高度2000メートルの死闘
タイトルだけアメコミ風
人界と魔界の境目。昼間は雲が、夜には濃い闇素が充満する空間の向こう。そこにあるレメトゲンの頂上を知りたいと思った者は多い。
意外かもしれないが、単純に両の翼で飛ぶ魔族はこの世にいない――魔物でさえそうだ。闇素の中を泳ぐシャドウサーバントなどはその代表格で、飛べる魔族の代表格である天狗族でさえも無意識化に闇素を魔力で強力な豪風に変化させて宙に浮いているのだ。
とどのつまり、人界と魔界にあるレメゲトンの頂上まで飛べる魔族はいないし、魔物に乗るのも無理だという事になる。かと言って闇素に頼らない獣を探そうと思っても、人界の生き物で人を載せて飛べるような鳥はいない。
では塔の壁を登ってみるのはどうだろうか。魔族の頑強な肉体ならばそれも可能かもしれない。魔法を駆使すればもっと簡単だ。
試した奴が、控えめに言って見事なトマトの卵炒めになっているのが発見された後、後を継ぐ度胸のある奴は今の所出現していない。
ネタばらしをしよう。レメゲトンが人界と魔界の境にあるのは、凄まじい勢いで流れる闇素から生まれる魔力を取り込むためだ。大自然の偉大を貪欲に取り込む魔法の塔の前では、一人の魔族や人族など蒼海の一粟にすぎない。強大な魔族ならばその命を食わせながら塔を登って雲の上にあるものを拝む事も可能だろう。しかしそこに入り口があると考える阿呆などどこにもいないし、実際にあるテラスを見つけた奴は次の瞬間には力尽きて墜落するか、そこに陣取った怒れる三柱王の手でやはり墜落した場合と同じ末路を辿る事になる。えっちらおっちらと塔の中でスケルトンやら時折気合が入りすぎたのが混じってるリビングアーマーやらゾンビ化した冒険者やらゴーレムやらを相手にしている方がマシなのは自明の理であろう。
塔の頂上に住んでいるお姫様と愉快な仲間達の存在を知っていれば、彼らの生活に必要な物に着眼して地上の搬入口を探ったかもしれない――しかし一般的な認識では、塔の上にいるのはあくまで正体不明の魔王と、ウヒヒでゲヘヘな目に遭ってるであろうお姫様なのである。お姫様は食べる必要があるだろうという辺りはまあ、エロゲのヒロインの主食が白い液体なのと同じ発想だろう。
しかも実のところ、業者が出入りする搬入口なんてものはどこにもないのだ。
地上には。
では人と物はどこから出入りしているのだろうか。
※
ベリルはテラスの上に立っていた。
背後に控えているのは先日美形男をぶっ飛ばした鎧の騎士に、モノクルの執事姿も見慣れた二足歩行するアルケニー。
これは設計したどこぞのパパンの意匠だろうが、テラスの上ではギリシャっぽい柱がまるで神殿のように一定間隔で立っていた。曇り一つなく磨きあげた大理石の床はワックスをかければとても凶悪なブービートラップになる。そんな設計の理由は、娘がそこにいると絵になるだろうという、あまりにも見上げた親ばかっぷりだが、本当に絵になるのだからしょうがない。突風もありうる高度で危ねえなおいと言いたい所だろうが、そこは大魔導師脅威の技術力である。テラスからは見えない塔の壁の下には魔導式が掘り込まれており、高度二千メートル以上のバンジージャンプを防いでいる。
テラスの縁から内側に伸びるような影がテラスを覆った。下からせり上がるようにテラスの横に接舷したのはロック鳥の卵を横に寝かせた形の空飛ぶ物体だった。卵の下には四角い箱がコバンザメのようにくっついている。こうして書くと地球で色々な希望と共に失墜したヒンデンブルク号みたいなのを想像する所だろうが――魔導技術をふんだんに盛り込んだ飛行船はスケールが違う、卵の縦幅だけでも冒険者がゴーレムと組んずほぐれつ出来るレメトゲンのフロアほどの大きさがある――つまり、とてつもなくでかい。可燃性の気体なんてよく考えれば発明者のクソ度胸に敬意すら払いそうになるデンジャラスな代物を使ってないのは勿論の事である。誰かに原理を聞けば例の如く訳の分からん用語がマシンガンのように降ってくる。
