどは一年に何度食べれるかどうか。ワインはわざわざ実家から取り寄せてきた太郎坊の107年物。デザートはサッパリとガルムの実のコンポート。

 予感があった。こういう時の妻は凄いのである。


 親しい雰囲気を漂わせながら、やがて話題は彼らの主達に移った。


「ところで――ヴォルグ様が三日も姿を見せないのだが、心当たりはあるかな?」

「はい、多分姫様に夢中になっているのだと思います」

「なるほど――君の入れ知恵か」

「いえ……落ち着くべき所に落ち着いただけだと思います、でも――あの二人は意気地なしですから」

「私達も彼らの事は言えないと思うよ――姫様がいなければ、今こうして君と添い遂げる事もなかった」

「はい……だからこれは恩返しです」

「うん、そうだね――ご馳走様、何時も美味しいけど、今日は格別だったよ」

「お粗末さまでした――よかったです、今日は特に頑張りましたから」


 最近だと、ジョルジュは食事の後片付けを手伝う事になっている。イチャイチャする時間を早めたい一心で始めた事だが、これがなかなか良かった。煙一杯熱一杯の地上の厨房とは違い、魔道具学を駆使して居住空間と接する事が可能になったレメゲトンのそれは、夫婦の距離をも近くしていたのだ。

 そして二人の間の暗黙の了解としては。一風呂浴びてお互いの体を洗い、いい感じになった所でベッドに転がり込み。なべて世は事もなし。


 が、今日のフィレスは一味違う。


 手をかざせば飲める水が出るという夢のような蛇口を止め、音が少なくなった空間。

 フィレスの横に立っているジョルジュの耳に、微妙な細動音が入ってくるのだ。

 疑問の視線を受けたフィレスは頬を赤らめる。ジョルジュの腕を取って、キッチリと膝下で揃えたスカートを持ち上げさせる。


 ジョルジュにとって馴染みとなった聖地を包む布地は、一周回って淡い、シンプルなデザインのそれだ。

 布地の裏では豆粒のような物体が小刻みに震動していた。布地の内側を刺激しているのだ。

 何故気づかなかったのか――先ほどから震えていた妻の両足を伝って、地面に粘性のある水たまりができている。それは食卓からずっと流し台にまで、まるで足跡のようにずっと続いていた。


 パリン。


 食器ではなく、ジョルジュの前頭葉が崩壊した音である。


 翌日、世界事業局局長は仕事を休んだ。ただでさえ一人で魔族10人分の仕事をやる超人であるのだ。新しく出来た世界儀の製作に夢中なのもあり、一部以外は誰も気にしなかった。

 本来休みの許可を出すべき本人が書いたのだから当たり前だが、データ上の書類は誰の目にも触れる事はなかった。

 しかし誰かが読んだとしても、血涙を流しながら壁に拳を埋め込むだけだっただろう。

 休みの理由には、家族計画と堂々と書いてあった。



 とまあ、肉食獣達の通常運転はともかく。


 一方、タガが外れた意気地なし共の巣窟。


 真っ暗な寝室の中には誰も居ない。書き出すと精神が破壊されそうな上にどこかへと連行されそうなのであえて省略するが。部屋の中はベッドを中心に、見るも無惨な有様であった。


 住人達は退散した後である。

 浴室の中で、水滴の落ちる音だけが微かにする。


「ん……」


 口の中を愛撫される音が頭蓋骨に響き渡る。

 浴槽の中、長く入れるようにほどよいぬるま湯に浸かりながら。軟体動物になったベリルは元勇者の体にへばりついていた。規約アウトになるので致してはいない、休憩時間である。最初の頃、浴室で事に及んだら偉い事になったので自然とこうなった。まるで襲いかかっているような体勢だが、体には全く力が入らない。ここに運ばれるのも、体を洗わられるのもされるがままだった。常時出来上がってる状態の体はその気になって軽く弄られるだけで腰が震えてしまうが、ヴォルグはそれをしない。大事にされているという実感すら、脳を融かす高温にしかならない。


 もうどれくらいこうしているのだろう。数日か、数週間か、数ヶ月か。時間の感覚が麻痺していた。

 退廃的な時間は、意外にも規則よく進んだ。力尽きるまで愛し合う。抱き上げられて隣室に移り、綺麗なベッドの上で眠る。起きてから体を洗うのは日に三回。その後はそこに置いてあった食事を病院のようなサイドテーブルに置く。指先にまで力が入らないので背中から体を重ねて、スプーンを二人で持って交互に食べる。フォークがない理由も食事をこぼして舐め取られた時にわかった、危ないからだ。


「は……」


 唇が離れ、舌先がだらしなく糸を引くのも気にしない。逞しい胸板にもたれかかった。滑り落ちそうになるので背中に手が回っている。言葉はない。何故浴室を通じて同じような部屋が繋がっているのか、何故移動した後の部屋が完璧に掃除されて食事が用意されているのか、深く考えるのも面倒くさかった。レメゲトンの設計をしている時から、このような構造にすると主張したのはベリルと亡き母上に二代仕えたアルケニーだった――魔界の貴人に仕える魔物が、密かに張り巡らせた蜘蛛の巣に完全に引っかかっているのはわかっているが、どうにもそこから抜け出そうという気になれない。


 私は駄目になっている。


 お互いの理性が吹っ飛んでしまった以降は、タオルとシーツ以外の布地に触れた記憶がない。今の二人は、神様のいない楽園で禁断の果実を仲良く齧っているアダムとイブだ。歯止めが効かないし、効かせる理由もない。

