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裸の本音

 心配はいりませぬ。


 大魔導師のその一言は、当然と言えば当然の結果だった。

 勇者はしばらく大丈夫だと言った。リッチには十二分の信頼が置けた。

 正直、大して心配もしていなかった。


 だからベリルは窓から通信リストを呼び出し、そこにヴォルグ=ブラウンの名前がある事だけを確認して窓を閉じる。


 言う気にはなれなかった。


     ※


 日本人は世界一風呂にうるさい。


 それは取りも直さず、レメトゲンの主たる魔王・ベリル=メル=タッカートのリクエストで風呂に関しての項目がやたらと細かい事であり、貴人用の個室に備え付けられたラブホテルみたいな無駄にでっけえお風呂の理由であり、一般人の居住エリアのみならず、要人の居住エリアにまで無駄に巨大な大浴場が備え付けられている理由でもある。数人しか住んでないのに誰が使うんだこんなもん。


 人族の風呂の入れ方は人海戦術である。不運な下働きに川水か井戸水を汲ませてきて、かまどででお湯を炊く事が基本となる。平民は体を拭くだけで、田舎で浴槽に浸かった事がない者などザラにいる。貴族様の足の垢がついたお下がりでメイド達が体を拭いていると考えると、そこに新たな世界が開けそうで全然開けない。


 魔族の入れ方はもっと簡単だった、魔法で作った水にファイアボールをゆっくり沈めるだけ。結構コツがいるので力加減を誤ると入った魔族が因幡の白うさぎみたいになるし、田舎では沸かし直しの達人が最低一人はいる。自然、魔界の浴槽は頑丈にできている。この道500年のドワーフ職人が彫り出したワンメイクの浴槽は、ひっくり返して頭にかぶれば核シェルターにできるんじゃないかと思うほど硬い。八つ裂き魔王の一閃にも耐えられると豪語する者がいるのだから相当なものだ。それが本当かどうかはもはや知る由もないが、壊せればタダという趣味の悪い大食いメニューみたいな謳い文句で、本当にタダで持ち帰った魔族がいないのは事実らしい。壊したらゴミやがな、という頭の悪いツッコミも却下だ。


 よって新しい魔王城のスタッフには、各地から招聘された風呂職人が五人もいた。魔道具学の粋を学んだそいつらは、どこかで風呂が沸かないなんて呼び出しがない限りはやっぱり工房に篭っている。何時兵器を作り出さないか冷や冷やものである。



 大浴場の壁からは富士山ではなく、限りない雲の平原が拝まめる。例によって外からは単なる壁にしか見えない。つまり一つ間違えれば、外壁をロッククライミングしている酔狂者が、ヤモリのようにそこにへばり付いているのが見える事だ。

 その酔狂なヤモリは浴槽に浸かって、ロッククライミングの疲れを癒していた。肌の色こそ普通だが、双龍紋が水面の上からでもわかるほど黒い。魔力さえあれば疲れないんじゃないのかよおい、とか言っては行けない。心にも、乳酸は貯まるのだ。ほとんどの魔族が持っており、ベリルが持ってない勇者の闇目には、夜の空は雲と闇素が入り混じった複雑なまだら模様に見える。これはこれで壮観な景色だが。朝に登頂して感動した身としては、一度昼間に入ってみようと思う。


 晴れてベリルの傍に立つ事となったヴォルグだが、それは彼が無制限にレメゲトンの全てを知る事ができるようになった事と同義ではない。核ミサイルのスイッチを誰にも触れられる所に置く馬鹿がいないのと同じように、レメゲトンに入ってくる人間には情報を制限するために機密レベルが与えられる。

 とりあえず工房での処置と同時に、ヴォルグに与えられた閲覧権限(クリアランス)は、厨房のおばちゃんと同じCだった。それでも閲覧できる情報は膨大な数に登る。食堂の開放時間、施設エリアを尋ねる際の注意事項、立ち入り禁止エリア、魔道具の取り扱い方法――なんでもござれだ。つくづく面白いものを考える、とヴォルグは思う。風呂に浸かりながら様々な窓を開き、レメゲトンの機密ランク付けを見習って、情報に優先順序を付けながら貪欲に取り込んでいる。


 楽しい。全てが新鮮だった。ただの魔界生まれの旅商人の子供だったのが、勇者一族としての教育を受けた後に見識が広がった時の事を思い出す。再び旅商人として出発した時、世界の全てが違う色に見えた。

 それでもヴォルグは、ここがつい昨日まで敵地だったという事を忘れてはいなかった。密かに大浴場のあちこちに展開していた探索用の魔導式に誰かが入ってきた事に気付き、素知らぬフリで窓を適当に開け閉めしたりして遊び始める。水面に異様な空白を作るので防御魔法(プロテクション)は使わない。

