巫女という名の意味
肉体的なピークが長い魔族の中でも、巫女の一族には飛び抜けて係累が多い。
富と余裕に恵まれた一般的な魔族が上の子供を独り立ちできるまで育ててから次に取り掛かるのに対して、闇の巫女はあるいは人族にも匹敵するような速度で子を産む。
それは彼女達の先天・後天的に磨き抜かれた魅力の賜物のおかげであるし、その特殊な成り立ちから来る習性の一つかもしれない。
そして驚け、ミリアには14人の子供がいるが、それでもまだ少ない方である――それもインキュバスだった旦那が早々に灰燼と化したせいだった。その事情については三流ゴシップ誌が書き立てるまでもなく誰もが持ちあわせている想像力に任せた方が正確かつ迅速だろう。
上では魔王城のお姫様から、下では高級娼館の一見さんがどれほど札束をばら撒いても拝めないとっておきまで――魔界での広い分布とは裏腹に、巫女の一族が擁する教会という名の本拠地はあまりにも小さい。
ミリアのような、愛憎入り交じる夫婦生活の末に男なんてもういいやぽーいと考えてるのや、人生を精一杯楽しんだ臈たけたババアが、そんな微笑ましい事を考えてる小娘共に様々な手解きを施しながら余生を過ごしている。
女は三人で姦しいを地で行く魔窟である。
それでもたまには外界が恋しくなる、末娘が唯一遺した更に末の孫娘もついに十六になったらしい。それにかこつけたミリアが土産を手に、物見遊山へと出かけるのも、一族ではいつもの事だ。
いつもなのはそこまでだった。
※
ドカッ。高級ソファが哀れに思えるほど豪快に座る音に、借りた猫のように縮こまったベリルは目を丸くする。遠慮なく組んだおみ足はチラチズムを信奉する世の男達が全て納得するような角度でピタリと止まり、辛うじて下品の斜め上を低空飛行していた。
こう言っちゃなんだが、とてもではないがシラの言うようなおばあさま、という感じではなかった。どっかのマフィアのドンの横に侍ることなくふんぞり返っているのが似合うような、ゴージャスな黒い美女なのだ。
そう、黒いのだ、髪も目も――銀色に紫のベリルとは違って。
異世界転生モノでよくある話として――全くの別種族に転生したというのに、何故か、と聞かれれば主に作者と読者の願望を反映しているため主人公が黒い、というのとは全くの逆だった。この地球ではない世界においてメンデルの法則がどこまで適用できるのか疑問だが、一目見て二人の間に血縁があると判断できる人間が少ないのは確かだ。
しかし黒髪のゴージャス美女が、ベリルの曾祖母である事は確からしい。
それに関しては、孫娘であるベリルとどことなく似通った造形もそうだが――
「お嬢様方、お茶をお持ちしました」
貴婦人ではなく執事そのもののカッチリとした服装や動きで部屋に入ってきたシラの反応もそうだった。やたらと挙動不審なベリルとは違い、涼やかな態度でお茶を淹れているのは、ベリルの背後にひっそりと控えたランスロットに近い。一言礼を言ったミリアも警戒する事なく、どこか雅のある仕草でティーカップを口元に持って行く。両方とも身内の気安さがあった。
「あら、普段飲んでるのとは香りが違うわね、どこのお茶っ葉なの?」
「セルビアです」
「セルビア……あそこのは飲んだ事あるけど、明らかに違うわよね」
「製法が違うそうで、ウーロン茶と言うそうです」
「へえ・・・面白いわね」
呟き、ミリアがこちらに視線を見やる。
そら来た。
「聞いた事のない名前だけど、あなたの発案?」
「……どうしてそう思ったのですか?」
「はぐらかさないでいいわよ」
ティーカップを音もなくソーサーに戻し、しかしまるでスモーカーがタバコをねじ込むようにグリッと回す。
偏見だとは思うが――ヤクザみたいだ、とベリルは思った。
「お――」
言いかけて言葉を切る。
おばあさまと呼ぶとお約束としてアイアンクローが飛んできそうなのもあるが――ベリルとは年の離れた姉妹にしか見えないから違和感がバリバリだった。
「いいわよ、おばあさまで――あんたのような孫やら曾孫が何人いると思ってるの? 今更気になりゃしないわよ」
