嵐の前の静けさ
今夜のお題は、民主主義について。
「面白い制度だね。似たような意思決定の方法をエルフがしていたよ、あそこは10人の長老で協定して種族の行く末を決めるんだ」
それ、議会政治。
「へえ、それも別に名前があるんだ――となると、民主主義ってのは、王様でも貴族でもなく、貧しい人たちまでが全体の意思決定に関われる制度の事かな?」
うん。多分。
「上手く行ったのかい?」
正直、あまり。昔は賄賂が横行してたし。最近はタレント――えーと、口先だけの役者が政治家になってたりした。衆愚政治なんて呼び方をされてたような。
「それはどの制度でも似たようなものだよ。大切なのはどこか良いか、悪いのか把握する事だね。でも賄賂が横行していたという事は……多分民主主義というのは、かなりの教養が必要なんじゃないかな?……最低は工房で働いてる子供達ぐらい教育を受けてないと」
うん。
「なるほど、君の言ってた義務教育の意味がわかったよ」
そうだね。
「それじゃそろそろ寝ようか、おやすみ」
おやすみなさい。
元勇者は、ベリルに少し長いキスをして、
そのまま彼女を抱きかかえるように目を閉じた。
解せぬ。
※
「三日もご無沙汰?」
パスタをフォークで巻き上げたまま硬直し、信じられないといった表情でこっちを見てるフィレスは天狗の若奥さまである。見た目は少しロリの入った実に可愛らしい少女ではあるのだが、出会った時の純真さは既に遠い日の幻だった。食堂から一望できる雲の平原に放り出せばたちまち旦那が我が身も顧みずにダイブしてああジョルジュ様私のためになんてメロドラマを繰り広げたあげく、汁の世界へと沈んで行くという特技を持っている。ちゃんと自分で洗濯しているのが偉いが、替えの寝具が2ダースも押入れにあると知った時はしばらく呆然とした。やたらとテカテカしているのはまあ、実に円満でいい事だ。
「信じられない……勇者の一族って不能になる秘法でもあるのかしら」
ぶぴゅ。
少し赤くなりながら紅茶を飲んでいたベリルは、思わず虹ができそうな曲線をティーカップの端から描き出した。前に乗り出したシラを手で抑える――幸いにしてほとんどがペペロンチーノにかかったので、隠し味的な結果で済みそうだった。
いきなり何を言い出すのだこの女は。
「ちょ、ちょっとフィレス」
「だって初めてが四日前でしょう? そういう時期の男は猿みたいに一日中襲いかかってくるのが普通じゃないの? ねえシラ?」
「左様でございますね」
給仕していた執事姿の麗人がしたり顔で頷く。蜘蛛女は魔界の蜘蛛が、長い時間をかけて魔力と知性を蓄えて人間に化け、人間の男と交わって子を作る魔物だ。貴人に仕えるというのは彼女等の仕事兼マンハントなのである。見た目は妙齢の凄い美女でも一応はこの三人の中で一番の経験者で、レメゲトンが建って一ヶ月後、施設エリアに勤めている彼女の曾孫が挨拶しに来た――曾祖母に勝るとも劣らないぐらいの、すっげぇ美人であった。メールボックスに毎日数十通の恋文が届いていた事を愚痴られたので、親身になって詳しい設定機能を教えてあげた事がある。妻持ちだけをフィルタしているのが非常にしたたかだった。
そんなシラがベリルの小さい頃に男が寄り付かないような下半身に変えて、今は男装をしているというのはまあ、そういう事である。
それにしてもエラい言い様であった。しかも元男の知識を掘り出してくるとあながち間違っていないのが痛い所である。これが旦那の前では純真ぶって誘惑するというのだから大したものだ。
「フィレス、ちょっと言い方って物を」
「……一応聞くけど、勃たなかったって訳ではないわよね?」
「…………」
ベリルは首を黙って首を振る。
めっちゃギンギンでした。挙句にそれで脅されて尻の毛まで毟られました。
「……下手だったとか?」
「…………!」
真っ赤になって更に激しく首を振る。小手調べで天国のドアを三回拝んでしまった――なんて言える訳がない。あれが下手だったら地球上にいる8割くらいの男は首を吊っている。
あ、ちょっとムカッと来た。誰もが最初から達人であるはずがない――世界一重いと言っていい男ではあるが、見てくれはなかなかいいし、魔界を旅してた頃から物腰も丁寧だ。さぞかしモテた事だろう。人に歴史あり。そりゃ下手なのよりは上手な方がいいし、流石に態度に出すほど子供でも馬鹿ではないが、相手の女性遍歴というのはあまり愉快な代物ではない。