 ベリル個人がヴォルグを受け入れたと言っても、その周囲がそうだとは限らない。彼女に人族はふさわしくないと考える忠臣、彼女の身と心を狙う魔族、果ては勇者の秘密を握ろうとしようとする者まで様々だ。何時短剣を振りかぶって襲ってきたり、魔法をぶちこんできてもおかしくない。


 というかまあ、ここまでバレバレなシチュエーションでいい加減気付けよおいと言いたい所ではあるが、異世界にお約束という概念はないのである。アホな人族とエルフと一族に振り回され、どうやったら豚が空を飛ぶのかと頭を悩ますような人生を過ごしてきた勇者は、そんな都合の良いオタクの妄想から千里も離れた世界ですり切れてしまうまで生きてきたのだ。

 だから背後からそろりそろりと近寄ってその人物にいきなり振り返った時、それがよりにもよって魔族随一のお姫様である事に気付くのに5秒もかかった。


 これが実戦だったら、どっちかが死んでいた。


     ※


 大丈夫だ。

 立派な胸に詰まってるのは水袋ではない天然物、ましてやロケットランチャーを受け止めたというシリコンでもない。おばあさまの言いつけ通りに毎日レメトゲンの緊急用階段をひっそり十往復している足はそれだけで一財産が築けるくらいで、結い上げた髪型もうなじが色っぽいだけで何の違和感もない。服を脱いで鏡の前に立っているのは世界一の美少女で、これを男だという奴は目をくり抜くか脳の病気を疑った方がいいというくらいのスタイルを誇っている。

 自分は女だ、という事をきちんと再確認した後、バスローブ一枚を巻きつけてヴォルグの前に現れたベリルは、自分の過激にしてありえない行動を早くも後悔しつつあった。


 痛い、何がって言うとヴォルグの視線が。


 黙ったままこちらを眺めていた。疚しい所のある者は何気ない視線でも疚しく感じるという。あっちにはこちらの事情なんかわかってないのは重々承知だが、それでもどこか変な所があるのかと思ってしまう。


「ベリル?」


 う。勇者の問うような言葉に怯みかけたベリルは、辛うじて言い訳として用意していた一言だけを絞り出す。


「せ、背中を流そうと思って……」


 すんげー後悔した。

 ヴォルグは既に湯船に浸かっているのだ。


「ありがとう――でも体は洗っちゃったからね」


 案の定であった。しかし次の一言でベリルは更に体を硬くする事となる。


「おいで」


 その言葉をユグドラシル(人界)で何度聞いた事だろう。あー、うー、とか意味のない言葉を舌の上で転がした挙句、有無を言わせない微笑みの前についに屈してしまう。なんとはなしにお尻を押さえながらヴォルグの横に並ぶように湯船に浸かる。流石に膝の上に座り込むとかはしない。人は学習する生き物である。

 当然だが落ち着かない。どう切り出していいものか躊躇しているベリルの頭上に、

 勇者は、いきなり爆弾を投下した。


「ねえベリル――僕、勃たなくなっちゃった」


 ベリルは思わずそちらを振り向く。

 脳みそがその言葉を理解するまで3秒。


「いやー、無茶はするもんじゃないねー、この年で子孫作れなくなっちゃったよ」

「&^%$#$%^#@#$!?」


 まるで世間話でも言うような調子である。ベリルは思わず湯船から立ち上がってしまう。

 喉を通る声はもはや意味不明だった。


「嘘だよ」


 野郎。

 わなわなと両手を握り締めるベリルは、こちらを見上げるヴォルグが大口を開いているのに気付いた。世界を裏から操り、歴代最強の魔王をぶっ倒し、停滞していた世界をなんとか動かすという大望を抱く勇者にしては、それはそれは間抜けな表情をしていたのだ。

 ベリルの顔が、自分の体に向かった。

 そして見た。


 白いバスローブが、浴槽の底にあるのを。


「…………きゃ!!」


 辛うじて大きな悲鳴を出すのは堪えた。積もる話があるのだ、横槍を呼ぶようなラブコメをやっている場合ではない。しかし、


 ――み、み、見られた。全部。


 顔は真っ赤。脳みそはお椀と箸の見分けがつかない。胸と大切な場所を手で隠しながらバスローブを拾おうにも、深さの見当すらつかずに水をかくだけ。目の前の勇者とはなんとなくそんな事になる予感がなくもないが、それとこれとは別の話だ。

 横から伸びてきた足が、バスローブを反対側に掻っ攫った。


「あ……」


 かなずちが流れて行くビート板を見るようなベリルの顔。

 両手をベリルに伸ばした勇者は、今一度ベリルを招いた。


「おいで」


 有無を言わさぬ作り笑いより、優しい顔をされた方がよっぽど抗い難い事を、ベリルは知った。


 かくして、世界を左右するような魔王と勇者の頂上会話は、ぬるま湯の中の全裸で幕を開けた。

 一体何をやってるんだこいつらは。

真面目な話を書いていたはずなのにあれぇ?

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