寿司のネタは踊り狂う
ベリル=メル=タッカートを救う会、開催一回目。
救う? 何から?
「とりあえずあのロクデナシが何で手を出さないか――まずはそこからよね」
「多分、ヴォルグ様はとてもお嬢様の事を大事にされているのかと存じます……ああ、ジョルジュ様がそうでないという訳ではなく」
「わかっています、となると――そろそろかしら」
「はい、それでも後押しは必要かと、殿方というのは飽きっぽいですから」
「ジョルジュ様も最近枕元で仕事の話をし始めたのよね、どこか注意が私から外れてきたというか」
「それは今すぐどうにかなる訳ではないですが、少々よろしくない傾向ではありますね」
「そうなのよね――ねえ、ベリル、なんかいい案はない?」
「え? 何の?」
いきなり蚊帳の外に話を振られて、ベリルはあからさまにうろたえた。
「刺激よ刺激、頭のいいあなただから――殿方を奮い上がらせる方法、今までのように思いつかないかしら?」
それは誤解です、とベリルには言えない。
そもそも頭がいい、という意味でベリルはレメゲトン全体の中でも中の上、いいとこ上の下でしかない。小さい頃から然るべき栄養と教育を与えられば、頭に問題がない限り誰でも備えうるものであるに過ぎない。デウス・エクス・マキナという架空の魔王の名の元に、魔界中から人材を掻き集め、実利と個人的な理由に基いて元勇者と主従顛倒しつつある関係になったのも究極的にはその理由からである。
ではフィレスは何故ベリルに頼ろうとしたのか。それはベリルの中にあるもう一人の記憶にある。その記憶が男のものだという事は元勇者に一刀両断された挙句、一生縛り付けてやるという冷静に考えるとすげぇ怖くてロマンチシズム溢れる告白に繋がった訳だが。しかしその知識には、遺伝子に致命的な欠陥があったり、小さい頃に母親の不倫を目撃したなどのトラウマ持ちでなければ、男としてほぼ必ず嗜むものが1つある。
それは人の三大欲求であるが故に、そこから脱却すれば滅亡のトリガーになるとまで言われた代物である。
エロである。
身も蓋もなく言うとセックス。医学的に言うと人間の性欲。生物学的に言うとホモ・サピエンスの有性生殖。物理学的に言うとピストン運動。
エロ本、アダルトビデオにエロゲー、果てにはシングルプレイ用の玩具としてエッチなホール。どこかの血迷ったコングロマリットが予算を注ぎ込めば冗談抜きで動き出して喘ぎ始めるんじゃないかと思うようなダッチワイフ。わかりやすいのを並べ立てるだけで人の業を感じさせるそれは、元青年の記憶の中ではポータブルデバイスにまで魔の手を伸ばしていた。
そこでうわー、キモいー、最低ー、とか言葉にまで出してしまう女は常識も認識力も経験も包容力も足りない自己中の大馬鹿だと言ってもいい。出会って5ページ目で致すような少女漫画を読んでいる自分を1光年先も上空の棚に上げている――という寿司のネタとしてポピュラーな彼女に振られた元青年の個人的な感想はともかくとして、エロが男女問わず必須かつ不可避である欲求である事に変わりはない。
なお、その手の馬鹿女――男女平等的に馬鹿野郎も、が陥りやすい性嫌悪的な倫理観念が広まった事に、宗教という人間が創り出した中でも一番ロクでもない代物が色濃く絡んでいるのは特筆すべき事項だろう。
例えばかのローマ帝国では人妻が不倫するために自ら娼婦に就職するほどフリーダムだったし、大統領の就職宣誓で聖書に手を当てなければいけないアメリカの白人社会の8割を占めるゲルマン民族は昔は非常におおらかだった。一方、キリスト教は女と致すのは罪だと言っては男児の尻を掘り、仏教に至っては大元では女人禁制の癖に祈祷にかこつけて女を食い散らかす始末。宗教なんてロクでもねえ、というのはこういう事からも来ている。聖人面してルールの抜け穴を探す奴が一番タチが悪いというのは前々代勇者だけはないという事だ。マルクス主義が破綻した事にも理由があるのである。