下からせり上がってくる様はまるでビルの屋上を覗きこむ大怪獣と行った趣だった。卵の上にドラゴンでも描けば結構絵になるかもしれない。
実を言うとこれが雲に影を作っているのは地上からでも見える。それが一向に飛行船だと連想されないのは、こんなデタラメな物がたまに空を飛んでいるとは誰も思わないからだ。目の中にゴミがあると考えた方が大半だろう。
ゴンドラの中から粛々と色々な物資を運び出してくるのはご存知レギオンのリビングアーマー達だった。こいつら、外見からして如何にも重そうだな、という先入観はいけない。中身はがらんどうだ。人間よりもよほど軽量でハイパワーな上に軽量な辺りは、階段でコケるようなクソ重たい人型ロボットを作ってる地球の技術者が憤死できるくらいのビックリテクノロジーである。ただし、数少ない問題としては使い魔用のネットワークがうるさい。握手をできるだけが売りのアイドルグループを見たファンみたいな歓声が静かなテラスの裏で響き渡っている。気持ちはわかる――わかるのだが、硬派で売っている会員1号の心中や如何に。
無論のこと、棒読みな歌が詰まったCDを百枚以上も一人に売りつけるようなえげつない理由で、魔族のお姫様がテラスで待っている訳はない。目当てはゴンドラの中から出てきた、羽を背中で畳んだ二人組だ。
あまりにも久々の登場なので忘れている人がいるだろうと思って一応説明しておくが、逆玉を狙って魔王城に乗り込んできたちょっとワイルドで紳士的な天狗の好青年と、そいつを畳むためにベリルが利用した幼馴染である。こう書くとお互い非常にアレだが本人達は幸せそうなので問題ない。勝てばよかろうなのだ。
「ベリル!」
「フィレス」
おおうっ。天狗族の少女の突進をベリルは辛うじて受け止める――どんなに華奢に見えても魔族だ、おばあさまの言いつけ通りに鍛えてなかったら後ろにコケてたかもしれない。かつてもふもふを連れてきた彼女との初対面から実に五年。今となってはモデル体型プラスアルファなベリルの方が頭二つ分は高いので、少女の頭がアルファたる胸に軽く埋まる。ちなみにその巨大になったもふもふとやらはレメトゲンの敷地が狭すぎるので、城下町で鑑定屋のドンと化した双子の幼女と暢気に暮らしている。猫ではなく狼なのだ。アップダウンに富む空間はあまり好きじゃないのである。
フィレスの柔らかい髪をベリルは撫でる。妹がいるのならこんな感じなのかもしれない。
「久しぶり、元気にしてた?」
「はい」
ベリルにとってお互い様に敬語も抜きという存在は非常に珍しい。五年という長い付き合い、そしてベリルが魔王城から姿を消してまた戻ってきた再会劇が二人の間にある壁を取っ払っているのだ。
あー、なんかすっげえいい匂い――多分香水ではないだろう。元男としてこれには心当たりがある。彼女と付き合ったばかりの頃、一緒の布団で嗅いだ淫靡ではない匂い。ただし元青年に対しての好意の証は、何時しか消えてしまったのだが。
意地悪そうに囁いてやる。
「元気なのはフィレスだけじゃなかったようね」
「うっ……」
フィレスは耳の先まで真っ赤になる。照れ隠しをするように羽根を開閉していた。自分より経験豊富な――ていうか魔界では結婚式があまり一般的ではないので、既に人妻である友人のこの初々しさはなんだろう。新鮮か、新鮮なのか。今や遠い過去となった地球の彼女との間に欠けていたものをベリルは開眼した気分だった。
そしてこのようなやりとりもお手の物になった我が身を鑑みる。思えば遠くに来たものだ。
その友人の元気なつがいは、知らぬが仏と言わんばかりに微笑ましく二人を見守っている。下手すると結婚させられる羽目に陥っていた身とすれば、あー、その、実にこう、円満そうで何より。
