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恥ずかしがりながら精一杯誘惑してみよう

 寝室の窓では真っ暗になった空。ベリルは外を眺めていた。

 思い出すのは昼間の会話だ。


「いいですか? 殿方を傍に縛り付けておくためには、女からも努力を示す必要があるのです」

「そうそう、美貌にあぐらをかいていると綺麗なだけの置物になっちゃうわよ、それでもいいの?」


 言いたい事はわかる。

 何せ元青年はそういう生き物と接した事があるのだ。


 例えばお肌に気を遣って毎日スキンケアを欠かさない。大好きな甘い物も控えて毎日体重計に乗る。ちゃんと化粧の仕方を勉強する。ファッションはしっかり奇を衒ってない雑誌を読んで研究する。漫画でも小説でもない本も読んで話題を豊富にする。必死に待遇のいい会社に就職し、浪費もせずに貯金する。しっかり家事もやって美味しい料理を振るまう。ただおねだりしたりケチるのでなく、相手に尽くしたり甲斐性を見せる。それがイケメンだろうがブサメンだろうが美女だろうがブスだろうが――条件のいい異性を惹きつけるために、努力すべき事は基本的に変わらない。


 では念願叶って金持ちのイケメンもしくは美女、あるいはちょっと妥協してまあまあの人間と一緒になったとする。目的を達成したので今までやってきた努力を止めてもいいのか、もしくは相手が自分に釣り合わないからとふんぞり返って、相手に何もしてあげなくていいのか――具体的な言葉にしてしまうと、これに同意する者はそうそういるまい。そこで頷くような人間は幸せを放棄する準備をしているのと同義である。


 世の中には避妊道具に穴を開けたりして相手を罠を嵌めて人生に勝利した気分になっている馬鹿女や、その逆で相手が世間を知らないのをいい事に10歳も年下の女の子を嫁にして勝ち組気取りの馬鹿野郎がいる。ではそいつらは一生幸せになれるのか、その答えもノーだ。


 全てに共通点はある――それは愛を維持するにも相応の努力が必要な事だ。


 中国には寝床の頭で喧嘩しても、寝床の下では仲直りという言葉がある。身も蓋もない話だが、潤滑な男女の営みの前では、日常の些細な問題など本当に取るに足らない事として乗り越えられる程度のものでしかない。逆に言えばあっち方面を怠った奴が、幸せの総量を増やせた例もまた少ない。


 例えば日々の仕事や家事、子育てに追われ、もしくは出産後にその気になれなくてあっち方面を()めてしまうとどうなるか――それは世間中にはびこる数多の夫婦が証明している。倦怠期である。セックスレスである。浮気である。不倫が起きる。果てには家庭の中で居場所をなくし、孤独に自分を見失った挙句どうしたら騙されるのかわからない胡散臭い宗教や詐欺にハマってしまい、人生を文字通り"棒"に振ってしまう。


 元青年の元彼女は、綺麗な女性だった。綺麗が故にベッドの上では遠洋漁業の獲物であり、料理は出来るが振る舞ったのは数えるくらいで、パッとしないオタクな元青年にワガママを言い放題だった。自分の先天的な素質と、誰でもやっていて当然の努力の上にあぐらをかいていたのだ。

 今ならわかる、そういう人間の末路などたかが知れている――瞬間的に人の目を引けてはいても、結局は望んだ相手にもそっぽを向かれるのがお決まりのコースだ。結婚しても上っ面を撫でるだけの共同生活と、毎日ベッドに入れば寝るだけの生活を意地以外で幸せだと言い切れる人間はそう多くない。

 挙句にそのパッとしないオタクに別れ話を切り出しても引き戻す言葉の一つすら得る事がなく、一晩のヤケ酒で済ませられてしまった。

 医者の葬式を見るがいい。男女を問わずにその人間の価値は、惜しむ者の態度で決まってしまうのだ。


 だからこそ自分が魔族一の美少女であっても、二人の女の言葉は実感と説得力を伴ってベリルの心にズシンと来た。


 魔族には結婚式がない。


 それはつまり事実婚しか存在しないという事だ。男女の関係がなくなった瞬間、その者達は夫婦ですらなくなる。子供を作れる全盛期が長い分、結婚しておいてある日、もう目標を達成したからと言って寝床の上で相手に背を向けるという子供じみた甘えすら許されない。結婚式がある人族の国家でさえもこういう魔族の倫理観が影響しているのか、似たような理由で離縁する者が地球のそれより遥かに多いと聞く。


