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類は友を呼ぶ

 ベリルは我に返った。


 気が付けば見知らぬ庭園の中、花壇の(ヘリ)に一人でポツンと座っている。


 恥ずかしい。


 いい年こいて号泣してしまった。

 うぐっうっうう、ではなくうわーんなのである、顔から火が出る思いとは正にこの事だ。


 まだ男であった頃、会社で引き継ぎなしのプロジェクトを丸投げされ、逃げ出した前任者を酷使していた上司に炎上の責任をおっ被された時もこんな泣き方はしなかったのだ。

 では幼女としてどうだろう――魔界で有数の魔剣にガンを付けられて初めて恐怖で漏らし、更に大勢の前でセクハラをされた。まあ、5歳児である事だし、むしろこの年で札付きの魔剣を魅了した女としてひと目置かれるかもしれない。

 そして例えば誰かと結婚した時、式でこう公開処刑されるのだ。


「私が幼い頃の新婦を初めて目にした時、彼女は魔剣を魅了した上にセクハラされておりまして――」


 うっげー、死んだ方がマシだ。

 そういう方向に妄想が活性化するのもアレである。

 名前すら残っていない歯抜けだらけの記憶で、何故か脳裏に残っているサクラとして参加させられた結婚式。娘を嫁に出す上司が号泣したという一幕、それがガン泣きした事とリンクしたせいかもしれない。

 鬼の目にも涙やら、いい年こいて無責任やら、魔王城やら、蜘蛛女やら、魔剣やら、スケルトンやら、目玉やら、お漏らしやら。


 頭の中がグッチャグッチャであった。


 いきなり別世界で、おっかない魔剣で、お漏らしで、衆目の前でセクハラである、忌々しい記憶も蘇ってダブルパンチであった、これでオーバーヒートにならないという奴は多分爪の間に鉄串を突っ込まれても堪えられる。


 そしてベリルは過負荷に陥った人間特有の行動パターンを実行した――つまり考えるのを止めたのである。


 どれほどそうしていたのか。

 シラも、髑髏の騎士も、何故か傍にいなかった。

 唐突に気付いた。


 この体になって初めて、ベリルという名の元青年は一人になれたのだ。


 つーかあんた、世話役のアルケニーも一日中引っ付いてる訳でもないから部屋の中で一人になってるがな、という無粋なツッコミは無しである――えーと、なんというか、精神的に静かに考える余裕がある、という事なのだ。そうするには麗人の塔の部屋はあまりにもゴージャスバリバリで、元四畳半の住人にとって落ち着けなかったのだ。


 まあ、こんな重要人物を本当に一人にしている訳でもないだろうから、恐らく彼女をスケルトン・ドラゴンスクリューでここまで運んだ髑髏の騎士がどこか見えない所で待機しているのだろう。恐らくは気を利かせて――そう察するゆとりすら出来た。


 その時だった、ガサガサと目の前の草むらが揺れたのは。


    ※


 地獄に仏。


 無論マーギ語には仏に相当する言葉などないが、今のシフォンの気持ちを的確に表現するとそういう感じになるだろう。

 えーと、名乗る途中で色々へし折られたので念のために解説しておくと、パパンに玉座の間から追い出された勇者もどき君である――結果論として魔王様は機嫌が良かったと言えよう。何せ、生きているのだ。


 しかしその姿は別人かと思うくらいの有様であった。


 流れるような金髪は狼狽しながら這いずりまわったせいでボッサボサである。光輝いていた鎧は横一文字に切り裂かれたブレストアーマーを始め、土で汚れて見る陰もない。特に汚れが激しいのが股の間というのもまたアレである。

 落ち武者みたいだ、と思われているのを彼は知らない――みたいどころかそのものなのだが。

 その逆に、


 天使だ。

 シフォンは女の子を目にして思った。


 腰元まで垂らしたプラチナブロンドは、手で掬い上げると光に溶けてしまいそうなほどきめ細かい。小作りな顔の上には将来を保証されたようなパーツが絶妙なバランスで載っかっており、特にアメジスト(紫宝石)を彷彿とさせる瞳は見ていると吸い込まれそうになる。フリルが多めな色の深いドレスに包まれ、ちょこんと花壇の前に座っているのは一枚の絵のようだった。


