表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
81/97

奇跡のない世界

ここから先は、精神に厳重な障害を来す可能性があります


用法・容量を正しく守ってお進みください

 今、ここに一対の男女がいる。


 お付き合いの始まりは最悪だった。親父に銃を突きつけて拉致ってキスして貞操を奪いかけてそりゃあんた監禁系エロゲーとどこが違うのか、という辺りから、実は俺は世界の統治者でモテモテなんだがお前一人だけを見ているんだ、みたいな少女漫画にうるさい読者が唾を吐いて怒り出すような展開。とりあえず人生を儚んで死にかけた男が土下座して、外道から駄目男にランクアップした所で事態は一応の収拾を迎えたらしい。この辺りは本人達が納得しているので外野がとやかく言う事ではあるまい。


 高度二千メートルで、透き通るような青い空で、二人っきりである。こんなシチューションは他にない。冷えた体が融点を超えそうな熱いキスを十分の長さに渡って楽しみ、それ以上イチャイチャしていたいのは山々だが、寒いものはやはり寒いので室内に引っ込んだ。なおこの時の二人の会話は、二人の名誉のためではなく、読む者の精神衛生のためにトップシークレットとさせて頂く。


 この後も問題が山積みだと思わんでもないが、とりあえず当面の危機は去った。お互いの気分も盛り上がっていたし、保護者(ランスロット)の入室許可も得た。


 当面の問題はただひとつ。


 ヤるかヤられないかである。


       ※


 レメトゲン頂上。テラスの真下。施設エリアの上にある要人の居住エリア。

 分厚い絨毯が敷かれた広い廊下の中、お姫抱っこされながらベリル=メル=タッカートは運ばれている。運んでいるのは先ほどまでウホッ、高さ2000メートルのロッククライミング、デストラップもあるよを完走して見せた勇者である。並んで歩いているはずなのにいきなり抱き上げられて、モデル身長なのでそこそこ重さもある体を運んでいる両腕は鉄のようにビクともしない。歩いているはずなのに廊下の絵やら壺やら彫刻が凄い速度で後ろに流れていく、絨毯がなかったら摩擦熱で煙でも出てたかもしれない。


 安物の服は風に雲に壁に床にボロボロにされてほとんど腰布一枚。胸にバッジのように灰色の双龍紋が嵌っている。なまじっか一緒にいるのがフリフリのドレスを着たお姫様で、周りがお城みたいな内装なのでまるで貴族のパーティに乱入してきたターザンみたいだった。


 ていうかこいつ、さっきまで死にかけてなかったっけ?



 バン!元魔王が廊下にあるドアを開いて現れた。


「あの小僧が現れたとは本当か!」


 そしてすぐ目の前にいたお姫様だっこを見て、ドアを開いた姿勢のまま硬直する。

 四十二分と三十三秒くらい遅かった。

 売れないピアニストみたいな上半身が裸の上に白い上着が一枚。青白いたるんだ腹ではなく、薄黒い割れた腹筋なのがせめてもの救いか。娘が一世一代の大イベントに臨んでいたのに何をしていたのやら。ナニか、ナニなのか。キスマークがまるでホラー映画の窓にびっしりついた手型のようだった。せめてボタンをかけろと言いたい。


 そしてかつて元魔王を激戦の果てにのした勇者は、まるでインフレした少年漫画の主人公の如く軽く元魔王を一言で撃退した。


「昨晩は、お楽しみでしたね」


 こっちを見るお父様、いやプレアとほとんど同居状態なのは知ってるし気にしてないし、魔界には結婚式なんてものないからぶっちゃけ継母だし、そんな気まずそうな顔をされても。え?何その同じ趣味の人間を見つけた隠れオタクみたいな笑み。なんでアッサリ引っ込んでるの?ぶっ殺すとか言ってなかったけ?広域暴力団指定魔界組の会長ともあろうお方が、ぶっ殺すと思った時には既にそれは終わってないと。

 バタン。ガチャ。

 鍵までかけやがった。


 廊下の真ん中で、執事姿の麗人がこちらに頭を下げた姿勢なのが見えた。


「おはようございます」

「こうやって話すのは初めてですね、お世話になります」

「左様で、新しいお召し物に朝食の用意ができておりますが、どうなさりますか?」

「ありがたく頂きます」


 ナイス、シラ。心のなかで呟く。エロ漫画と見分けの付かない少女漫画ではないのだ。今も汁の世界に沈んでいるであろう天狗のバカップルじゃあるまいし、勢いに流されてこのままターザンもどきとベッドにインという羽目は避けたい。あんだけヤりにヤりにヤりまくっても、ケロっとして仕事をこなすのが恐ろしい。