おくびにも出さないのが大人というものなのだろう、多分。
「ジョルジュ様もお久しぶりです」
「お久しぶりです、ベリル様」
天狗の青年は臣下の礼を取った――お固いやっちゃなあと思うだろうが、彼もまたおばあさまのように、ベリルが事実上の魔王である事を知っている。世界のトップシークレットとも言えるレメゲトンの頂上に立ち入りを許されているからもわかる通り、彼は在りし日にお姫様だっこをしたベリルに忠誠を誓っているのである。
久々となれば積もる話もある。
雲が充満した空を一望できる食堂の中。片手にはグォルンの作ったケーキとお茶。話題は唯一とも言える友人の赤裸々な夜どころではない生活。
なんでだ。
フィレス無双である。両目と口をハニワのようにしながら、ベリルは相槌を打つ事しかできなかった。羽根が痛いのでほぐれて激しくなる四発目以降は座って抱き合ったり背中や横からだったりとかどんな絶倫だ、と思ってたら一晩に十発以上は当たり前らしい。しかも毎日。汁描写で売ってるエロゲかよ――自らを二千メートル上の棚に上げてベリルは心のなかでツッコむ。
魔族の体力はあっち方面でも遺憾なく発揮されているらしい――命中率が低いのも頷ける、さもなければ今頃は魔界が魔族でパンクして世界大戦になっているに違いない。
何がとは言わないが、回数が多いと量が増える事はあれ減る事はない。拭いても拭いても垂れて大変だとか、それを見た野郎がハッスルしてまっ昼間に詰め直す話が生々しいやら。幸せそうやら。元男としてああそれはエロそうだよなとうなずけるやら。
たった今、少しだけ指で拭ったのを舐めるのがコツだと清純そのものの笑顔で言い放ちやがった。
悪魔か、この女は。
二人の給仕をしているシラは、平然とそれを聞き流していた。挙句にベリルが救いの目を向けると何か疑問でも? みたいな視線を返してくる。よく考えるとこの二人はたのしい性教育の教師と同級生だったという事実をベリルは今更ながらに思い出す。恐るべきは魔界の貴婦人である。
お嫁にならなくてよかった。ベリルは心底からそう思った。
ジョルジュが早々に這々の体で逃げ出したのでまあ、こんな感じなのである。まるでえげつない商法で有名なアイドルグループの元メンバーがAV撮ってたと知ったような気分。かつて小さい魔狼を抱いて一人魔王城に乗り込んできたあなどけない少女は、もはや遠い日の幻だった。
それでも彼女は友人で、自分の話題になるよりは楽しかった。
恐るべきエロトークが一段落ちした後――聞かずにおれなかったのだろう。フィレスはおずおずと切り出した。
「ベリルは……これからどうするつもりなの?」
世界征服。
なんて言える訳がない。
青狸ができそうな世界を作る。
なんて言える訳がない。
だからベリルの返答は無難なものにならざるを得なかった。
「えーと、とりあえず魔道具を人界に普及させて「そういう事を聞いているのではありません」
ベリルとしてはクリアランスAのトップシークレットを何気なく口にしたつもりだったが、まるで寿司屋に言ったらカレーが出てきたかのようにピシャリとフィレスは言い放つ。赤点のテスト用紙を発見したお母さんのような、いかなる言い訳も聞き耳持たぬという態度だった。紅茶を注ぎながら、何故かシラがさもなりあんと頷いている。
「あのロクでもない勇者の事よ、ベリルはどうするつもりなの?」
易者身の上知らず。医者の不摂生。
あるいは目の前にいる幼妻の生々しいエロトークは、俺が話したからお前もお互い様という事なのかもしれない。
ベリルは驚かなかった。むしろ遂に来るべき時が来た、とでも言うかのように、人界に出来たもう一つの実家から送られてきた紅茶で舌を湿らせる。
楽しいだけの話題など、浅はかな付き合いでもできるのだ。