まな板上の恋
無論、ベリルは単なる恋バナで戦慄などしない。
逆にベリルの脳裏に浮かんだのは、小さい頃に中央国家同盟がセルビアのような辺境国家を飼い慣らしている事を聞いた時のような感想だった。
つまり裏切ったらてめえぶっ殺すという、単なるチンピラの煽り口上を洗練させるのが外交とすれば、その洗練させてない露骨な方――恫喝外交である。
恫喝外交とは――つまるところ、一発かまして目的を通してしまう隙を作る手法である。おばあさまはそれをやったのだとベリルは思ったのだ。
そしてこの瞬間にわかった――おばあさまが昼間にワザとやったような、かしこまった挨拶は単なるフェイクだった。その時も事実上の魔王である現実をベリルにぶつけて、一発かましたのである。
今みたいになんか百合百合した状態でのふにゃふにゃとしたノリもそうだ。警戒を緩めてこちらの意志を確認しようとしているのだ。
すっげぇ危なかった、同じく真綿のようにこちらを包んでくるような勇者とやりあった経験がなければ、所詮女としての歴史が十六年しかない身では間違いなく引っかかっている。
それを同族の、しかも実の孫娘にやるのか。
「その問いは――巫女の一族が勇者と繋がっているからですか?」
「半分はそうね」
ふー、とベリルは、おばあさまのとてもおばあさまとは思えないお尻に敷かれてため息をついた。
やっぱり。
それは渡された手紙に書かれていた事実の一つだった。
「もう半分は――あんなロクでもない男に引っかかる理由がどうしてもわからなくてね、文字通りの老婆心って奴よ」
えーと、つまりおばあさまは勇者とパイプを持つ一族として事実上の魔王であるベリルの動向が気になると同時に、一応は孫娘を心配してるのですね。
娘は母の薫陶を得る。そして物心ついた時から母親のいないベリルや、その他の似たような境遇にいる一族の女達には、また上にいる直系の巫女がつく訳だ。
「手紙にはどこまで書いてあったの?」
「……マジックマスターが、勇者一族の先祖に手を貸した事までは」
「そうね、温室で飼い慣らされて、一日中できもしない聖戦を叫んでるユグドラシルの脳が天気達じゃあるまいし、あちらは決定的な破局を回避するために魔族とのパイプが欲し。私達はあちらの動向がわかれば魔界でやりやすい――何せ、今後の魔王の生死がわかる訳だし。あとの説明はいらないわよね?」
ベリルは頷く。
その事実は、言葉にするだけでなかなかインパクトのある話だった。
今のおばあさまの言葉は、私達が人族の黒幕である勇者とホットラインを持つ魔族の黒幕なのよ、と言っているに等しい。
いやはや、闇の巫女イコール魔族の女王、ってどこの国の卑弥呼なのやら。陰謀好きの好事家がいれば、この事実をおかずにご飯を戦前の上杉謙信並に平らげられるだろう。
ここで疑問となるのは――勇者に攫われた二年間、おばあさま達は何をしていたという事だ。
いや、いつぞやのソウルイーターが無茶苦茶をやったように、助けに来いと思った訳ではない――腕っ節や陰険さの総合力において、比肩する者のいない勇者に喧嘩を売る方が無茶だというものだ。
だが釈然としないものは残る。
だから今まで誰も読めなかった、ご先祖様が書いたという手紙の中身というカードを、ベリルはここで切ったのだ。勇者が闇の巫女とパイプを持っている――その事を知っているぞと言うのは、さらなる情報を得るための鍵なのである。
「現勇者・ヴォルグ=ブラウンの提示した条件はね――二年くれ、魔族の犠牲は最低限、あなたを強引に物にしない、合ってるかしら? 合ってなかったら教会総出でユグドラシルを灰にしちゃうけど」
前言撤回、無茶は無茶じゃなかった。
おばあさまは多分本気だ――半分は。
もう半分はそこまでしなくてもいい――即ちヴォルグが条件を破らないという確信だろう。
蛙の子は蛙というか、逆というか。ベリルとパパンもいい加減でたらめだという自覚はあったが、母親も母親でアレな一族の出だったらしい――ひ弱な体質の癖にやたらと好戦的ってどこの北朝鮮だ。
ベリルは今更の事実を再確認する。
魔界の戻ってから判明したが――パパンが倒された際の大騒ぎで、魔族に犠牲者はいなかった。ボコボコにされた筆頭であるパパはあの通りピンピンで、むしろ今の方が生き生きとしている。
何気に風の魔法で狙撃をかますという、文明が中世レベルにしては凄い芸当をやって見せたジョルジュも派手に吹っ飛んだが生きていた――二年間の我慢と荒修行の果て、ベリルが魔王城に帰還したその日、甲斐甲斐しく身の世話をしていた幼馴染に陥落したらしい。二人は今も元気に爆発している。子供はさぞかし可愛かろう、おめでとう、けっ。
「まあ、その自棄になった様子を見ると一応合ってはいるようね、確認してもいい?」
ぞわっとする――軽く尻を撫でられたのだ。
ブルブルブル。
マウントを取られた状態で聞かれるだけマシだというものだが、ベリルは唯一動く首をまるで電動モップの如く振りたくった。生娘なのはシラが既に確認済みだ、いくら同性の指とは言え、二度とごめんである。
「全く、本当に(ピー)付いてるのかしらあのへたれは」
あまりの言い草に、ベリルは首の可動域ギリギリまで振り向いた所でフリーズした。
「で、話を戻すけど――あんなへたれのどこが良かったの?」
言葉が出ない。
「あんなのでも見てくれよくて頭よくて腕っ節も強いから人族のお嬢様方には魅力的でしょうけど、いきなり唇奪って拉致するようなロクデナシよ? 鬼畜よ? 普通ならフライパンで元の形がわからなくなるほど殴っても気が済まないと思うのに、なんで当の被害者が帰ってきたら失恋したみたいに意気消沈してるのよ?」
あががが。
なお、言葉の出ないベリル兼元青年に代わって、両方の理解を言語化するとこういう事になる。
ベリルの方はこうだ。
え? あれ? 失恋?
あまりにも地球で彼女にフラれた当時と違うので気付かなかったが、思い出す。
――次に会う時は、君の命を貰いに行くよ。
ベリルのパパンにとって非常に喜ばしい事に、それは別れの言葉だった。
んでもって自分の境遇である。パパンをボコボコにされるのは百歩譲って殺してないとして。拉致されて、強引に唇を奪われて、勝手に婚約者で、何のとは言わないがBまで行った――うん、最後の一線こそ超えてないものの実に酷い。
なお、地球流でもっとキツイ言葉に訳するとこなる。
金持ちで腕っ節の強い主人公に拉致監禁されて好き勝手にされたのに相手を好きになるなんてどこの鬼畜エロゲーのグッドエンディング(ただし、鬼畜主人公視点、分岐条件は最後までヤらない事)を迎えたヒロインだてめえは。
んでもって、ベリルの初心とは――鬼畜エロゲーみたいになるのを回避する事だったはずである。
言葉にならなくて当然だった。
そしておばあさまは、ヴォルグ=ブラウンが鬼畜エロゲーの主人公も同然だと認識した上で、ベリルがちょっと自棄っぱちになっている事を不思議がり、どうしてこうなったと聞いているのだ。