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勇者はお姫様を助けない

 正面にはシフォン=レア=レイバック。宿屋の部屋にあった椅子に馬乗りになり、背もたれにもたれかかるという騎士の王らしかぬ姿勢。

 ドアの前にはフードを脱いだ長身の魔法使い風。布に包まれた棒を抱えるように腕を組み、ドアにもたれかかっている。ひょろっとした一見ひ弱な痩躯だが、尖った耳と整った風貌がそれを裏切っている――つまり、こいつはそんじょそこらの人族よりは遥かに腕っ節が強い。


 魔族とは、魔法を使える一族の事だ。そういう意味ではエルフも魔族の一種である。しかし現在の世界でそう考えている人間は、魔界・人界共に少ない。魔族の中で何故エルフだけが唯一人界を住処とし、森の中に潜み住んでいるかには諸説あるが――一般的な俗説では魔族のダークエルフと違い、神の加護により魔法を使えるようになった人族の味方、という事になっている。


 そうなるように、勇者の一族が言いふらした。


 しかし言いふらしたという事は、実態は違うという事である。その実態については整った顔に浮かんだ、片方を圧縮するような軽蔑の表情を見た方がわかりやすい――神聖という形容詞を戴くなら、せめて猫を被った闇の巫女の澄まし顔を見習えと言いたい。


「それでは、あなたはレメゲトンには突入しないので?」

「ああ」


 ふー。

 ヴォルグの返事にエルフはため息を一つ。杖を両腕に抱いたまま肩を竦める。


「魔族も落ちぶれたものですね――まさかこんな腰砕けに魔王をやられるとは、歴代最強が張り子の虎もいい所です」

「それは言い過ぎでは?」


 あまりと言えばあまりの言いようにシフォンが口を挟む。たちまち言葉の矢が向きを変える。


「ああ、そう言えばあなたはその魔王の前から命からがら逃げ出したんでしたっけ」

「それどころか腰を抜かして、漏らしながら地面を這う事になりましたよ」


 本人は諧謔的に言ったつもりだが、エルフには通じなかったらしい。汚い物でも見るかのようにシフォンを一瞥した後。まるで話にならないと言わんばかりに踵を返す。


「では役に立たない人族のお二人の代わりに、私が見て参りましょう。助け出した姫君への言い訳でも考えておいてください、では」


 バタン。

 閉まったドアを、ベッドに腰掛けたヴォルグは見向きもしない。趣味の悪い金ピカ鎧やマントはまるでゴミのように床の上に転がしていた。

 ようやく、と言った感じでシフォンが口を開く。


「エルフは、プライドの高い一族とは聞いていたんだが……」


 言葉を切る。そこから先は迂闊には言葉にできない。


「いいんですよ、力を笠に着た下品な野郎って言っても――もっとも、それは今の勇者の一族にも言える事ですが」

「だがその笠に着る力は本物なのだろう? それこそ――勇者をも凌駕するほどに」

「ええ、スライムに香水を振りかけるのもいい所ですけどね」


 地球流に言えば猫に小判、豚に真珠と言った所。ある方面の方々にはこう言えばもっとわかりやすいだろうか――胡散臭い神様にお前は選ばれたと言われ、取ってつけたような理由で世界を左右できるチートを与えられた俗物と。


「世も末だな――勇者の庇護者があんな体たらくとは」


 シフォンが首を振る。ヴォルグも全くの同感だった。

 よくあるおとぎ話だ――勇者は魔族を打ち破るための力を求めて旅に出る、そして各地を放浪した後、人界に隠れ住む神聖な一族からそれを授かり、魔王を倒すのだ。

 しかし本当なのはエルフが勇者に力を授ける所までだ。神聖も神の加護も嘘っぱちな事を、二人は知っている。


「二代目魔王マジックマスターも嘆いてるでしょうね。当初魔界から人界に連れてきた魔族は、それはそれは人格者の集まりだったらしいですよ」

「時の流れは残酷だな――と言いたい所だが、数千年だ。むしろよく持った方だろう――エルフも勇者も。勇者の代わりに人族を牛耳ろうとしないだけマシと言うべきか」

「責任を取らず、指示する立場の方が気楽ですから――それに魔族が人族を支配するのは、それこそ魔界と大差がありません」


 魔界と大差なくなるのはつまり、魔界の王からちょっかいを受けるという事だ。


 シフォンはセルビアを思い出した――魔族との矢面に立たされ、中央国家同盟からの援助に飼い慣らされた挙句に、援助なしではもはや立ち行かないくらいに衰退してしまった祖国。教導騎士団に入団して思い知ったのは、中央出身の貴族様からすれば辺境国家の騎士など猿回し同然という事実だ。

 それと同様に、魔族の千年に比べれば、人族の人生などは犬か猫のように見えるに違いない。

 エルフにとっても、勇者とは所詮人族なのだ。


 シフォンが騎士団長という、伝統的な勇者の友という立場になって初めて触れた情報――エルフとは、勇者というシステムの維持者だ。勇者はあくまでも人族として魔法を駆使し、人界を裏からコントロールする。対するエルフは魔族ならではの長寿と、延々と引き継がられた技術を保持する代わりに勇者から様々な便宜を図ってもらい、人里から離れた彼らだけの楽園で人生を謳歌する。


 むしろよく持った方だろう。シフォンの言葉は正しい。

 例えば権勢を持ちすぎた貴族が時に王座を脅かし、王を弑してでも戦いを続けるように――かつてエルフに屠られたという勇者がいたという事実をシフォンは知っている。硬直化した体制下での既得利益者というのはそういうものだ。そしてその理解が間違っていないのは――あくまでも勇者のバックアップであるはずのエルフの、ヴォルグへの態度を見れば一目瞭然である。


