変わり果てた世界の中から
地球の21世紀初において、世界最高の高層ビルは六百メートルである。
おっと、二百メートル足りないぞてめえというツッコミは待って欲しい。そもそもが世界最高といういずれは更新されるという称号のために、人の詰まってない尖塔で水増ししたのを実際の高さと考えていいのだろうか。無駄に多い160階が世界一高い幽霊屋敷と揶揄されているのも置いといておこう。
んでもって勇者達にすらヤラセというのがバレバレの、囚われのお姫様がいるというレメゲトンは、絵画の中のバベルの塔よろしく雲の中に天辺を突っ込ませている。雲というのは低いようでいて高い。その高さは最低でもおよそ2000メートル、頂上は10000メートルを超える――水増し分を加えた分を倍にしても、地球の超高層ビルの尖塔は雲にすら触れられないのだ。
雲の上は寒い。頂上近くにあるテラスでは、水が凍りつくほどでもないが、吐いた息が霧になる。それでも風はさほど強くない。10000メートル以上の高さがあるにも関わらず、厚手でもないドレスの上にカーディガンを羽織るくらいで済んでいるのは、魔界から流れこんでくる闇素が環境を安定させているからだ。
原理は解明中だがバイアンと愉快な弟子達が言うには流動する闇素が魔力を生み、それが一種の魔法として作動している可能性があるという。ビバ、大自然の神秘は異世界でも例外ではないという事である。
質量とエネルギーの等価ならぬ闇素と魔力の等価みたいなのをベリルは連想したが、それを口に出した時には理論はこっそりと証明の域を超えて実用化に足を踏み入れていた、というのが如何にもこのリッチらしい。さもなければこんなデタラメな高さの塔、歴代の魔王が総出で魔力を枯らして建てる事はできても、維持する事は不可能だろう。あのチートジジイ、ひょっとして空っぽなしゃれこうべの中にアインシュタインでも降ろしているのかもしれない。
魔界と人界の境目を、ベリルは密かにギアガの大穴と呼んでいる――この世界で意味のわかる者などいないので言葉には出さない。頭上では人界の太陽が白と灰のツートンカラーを黄色に染めていた。勇者との愛憎入り交じった在りし日々、地上でベリルを散々苦しめた太陽も標高一万メートル以上の世界では可愛いものだ。太陽の光で雲の下に追いやられた闇素の密度は、肉眼で認識できないほど薄く、目が届く範囲内で生きるものの姿は皆無だった。
異世界で生を受けて十七年目――紫色の瞳に映る光景は、ついに地球のそれを超えた。
そこにある種の感慨がないと言えば嘘になる。おもらしを魔力に転換する日々が懐かしいとすら思えるのは、それが過去の物になったという事実の裏返しだ。かつての八つ裂き魔王くらいのデタラメな出力があるのならともかく――いや、それももはや個人としての能力として限界を迎えつつあった。
地球としても異世界としてもオーバーテクノロジーもいい所だが、それはベリル=メル=タッカートの身辺に限った事だった。地上では相変わらず剣と魔法の時代が横行している。魔族は魔法で我が世の春を謳歌し、人族は勇者の一族がひた隠しにしてきた魔道具を得てようやく世界という舞台に上がり込みつつある。
「お嬢様、お目当ての方々が塔の中に入られたようです」
背後からかけられた声に、ベリルは振り返る。
すぐ後ろに控えてきた滅びの鎧の向こうには、テラスの出入口が見える。全てが非現実的な光景の中、幼い頃から親しんできたアルケニーは姿を変えていてもシラのままだ。ひょっとしてだが、地球の遠い未来でも、いずれは未来的な建築とクラシックな人間の取り合わせが流行っていたのかもしれない。
世界は一体どうなって行くのだろうか。
それはある意味では全ての元凶であるベリルにすらもはや想像が付かなかった。
それでも、責任は取る必要があったのだ。
姫がテラスから室内に入った後も、彼女の騎士はそこに佇んでいた。
※
地球最高の建築物の二十倍近くの高さがあるレメゲトンは、フロアに換算すると2000階近くになる。登るどころか説明するだけで力が尽きそうな数のそれは、究極的に言えばお姫様が仕掛けたやらせである。
塔の頂上に待つのはかつてない希望である。金、権力、女。それらを求めてレメゲトンにやってきた冒険者の最初の試練はモンスターですらない――見上げても一番頂上の見えない、吹き抜けになった一階には無数のフローターが配置されている。そこに積み重なる死体にもめげず、外壁をグルリと回るようなフロアに登り続ける者達の頭上にのみ、富と栄光は輝く。しかしいかなる高さから墜落したのか、原型を留めてすらいないのが大半である落下死体達は、塔の上で待ち受ける苦難と裏切りを物語っていると言える。