 そういう文化ができた理由にも心当たりはある――子供である。魔族は妊娠率が低い。男女と出産の前後を問わずにあっち方面を怠る人間への風当たりは、地球より遥かに厳しい。だからこそ女ですらあんなにアグレッシブであり、ベリルもフィレスもえっぐい性教育と手管を受けて、エロゲのヒロインみたいになるまで体を馴らしたのである。こういう事で消極的なのは得てして女であり、お互いの関係を円滑にするには女の方が伸びしろがあるからだ。


 オタクの妄想みたいな倫理観と行動の裏には、納得する他ない現実が下地として横たわっていた――ましてや元勇者がベリルの心身を縛り付けた時の言葉通り、二人は千年も生きるのである。

 甘い物を制限なくバカスカ食べると体重を減らすのが大変なように、こういう方面でも最初の方で甘えていると、後になって挽回するタイミングと雰囲気がなくなっているという話はよく聞く。いくら盛りだくさんのイベントを経て運命すら悟るほどの繋がりがあっても、そこで油断しまくりのふんぞり返りでは百年の恋も冷めてしまう。


 何事も、最初が肝心なのだ。



 寝室の扉が開いた。ベリルは考え事を中断して、ソファから立ち上がる。

 世界一重くて、世界一大切な恋人がそこにいた。


「ただいま」

「おかえりなさい」


 ヴォルグは慈しむように微笑んでベリルを抱き寄せ、シメを怠らずにぎゅっと抱きしめる。ベリルも見習う。そこまではいつも通りだ――昨日も一昨日も、この後はベタベタしながら前後してお風呂に入り、地球の話をしながら寝床についたのだ。

 何時までも離れず、胸板に頬を貼り付けているベリルに、ヴォルグが怪訝そうな声を出す。


「ベリル?」

「どうして……」


 ベリルの声は蚊のようだった。


「私を抱いてはくれないの……?」


 直接聞けと、昼間、女二人に言われたのだ。

 一瞬、ヴォルグが言葉に詰まったような気配。


「ごめん」


 息すら止めながら、ベリルはその続きを待つ。拒まれたらどうしようという、ありえない想像まで湧いている。


「不安にさせちゃったね――痛いと思ったんだ」


 じわりと、言葉がベリルの胸に染み込んでくる。酸欠しそうになった脳に、息が急速に充満する感覚。


「座っている時にも腰が退けてたからね。それを言うと君が気遣って我慢すると思って……だから説明もできなかった」


 抱きたくない訳がなかった。

 ヴォルグはただ、ベリルに優しかった――ほんの少しの、指先に載せたひとつまみにも満たない、小さなすれ違いがあっただけなのだ。


「今日辺りに、また君を抱こうと思ってたんだ」


 元勇者は優しく、魔王が密かに自慢にしている銀色の髪を撫で下ろす。

 ベリルは抱きついた腕はそのままに、顎を逸らしてヴォルグを見上げる。瞳がアメジストを溶かした湖のように揺れていた。

 唇が深く埋め込まれた、柔らかい肉が絡み合う度にどこかの筋肉が小さく跳ねるのをベリルは自覚する。

 名残り惜しそうに二対の唇が離れる。はぁ、と湿った吐息がベリルの唇が漏れ出す。まだ物足りないのだと言うように半開きの唇の近くで、未練たらしく舌が何かを受け止めるような形になっていた。

 今一度むしゃぶりつきたい衝動を抑えて、ヴォルグはベリルを抱き締める――我慢しているのは上だけではなかった。


「今日は、一緒に入る?」


 コクンと頷き、ベリルはゆっくりと離れる。


 何かがわかった気がした。


 ヴォルグは何故そんなに達人だったのか。

 元勇者は人族だった。いくら鍛えていると言っても、魔族の男と比べて肉体的には劣る――ではどうする? 種族の差を当然として、そこで諦めるのだろうか。それとも経験を積んで、相手を気持ちよくできるように研鑽を積むのだろうか。