 俺は死んだのだろうか。


 シフォンはそう思った。まだ成熟を語るのもおこがましい年であるだろうに、少女は首都ゲルザンムで会ったどのご婦人よりも美しかった。

 この世の生き物だとは思えない。

 それこそ主神ゼウスからのお迎えだと言われれば納得して成仏・・・あ、違った、主に召されてしまう所だろう。

 しかし彼女が天界の住人でない証拠に、その口から出たのは現実的な意味を帯びていた。


「……誰?」


 一瞬、電気にでも打たれたようにシフォンはビクリと身を震わせた。


「これは失礼しました」


 立ち上がる。

 自分の身分を思い出したのだ。

 ぼろをまとえど心は錦――そういう意味で、彼はちゃんとした騎士だった。

 相手はレディである。


「私はセルビア王国の騎士、シフォン=レア=レイバックと申します、場所が場所ゆえ、このような成りで失礼」


 少女はその発言の内容の意味を吟味したようで、


「魔族……なのですか?」

「そ……!」


 それはこっちの台詞だ、という言葉をシフォンは飲み込んだ。

 あまりにも衝撃的なのでついつい忘れていたが、ここは魔王城なのだ。

 この娘は魔族なのではないか。天使のような美しさも魔性のそれではないか――疑念が膨れ上がる。

 その時だった。


 ガシャン。


 背後でシフォンの聞き慣れた、小さく金属がぶつかり合う音――つまりは、鎧の動く。

 反射的に振り向いた。


 いつの間にか、全身鎧の騎士がすぐ後ろに立っていた。


「な……!?」


 いつの間に。

 気配すら感じなかった。

 とんでもない手だれだった――魔王に指一本であしらわられたとは言え。人界では剣の腕で並ぶものなしとうたわれた自分に、全く気づかれず背後を取ったのだ。


 しかし驚きに反してシフォンの頭が急速に冷えつつあった。


 バイザーを降ろして顔こそ見えないが、その全身鎧の構えは魔族の戦士ではなく、人族の騎士のそれだったのだ。

 何より彼が鞘に添えた左手の親指で撥ね上げた剣に、シフォンは見覚えがあった。


 セイブザクイーン(聖剣)

 騎士の至高。

 王国の男の子が英雄譚からその名を知り、騎士の誰もが一度は手に取ってみたいと考える王室近衛の剣。


 だから何時でも飛び退けれるように警戒しつつも、拳を目の前に掲げた。

 拳は握り手、騎士の誰もが握るのは剣、目に掲げ読むのは剣に刻まれた誓い。

 ホッとした。

 魔族ならこれほど厄介な相手もいないが、味方ならこれほど心強い味方もいない。


 我が全ては麗しき主君のために。


 目の前の騎士は彼と同じ動きで、言葉なく聖剣の誓文を詠んで見せたのだ。



 魔王城。

 高貴な血筋であろう美しい少女。

 よく見ると目が赤い、泣いていたのかもしれない。

 無口な騎士。

 セイブザクイーン。


 英雄譚そのものだった。

 きっと彼女は魔王城に攫われたさる国の姫君であり、救いに来た騎士と脱出行の途中なのだ。


 えーと……どうしたもんでしょうか。

 八割方合ってはいるが所々根拠が変だし、そういう結論に辿り着くのがシフォンの人となりを表していると言えるのかもしれない――つまり彼は英雄に憧れる騎士であるし、可愛い子に悪い奴はいないと迷信する男でもあったのだ。


「はぁ……さしずめ私は魔王の恐ろしさを英雄に伝える脇役ですかね」


 溜息をつきながら、シフォンはガックリと項垂れた。

 え? とベリルは一瞬頭上にはてなマークを浮かべた後、目の前にいる騎士が立つ位置と彼の誤解を察した。流石は元男である、恐らくは全次元全異世界を合わせても、彼女より男をわかっている幼女はそうそういないだろう。