キリスト教も仏教も信じていない、言わばオタク教の熱狂的信奉者であった元青年は、当然ながらそういういらん知識や一人用の経験だけはたっぷりあった。
所詮は男の妄想だと馬鹿にしてはいけない。本当に出来る人間は謙虚であり、馬鹿にするだけでは進歩はないと知っている。妄想とは、人間が望むものの芯の焼きたてホカホカなのである――そして如何なる世界でも、相手の望むものを真心で提供してこそ超一流と呼ばれるのだ。
お堅い不感症の美女を一瞬で男しか考えられないようにさせる怪しい注射も、部活を始めて半年足らずの素人がスポーツで天下を取るのも、パッとしない十人並の女の子に、イケメンで文武両道でテクニシャンな巨大企業の跡取り息子が5ページ目で童貞を捧げるのも全て同じ道理である。ここまで書いてわからない奴は、男だろうが女だろうが遠い海の深い場所で、何時来るかどうかもわからない遠洋漁業の漁船だけを相手にしてればいい。
だとすれば、百戦錬磨のフィレスが、その手の経験で天と地の差もあるベリルに意見を聞く理由もわかるというものだろう。概念という武器はこの方面でも強力だった。こと男の欲望を刺激するベリルの知識には、シラまで一目置いてたりするのだ。
この時も、ベリルはあまり深く考えずに思いつくままの発想を口に出した。
「えーと……道具とか?」
小手先な技術に関して、フィレスとベリルは生々しい性教育を一緒に受けてきた。フィレスのそれは三桁を超える実戦を経験して、もはやどこに出しても文句の出ようがない一級品になっているのは想像がつく。使うのが手だろうが躰(当て字はこれでしょう)だろうが、寸止めも瞬殺も思いのままであろう。
無論、それらを自分のためだけに使うほど、フィレスは救いようのない馬鹿ではない。
「道具って……張り型とか? でもそれって幼い子の教育で使う入門用の玩具よね、本物には到底及ばないと思うけど」
食い付きはいまいちであった――フィレスは首を捻る。それを初心者用と言い放つ感性がベリルには恐ろしい。
「えーと、単なる張り型じゃなくて――動いたり、震えたり、体に貼り付けれるのとか」
「でもそれだと、所詮は一人で使うための物よ。気持ち良さそうなのは確かだけど、お互いを奮い立たせるためにはイマイチじゃないのかしら?」
「それだけじゃなくて――お互いに使うとか。もしくはジョルジュ様が寝室に戻ってくる前から自分で使っておいて、出来上がった所を見せておねだりというのはどうかしら。流石に長い間付けていると感覚が麻痺しちゃうけど、あえてお風呂に入るのを別々にして、ジョルジュ様が入っている間、軽く縛ってもらって短時間の放置プレイとか」
「やだ……ベリル、あなたってやっぱり天才だわ」
目からうろこをだばだばと垂れ流しているフィレス。空中に窓を開いてメモまでつけている。
どれも地球上では手垢が付きまくった妄想のアイディアではあるが、利用する者が違えば実用性も違う。一人よがりではなく、お互い様。手間をかけさせるのではなく、欲しい物を目の前に置いておく。まことに真理という他ない。ベリルの事情を知っているシラまでが感心したように頷いていた。
とまあ、ここまではいつも通りであった。フィレスが赤裸々な夜の営みを語り、ベリルが面白半分で入れ知恵をするのは彼女達の共通の話題であるのだ。
しかしベリルは忘れていた――これはベリル=メル=タッカートを救う会であるのだ。
フィレスがシラの方を見る。
「シラ様、どう思いますか?」