しかしここだけの話ではあるが、死体の全てはフローターの上から仲間に落とされた結果である事が判明してる。悪意と欲望の前では飾りに過ぎない手すりがついたフローターの上には端末があり、フロアメモリーという魔道具の魔導回路が合った事を条件に、冒険者をお望みのフロアまで運ぶのだ。
まるでゲームのようだ、と知る者は言うかもしれない。
その通りである。ダンジョンに配置されたモンスターは逃げれば追いかけてこない。フロアは階数に応じた強力な魔道具が設置されている。途中で退出可能なギミックすらある――元青年は、正に地球にあるゲームとほぼ符号するようにレメトゲンを設計していたのである。
今のベリルは死者が出る事について考えるのを止めている。どの道何をしても犠牲は出るのだという現実。少なくとも覚悟のある者が結果として死に導かれる慰め。そして今まで自分だけが手を汚さずにいるという葛藤。生と死、欲望と希望が入り交じる塔の頂上、そこにあるコントロールセンターにベリルは足を踏み入れる。
そこはまるで地球の大学にある教室のように、一番下段に向けて多段になった階段状の部屋だった。中心にある昆虫の複眼の如き魔導プロジェクターの集合体は現在沈黙している。階段の途中で蠢いているセンターの構成員は人間が2で、それ以外が8と言った所。人間は全てがベリルほどの年にも満たない人族の少年少女達で、一番上段の扉から入場したお姫様にチラチラと視線を送っていた。それ以外は反応すらない――それもそのはず、反応のないそいつらはセンターという呼び名にそぐわないスケルトンの群だった。
それだけならどこかのSF舞台に迷い込んだのかと思う所だが――作り手のセンスを反映したのか、所々に細かい装飾が入っていたり、色調や採光が暗めな部屋は真ん中辺りに浮かんでいる黒いボロ切れ姿も相まって絶妙なくらいにファンタジーだった。それがこの場にいない誰の仕事なのかは今更言うまでもない。
気付いてはいたのだろう。こいつだけは何年経っても変わらないだろうというリッチは、横にある豪華な椅子にベリルが腰かけるのを待ってから挨拶した。
『ベリル様、ご機嫌麗しゅう』
「バイアン様、どうなっていますか?」
『はい、ではモニターに出すとしましょう』
パチンと骨だけの指を鳴らしたリッチの前に、四角い半透明のウィンドウが空中に現れた。動力は魔力、原理は魔導式――それらに目を瞑ればまるでSFのようなそれをリッチが操作すると、中央の複眼モニターが繋がって大きなそれとなり、塔のあるフロアの光景が大写しになる。
そこに現れた人物の姿を認めた直後、傍に控えていたシラは主のため息を聞いた。
残念そうな、でもどこかほっとしたような響きだった。
モニターの中ではフードを降ろした魔法使い風、女と見紛うような造形、細いシルエットにとんがった耳。
「……エルフ?」
『左様ですな』
うわー。
魔界の裏で糸を手繰っていた闇の巫女――その一員であるおばあさまが持ってきたのは手紙だけではない。勇者の裏にエルフがいるというのは聞いていた。イメージとしてはプライドは高いが物静かな一族。あとすんげー美形。
ただ、モニターの中にいるエルフは違った。
いや、基本的に美形なのは美形なのだ。女かと思う。しかし不自然なまでに目を輝かせ、不気味な微笑みを浮かべているのはエルフというよりはヴァンパイアだった。少なくともお化け屋敷で出てきたら子供は泣く。
要するに目の前のエルフは、地球のファンタジーにあるそれのイメージを完全にぶち壊しにしてくれやがったのである。
しかし挙がってきた報告は勇者の庇護者にふさわしいものだった。
「184階?」
ベリルは目を疑った。そして手を打ち合わせる。
モニターに写ったエルフは編隊を組んだミスリルゴーレムに向けてロックバーストを高速詠唱していた。ノリにノッている。そして別の言葉で言うとそいつはハマっているのだ――元青年がそっくりそのまま異世界の現実に持ち込んだ、レメトゲンを攻略するというゲームに。つまりアレな表情はネットゲームにのめり込んだゲーマーのそれと同質のものなのである。
ワーカーホリックならぬビルドホリックと化したパパンがバイアンとタッグを組んで、あげくに完成したばかりの魔導コンピューターまで駆使して設計したレメトゲンを実際に打ち立てて数ヶ月。あられもない姿を晒すなんてとんでもないという周囲の猛烈な反対を押し切ってまでヤラセの映像を作り上げた甲斐あって、続々と集まってきた人族と魔族は猛烈な勢いでレメトゲンを攻略し始めたのだ。
そう、それは正に攻略だった。
