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恐怖の意味

 お茶会の一部始終を、ジョルジュは静かに聞いていた。


 そして恐怖の意味を聞き出せぬままお開きになった所でフィレスの話が終わると、静かに目を閉じる。

 フィレスはそれ以上何も言わない――彼女の幼馴染は今、入力した情報を頭のなかで転がしているのだ。急かしたりしても無言の不機嫌しか返ってこない、それでいて目を開いた時には間違いがないのである。生まれてほどない少女が泣いている原因を、幼い従兄が正確に見抜いてあやした時からそうだった。

 そしてジョルジュはため息を一つ吐き、ゆっくりと目を開いた。


「わかる気がするよ、フィレスはベリル様のやろうとしている事を正確には知らないから」


 少女は驚かなかった。彼は何でも知っているのだ。フィレスを蔑んでいるとも思わない――そんな男だったら、単身魔王城に飛んでまで追いかけていない。青年は男として主の手助けをし、少女は女として友人と付き合う――適材適所である。

 妻の髪を軽く撫でながらジョルジュは続ける。


「私は軍人だからね。彼女から必要な情報と力を与えられ、手助けをしていると時々怖くなる事があるよ――世界はどうなってしまうのかと。自然から魔力を抜き出し、無から有を作り出すような技術。無限に湧いてくる魔王に匹敵する軍勢。魔界の正確な地図を作って、掌握しようとする発想。人間一人が魔法を使えるかどうかなど問題にすらならない。彼女がその気になれば、世界を滅ぼす事も可能かもしれない」

「世界を滅ぼすかもしれない?」


 聞き返しておいて現実感の無い話だとフィレスは思った。例えば歴代最強と名高い魔王ベルセルク=フォン=タッカートが妻を失った時に、我を失って世界全てを妻の手向けにしようと考えたとしよう。

 無理だ。そんな事になったらいがみ合っていた魔界の全魔族が力をあわせる事になる――魔王の王座には興味はないが強力極まりない魔族などいくらでもいる。いくら魔王が強くても、その魔力が魔界丸ごと合わせたのより上回る事はない。


 しかし、普段は畑を耕したり荷物運びになったりしているのを見ると忘れがちになるが――レギオンは三柱王(トライゴン)の一部だ。ジョルジュの言葉を信じるなら、時間さえあればいくらでも増やせるだろう。

 一人の魔王は全ての魔族に勝てない――では同数以上の魔王ならば?



 それは伝承にある、最終戦争(ハルマゲドン)における終末の軍勢だ。



 安心させるようにジョルジュは妻の肩を抱く。


「大丈夫だ、それはないと思うよ。彼女と勇者はむしろ逆を望んでいる。しかし例えばマジックマスターが人族のために残した勇者とエルフが、数千年の時でゆるやかに腐敗して行ったように、意図したものと違う結果が出るかもしれない――世界を正しく導いて行くつもりが、全くの反対側に行くかもしれない」

「姫様もそうだと?」


 甘えるような口調。話に聞き入りながらも無意識でこちらの体を撫でているフィレスを、青年はあえて見ぬフリをした。後顧の憂いは絶たねばならないのだ。


「戦いの帰趨が予想とは遥か遠くに行ってしまうのと同じように、世の中に間違いのない完璧な者など存在しないよ――魔王でも、勇者でもだ。それに長く仕えているとわかるが、彼女の本質はその閃きだ。誰も思いつかなかった概念を、ふとした拍子で口に出して力にしてしまう――まるで何かの神託を受け取っているだけかのように。その割に出来上がった力の使い方については、また別の閃きでハッとさせられる事があれば、時には何も浮かばなかったかのように、こちらに丸投げしてくる事がある」


 この場にベリルがいれば戦慄していたかもしれない。

 いや、そりゃあんた、まるでピンクの砂糖漬けになったようなこの空間に放り込まれたら、四つん這いになって逃げ出すわな――と言いたい所だろうが、そうではない。

 かつて軽く畳んでやった天狗の青年が、今垣間見せた観察眼と知性にである。

 異世界の知識という名の閃き。概念という名の導き。ジョルジュの言葉はこれ以上ない鋭さで闇の巫女の本質を言い当てていた――元々その素質があったとは言え、彼もまた、ベリルに付き合っている内に、本来あるべき運命と能力より大きく逸脱した一人なのだ。


「だから怖いのだろうかもしれないね――自分でも出来上がる力の大きさを予測できないのかもしれない。その正確な使い方がわからないのかもしれない。あるいは――その閃きですら手に負えない事態が発生する事を閃いているのかもしれない」

「それがあの勇者に執着するのと関係があるのでしょうか?」

「わからない――が、推測はできる。ベリル様の話からわかるが、ヴォルグ=ブラウンは、良くも悪くも彼女の方向性を決定づけた人物だ。彼女は勇者からそれを気付かされた。しかし彼はそうではない、ヴォルグ=ブラウン個人としてそれを創造したのだろう。あの環境だ――少なくとも誰かからの受け売りや刷り込みではないだろう。ベリル様が勇者に求めるものの正体は、それと関係があるのかもしれない」


