巫女という名の意味・その2
またエタると思ったか?続きだよ!
元青年=ベリルは凡人だが、人並み外れて鈍い訳ではない。
生まれは魔王城、親に魔王。侍らすは地獄の三柱魔王。
本人の腕っ節は本当にからっきしなのだが、体質の事を秘密にしているせいで魔法が実質使えない事は一部以外知らないし知っている者も外に漏らすような輩ではない。そもそも魔王とはまず自称してから、異論のある強者達を返り討ちにした末に自他共に認めるそれになる訳で――ぶっちゃけた話、実際の実力ではなく魔王足りうる実績さえあれば十分であるのだ。天下一武道会のような代物で空を飛んだり穴ぼこを掘りまくったりして、わかりやすく実力をアピールする機会がある訳ではない。
そしてベリルには勇者を撃退したという前代未聞の実績がある――当初は割と秘密だったそれは、数年の時を置いて魔界では知らぬ者のない酒の肴と化している上に、忍者野郎にフルボッコにされたのはあくまで親父という事になっている。
そもそもチートジジイが磨きに磨きをかけて後進も育てつつある魔道具学なら、ベリルでも扱えて城の一つや二つを吹っ飛ばすようなサ◯コガンやコ◯モガンもどきぐらいは作れそうだ。
地球での彼女。人界の勇者との関係――それらと違い、魔王の座は、ベリルが手を伸ばせば届く所にあった。そういう事らしい。
傍目から見てゆっくりと、しかし確実に状況を飲み込むかのように。ベリルの表情がコロコロ変わる。果てには両頬を抑えこむ孫娘を見て、ミリアは表情を変えずにため息を一つ。
こうして見ると極普通――と言うには容姿も色艶も常人離れこそしているものの、年頃の少女だった。髪や目の色を見れば体質も亡き娘と同じだろう。つまりは魔族で言うと無力な、という但し書きすら付く――いくら父親が魔王とは言え、そんなのが一体どういう因果があれば実質的な魔王と見られるようになるのか。
チラリと、ミリアは背後に控えた傷だらけのリビングアーマーに目をやる。
その気になれば瞬きする一瞬で部屋の中にいる全員をミンチにできるようなトライゴンはしかし、それが当然だと言わんばかりに、ただの置物のようにベリルの背後で微動だにしない。
ふと、ミリアは気付いた。
本来は部屋の出入口を固めるべき門番がここにいる、その意味。
気付いてないのは本人だけで、わかりきっている事をわかりきっているのはこのリビングアーマーも例外ではないという事だ。
(……罪な子)
本人にはその力も自覚もないのに、その一言だけで力と意志が勝手に回り回る状況は、姿色に優れた闇の巫女の多くが一度は経験する事だ。
しかし、
マジックマスター。
その名が脳裏に浮かんだ途端、ミリアは自然と懐に隠していた物を取り出した。
駆け引きは同レベルの相手にこそ有効なのだ――あまりにも巨大な流れに対してそれをするのは、大渦に対して下手な舵取りをするようなものだった。
巨大な渦に対抗するには、巨大な渦をぶつける必要がある。
果たしてそれは起きた。
ベリルはそれを受け取った。
おばあさまから手渡されたのは、羊皮紙もインクも新しかった。メディアが劣化する度に何度も何度も書き写されて所々が変な形に歪んでいる。
しかし、書かれている文字は、元青年には見覚えがある――ベリルに、ではなく。
日本語、でもない。
英語だった。
一瞬意表を突かれたが――考えてみれば当然の事だ。
つまりこの手紙を書いた人間は、確認していない不特定の相手に対してこれを書いているのだ。
地球生まれの誰かに向けて。
聞き取りも英会話も苦手な元青年だが、幸いな事にネット上の百科事典にのめり込んでいた。英単語ならかなりの部分を読み取れる。
そしてベリルはゆっくりと、しかし着実にその手紙にのめり込んだ。
※
この世界ではないどこから来た誰かへ。
こんにちは、と言えばいいのでしょうか?
