闇の巫女再び
へーい、魔王城の傍にビルが建ったらしいね。
流石は魔界一のお姫様、ベリル=メル=タッカート様だ。
凄いのはそれだけじゃない。
そのビルが一瞬にして消えたらしい。
魔王城の異変に、魔王城を飯の種にしている城下町が気づかないはずがない。
噂はたちまち目撃された者達の口から口へとリレーし、前代魔王が崩御した時にも匹敵するスピードで魔界中を駆け巡った。
つまりはどういう事かというと――
偉いこっちゃ、なのだ。
金とスマイルは万国の共通言語である。
一瞬で見た事もない壮大な建物が出現し、しばらくしてまた資材の山に戻る様からは、黄金の匂いが千里に渡ってプンプンと匂ったに違いない――ベルセルクが建てた異世界風高層建築物の創造と破壊は、図らずも十二分なデモンストレーションの役目を果たしたのだ。
しかもその中心にいるのは、勇者に討たれ、生死も定かではない前代魔王・ベルセルク=フォン=タッカートの娘であり、魔界中の男がその微笑み一つのために命を賭けるような姫君・ベリル=メル=タッカートなのである。
勇者と美姫がベーオヴーフ国の首都ユグドラシルに凱旋した後、受け取った嘆願書や招待状の山などは文字通りの児戯であった。
今度ばかりはスケールと本気度の桁が文字通りに違う――両界の注目を浴びてしまった魔王城は、まずは襲いかかってくる手紙の山脈を捌くために、人を雇わなければならなくなった。
とりあえずは数十人いればいいと思っていた人員の応募に、両界中から殺到した人数の単位は、万である。
うん、無理だこれ。
「シラ……お願い」
関連の事務を麗人の塔で処理するには容積的に無理があった――漫画やアニメでしか見ないような書類の山を前に、ベリルはまるで溺れる者の如く助けを求める手を伸ばす。
「かしこまりました、お嬢様」
モノクルをキラリと光らせて事も無げに請け合った執事風の美女を見て、ベリルは何故勇者が存在するかを理屈ではなく理解した――今でこそ人族は自覚のない溺れる者だが、自分があっぷあっぷしているのがわかる昔の人族にとって、勇者とは幾重にも編み込まれた上、陸地の杭に繋がったロープに違いない。
シラはスケルトンを使って魔王城で長らく使われていない一隅を掃除し、指揮したリビングアーマー達に資材を運び込ませ、何時の間にか習得していた魔導式で一瞬にして整然とした秘書室に変えてしまったのである。
ベリルもその生い立ち上アゴで人を使うのには慣れてはいるが、とても真似できそうになかった。こればかりは経験の差だ。
そこにダイヤル式の電話が並べられて、サラリーマンが話しまくっても違和感のない光景にベリルが唯一理解できたのは――予め資材を用意しておけば、魔力の節約になるという事だ。それもそのはず、一般的な魔族はベリルや魔王のように、無尽蔵にも見えるような魔力など持っていないのだ。
変化が終了した後の世界は、歩く発電所などがいなくても回るようにしなければならない。
後から聞いた話では、あのビルを建てるのにベリルが生産する一ヶ月分の魔力を使ったらしい、そして破壊するのに使った分は数日分。
単純に足し引きすると、資材を環境から抽出するために使う魔力は、単純に建物を組み上げるために使う分の数倍から数十倍が必要という事になる。
それでもベリルの魔力が法外なのは確かだが――いくら常人より遥かに膨大な魔力を日々マジックチャージャーに込められると言っても、その量は本来ベリルの体にひっそりと隠れている魔王級の魔力が、余剰として漏れだした分でしかない。
魔法は一見万能に近い代物だが、魔力とは有限のリソースなのである。
資材を揃えるには、金と人が必要だった。
なお今も魔王城に届けられ続ける手紙は、大雑把に分けると三つの種類に分けられる。
何かくれ。
結婚しよ。
いいお話があります。
前の二種類をポイするだけでもハッキリ言ってベリルの手には余った、リベール一人を相手するのとは訳が違うのだ。
二脚で歩行する敏腕美女執事という訳の分からないジャンルに属するアルケニーをトップとした情報管理部署が立ち上げられ、その元に大量の人員と商人が集まってたちまちピラミッド型の階層構造を形成した。
魔王城から歩いて三日の所にある荒野のド真ん中。よーしパパ頑張っちゃうぞと各階層を行き来するためのフロート付きビルが建って、両界中からの手紙が魔王城ではなくそちらに届いて機能し始めるまで半年。
その頂点である最高責任者のベリルに届くのは非常に重要な僅か一握りの情報であり、だからこそ彼女もシラもそれに気付かなかった。
情報管理部署に雇われた人員の内、リベールという名の人間は、三人。
その三人の中、人族だというのは僅か一人に過ぎなかった。
※
今までの文明が家一軒を建てるのに人の手で一つずつ石を積み上げていたのなら、それはブルドーザーやクレーン車でいきなり築城を始めるようだった。
魔界と人界の境に近付くと、空間に満ちている闇素の色が段々と薄くなっていくのがわかる。まるで時計を十倍速にしたように、闇が急激に開けるのだ。
揺れる馬車に酔いそうになりながら進み、十字路になった所を左側に進むと人界の最辺境であるセルビア王国に到着する事となるが、その逆となる方向にある街道は、石畳ではなく謎の物質によって敷き詰められている。