 何故そこで二人してこっちを見る。


 ベリルは居心地が悪そうに身じろぎするが、彼女を抱き上げた勇者の腕はビクとしない。死んでも離さないという鋼の意志を感じた。


「お嬢様、ヴォルグ様はあの事をご存知なのでしょうか」


 ヴォルグの腕の中で目をパチクリとしてさせていたベリルは、たっぷり三秒もかけてシラの言葉を頭の中で転がした。

 あ。

 熱湯に放り込んだタコのように、見ている内に首の下から上が真っ赤になっていく。頬を両手で挟んで、えっと、あの、その。意味のない声。


 そう、問題は、一つ残っていたのである。



 親しい人間の間では、事実上の魔王であるベリル=メル=タッカートが魔法を扱えないという事は周知の事実である。しかし今やそれは秘密の大切ではない一面にすぎない。彼らにも絶対に言えない、本人とパパンと世話役(シラ)と大魔導師だけが知る、ベリル最大の秘密がある。


 前代魔王・ベルセルク=フォン=タッカートの若しき時代はただの魔族であった。それなりに強力だが王座を狙うにはかなり魔力の足りないアスタロトは、イチ魔界の建築家としてそれなりに悠々自在の生活を送っていたという。

 それが変わったのは闇の巫女でもとびっきり特殊な体質であるナタリー嬢と出会い、えー、あー、ええい、つまり滅茶苦茶セックスしたからである。身長は倍となり、薄黒い細マッチョは真っ黒のボディービルダー風で、幼女の身長くらいもある爪はネイルケアを欠かさなければ万物を引き裂く。かくしてスケベなヒヒ爺である前々代魔王は絶望の谷へと真っ逆さま、心置きなくナタリーと汁まみれの生活を過ごしたベルセルクは、更に強大な魔王として魔界に君臨する事となった。


 彼らの娘、ベリル=メル=タッカートが生まれるまでは。

 勇者に全魔力を吸い上げられ、ボッコボコにされるまでは。


 黒い髪のミリア(おばあさま)から生まれたナタリー(かーちゃん)のような突然変異でなければ、闇の巫女の息子は基本的に父親似で、娘は母親に似る。つまりベリルはよりにもよって亡き母上の体質を受け継いでしまっているのである。普通の意味での魔法が使えない代わりに、子供が宿ったり実は今ちょっとキュンとしてる部分に何かが近づくと、そこに無尽蔵の魔力を注ぎ込んでしまうのだ。


 そしてチートとチートとチートの果てに、今や世界中でもぶっちぎりで文句無しの大魔導師となったバイアンが言うには、人族はそれに耐えられない。


 端的に言おう、人族とベリルが(まじ)わると死ぬ。

 ヤれば出来るのであなく、ヤれば死ぬのである。文字通りのリア充大爆発であった。


 そして今、ベリルを一生離さないという決意を自ら行動で示している勇者は、よりにもよってその人族の影の王様なのである。いくら魔王をぶっ倒すぐらいの強さがあり、なおかつエルフから無茶な身体改造を受けて高さ二千メートルのデスタワーをロッククライミングで完走したと言っても、そのベースが人族である事に変わりはない。


 実の所、最近のベリルはその事について真面目に考えていなかった。それどころではなかったのもあるが、まあなんとかなるだろうと楽観的に構えていたのである。


 例えば今のベリルが、自分の体質を世界に公表したあとしよう。魔族どころではない、人族の野郎共までもが両界から殺到し、彼女を口説いたり手篭めにせんと血を血で洗う戦いを繰り広げる事になるだろう。