 その研鑽の果てに、おぼろげでもいたのは誰なのだろう?――それが自分だと思うのは、ベリルの都合いい妄想なのだろうか。

 自分が気に入らない恋人の女性遍歴ですら、自分のためにあったという推測。

 彼の人生が骨の髄まで自分のために捧げられていたという確信。


 そんな彼が、まだベリルのために我慢している。

 勢いに任せるのは駄目だと自分に言い聞かせて。


 しかし、ヴォルグにもまだわかっていない事があった――今の二人は魔族なのだ。

 片方は人族として生まれ、片方はかつて別世界の人間だった。それでも今は同じ世界の、魔族の男女としてここにいる。そして魔族の男女として千年を生きるのだ。


 心が決まった。

 彼に報いるためには、自分はまだまだ足りないと思った。

 優しさも気遣いも、お互い様でなくてはいけないのだ。


 ヴォルグは今自分に背を向けている。平静を装っているのがベリルの目にもわかる。

 その背中に、ベリルはゆっくりと身を寄せた。耳に伝わる鼓動は速い。愛おしかった。思わず頬ずりをしてしまう。


「ヴォルグ……一つお願いがあるの」

「……なにかな?」


 過去の負い目もあるだろうが、彼は何でも聞いてくれる。ベリルの一言があれば、どんなワガママだろうが願いを叶えてくれる。ベリルが抱くな、と言えば唇を噛み破って、口端から血を垂らしてでも我慢するだろう。

 だからこそ、これはベリルが言わなければならなかった。


「手加減はしないで……」


 鼓動が、一際大きくなった。


 それでも、まだ足りない。


 ベリルは体を離した。

 そして昼間にやれと言われた事を、意を決して実行する。

 それでも恥ずかしい事には変わりはない――実行に移した瞬間、顔が真っ赤になる。


 スカートを両手で摘み上げ、その真ん中を更に唇で咥え上げる。

 その下から現れたのは滑らかできゅっと締まった、白いお腹と太もも。間に鎮座する男のロマンを包む布地(紐パン)は微かに湿っている。

 それが語る所はただ一つ


 ――私を、食べてください。


 男の妄想。基本にして究極。


 たくし上げである。


 ぎゅっと涙の目を閉じて、耳まで真っ赤まで染めながらプルプル震える。恥ずかしい、たまらなく恥ずかしい、涙目になるくらい恥ずかしい。こんな事をやってる自分が恥ずかしい。男の妄想を、本当にやってしまった事が恥ずかしい。

 一方で、こんな自分に興奮している自分がいた。男は、男の妄想に興奮する。男の記憶を持ち、今は女そのものであってしまっても、ベリルはその妄想に興奮してしまった――その先に待っているであろう結末に、密かに心を踊らせていた。


 目を閉じているのでヴォルグの反応はわからない。全身が空気の流れを感じ取れるほど敏感になっても、元勇者が身じろぎする気配一つ感じられない。生唾を飲み込む音すら聞こえない。その間でも不安と興奮と期待が、ベリルの中で際限なく溜まって行く。


 ツツー。ベリルは敏感な肌を刺激する感触にピクンと体を揺らす――おもらしでも月の物でもない液体が布地の中で飽和して、太ももから伝い落ちていた。


 声も音もない。


 それでもその瞬間、ベリルは確かに聞いた。


 例えるならば半分くらい抜けた手榴弾のピン。メルトダウン寸前の制御棒。荒れ狂う炎をギリギリの一線で封じ込めるガラスの器。穴の開いたダムを決壊させる、豪雨の一押し。

 ヴォルグという男を鋼のカタチに抑えこんでいた安全装置が、根本からへし折れて木っ端微塵に吹き飛んだ音である。



 5発目から、記憶がなかった。

公衆の場で読むのは止めた方がいいかもしれません


警告はしたからな!

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