 そしてその誤解を解こうとも思わなかった。

 魔王城で丸腰になった落ち武者。

 彼の台詞からしてボコられたのだろう、魔王(お父)様に。

 本当の事を言ってしまう事が、この騎士を死へと追いやる最後の藁だとちゃんとわかっているのだ。


 脳みそがフル回転していた。


 セルビア王国。

 世界は魔界だけではなかった――そんな当然の事を知らなかった訳ではない。それがボロボロになった騎士の登場で、ベリルの中でようやく実感を伴ってきた。

 次に浮かんできたのは下劣な意味ではない打算だ――王国とやらについて、話を聞いてみたい。そして目にした以上、この騎士に死なれると目覚めが悪い。


「あの、魔王城から出たいですか?」


 シフォンはえーと、あ、いや、と口篭った。

 今その心中では二つの思いがある――生きて帰りたい、という人として切実な願い。あー、でもこんな小さくて可愛い子の前で情けない態度は・・・という一人前の大人の男としてのエゴだった。


「……ええ、国に生きて帰りたいですね、それはあなたも同じでしょう?」


 そもそもこんなナリである、こんな幼い子相手に見栄を張るも糞もないと開き直った。


「私のいた国は、もうこの世界にはありませんから」


 嘘を言っていない事は傍にいるスケルトンナイトにもわかるまい。

 ベリルは元の世界を脳裏に浮かべる、まるで完成途中のパズルのような、半欠けの記憶。

 天を衝くようなコンクリートのビル群。

 瞬時に星の裏側にいる人間と話せる電話。

 情報局よりも速く最新の情報を知り得るメディア。

 勇者と魔王が存在するこの世界と質は違えど、文明が遙かに進んだ世界。

 宇宙の詰まった四畳半。

 別れた彼女。


 この手の話では異世界で結ばれた伴侶と一緒に元の世界に戻るという話もあるが、日本人とは似ても似つかないこの体である――存在自体を覚えてない両親に別人が息子だと認知してもらうのは無理があるし、元の世界に戻る方法もわからない。


 もはやあの世界に戻る事はあるまい、そう思った。

 そして狙い通り、顔に出たものがある。


 切なさだ。


 嘘ではないのだ。

 全く持って冗談にもならない。


 亡国の王女という皮を被る試みが成功したのはシフォンの表情と言葉でわかった。


「私の国――セルビア王国に来ませんか?」

「ありがとうございます、でも私達はまだここでやる事がありますから」

「……そうですか」


 実に残念そうであった、チラリと髑髏を隠した騎士にも目をやったりする。

 あとは勝手に想像してくれるだろう。シフォンの脳裏でどんなロマン劇が組み上げられているのか、ベリルには手に取るようにわかってしまった。

 男とはここまで分かりやすいものなのかと、つい思ってしまった。

 が、それはシフォンが特段人間的に駄目という訳ではない。


 とどのつまり――ここには今いないアルケニーの老婆が、お嬢様の手管を見ていたら戦慄していたであろう、という事なのだ。何せ、書いてて忘れそうになるが五歳児であるので。


 よし、掴みはOK。


 自爆気味にちょっと湿っぽくなってしまったが、切り替えて行こう。


「でもここから出るまで、お国の事を話してくれませんか?」


 まるで萎んだ風船に空気を入れたように、シフォンの表情から笑みがこぼれる。あまりのわかりやすさに少し頭が痛くなってきた。

 自分は本当にこれと同じ生き物だったのか。


「では魔族達に気付かれないよう、出口まで案内します」


 ベリルはバイザーを降ろしたまま、傍に控えていたスケルトンナイトに目をやる。

 あ、わかる、ちょっと引いてる、こいつも生きてる頃は多分男だったのだろう。

 それでも頷きを返す辺り、阿吽の呼吸であった。


「お願いします」


 二人に向けて、セルビア王国の騎士は一礼する。


 城から出る時にまた誘ってくるのが見え見えであった。

 頭痛い。

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