 今のベリルは、不届き者を全員縛り上げて、ハッキングで流出したエロゲー販売サイトの顧客リストのように世界への晒し者にするくらいの事は出来る。


 そういう意味では彼女が幼い頃から抱いてきた悩みは解決してると言えるし、こと夫になるであろう人間との問題も同じ事が言える。


 今ベリルが考えているのはこうだ。

 とりあえず新しい双龍紋でヴォルグの体は持つ――魔力は外からいくらでも補充すればいいし、エルフごときに調整できるものがバイアンと愉快な弟子達にできないはずがない。最悪の場合、レギオンを派遣してエルフの隠れ里を襲撃して一族まるごと連れてくればいい、どうせいずれやる事が早まるだけだ。それで一年。悪趣味だが一族郎党皆殺しにしてやると脅せば必死になったエルフによりもっと伸びるかもしれない。人族としての天寿を全うしてくれるかもしれない。


 一年もあれば、高さ10000メートル以上の魔界版バベルの塔とも言えるレメゲトンをほんの一晩でおっ建てれる魔導式が描ける。怪獣みたいな大きさの飛行船が作れるし、その飛行船で魔界中を測量して今までとは段違いに精密な立体地図が作れる。ヴォルグが望むように、自分とずっといるための魔族の寿命を得る事もそれ以外も、えー、あー、多分できる。時間が足りなかったらコールドスリープみたいなのをバイアンに考えさせて一緒に仮死状態だ。世界を変える事は二の次なのだわはは。不老不死になるのを考えないのを感謝して欲しいぐらいだ。カビの生えた転生の秘術など目じゃないのである。


 つまりは、なんとかなりそうなのだ。


 思えば遠くへ来たもんだ。


 チートにも程があると、自分でも思う。

 しかし本来チートとは世界の事で、世界はチートである。世界を引っ繰り返すにはそれ以上のチートを以って当たらなければいけない。パソコンの前でエロサイトを覗いてるだけで神様が舞い降りて、都合のいい能力と共にハーレムだらけの異世界に送り届けてくれる――そんな奇跡など起きない事を、何よりも目の前の勇者が一番わかっている。

 だからベリルはヴォルグを選んだのだ。


 二人は、奇跡のない世界をずっと歩いてきて、これからも歩いて行くのだから。


 そんなもんだから世の中、そうそう上手く行くようにはできていない。例えば生きる気力を無くして死に瀕した勇者を冥界から連れ戻すには、魔族一の美少女による私のために生きてと甘ったるいにもほどがある告白が必要なように――心まではどうにもらない。全てをヴォルグの体に加えるには、本人が納得できるように説得せねばならない。説得には理由が必要だ――つまりは、ベリルの秘密をも喋らなければならない。

 だから今、ヴォルグの食事に付き合いながら、ベリルはどう切り出そうかと悩んでいた。


 雲の平原が見える食堂の中で、遠くに控えたシラ以外では二人っきり。

 魔族は食事を魔力に変換する――結構な量を食べてもスタイル完璧という世界中の女に背中から刺されそうなベリルがそうだが、そのベリルをして人族であるはずのヴォルグの健啖ぶりは想像を遥かに超えていた。上品な仕草で、朝から食べるにはヘビーな座布団みたいなステーキを三回もお代わりしている、多分デザートのケーキもワンホール丸ごとだろう、見てるだけで胸焼きがしてくる――魔力のアシストがあるとは言え、夜通しの登攀で余程腹が減ってたらしい。ベリルは落ち着かなさそうに紅茶を口にし、カップの陰から盗み見る。食欲と性欲は表裏一体、なんてウェブサイトで仕入れた本当かどうかもわからない余計な知識が頭をよぎる。少なくともヤると腹が減るのは確かだ。


 ベリルがもじもじしながら切り出すのを躊躇っている内に、何時の間にか空になったステーキの皿は10枚に増えていた。ケーキのホールが載っかっていたはずの大皿には、スポンジの欠片だけが散らばっている。


 その時、二人の前で空中に連絡用のウィンドウが開いた。食後の紅茶を飲んでいたヴォルグが興味深そうに眺めている。

 顔が見えないサウンドオンリーなのは、宙に浮いたしゃれこうべが消化に悪いという事を理解しているかららしい。


『ベリル様、全ての用意、整いましてございます』


 そう言えばこのリッチは昔から、お嬢様でもなく、姫様でもなく、後のフィレスよろしくこちらの名前を呼んでいた、と今更ながらベリルは気付く。ベリルの使い魔になろうがおもねる訳でもなく――ベリルと対等の協力者、そして助言者としてベリルの傍にいたのだ。


 そう、当面の問題はただひとつ。


 言い出すタイミングを逃した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