大人の態度を見せつつ、さりげなくベリルに甥っ子姪っ子があるという驚愕の事実をミリアは暴露する――うーん、どう反応したものか。
寿命の長い魔族では当たり前の事なのだろうが――元地球人としてはなんと言っていいのか。ミリアは再びウーロン茶を一口、今度はソーサーに戻さず顔の前に持って行く。
また爆撃した。
「ところで――あなた、どこかここではない記憶が混じり込んだ、って事はない?」
奇襲に息を詰めるベリル。しまったと思う。これでは認めたようなものだ。背後に控えたシラはすまし顔だが――長い付き合いだ、巨大なはてなマークが浮かんでいるのが見えた。
頷いたミリアは気に入ったのか再びウーロン茶を一口。美容の効果もあるかもしれない、と知ればお持ち帰りを所望するかも――いやいや、そうではなくて。
おばあさまは、何かを知っている。
そしてそれは勇者にも、魔王にも、シラにも、他の誰にも知るはずのない事なのだ。
先ほどガチガチになっていたのもなんのその、思わず身を乗り出したベリルに、おばあさまは平然と焦らしてみせた。
「とりあえず伝統行事を済ませてしまいましょうか――あなた、教会に来るつもりはある?」
ベリルが骨付き肉にかぶりつく寸前、鼻っ面を叩くように投げかけられた問い。その質問は闇の巫女、その血筋を引く女が皆、十六になった時に一度投げかけられるものだ――彼女達はそうやって核となるしきたりや魔法、そして知識を延々と語り継いできたのだ。
そしてベリルの場合、言うまでもなくノーだ――教会での生活は外界と隔絶しているとシラが言っていた。あれやこれやと背負い込んだベリル自身の意思もそうだが、イエスと答えたらお父様がレギオンを率いて攻め込み兼ねない。
「まあ、それはともかくとして」
無論それはミリアも承知済みなのか、さらっと流した。
「私は今日、一族の代表として来ているの、この意味がわかる?」
それ聞いて、ベリルが咄嗟に思い浮かべたのはちょっと前にパパンがおっ建てた魔界版鉄筋ビルの事だった。あれから半年ほど、日々届き続ける怒涛の手紙攻勢は多少ナリを潜めつつも、相変わらず自分の存在意義と混同したインターネット上での言い分を否定され、真っ赤になった魂の若い人がするタイピング並の猛烈さで届いている。それでもシラの設置した専門の対応部署は多少の過負荷を示しつつも見事に捌いて見せた――そして余裕のできたベリルはこうやって人界と魔界の微妙なグレーゾーンに色々やっている訳なのだ。
ひょっとして時折訪ねてくる商人のように、一枚噛ませろとでも言うのだろうか。
闇の巫女が?
んなわきゃーない、ベリルが各方面からの情報を総合した限りでは、こんなわかりやすい家族企業をするような輩ではなかった。どっちかっつーとベッドの上で家族企業を経営する男を転がすという――近代中国の軍閥財閥革命家のそれぞれに、一人づつ娘を嫁がせたという名士が思わず深く頷いてしまうような一族なのだ。
ちなみに革命家は死後手下達が分裂。軍閥は都落ち。財閥は事実上の島流しというオチがついている。結局軍人と民間人をごちゃ混ぜにするゲリラ大好きの頭でっかちに総取りされたのは周知の事実であり、歴史上何度も繰り返された彼の国のパターンでもある。
いまいちピンと来てないような表情の孫娘に、妖艶なおばあさまは困ったようにため息を一つ。
「シラ、教育に問題があるんじゃないの?」
「しょうがありません。周囲には自明の事でも、お嬢様自身にはご自分の事であるので」
シラはにべもない。
なんか馬鹿にされてる気がしてむっとするが、そこで頭に血を登らせるほどベリルは馬鹿でもない――私は真面目にやっていますという常時カッチリ君より、こういった手合の方が手強いのは勇者で学習済みだ。
そして危うい角度で組んでいた足を下ろし、ソファの上で姿勢を正したおばあさまは、年の桁が文字通り一つ違うベリルに、先ほどのだらしない態度が嘘のような口調でこうかしこまって見せた。
「闇の巫女、ミリアです、一族を代表して、当代の魔王、ベリル=メル=タッカート様へ挨拶に参りました」
ほらね。
背後で身動ぎ一つしないリビングアーマーがポカーンとしているのがベリルにはわかった。長い付き合いなのだ。
……はい?