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小さな奇跡

リクエスト通り勇者を殺しました

合意という事で物言いはありませんね?

 その朝、早馬に乗って、一つの巾着がユグドラシルに向けて出発した。

 巾着を開けても何の意味もない。中に入っているのは宝石で何でもない――ただの砕かれた石だ。


 早馬のスタート地点はセルビア王国を挟んで、レメゲトンと反対方向の土地にある小さな村だった。

 デーポと呼ばれるその村は畜産を営んでいた。魔界に近い土地は植物も動物も強い。強健な戦馬が育つ事以外は至って普通の村である。

 村長の家の裏には一軒の置物小屋があった。鍵もかけてない小屋は開いても柄の腐った鍬が並んであるだけだが、その実見る者が見れば、強固な扉に守れた地下室があるのがわかる。村長だけが首にかけている謎の石を近づけると、日課の掃除のためにその門戸を開くのだ。


 しかし仮に賊がそこに入り込めたとしても、値打ち物のなさに即座に踵を返したのは間違いない。

 地下室にはただいくつかの石が、まるで発酵させているパン生地のように整然と置かれているだけだった。手に持って見ても子供が彫ったような下手くそな紋様があるだけで、そこらへんに転がっているような、至って普通の石である。

 これなら野草を引き千切った方が金になるだろう。


 村長は知らない。

 命刻石と呼ばれているその石が、勇者の一族の存命を示すものだと。

 村長は知らない。

 砕けたら早馬でユグドラシルに届けろと言いつけられていたその石が、当代勇者のものである事を。


      ※


 朝、頬に何かが落ちてくる感触で、ベリルは目を開けた。


 日は、完全に登り切っている。

 あまり動いていないはずなのに、普段使ってない筋肉が痛む。股の間がジンジンして変な感じ。いたたたた、のではなく、いでっ、いでででででっだったのである。非常に色気のない話で恐縮だが、その瞬間はあまりにも痛くて気持いいとかそういうどころではなかった。エロ漫画やAVなど、所詮は男の妄想と女の演技である事を実感した瞬間だった。

 それでも永久という時の間。全身でしがみついて、長く抱き合っている時は、これ以上なく幸せだったようだった記憶がある。お互い昂りすぎてたせいか、あまり動かずに終わったのもよかった。一回だけで済んだのだが、その前に身と心を滅茶苦茶に掻き回されていた事もあって、その場で力尽きて眠り込んでしまったのだ。


 ――ヤってしまった。


 例えるならば、問題用紙を提出する瞬間に、マーキングシートが全て一つずつズレていたのを発見した時の気分。

 思えば遠くにやってきたどころではなかった。

 魔族に結婚式などない――それはとどのつまり、やり逃げとか若気の至りではない限り、誰かの奥さんになってしまったという事なのだ。ミス・タッカートではなくミセス・ブラウンなのである。


 ――では、人族なら。


 ベリル姫の美しい花嫁姿、楽しみにしておるぞ――思い出してしまったおでんの王様の言葉を慌てて打ち消す。妄想の中のお父様は何故か昔のままの筋肉隆々と長い爪で、そこに立っていた神父と新郎に、ベリルの手を握ってない方で斬撃を放っていた。

 ヴァージンロードは済ませたか?神様の前で誓いのキスは?神父様の前でガタガタふるえて指輪の交換をする心の準備はOK?

 何でモノクルを掛けたシラが神父役なのだ。


 そして目をこすったベリルは見た。


 頬に落ちてきたのは、黒々とした丸いクッキーみたいな物体だった。

 刻まれているのは、互いの尻尾を食い合う二匹のウロボロス。


 ――一度取り付けた双龍紋は、二度と外せない。


 バチッと電撃がぼやけた脳みそを叩き起こし、一瞬で目が覚めた。


「ヴォルグ!」



「なに?」


 即座に、頭上から返事が降ってきた。

 慌てて身を起こしたその時、ベリルは毛布を被せた微妙に弾力のある硬いのが太ももである事に気付いた。布団に包まったまま、それを枕にして寝ていたのである。


 今、自分はとても間抜けな顔をしているのだろう。


「おはよう」

「おはよう……」


 ベリルは布団がずり落ちた事にも気付かず、反射的に挨拶を返した。生きている――微笑んで太ももに寝転がったベリルを見下ろしているヴォルグは、不思議なまでにいつも通りだった。

 ベリルが寝ている間に閲覧していたのだろう、空中には幾つかの窓が浮いている。

 かつてのお父様のように肌も黒くなっていない。昨夜、撫でるように確認した体も、爪を立てないように指先で引っ掛けた背中の傷も、全く変化した様子がない。ただ、胸板の前に黒い双龍紋だけがなかった、そこに何かが嵌っていたような跡すらない――そしてそれは今、ベッドの上に転がっている。


 ふと、向こうにあるナイトテーブルの上に不思議な物を発見した。

 ちょっとだけ赤く染まったおしぼりがあるのは――まあいい。それが二つもお湯の入った保温盆と一緒に、予め置かれていた意味は考えたくもない。問題はその傍にある代物だ。

 例えるならそれはプラモデルから剥がした白いステッカーだった。そうめんのようにおしぼりの横に重なっている。ベリルは、それに見覚えがあった。テラスで精も根も尽き果てていた勇者の体に白く走っていたもの。工房の中に座って魔力を注入されたヴォルグの体に、黒く浮かび上がった無数の線。