恐らく勘の良い勇者の類は気付いているだろうが――わざとらしく城下町に配置した、RPGの典型でもある武器屋に鑑定屋の類は、ほぼ全てにおいてベリルの息がかかっている。如何にも経験豊富そうなドワーフの親父や妖艶なお姉さんは雇われの見せかけで、実際に仕事しているのはベリルが提供した機材の数々だ。彼らは魔道具のメンテナンスや鑑定などのついでに、魔道具に仕込んである記録メディアからデータを抜き出して、標高二千メートルにある魔王の住処に送るのだ。
現在、最前線のフロアメモリーを保持している冒険者はこいつ何時寝てんの、ていう感じでネットゲームの廃人を彷彿とさせる魔族だ。実際に寝ない種族らしい。道理で、と思わず感心してしまった覚えがある。
しかしその最高記録は昨日の時点で163階。勇者一行が城下町に出現したという噂から僅か一日である。城下町で取引されているフロアメモリーを持ってきたとしてもエルフのペースは明らかに異常だった。
「使ってる魔法は記録していますか?」
ベリルの問いにリッチは頷く。
塔の至る所に仕込まれた魔導式が、魔法や魔道具を駆使した者を情報的に丸裸にするとわかっていれば、少なくとも攻略に躍起になっている魔族達の半数以上が足を止めるだろう。
ベリルの前にウィンドウが現れ、魔法の名前がリスト化されて表示される。かつては魔法のスペシャリストだった死体を魔王城の裏から叩き起こしたスケルトン達が、中途半端な素人であるベリルのために、寄ってたかって現在進行形で注釈を書き込んで行く。ヘルファイア。エアグラベル。サンダーストーム。アイスコフィン。どれもこれも聞き覚えのある魔法ばかり。いずれも魔力を豪勢に使うようなポピュラーな一級品だが、その構成やスケールは使い手によって個性が出る。見る者が見れば一発だ。
「お父様にリストを送ってください」
そう指示したベリルの目が、リストのある一点で止まる。
ベリルでもわかった。
防御結界。構成と魔力の量。曲面を攻撃に対して斜めに構えるような結界の形。無数の薄い防壁をクロワッサンのように重ね、絶えず張り替えるような使い方は一見脆弱だが、効率のいい絶対防御を誇る。
それは、誰かさんのに酷似していた。
かつて天狗族の青年が放った風の狙撃は、幾重もの防壁を砕きながらも遂に届かなかった。
なるほど。勇者の庇護者、という言葉をベリルは噛み締める。
新しくウィンドウが目の前で開く。ファンタジーというよりは完全にSFだ。表示されてるのはサウンドオンリーのマーク。工房で今も何かの作業をやっているお父様だった。
『娘よ、リストは見た』
「どうでしたか?」
『あのいけ好かない小僧がいないのが残念だ』
ベリルは前々代魔王の、血を分けた唯一の娘である。前代魔王が腹痛を堪えているような表情で眉間を抑えているのが目に見えるようだった。
残念。
ベリルは呟く。
確かにお父様にとってはそうだろう。
勇者を引きずり出すまでは計画通りだ。誰がヴォルグと同じ立場にいても、他に選択肢はないと思う――外向けには伴侶となっている自分があれほど煽りたっぷりの姿で衆目に晒されたたのだ、潜伏したままでは人界の勇者への信頼と地位が揺らぐ事になる。
しかし肝心な所はそこからである。
城下町とレメゲトンはイコールではない。侵入者を完全に丸裸にするトラップタワーに入り込んだ時点で、その者はベリルに生殺与奪を握られたのも同然だ。かつてベリルに世界というものを仕込んだ勇者が今モニターに写っているエルフ程度のタマだったら、
今日という日を境に、ベリルは二度とヴォルグの姿を見る事はないだろう。
そしてたった今、エルフが使った魔法のリストに新しい注釈が加えられた。
異常な攻略速度のタネ。レビテーションで180階相当の高さまで上がり、本来はフローターの端末と合致しないと開かない扉をエルフは強引に破壊した。七百メートルの高さまで安定して浮き上がる強大な魔力と緻密な構成。バイアン肝いりの結界を破壊してのける強力な魔法は、塔の中に置いてある如何なる魔道具でも不可能だった。生半可な魔族では真似すらできない、正に力技としか言えない芸当である。ゴーレム達を瓦礫の山に変え、如何にもという感じで置いてある魔道具を物色していたエルフは、再びフローターに繋がる出入口の前で何かを思案していた。味をしめたのがモニターに映る背中からもありありとわかる。
それをゲームに当て嵌めるとこうなる。
チーター。インチキ野郎。
トン、と叩く音が聞こえてきそうな仕草で、ベリルは虚空にあるウィンドウを操作した。
小さな呟きは、それでも決して聞き漏らされる事がない。
ランスロット。
ブゥン。(ガンダムのモノアイ音)
ドドドドドドドドド(JOJO風)
でんででんでんででんでれれれれーん♪(ガイナ立ち)
フィンフィンフィンフィンフィン(モーターヘッド風)
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