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一寸の蟲にも五分の魂

 浮遊魔法は飛行魔法ではない。それが意味する所は浮遊魔法のベクトルが真上のみに限定され、横への加速がかからないという事だ。それは現在でも人間と飛行する生き物を隔てる決定的な差でもある。空間に闇素がほとんど存在しない人界では殊更にそうだ――魔界の天狗やシャドウサーバントのように闇素の中を泳ぐという技術も器官が必要なかった故に、強大で多彩な魔法を操るエルフは、唯一つこの飛行魔法だけを苦手としていた。


 一番頂上に行かなかったのは適当に当たりを付けて浮遊した結果、丁度位置が合致したのが180階の転送エリア口だからである。そこを強引にこじ開けて快進撃を続けた果ての184階で足を止め、エルフは転送エリアでフローターを待っていた。

 上に行くにしろ下に行くにしろ、端末付きのプレートはとりあえず一階の死体置き場(プレートフロア)に降りた後に、改めて出口か別のフロアに冒険者を誘う。無論エルフにそんなつもりはない。登ってきたフローターを足場にして上空へと浮き上がり、もっと上のフロアに進むつもりだった。


 強引にこじ開ける必要のある外側からと違い、内側から出る者に対してフロアの結界は素直だった。吹き抜けを見上げるエルフの口端が吊り上がる。楽しい、実に楽しい。塔の中に配置されている無数の使い魔はエルフほどの強大な種族にとって脅威にならないくだらない代物だったが、それらをまとめてぶち壊す事は未知のカタルシスに満ちていた。

 モンスターが守るように遮っていた背後にはアオリたっぷりの台座に載っかったお宝そのものの魔道具だった。その中のいくつかは魔導式にも精通するエルフをして瞠目させるもので、エルフのお眼鏡に叶ったそれらは、彼が背負った小さな背囊の中に収まっている。


 ベリルの言葉を借りれば、エルフはレメゲトンというダンジョンを攻略するゲームにハマっていた。しかしそこには一つの余分な要素が混ざっていた。


 わかりやすく言うとインチキ。地球の用語で言えばチート。


 そのハマり方は初っ端からレベルを99にしたりキャラを無敵にしたりして無人の野を進むような瞬間的なものだった。一人プレイ用のゲームならそれでもいい。しかし今でもエルフの足元では数多の冒険者が上を目指して奮闘しており、エルフとは無縁の希望と絶望を体感し、架空のゲームでは決して味わえない生と死の渦の中にいるのだ。


 エルフはほくそ笑む。

 くだらなかった。人族も魔族も。勇者も魔王も。


 当代の勇者は、臆病風に吹かれて塔の中に入ろうともしなかった。何のためにその体を作り変えてやったと思っているのだ。その勇者の足元にも及ばない騎士の王とやらは、今しがた自分が瓦礫の山にしてやったゴーレム達の前に為す術もないだろう――ただの使い魔の前でそんな体たらくだから、興の削がれた魔王に見逃してもらったのを、魔王と戦って生きて帰ったと恥知らずにも吹聴できるのだ。

 魔王が渾身の魔力を絞り上げて作り上げただろう塔はエルフの前では数時間足らずの間に半分近くまで陥落し、その気になれば今日中にデウス・エクス・マキナと称する魔族の仮面を剥ぎ取る事も簡単だろう。


 人界の深き森の中に住んでいる限り、決して味わえないかつて無いほどの万能感――それを勇者と魔王は独占していたのだ。知らなかったとは言え勿体無い、実に勿体ない。

 これか、とエルフは思った。塔の頂上に待つのは天下無敵の快感。それを求めて塵芥共は必死にレメトゲンを登るのだ。そして奴等が必死に手を伸ばしても届かない物に今自分は王手をかけている。


 エルフは酔っていた。

 だから足元から登ってきたフローターに足をかけた直後。思いがけず軽い音と共に杖が両断され、転送エリアの出口から防壁(プロテクション)ごと内側にふっ飛ばされた時も、何が起こったのかエルフには一瞬理解できなかった。


     ※


 汎人族国家教導騎士団(アゴ野郎)は人界の中で、唯一魔族に抗しうる実戦派と言われている。

 魔族のような魔力で強化された肉体も、自然現象と見紛うような魔法も、勇者のような魔道具や魔導式も持たない。ただの人族の集まりである彼らの戦術は、千年以上を誇る歴史とは裏腹にとてもシンプルなものだった。