できればあなたとは直接対面しながら話したかったけど、これを書いている私の命は尽きかけているので、それが叶う事はないでしょう。
でも私のように、ここではない世界からこの世界へと渡った者がもう一人いると信じて、この手紙を書きます。ここまで書いて気づきましたが――よく考えてみれば、そのもう一人が私達がいた世界から来たとは限りませんし、だからこれを読める人がもう一人いるというのは、とてもささやかでとても凄い奇跡なのかもしれませんね。
この手紙の内容を読める、という事は、同じ――ごめんなさい、実は元の世界が、そこでどう呼ばれているのか、私の記憶にはありません。
私の頭の中では、まるで作りかけのパズルのように、記憶のピースが所々欠けています――国も時代も。
あなたは姿も記憶も完全なままで、この世界にいるのでしょうか?
それとも私の子孫として――どこかここではない世界の記憶をその身に降ろした巫女や司祭として、この世界の魔族として生きているのでしょうか。
私がかつて生きていた世界では、私はお屋敷の中からそびえ立つような豪華な王城を見上げ、毎日そこへと直参する父親を見送ってから、刺繍やダンスのレッスンを毎日のようにこなしていました。そこでは鳥と虫以外に空を飛ぶような生き物はいなかったし、指を弾くだけで火を起こすような不思議な魔法はお伽話の中にしか存在しませんでした。
残っている最後の記憶では、最初のダンスパーティに参加するための馬車に乗り込む時、緊張でヒールのかかとを折ってしまったのを覚えています。
気付いていれば姿も声も違う――髪の色の真っ黒な、魔族の娘として私はかつての記憶を思い出しました。
最初の生活は酷いものでした。元いた世界の貴族としてはおろか、平民以下の暮らしぶりに辟易してしまいました。貴族という生き物も存在せず、集落と集落が時には手を組み、時には獲物を巡って争っているような、原始的な社会だったのです。
この世界での私は翼も角もありませんでしたが、幸いにして莫大な魔力を生まれ持っていました、それを以って近隣の集落を束ね、気付けば元の世界を彷彿するような町の代表となっていました。
そして同じく台頭しながらも、こちらは完全にこの世界の魔族と争いながらも、やがてその人の妻となったのです。
私の夫となったのはワイルドデーモン、初代魔王と呼ばれた方です。
私の記憶がもたらした様々なアイディアで、魔族の生活は一変しました――と言っても大した事はしていません、家の裏に■■■(検閲事項です)が積もっているのが我慢ならないのでトイレを作り、隙間風が嫌なのでレンガで家を建て、と言った風に魔法で元の世界の生活を再現しようとしたら周囲が真似しただけです。元の世界よりも立派なお城が建ってしまった辺り、魔法というのは掟破りなほどに便利な技術でした。
しかし今私がこの手紙を書いているのはその魔王城の中でではありません。
今私のいるさほど立派ではない城の周りでは、魔法の使えない人々が汗を垂らしながら必死に築きあげた大きな町が、輪を作っています。ここもやがては立派になっていくのでしょう。
魔法の使えない、魔族から言えば無力な――しかしむしろ私達がいた世界に近い人族に私は親しみを覚えました、同時に老後のささやか楽しみとして、彼らの生活が楽になるように助けました。
そして
その場で読めたのはここまでだった。
ぼやけるような視界の中、辛うじて手紙の最後の署名に、二代目魔王であるマジックマスターの名が書かれている。
いたんだ。
それは元の世界の国にあった平屋や服装、食生活まで再現しようとして元青年が求めていたものだった。これを見たどこかの誰かが、ひょっとして、と自分を訪ねてこないかと思っていた。
遥か数千年前の、同じ世界に生きていた者からのメッセージだった。
ポツリと、雫が手紙の上に染みを作る。