 何時勇者に取って代わろうとするかわからない、傲慢も度を越した一族。


 騎士の王から見れば当代の勇者は、これ以上なく細い綱の上を歩いているように見えた。


「私が君のような立場にいるのを想像するとゾッとするよ――それで、君の本当の考えが聞きたいね」


 ヴォルグは即答した。


「今すぐ突入してあの塔の頂上まで駆け上がりたいですね」

「あれが君――いや、勇者を表舞台に引き摺り出すための、あの愛らしい我が養女のフェイクだとしてもかい?」

「本当にそうなのかどうかがわからないので」


 シフォンは片眉を跳ね上げる。


「どういう意味だい?」

「デウス・エクス・マキナ――その名の意味はわかりません。それが本当に実態を持った魔族かどうかも。しかし仮に。そいつが本当にいて。彼女の全てを奪い。自分の目的のために。誇示しているのだとしたら」


 シフォンは思わず腰を浮かせる。


「少々落ち着きなさい、そっちの可能性が低いのは君も承知済みだろう」


 勇者は微動だにしなかった、顔の前で組み合わせた腕に力みすら見えない。しかし何かを抑えているだけで精一杯と言ったとぎれとぎれの言葉は何よりも雄弁だった。言葉と同時に腕と首に浮かび上がる黒い紋様の下では、同じ色の光が血液のように脈動している。


 この飄々としている青年の薄皮一枚をめくれば、まるで別物の激情が潜んでいる事を今のシフォンは知っている。これが単なる子供の癇癪なら気が済むまで地面でダダをこねさせるのだが、魔王をも打ち倒すような勇者に同じ事をすると辺り一面が吹っ飛びかねない。


 同じ姿勢のままのヴォルグから黒い紋様が消えるまで、しばしの時間を要した。

 勇者がようやく落ち着いたのを見て、教導騎士団団長はため息をついて立ち上がる。


「君は部屋から出ない方がいいな、代わりに町を見て回ってこよう――彼女がひっそりと塔の上から降りて来ていて、万が一今の君を見れば事だ」


 黒い紋様は息を潜めているが、それでもどこか張り詰めたような今のヴォルグを、あの聡明な姫が見て何も気付かないとは思いがたい。


 勇者の返答は簡潔だった。


「そうだといいですね」


 自由の身である事を見ていれば、少なくとも最悪の可能性は否定できる――ヴォルグはそう言いたげだった。


 宿屋の廊下に出て扉を閉じたシフォンの脳裏に、ふと疑問が湧いた。


 この青年を追い込んでいるものは何だろうか。


 天まで聳え立つ塔には、人族でも魔族を屠り得る魔道具が眠っている――その調査を検討していた騎士の王の前に現れた勇者とエルフ。彼らと情報を交換している内に、幾度となく湧いて出てきた疑問だ。


 正直な所、今すぐあの傲慢なエルフと全力で塔を駆け上がればいい、とシフォンは思う。魔王をも打ち倒せる勇者と、それを支えるエルフを止められる者などそれこそ世界でも数えれるほどだろう。そこに待っている虎が背負っているのが張り子だろうが、暴虐の限りを尽くされた想い人だろうが、それで少なくともこれ以上の悲劇は起こらない――身も蓋もないが、それが一人の男としての感想だ。


 そもそもだ――その勇者がこれ以上力を追い求める理由はなんだろうか。


 何せこの青年は、かつて歴代最強と言われるベルセルク=フォン=タッカートをも倒してのけたのだ――彼の魔王の力の一端は、在りし日のセルビア騎士・シフォン=レイバックも垣間見た事がある。


 勇者の武器とはエルフが改良し、一族に伝わる双龍紋であり、そこから流れ出す魔力を強力かつタイムラグのない魔法に変えるための剣と鎧だ。各方面の情報を総合すれば、魔王に対してもヴォルグはそれで臨んだはずである。


 しかし――感情の昂ぶりである意味魔族よりも禍々しく変化してしまう今の姿は、シフォンの知る勇者の姿とは逸脱している。既に本人すら、隠すのを諦めているらしい。しかも話を聞けば魔王城直轄の情報施設に忍び込んでいたという――よくバレなかったものである。


 魔王を打ち倒した後に、更に変化した勇者の姿は教導騎士団のトップシークレットにもない。安定に欠けた力は、それがエルフという勇者のバックボーンが最近になって組み上げた、強力だが未熟な技術である事を示唆している。


 しかしあのエルフを見ればいい――シフォンはエルフの名前を知らない。奴はあろう事か、ただの人族に名乗る名前など無いと言い放ったのだ。

 ガラパゴスの生き物は、ガラパゴスでしか生きられない。閉鎖した世界で我が世の春を謳った代価は、勇者の一族が必死に付き合った挙句に歪んでしまった人族の歴史への不理解だ。理由のない力はどこまでもただの力で、それは周りの人間を不幸にした挙句に自滅する末路しか待っていない。その事を、あの傲慢なエルフとその一族はわかっていないだろう。


 力には、理由が伴うべきなのだ。

 

 あるいはヴォルグが塔に入ろうとしないのは、あの姿を見せたくないからなのかもしれないとシフォンは思った。


 

 騎士の王は正しかった。


 そして、彼の養女でもあるベリル=レイバックはそこまで愚かではなかった。

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