「バイアン様に掛け合えば一晩で作ってくれるでしょうね――極秘内に。しかし、今のベリル様が使うにはいささか積極すぎるのではないかと」
「そうなのよねー、お互いの仲が深まってからなのならともかく、いきなりは引かれると思うわ」
ベリルの背筋に冷や汗が流れた――今起こっている事をおぼろげながら理解しつつあるのだ。
「となると――フィレス様が最初の頃に、ベリル様から教わったのを実行するというのは?」
「あ! そうよね! 私がやっても効果覿面なんだから、ベリルがやるともっと効果的だと思うわ!」
何を教えたっけ、思い出せない。
その内容を聞くと、呆れた顔でフィレスが説明する。
ベリルを戦慄が襲った。
今、過去に戻って一つだけやりたい事をやれるとすれば、ベリルは悪ノリしていた自分の口を封じる、問答無用で。
「じゃ、今夜やりましょう、いい?」
「え? でも……その」
「自分で提案して人にやらせておいて、自分がやれないとは言わないよね?」
「う……」
人を呪わば穴二つ。
他人のためのお墓を掘っていたら、実はそれが自分も一緒に埋まる墓穴だった事を、ベリルは悟った。
※
男にとって戦慄とロマンに満ちた会議が開かれているその一方。
彼女達の足元では、密かに一つの大きな変化が表面化していた。
レメゲトン頂上。三層にも渡る施設エリアの一番下。世界事業局。
階段状の端末に囲まれた中心には、巨大な魔界儀が浮かんでいた。それはリアルタイムで細かい修正を加えられ、今この時もその表面を変えている。
地道な作業だった、それでも端末に向かっている連中が黙々と夢中になっているのは、それが前人未踏の偉業だという確信があるからだ。自分は今、歴史を築いている。大きく変わっていくであろう世界の中、その先頭を走っている。これほどやり甲斐のある仕事、そうそう転がってはいない。
誰かの声があがった。静寂の中で、それは殊更にフロアの隅という隅にまで響き渡る。
「おい、なんだこれ」
どよめきが広がる。視線を集めているのは、全ての中心たる魔界儀だった。
丸い球体が形を変えていた、地形を表す表面はそのままに、丸くなる前のプロトタイプである平面に逆戻りしている。
「誰だ!ふざけているのは!」
立ち上がって怒り出すのもごもっとも。重要な商談を控えた一流企業のエリート商社マンだろうが〆切一週間前の同人作家だろうが、熱中してる事に水を差されるほど不愉快な事はない。
一発触発な空気の中、ただの平面的な地図になった魔界儀だけが空気を読まずに再び動き始めた。
再び端と端が繋がり、球体に戻って行く、元と違うのは表と裏だ。
意味を持たなかった魔界儀の裏面が表になる、そうして出来上がったのは、魔界を内側とした新しい球体だ。球体の上に表と裏を繋げるように一つの大きな穴が空いており、そこにはこのレメゲトンを示すシンボルが横に突き出ている。
一瞬で、フロアが静まり返った。
皆の知る魔界の倍はあるであろう新しい世界が、そこには広がっていた。
その中で、発言できたのは一人だけだった。
局長である天狗がゆっくりとフロアに中心に歩き、静かに声を張り上げる。
「誰かな、これをやったのは」
「僕です」
「君かね、リベール」
端末の一つから立ち上がったそいつはつい一昨日入局した、魔族の青年の一人だった。魔族の外見はその者の背景や素養を色濃く反映するが、リベールの外見は人族と見分けがつかなかった。
別にこのような者は珍しくはない。例えば鬼には生まれつき小柄なのに大岩を指一本で吹き飛ばすどこぞの風魔小次郎みたいな者がいるし、角が生えていない者も多くないとは言え、特に一族の爪弾きにならずに済んで生活している。