「今からでも遅くないから、鞍変えしない? ジョルジュ様にお願いして、いい人を紹介してもらうから」
そのジョルジュ様はですね、私が小さい頃に逆玉狙ってきたのを忘れてはいませんか?――なんて言える訳がない。どんだけ嫌いなのだ、あの元勇者が。言いたい事はわかるのだが。
あと手遅れのような気がする。ベリルは知らず自分の体を抱き締める。全く想像できないのだ、あの男以外に抱かれる自分の姿というものが。
人、それを調教と呼ぶ。
う、ちょっとムラムラしてきた。
二人は、もじもじし始めたベリルを逆立ちしたパンダのように見ていた。
「おかしいわよねぇ、こんな美味しそうなのを食べないなんて――シラ様、どう思います?」
「その前に――フィレス様の時はどうでした?」
「えーと、初めての日はベリルと同じ一回で、翌日は朝から……」
恐ろしい事に天狗の少女は五本の指を曲げて、また立てて、今度は左指を折り始めた。ほっとくと靴を脱いで足の指で数えかねない勢いだ。
「……痛くなかったの?」
ベリルは恐る恐る切り出した。最初の夜の後、2日ぐらいは座る時にジンジンしていたのだ。
「ちょっとだけ、でも三発目からはあまり気にならなかったから」
汁補正があるとは言え、頑丈にも程がある。
おかしい。精神が過ごした年齢的には倍以上の開きがあるはずなのに、ことあっちの経験については子供と大人の立場が逆転していた。まるで徴兵されたばかりの二等兵が歴戦の軍曹の前で直立不動になった気分。質より量という言葉が頭を過る。
「うう……だったらこのままでいいのかな」
パリン。何かの割れる音。
その瞬間の二人の表情を、ベリルは一生忘れないだろう。異世界版ムンクの叫びは二人並んでいて、片方は真っ二つになった皿を両手に持ち、もう片方の口からは、入れたばかりのパスタがボロボロと皿に落ちていた。
「え? え? ええ?」
「ベリル……それはちょっと、ねえ?」
「ええ、お嬢様――お言葉ですが、それではお世継ぎは到底望めません」
お世継ぎ。子供。
言葉を理解した途端、ベリルはフリーズした。
「ベリル、いい? これだけやっても私、まだ出来てないのよ。そんな調子じゃ、千年たっても子供が出来ないわよ――いいの? それで」
ベリルは答えられない。ヤれば出来るという今更ながらの事実に脳みそを横殴りにされていた。
生物とは不思議な物で、個体の寿命と力の強さに反比例して繁殖力が低くなる。それはこの世界でも例外ではなかった。魔族は力が強く、長生きな上に魔法が使える。それなりの文明を持っているので出産の成功率もまあまあ高く、子供の死亡率も低い――それはつまり妊娠率が低くないと生物学的に帳尻が合わなくなる事を意味する。
それは魔界での食糧事情においても同じ事が言える――畜産は獣が弱くなる人界に近い方に集中しているし、魔界の奥にいる魔物などは数が少ないので慶事以外ではなかなか食卓の上に供される事がない。動物保護団体がいれば激怒するような事実ではあるが、クレタなどは比喩抜きでライオンの百倍は凶悪なので狩る方も命がけだ。
話が逸れた。
硬直したベリルの前で二人が話し合っている。その表情は必死を通り越して壮絶すら感じさせるものだった。少なくとも何で二人がこれほど切羽詰まっているのか、我に返ってもベリルにはいまいちピンと来なかった。これが異なる世界の間における価値観のギャップなのだろうか。
「まさかここまでわかってないとは……」
「しょうがありません。ここ数年、お嬢様はそれどころではなかったのですから。それに、フィレス様にも知らせられない事情がありまして」
「勿論聞きません。でもシラ様はそれをご存知なのですね?」
「はい」
「それを踏まえて、どう思われますか?」
「由々しき事態でありますね」
うん、と二人して深く頷く。割れた皿を通じて両手と両手でつながっていたりする、写真に撮れば一生それをネタに強請れそうだった。
かくして、女と女による、女のための名も無き同盟はここに結成された
お前ら、その熱情をもっとマシな事に使え。