それは地球上で言うアスファルトのような物だったが、その物自体ではない。荒い砂利を瀝青で固めたのではなく、また別の固まると大理石の如く滑らかかつ硬くなる粘液を舗装剤として、水増しと摩擦のために砂を混ぜたようなものだ。その物質の製法はいまだもって公開されてはいない――ここをひっそりと訪れる商人達は道に馬車を載せた途端、最低限に抑えられる揺れを体感し、公開されていない理由を情報の値段と共に噛みしめる事となる。
道を進んで行くとやがて両側に畑が見えてくる――驚いた事に、水田まである、しかし大半の畑が禿げている。広大な田んぼの中に枯れた草だのがあちこちに生えている様は、まるで黒くなったバッタの群れが過ぎたかのように荒涼した景色である。
しかしこんなバカでかい畑、耕すとなるとどれほどの人手と時間が必要なのかわかったものではない――と思っていたら丸腰の黒い全身鎧が、カンカン照りの下で鍬を振り下ろしている。普通に考えればそいつはリビングアーマーなのだろう。麦わら帽子を被っているので中身が入っているのかほんのちょっと悩む所。
そして道を進んで行くと、いきなり木製の長屋が連なっているのだ。
和風である。
すげぇ違和感だった。
中世ヨーロッパ風の石造の家に慣れていた来訪者は、まずここで度肝を抜かれる。
しかしもっととんでもない光景が展開される。
折しも朝であり、カンカンカンと鐘を派手に鳴らしながら長屋を横切って行くのは一体のスケルトンだった。音を聞いて無地の半纏と半ズボンに身を包んだ子供達が這い出してくる。
「おはよー」
「おう、ホーゲン、おはよう」
突如、長屋の一端からけたたましい女の子の悲鳴が上がった。
しかし少年は慣れっこと言わんばかりに、寝ぼけ眼をこすりながら背を伸ばした。
「あー、またシオンか」
「あいつ寝起き悪いもんな」
「あんだけ起き抜けにスケルトンの顔を拝むのが嫌ならちゃんと起きればいいのに」
「無理無理、あいつのグズり癖はほとんど病気だもん」
「よくあんなんで生き抜いて来れたな」
「あー、知らねえの? あいつ元は貴族だってさ。両親が何かやらかしたって話で街頭に迷ってたとこを、姫様に拾われてきたらしい」
「そりゃ運がいいな、あいつ今年で十一だろ、普通は娼館行きじゃね? それ」
「ちげぇねえ」
はっはっはっと笑い合う子供達の表情は明るい。
それもそのはず――皆が皆、人界や魔界で乞食をしながら飢えを凌いでいたストリートチルドレンだったのだ。
今は決められた仕事をこなしていれば腹一杯食える。そしてここに来て数ヶ月経った頃、嫌々ながら学ばされている読み書きの有り難みというものを、理解し始めている子供まで出始めていた。
それを実質的な読み書きのマスターという形で成果を叩きだした子供は、畑仕事などの労働を免除される――これを俗に都上がりと言う。都上がりをして複雑な紋様の入った刺青を腕に入れられた子供は印付きと呼ばれ、畑仕事の代わりに長屋の向こうに見える方形の建物に通う事となる。
やっている事はよくわからんし印付きの全員が全員とも、建物の中で行われている事に口を噤んでいるが――太陽の下で冷えた水をがぶ飲みしながら汗水垂らすよりは楽らしい。
畑が丸ッパゲだというのに、食堂で食べる朝食は美味い。
主食はほとんどの子供が食い慣れない米で、食器が使い慣れない二本の木の棒である。それでもカチカチになったパンの欠片よりは随分マシだった。食い方もほとんどが手掴みだっただけに、子供達の飲み込みは早い。
ホーゲンは二杯目のご飯をよそった、半分ほど片付けた時に視線を横に移すと――周囲と比べても肉付きのいい女の子が、まるで納豆を目にした外国人のように、冷めつつあったご飯を眺めている。
「シオン、少しは食べようよ」
「……うん」
構ってくる周囲の子供達の声に対しても返事は上の空。
やれやれ、これだからお嬢様育ちは――ホーゲンはおかずであるポークソテーを木のお椀に叩き込んでご飯と一緒に素早くかっこんだ。
無言で立ち上がる――マーギ語にに、ごちそうさまという言葉はない。
「はえーな、相変わらず」
「育ちが違うのさ」
「どの口で言うかね、こいつは」
顔馴染みの仲間にニヤリとした笑みを返した後、ホーゲンはシオンの背中を通り過ぎるついでにボソッと呟く。
「箸が使えないのなら食料庫からデルデ豆を貰って、休み時間にそれを摘む練習しとけ」
驚いたように顔を上げた女の子には振り向かず、彼は素早く食堂を出た。
背中に当たる子供達の視線が少しこそばゆい。そして何よりも――どうしてその方法を知っているのか、周囲に追求されると面倒だった。彼もかつてそうやって箸の使い方を学んだ。
ホーゲンが食堂の向こうにある建物に足を向けて数歩歩いたばかりの時だ。
馬の蹄が地面を叩く音がした。
「そこの少年、少しいいでしょうか?」
声音は女――ホーゲンが振り向くと、ローブで頭からスッポリ包んだ人影が馬に乗っている。
「ここにベリルという少女はいませんか?」
「…………誰、あんた?」
ホーゲンは軽く身構える。
その名前をここで出すのは、彼にとって最大級の警戒に値する。
「ああ、これは失礼しました――彼女の名はここでは秘密にしているのですね。もしこちらにいるのならこう伝言願えませんでしょうか?」
そしてローブ姿の女は、決定的な一言を言い放つ。
「巫女の一族が訪ねてきたと」