 勇猛果敢かつ静かな戦馬に跨がる。長大な超重量武器を構える。不意を突く。そして強力な防壁を張られる前にぶち抜く。

 騎士と言えば剣を連想されがちだが、当初から主流の武器はランスやハルバードだ。その中でも戦う時はずっと抜きっぱなしの長大な騎馬剣を持ったその騎士は、少数派に属しながらも正確に数多の魔族の首を斬り飛ばし、ついには魔王城の王座の前で生涯を終えた。


 そこから数百年。


 剣に生きて剣に死んだ騎士は、



 密集した魔力で構成された戦場。


『接敵。敵性個体一。カテゴリSに相当する魔力内包種族。アルファ1と定義』


 魔導コンピューターの声なき声がネットワークに響いた。まるで血糊を振り払うように剣を軽く回した滅びの鎧は、インビジブル(隠密魔法)を解き、こっそり降りてきたプレートから184階のフロアに踏み込む。


『攻勢魔法を確認。アルファ1。データバンクに該当魔法あり。該当数3。カテゴリA04。カテゴリB65。カテゴリB78。共通パターンの照合完了。攻勢魔法ヘルファイアと推測。魔力濃度104324マナ。脅威度B。対応パターン00324においての軽減化を推奨』


 ランスロットの目を通して見たそれは、お姫様がマーリン(魔法使い)と名付けた、どこかにある魔導コンピューターに伝わって攻撃の正体を弾き出す。万に刻まれた秒の世界では、瞬間や緩慢という概念はもはや意味を持たない。マーリン(魔法使い)の前では魔力と構成はどこまで行ってもただの魔力と構成で、ただ適切な位置に適切な軌道と速度で割り込めばよかった。

 軽く回した剣が、舐めるように襲いかかってきた炎を掻き消す。


『ヘルファイアの分解を確認。残留魔力1456マナ。脅威度C。防御行動の放棄を推奨』


 報告を聞くまでもない。剣の一振りで地獄の業火を散らし、空間に残った炎の残滓を潜り抜けたランスロットは、エルフが目を見開いているのを確認する。

 エルフが呟いた。


 ――三柱王(トライゴン)か。


 ランスロットはそれを聞き逃さない。


 視界の中で立ち直ったエルフが、今しがた破壊した魔道具の代わりに素手で魔法の構成を始めた。賢明な判断だ、塔の中で手に入れた魔道具を使おうとしていない。しかしそれでもまだ甘いと言わざるを得ない。


『該当数1。カテゴリF01。攻勢魔法アイスコフィンと確認。魔力濃度543235マナ。脅威度A。対応パターン05573においての無力化が可能』


 かつて勇者が放った魔法を上回るそれは、フロアを氷で構成された世界に変えた――視界中を埋め尽くさんばかりの氷の中に、ランスロットは剣を突き立てる。


 我が全ては、麗しき主君のために。

 騎士剣の面影はもはや刻まれた銘にしか残っていない。無数の魔導式が過密に刻まれた長大な剣身は、ある意味では勇者の紋章の剣にも似ていた。しかしその効果も使い方も全くの別物である。ランスロットは人間の関節では真似できない角度で剣を旋回させながら、剣を意識でトリガーする――魔法とは、魔力で闇素を操る事で発現する現象だ。剣を軽く捻ったような動きはその実マーリンによって精密に計算された魔法への干渉動作で、トリガーに応じて剣に刻まれた魔導式が形を変え、魔力の連鎖反応を起こした。


 かつて八つ裂きの魔王を一時でも拘束した氷の棺が方向性のない闇素と化し、次々と霧散して行く。闇がまとわりついたような、セイブザクイーンでいてセイブザクイーンではない剣を、ランスロットは更に軽く一振りする。辺り一面に散った闇素の向こうで、エルフが呆然としているのが見えた。な、とか、え、みたいな声が大開きになった口から漏れている。しかし滅びの鎧が重そうな外見に反する速度と相応の勢いで間合いを詰めると、エルフは慌てた動きで次の魔法の詠唱に入る。


『警告、脅威度Aに相当する闇素の集積を確認』


 マーリンの警告。セイブザクイーンを横に大きく振りかぶるまでの僅かの間、滅びの鎧の中で、閃くのは一つの言葉だった。


 ――このままでいいのか?