魔族は力をモットーとしているので、白人至上主義のように単なる外見で差別をするような文化を持たないのだ。そんな事をしていたら白人至上を謳いながら他人種の移民を求めるという醜態を晒したオーストラリアのようになってしまう。イデオロギーという時代遅れの概念に屈し、人民・政府・主権という国家の基本要素の一つを満たしていない三流国家ですと宣伝して歩いているようなものだからだ。魔族が個体としては兵器並の力を持っているとなれば、尚更命取りになりかねない。
しかも感心したように頷いているのは、誰であろうジョルジュ=スパンハウゼンなのだ――KY局長だの爆発する猥褻物陳列罪だとか陰でい言いたい放題されているが、それを笑って放置して益々ロリ入った美少女と汁の世界に邁進するという、漢中の漢なのである。
「これは……まさか」「いや、しかし……」「ほほう……」
衣食足りて礼節を知る。誇りは飯の後ろに置いておく。第二次世界大戦における大で日本で名前倒れの帝国が笑止千万にもわかっていなかった事を、魔族達はわかっていた――即ち、目の前で起きた事を感情に左右されず、正確に評価し始めたのだ。無論幼稚な脊髄反射で反対の声をあげようとする輩もいたが、マイノリティが故に大多数のざわめきの中に埋もれていき、本来の冷静さを取り戻して群衆に加わっている。
「いいだろう、皆、検証に入ってくれ――全ての許可は私が出そう」
そして局長は、この場ばかりはカリスマ溢れる笑顔を見せつけた。
「私達の楽しみは、倍になったぞ」
前にも倍する熱狂が場を支配した。沈黙などはもはやトイレの便器の中にすら存在しない。同意するような声、反対の叫び、根拠を求める声。あちこちで挙がる意見とディスカッションをよそに、ジョルジュに手招きされたリベールは一緒に部屋の外へと脱出し、廊下に出ていた。
「ありがとう、ジョルジュ殿」
「礼には及びません、ヴォルグ様――世界を正しく表現するのは、皆の意志でもありますから」
かつて自分を派手にぶっ飛ばした元勇者に、ジョルジュは恭しい態度を取った。
「そしてどうかジョルジュ、と」
「よしてください、僕は一介の局員ですよ」
「まだ――でしょう? ここであなたに失礼な態度を取ると私の進退にかかわる、違いますかな?」
ニヤリと、共犯者の笑みをジョルジュは浮かべる。
ポリポリとヴォルグは後ろ頭を掻く。四年前には指一本でちょいした相手と、こういう関係になるとは思いもしなかった。あるいは、その一件があるからこそ自分に一目置いているのかもしれない――ジョルジュは前代魔王を除けば、全盛期にある勇者ヴォルグ=ブラウンと戦った経験がある数少ない魔族なのである。
「参ったなぁ、どこまでわかってるんです?」
「さあ? 全ては過去からの予測に過ぎません――同様に、既にある物を使わないような方とは思えなかったので」
英雄は英雄を識る。敵としてならこれほど厄介な相手もいないが、味方ならばこれほど心強い存在もいないとお互いに思っているに違いない。
「僕はただ、美しい魔王様の魅力に参っただけのロクデナシですよ」
「だからこそ男の意地がある――ここまで自分のために苦労させてしまった相手に報いたい。全てから開放して、真綿に包んでしまうように女としての幸せに浸かって欲しい」
独善的なフェミニストが激怒して、内心では一生手が届かない事に嫉妬している言葉に、ヴォルグは諸手を挙げた。
「降参です」
「では、これからもよろしくお願いします。この後はどうなされますかな?」
「種は撒きました――しばらくは、日々を楽しみながら力を蓄えますよ。僕はまだ、小さな雛にすぎないので」
「わかりました、お心のままに――ヴォルグ様」
恭しく頭を下げた天狗の局長に、元勇者は恐縮する訳でも胸を張る訳でもなく、廊下の向こうに歩き去って行った。