 ベリルが求めた通りに、ヴォルグは一切の手加減をしなかった――と言っても後先考えず乱暴に貪る、一人よがりのそれではない。男を受け入れる事に対して、ベリルの体はまだ表面を綺麗に磨いただけの青い果実なのだ。ベリルの体を馴らせる以降は小手先の技術すら、何も使われていない。ただ時間をかけて、自分が誰のものかじっくりと教えこまされている。体だけではなく心がすり潰されていく、そして長い時間をかけてこね回されて、いずれは別の物に焼きあげられるのだろう。

 その時、自分は何になっているのだろうか。


 さしものベリルもこんな体験は初めてだった。今浸かっているぬるま湯のような、真綿に包まれているような幸せ。

 同時に怖くなった。正常な人間にある当たり前の反応だ――今のベリルは馬鹿な女かもしれないが、決して馬鹿ではない。自分が騙された事に諦めれても、それが自分以外に及ぶという事に耐えられないのだ。

 何もかも順風満帆だったと思った時に、魔王の座から蹴落とされたお父様。人界を見て思い知った、自分の浅はかさ。流されながらも控えた婚姻前夜で、放された手と別れの口付け。

 何か見落としをしているような気分になるのだ。


 そしてそれらをベリルに叩き込んだ男は、決してそれを忘れてはいなかった。


「大丈夫だよ」


 耳に滑りこんできたその一言にベリルは疑問を感じなかった。

 頷きも必要ない。肌を通して一つになった気分は自分の一方通行ではないのだ。

 それでもわからないという事はある――クライアント(お姫様)への説明義務に関しても、元勇者は抜かりなかった。


 言葉がゆっくりとふやけた脳みそに浸透して行き、ベリルの表情が笑い泣きの形にゆっくりと変わる。自分に何ができるのか回らない頭で考えた末に、液体のようになった体をぶっかけて唇を合わせる。


 抱き締めるようにくびれを引き寄せられるだけで、不安を取り除かれた腰が軽く震える。もっともっととせがんだ。体を拭いてもらう段階でもベリルは納まらず、食事が冷めるのもほっといて愛し合った。


 ベリルは悟ったのだ。

 自分がやるべき事は、もはやこのまま溺れる事しかなく。

 そうなるようにしてくれたのは、目の前の元勇者だと。


     ※


 後世の史学家によると、その者の出身に関しては大まかに分けて三つの説があるという。

 魔界の奥深くに潜んでいた魔族説は、村おこしのための捏造だと批判された。関係者の子孫が出てきてそんなとこ縁もゆかりもないと否定されればグゥの音も出ないが、言い続けていれば嘘がまことになると歴史から学んでいるらしい。

 魔導回路処置サーキットエンチャントを受けた人族という説は、あの時代にんなもんがあるかと総ツッコミを受けたのにも関わらず信じる者が後を絶たない。通俗歴史小説(演義)という代物は全く面白くて罪深い。

 

 以上より、最も有力なのは虚構説という事になる。

 それでもそいつの実存を信じるならば――有力な史料によれば初めて人々に姿を現したのはアフターワールド(世界暦)前およそ1055年から1076年の間。場所はまだ月を覗ける穴(ムーンサイトホール)を跨いでないレメゲトンの断面の上。

 神話の終焉とされる時代に、そいつは現れた。



 神殿のようなテラス兼発着場に飛行船がフッキング(固定)されていた。数多のリビングアーマーが武器を構えて並んでいる。儀礼のためではない。並ばせたのは工房の人間だ。人族や魔族が、人間によるチェックの有効性を主張しようとあがいていた。

 レギオンは語らない。レギオンは逆らわない。

 ただ魔王の望むように駆け、魔王の敵を下すのみ。

 世界に敵はいなかった。敵は世界だ。


 魔王城代々の歴史で築かれたものに、魔王だと一目でわかるような装いというのがある。もっとマシな事に情熱と時間を使えと思わずツッコみたいようなそれは、魔王以外と魔王を並べると百人中が百人こっちが魔王だと一目でわかるくだらない代物だった。

 だから仮面を被った、魔王と言うにはあまりにも小さい人間を見間違える者はいなかった。疑いだけが場に満ちている。

 何せ、そいつは今まで虚構だと思われていたのである。


 しかし両側を固めるのは滅びの鎧と獣の鎧。背後にリッチを控えさせ、魔族随一の姫君を傍に置いてはその者を勇者と断ずる事は不可能だろう。

 仮面の男に、天狗の青年が跪いていた。


「魔王様、用意が整いました」

「僕一人がそれだという訳ではないよ、ジョルジュ」

「心得ております――ただし、ベリル様にそれをやらせる訳にはいかない?」

「そういう事だよ」


 仮面の裏からこぼれる苦笑。魔王の代表と腕を組んだ姫君は、ぎゅっと抱き締める両手に力を入れる。


「それでは行こうか――世界を見に」

「かしこまりました、魔王――デウス・エクス・マキナ様」



 ここである家系に仕え、時に行動を以って諌めた騎士の記憶を覗いてみよう。


 その記憶によれば――魔王デウス・エクス・マキナとは一人の個人ではなく、片時とも離れる事のなかった一対の比翼鳥であるとするのが最も事実に近いらしい。

 しかし事実を綴った番人の思い出が語られる事はないだろう。それは一人だけの宝石箱に、後生大事に納められている。


 かつて騎士が叩きのめしたエルフも。その里がものの数日で消えた事も。

 全て宝石箱外の瑣末にすぎなかった。



 それでもトイレぐらいは完全にプライベートな空間であるべきではないのかと。

 宝石箱を守りながら、騎士は思う。

台無し

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