 意思ある使い魔は眠らない。意思ある使い魔は飽きない。億と兆と積まれた果てしないシミュレーションは終わりなく延々と続く。無数の模擬戦の一つの後、刹那の休止の間にネットワーク内でレギオンの一体から挙がった疑問の声を、三柱王(トライゴン)の誰もが咎める事はなかった。


 ある日ネットワークに参入し、まるで他の者と世界を闇素という単純な単位まで分解してしまうようなマーリンという名の魔導コンピューター。1を積み上げるのではなく魔力の桁を右から増やして行くような、常識外れの技術。

 元が意志を持った武器であり、技術のシミュレーションを行った結果がわかっているだけに尚更それらにビビったのだろう。その声は火を放った枯れ野原のようにたちまち全てのレギオンで討論される事となった。しかし主への疑いの声は反逆の前兆ではない、次のステップに進むための正当な反応だ。


 数十年しか生きてない元人族や、たかだか生まれて数百年の魔剣より年季の入った輩などゴロゴロいるが、使い魔としては二人より時と経験を積み重ねたリビングアーマーがいないのも確かだ――レギオンより上位に位置する滅びの鎧や獣の鎧は、既にそれぞれの答えを弾き出してはいる。しかしだからと言って使い魔としてまだ若いレギオンの声を抑えるほど無理解ではない。


 お姫様と二人三脚の元凶であるリッチにお伺いを立てるのは時間の無駄。楽しければいいという開き直った獣の鎧の意見にも納得できないペーペー共は、無言で淡々とシュミレーションを積み重ねていったランスロットに意見を聞くハメになったのだ。


 騎士の答えは簡潔だった。



 ただの剣でいい。



 そして使い捨ての髑髏の騎士として、姫君を幼い頃から守った騎士の答えは元魔剣達の意識に染み込み、ある種の鎮静剤のような効果をもたらした。

 滅びの鎧が元々人族だと指摘する者は誰もいなかった――元魔剣達は知っているのだ。


 生まれた頃から剣を与えられた。剣と共に育ち、剣と共に生涯を終えた。生まれ変わった先でもやはり剣を握り、いなくなった主の命を意地でも守り抜いた力。


 力には理由が必要だった。理由のない力はどこまで行ってもただの力だ。何の意味も持たない、何ももたらさない。それを踏まえ、もはや世界の頂点に立つ主を力の理由として戴くのに文句の出ようもない、とレギオン達は解釈したらしい。


 その解釈は恐らく正しい。


 しかし姫君の剣(ランスロット)も――恐らくは隻眼の魔剣(ソウルイーター)も、その先の事を言わなかった。


 それはつまり、レギオン達にとっては一つの偶像である主も、レギオン達と同じという事実だ。


 今、彼女はかつてのリビングアーマー達のように、力の理由を求めている。理由を求めながらもそれを誰にも理解されず、果てには求めているものにすらその証明を求められ、求めるものを失うかもしれない不安に苛まられながらも一世一代の大博打をかましているのだ。


 成長し、泣き、笑い、恋をし、苦しみ、ひょっとすると自分が朽ち果てるより先に死んで行くかもしれない彼女はもう一人の自分だ。自分の事を疑いこそあれ、裏切る者などどこにもいない。

 だから髑髏の騎士(スケルトンナイト)は、姫を守る、一本の剣で良かった。


 ただの剣にも(一寸の虫にも)魂は宿る(五分の魂)のだから。


 鳴り響く警告音。瞬間の記憶から戦場へと、ランスロットは意識を引き戻す。


『攻勢魔法を確認。データベースに該当なし。ワールドデストラクションに類する個体魔法(ユニークスキル)と推測。魔力濃度4637453マナ』


 余裕の表情をかなぐり捨てたエルフが意味のない奇声と共に、フロアを丸々ふっ飛ばしかねない渾身の魔法を練り上げる。緩やかな風が帯電する。空間が悲鳴を上げ始めた。歴代最強の魔王をも打ち倒した勇者の魂の悲鳴(ユニークスキル)に勝るとも劣らない魔力が込められている事をマーリン(魔法使い)が警告する。


 しかしそこには、理由(意味)がない。

 理由のない力に、姫君の剣は負ける訳には行かなかった。


 名も知らぬ人界の魔王が魔力で組み上げた災厄が顕在化するその直前――ランスロットは変わり果てたセイブザクイーンを握り締め、生涯を踏み超えた先での、最速の横薙ぎを放った。

スカウターの偉大さを思い知りました

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