 かつて自分をぶっ飛ばした相手を語っているのに、天狗の青年は淡々と話していた。彼の主と違い、既に眼中にはないとでも言わんばかりに。そして実際の所、彼にとって、勇者はともかく、ヴォルグ=ブラウンという存在はもはや敵として映っていなかったのだ。


「ジョルジュ……」


 フィレスの呟きに、ジョルジュはその時が来たと悟った。

 寄りかかるような愛妻は、媚びているような怒っているような表情。吐息は荒い。自らの体を丹念に撫でまわしていた手はブラウスのボタンを半分くらいにまで解いて谷間を見せていた、華奢な体とは打って変わって意外にもボリュームのあるそれはまだ辛うじてブラジャーが引っかかっているのだが、先端が硬くとんがっているのは隠しようもない事実。

 第三者が見てても誤解のしようがないくらいに、360度どこから見ても脳みその皺からパンツの裏側まで完全に出来上がっていたのである。


 時は来たり――後顧の憂いを断つべきと考えていたのは、何も青年だけではないのだ。

 ジョルジュは大きく指を鳴らした。途端に真っ黒になるガラス窓と最低限になる照明。開放的な気分にもなるのもいいだろうが、シチュエーション(状況)には然るべき環境があるのは兵法の基本である。当て字がなんか違う気もするが間違ってはいないだろう。

 泣き声とも甘え声ともつかない悲鳴は、お互いの理性を突き崩す最後の藁束だった。


「例え姫様でも――これ以上、他の女の事を考えないでください…………!」


 堪らずと言った感じでフィレスは想い人に唇を押し付けた。茹で上がって仕上がった肌が余す所なく密着し、もつれ合って柔らかいベッドに沈み込む。

 あー、ご苦労様。では存分に汁にまみれるといい。


 眺めていたいのは山々だが、生憎とボクシングの世界ランキング戦より多いであろう二人のラウンド数を書いて行くとスペースがいくらあっても足りない。何よりこれ以上描写するとエロ本を持っていた彼氏を問い詰める無理解な女と同類の人間により、寄ってたかってどこかの夜で行で曲な所に強制連行されそうなので残念ながら場面を変えよう。

 やおい本を持った彼女を問い詰める彼氏? ああそれでもいいや。


 ただし、イケメンに限る。


    ※


 朝、シフォンが起きると勇者がいなくなっていた。


 もう戻って来ないつもりなのがわかったのは、彼が何もかも持って行ったからではない――その逆だったからだ。


 一ヶ月ぐらい使っていた宿屋の部屋は、不気味なくらいに片付いていた。格式を重んじる騎士をしてこれはちょっと……と思わせるような金ピカ鎧と実用性がないように見せかけた紋章の剣が床に並べられている。箪笥の中には町のどこでも買えるような服が皺一つなく綺麗に掛けられていた。

 何時見ても綺麗にセットされたままのベッドの上には、有り金の詰まった財布。開いてみると勇者という華々しい称号に対してむしろ同情を覚えるような、粗末なコインが何枚と札が一枚の組み合わせ。


 何もかもあるのに、空恐ろしいほどに住んでいた者の匂いだけがなかった。残された鎧と剣で勇者がいたという事がわかっても、それがヴォルグ=ブラウンという個人と、どうしてもつながらないのだ。


 シフォンは部屋の中を見回す。

 小さな机の上には、羊皮紙ではない植物性の手紙――レメトゲンの城下町で売っているものだ。それで書いたと思わしき羽根ペンは綺麗に拭われてインク瓶と共に整列している。

 手紙を開く。案の定、今後の行動を指示する無機質な文面が目に入る。



 騎士の王の目には、それは当代勇者が亡くなった時の後始末に見えた。



 覚悟はできていた。

 騎士の王だと世間では囃しつけられているが――世界を左右するような事態の前では、所詮無力な一人の人族にすぎない。世間では囚われているはずの養女と、魔道具で定期的に連絡をしているセルビアの妻の方がまだしも役に立つだろう。

 今や事実上の魔王となった養女のやっている事に誘われもした。それを全てが終わった後にと条件を付けて断ったのは――人の王の唯一の友として、彼に最後まで付き合うと決めたからだ。


 最後までずっと一人では、あまりにも救われないから。


 しかし無力な騎士の王は、勇者を孤独なままにさせない事にしかできなかった。



 結局勇者は、一人で行ってしまった。



「今生の別れになるかもしれないな……」


 シフォンは呟く。無力な人族である自分は、所詮勇者の戦いについていけないのだ。

 そして今も昔も、勇者が戦いに赴く先など決まっている。



 魔王に囚われた姫を救いに、勇者は今や新しい魔王城と化した塔の頂上へと挑みに行ったのだ。



 その日を境に、勇者は城下町から消えた。

 町から逃げ出したのだと笑う者がいたが、無様に逃げ出したエルフのような姿を見たような者は一人もいなかった。

 塔に挑んでいるのだ、と主張する者がいた。しかしレメゲトンの最前線を行く眠れぬ魔族が攻略階数を更新し続けていても、そこにいたフロアとモンスターと魔道具には、誰かが戦ったり手を付けられたという形跡が一切なかった。


 以降、勇者ヴォルグの行方は、杳として知れない。

次回、勇者最後の戦い。


『小さなりんご』

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