 それを凝視しているのに気付いたのか、当の本人は笑いながらこう言うのだ。


「なんか剥がれたから取っちゃったよ」


 取れるものなのだろうか。仮にもエルフの粋を込めた技術だ――確か着ている服がボロボロになるくらいの荒行をこなしても、ビクともしなかったはずである。そもそもあれは肌に食い込んではなかっただろうか。

 ベリルの疑問の視線を受けたのか、ヴォルグはにっこりと笑うと双龍紋を摘み上げ、遠くに投げた。

 そして未だに湯気の立っているお盆を持ち上げて、ウォーターと小さく唱える。ベリル以外の魔族ならば誰でも使える、日常的な魔法。

 どぽん。


「それって……」

「そうだね」


 青年は喉に詰まった小骨が取れたような表情をしていた。

 双龍紋は勇者と共にある。勇者とは、魔法を使える人族である。


「勇者ではなくなったみたいだ」



 勇者は死んだ。


 野郎は何故生きているのか。

 それは元勇者がベリルの前に引っ張った窓に書いてある、勇者解体新書が詳しい。ヴォルグ=ブラウンなる当代勇者が今までの鬱憤を晴らすかのように横流ししたカートリッジを元に、魔法使い(マーリン)大魔導師(バイアン)が解析を加えたそれは、下手をするとそれだけで世界が引っ繰り返すような代物だった。


 例えば勇者の一族に代々伝わる紋章の剣と鎧は、勇者にしか使えない。では単なる人族と勇者の差はどこにある?差がなければ、別にそこらへんの人族の兄ちゃんや、筋肉モリモリでもないオタクを異世界から引っ張ってきてお前は選ばれたとおだてて飛ばせてもいいのだ。両者の差は果たして技術か、それとも体質か。


 結論としては両方だ。


 勇者は、その身に魔力を通す回路とでも言うべき物を持っている。それはベリルのような例外を除いた魔族に全て備わっているものであり、それが一種の安全装置として紋章の武具のロックをかけている。

 人族との違いはわかった、では魔族との差は何か。

 魔力の有無である。

 人族の王は、人族でなければならない。おでんの前で魔力察知の石を頂いても、そこに魔力の証である光の乱舞があってはいけない。しかし魔力で闇素をこね回し、魔法を使いたいのなら、魔族ならば皆あって当たり前の魔力の源が必要となる。

 双龍紋。

 勇者の一族はそれを外付けにして、その矛盾を解決していたのだ。


 ベリルと交わった人族が死ぬ理屈は、いきなり大量の水流をぶち込んで溢れさせる事と等しい。そこにパイプ管さえあれば、水は溢れる事なく流れ出す。

 つまりとても不愉快な話ではあるが――勇者の一族はベリルを通じて穴兄弟になってしまっても大丈夫であるという事だ。


「言ってなかった? 僕の母親が魔族って」

「聞いてない聞いてない、これっぽっちも聞いてない」


 布団を被って二人羽織り状態になったベリルは首を振る。

 冷静に考えれば勇者の舞台は魔界だ――現地妻が人族限定だという方がむしろおかしいのだ。

 例えば、今ベリルを膝の間に抱きかかえている元勇者のように。

 人族と魔族の境目は、想像していたよりあやふやならしい――勇者の一族はそれをよく理解していて、奴等の下半身はもっとわかっていたという事である。元勇者はかつて両者を人間と一括りにしていたが、それは人道的な意味に限った事ではなかったのだ。


 ヴォルグのみならず、勇者の一族に魔族の血が混じってるというのは皮肉以外の何物ではないと思った。魔界の黒幕たる闇の巫女の末裔で、魔王の娘である自分を抱いても平気な人族が勇者の一族というのはその、なんというか、穴を掘って隠れたくなるような事実である。

 一歩間違えていれば、一生ペド野郎(ディーク)の慰み者になってもおかしくなかった。ベリルは思わず身を震わせる。

 

 はー。

 ため息を一つついて、ベリルはヴォルグの胸板にぽふっと頭を載せる。

 事の最中に、抱き合いながら死なないでと泣いたのは何だったんだろうか。


「別にいいじゃないか、こんな偶然があっても」


 そうかもしれない。

 奇跡のないこの世界で散々苦労してきたのだ、小さな奇跡みたいな偶然があっても罰は当たらないだろう。


「あ」

「どうしたの?」


 元勇者の問いにベリルは首を振った。

 気付きたくない事に気付いてしまったのだ。


「隠し事はなしだよ」


 何時の間にか股の間から垂れてきた初夜の証を、おしぼりで優しく拭き取った後に念入りにマッサージするという血も涙もない拷問が行われた。

 ベリルはアッサリと口を割った。


 ひょっとしなくても、自分は男運が悪い。


 佳人薄命という四文字熟語を、ヴォルグは知らない。

 愉快そうに笑いながら、ベリルをギュっと抱き寄せる。

竿兄弟と書き間違えてたので修正

実にデンジャラスな誤字でした


そういうジャンルじゃねえから、これ!

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